第11話 隠されると、見たくなる
放課後の中庭は、昼間よりもずっと静かだった。
ルシェルとキセラが向かったのは、中庭の奥にある小さな東屋だった。
背の高い生垣に囲まれていて、人目につきにくい。
床は石造りで、万一魔力が暴れても被害が出にくい。
練習の場所としては、申し分なかった。
「今日は、よろしくお願いします!」
「こちらこそ。約束でしたから」
「覚えていてくださったんですね!」
「私から言い出したことですもの」
ルシェルは東屋の長椅子に腰を下ろし、膝の上に手帳を広げた。
キセラは向かいに立って、緊張した面持ちで両手を前に出している。
「あの、触らなくて大丈夫ですか? あの日みたいに」
「触れずに見るだけですわ。あまり頻繁に触れるつもりはありませんので」
本音を言えば、触れたほうが断然早い。
けれど、あの日のこめかみの痛みを思い出して、ルシェルはその考えを引っ込めた。
父にも、「次は先に言いなさい」と釘を刺されたばかりだ。
――まずは、外から見えるものだけで、どこまで分かるか試してみるか。
「では、まず普段どおりにやってみてください。手のひらに、魔力で小さな光を灯すつもりで」
「は、はい! ……いきます!」
キセラが目を閉じて、ぎゅっと息を止めた。
次の瞬間。
ぼっ、と手のひらから白い光が溢れ出した。
光は小さな灯りどころではなく、東屋の中を真っ白に塗りつぶす。
生垣の隙間から、まばゆい光が外へこぼれた。
「わ、わわっ! す、すみません、止まらな……っ!」
「落ち着いて。息を吐いて」
「は、はいっ!」
キセラが慌てて息を吐くと、光は糸が切れたように、ふっと消えた。
あとには、肩で息をするキセラと、ちかちかする目を瞬かせるルシェルが残された。
「……すみません。いつも、こうなんです」
「いえ。おかげで、よく分かりました」
ルシェルは、手帳に素早く書きつけた。
――量が足りないのではない。むしろ、多すぎる。
先ほどの魔力は、胸のあたりに溜まっていたものが、一息に手のひらへ流れ出していた。
出口を開けた途端、全部が一度に噴き出す。
そして、慌てて止めようとして、今度は無理やり閉じる。
キセラの魔力には、「全開」と「全閉」の二つしかないのだ。
――水栓を、半分だけ開けるという発想がないのか。
前世の研究所で、似たような失敗をした助手がいた。
圧力の高い管のバルブを、勢いよく開けて、実験室を水浸しにしたのだ。
原因は、力の強さではなく、調整の仕方だった。
「キセラさん。あなたの魔力は、とても多いですわ」
「で、でも、私、すぐに暴発させてしまって……」
「多いから、暴発するのです。出し方が分からないだけで、問題は量ではありませんわ」
「出し方……」
「ええ。ですから、今日は『たくさん出す』練習ではなく、『少しだけ出す』練習をしましょう」
ルシェルは、手帳の図をキセラに見せた。
大きな水瓶と、そこから伸びる細い管。管の途中には、小さな栓の絵が描いてある。
「魔力が水瓶だとすると、出口はこの栓です。キセラさんは、栓を開けるか閉めるか、のどちらかしかしていません。ですから、開けた瞬間に全部が出てしまいます」
「確かに……そんな感じです。出そうとすると、ドバッて……」
「では、栓を少しだけ開けて、そのまま保つ練習をしてみましょう。出す量は、米粒ひとつぶん。灯りは、蛍くらいの明るさで十分ですわ」
「ほ、蛍……! や、やってみます!」
キセラは眉間にしわを寄せ、手のひらを見つめた。
ぱっ、と光が灯る。さっきよりは小さい。けれど、まだ眩しすぎる。
ぱっ、ぱっ、と強くなったり弱くなったりして、安定しない。
「力を入れすぎですわ。栓を握りしめると、中の圧力が上がって、かえって噴き出します」
「じゃ、じゃあ、どうすれば……」
「力を抜いて、息をゆっくり吐いてください。出そうとするのではなく、にじませるように」
「にじませる……」
キセラが、ふぅ、と細く息を吐いた。
手のひらの光が、ふっと小さくなる。
揺れながらも、ぽつりと、蛍ほどの光が残った。
「……あっ」
「そのまま。数を数えますわね。一、二、三……」
光は、ゆらゆらと揺れた。
けれど、消えない。弾けもしない。
十まで数えたところで、キセラはぱあっと顔を輝かせた。
「で、できた! ルシェル様、私、ちゃんと小さく出せました!」
「ええ。とても上手でしたわ」
「こんなに小さい光、初めてです……。いつもは、ドンッて出ちゃうから……」
「この感覚を、体に覚えさせてください。慣れてきたら、少しずつ量を増やしていけばいいのです。最初に覚えるべきは、強さではなく、保つことですわ」
キセラは目に涙をにじませて、手のひらの小さな光を見つめていた。
その横顔は、先日までの怯えた少女とは、まるで別人のようだった。
ルシェルは手帳に書きつける。
――栓の開き具合を、意識できるようになれば、暴発は減るはず。あとは、動揺したときにどこまで保てるかだな。
「面白いことをしているね」
不意に、東屋の入り口から声がした。
振り向くと、本を抱えたレオナルドが生垣の隙間から顔を覗かせていた。
「で、殿下!?」
キセラが、ぴょんと飛び上がる。
途端に、手のひらの光がぐんと膨らんだ。
「あっ、あっ、ま、また……っ!」
「キセラさん、息を吐いて。栓を握らないで」
「は、はいっ……!」
ルシェルの声に、キセラは慌てて息を吐いた。
膨らみかけた光が、ふるふると震えながら、元の小ささに戻っていく。
やがて、蛍のような光が、手のひらにふわりと残った。
「……戻せた」
「ええ。今のは、とても良かったですわ」
「す、すごい。私、自分で止められた……!」
感激するキセラの横で、レオナルドが目を丸くしていた。
「ごめん、驚かせたね。書庫にいなかったから、探したんだ」
「殿下。ごきげんよう」
「……ずいぶん楽しそうだね。僕も混ぜてもらっても?」
「構いませんが、殿下は魔力の扱いにご興味が?」
「君が興味を持っていることには、いつも興味があるんだ」
さらりと言って、レオナルドは当たり前のようにルシェルの隣に腰を下ろした。
キセラが、後ろでこっそり口元を押さえている。
「では、せっかくですから殿下の魔力も拝見してもよろしいですか? お手を煩わせて恐縮ですが」
「いいよ。どうすればいい?」
「軽く、光を灯していただければ」
「こう?」
レオナルドが、手のひらを上に向けた。
ふわり、と白い光が灯る。
詠唱もなく、息を整える様子もない。
それでも、光は少しも揺らがず、静かにそこにあった。
「わあ……」
「……なるほど」
キセラが感嘆の息を漏らし、ルシェルは感心して頷いた。
出ている量が、最初から最後まで一定なのだ。
栓の開き具合を、完全に手の内に置いている。
「殿下の魔力は、とても綺麗に整っていますわ。出る量が常に一定で、無駄がありません」
「そう? ありがとう。そんなふうに言われたのは初めてだ」
「すごい……私、すぐドバッと出ちゃうのに……。やっぱり、王族の瞳の方だからですよね」
キセラが、ぽろりと口にした。
その瞬間、レオナルドは咄嗟に探るような視線をキセラへと向けた。
キセラは、はっと自分の口を押さえる。
「す、すみません! でも、先日ジュリア様が仰っていたのが気になって……。『王族の瞳』って、そういう意味じゃないんですか……?」
慌てて申し訳なさそうに首を傾げるキセラ。
そんな様子をみて、ルシェルは公爵家に迎えられたあと、家庭教師から聞いた話を思い浮かべた。
――『王族の瞳』の特異性、ね。
とはいえ、ルシェルが知っているのは知っているのは世間で言われる範囲だけだったが。
レオナルドは、少し目を丸くしたが、すぐにくすっと笑った。
「そうか、君はクレアセント男爵家の出身だっけ? 他国の血も濃い家の出だと、あまり詳しくないのか。いや、キセラ嬢だけじゃなくて、国民全体がよく知らないかもしれない」
「ええと……」
「簡単に言うと、アイフォール王国の、王族の直系の血筋にしか現れないと言われている瞳のことだよ。この色は、この国唯一なんだ。他の国では、まず見られない」
レオナルドは、自分の紫の瞳を軽く指さした。
「この瞳を持つ者は、代々、強い魔力を持つと言われているんだ。特別なくらい強力な魔法が使える、とも」
「す、すごい……! じゃあ殿下も、そうなんですか?」
「どうだろう。魔力は多いほうだと言われているけれど、特別と言えるほどかと言われると……」
レオナルドは、少しだけ苦笑した。
その表情には、どこか居心地の悪さのようなものが滲んでいた。
「周りの期待が先に立つから。実際のところは、自分でもよく分からないんだ。ただ、そう言われ続けているだけで」
レオナルドは翳りの落ちた表情で、そう説明した。
ルシェルは、その横顔をじっと見つめた。
期待。
その言葉の重さを、彼女は少しだけ知っているような気がした。
「それで、ルシェル様も……」
「ええ。私も、同じ色ですわね」
ルシェルは、何でもないことのように言った。
「アイフォール王国は、二人の兄弟が興した国だそうです。ミラースト公爵家の名は、そのうち初代国王陛下の弟君が賜ったものです。ですから、血を濃く受け継ぐ者は、王家と同じ色を受け継ぐこともあるのだと、聞いております。もっとも、私は魔法が使えませんので、世間の言い伝えとは噛み合いませんが」
「噛み合わない……」
キセラが、小さく呟いた。
その表情が、ふっと曇る。
何か言いかけては唇を結び、また視線を落とす。
ルシェルは、手帳を閉じて、彼女を見た。
「キセラさん。何か、気になることがおありですか?」
「あっ……いえ、その……」
「構いませんわ。おっしゃってください」
「……ごめんなさい。お話ししていいのか、ずっと迷っていて……」
キセラは、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「先日、教室で……ルシェル様のことを、悪く言っている人たちがいて。聞いていて、すごく、悔しかったんです。でも私、何も言い返せなくて……」
「悪く、ですか」
「はい。……公爵様には、ほかに親しい方がいて、その方との間に生まれたのがルシェル様だ、って。だから、瞳のことも……って」
声は、後半ほとんど消え入りそうだった。
顔を上げたキセラの目には、うっすらと涙が滲んでいる。
「でも、ルシェル様はあの日、私のことを助けてくださいました。ルシェル様が誰の子だとか、そんなこと私には関係ないです。それを、どうしても伝えたくて……っ」
一瞬で、東屋の空気が冷えた。
レオナルドが、眉をひそめていたからだ。
「……誰が、そんなことを」
「で、殿下、私が言ったのではなくて……」
「分かってる。君を責めてるんじゃない」
レオナルドは、キセラに向けては優しく言ったが、その声の底には、確かな怒気があった。
ルシェルは、そんな彼の横顔を見て、小さく息を吐く。
「殿下。そのようなお顔をなさらなくても」
「でも、ルシェル」
「その噂でしたら、私の耳にも入っております」
ルシェルは、淡々と続けた。
「真偽のほどは、父の口から聞いたことがありませんので、存じません。ただ、私が孤児院で育ち、父に引き取られたことだけは事実です。父が、おそらく私の実の父なのだろうとも、薄々察しています。母のことは、何も知りませんが」
あまりにも静かに告げられた言葉に、キセラが息を呑んだ。
レオナルドも、目を見開いて、ルシェルを見つめている。
「……君は、それを気にしないの?」
「分からないことで悩んでも、仕方がありませんから」
ルシェルは、さらりと言った。
けれど、膝の上で握った手帳の端を、無意識に指でなぞっていた。
――そんなことよりも。前世の自分の瞳も、同じ紫だった。
ふと、そんなことが頭をよぎった。
これまでは、ただの偶然だと思っていた。
けれど、この国でしか見られない色だというのなら。
それは、本当にただの偶然なのだろうか。
きっと偶然だろう。
けれど、疑ってしまう癖はどうにも前世から変えようがない。
「まあでも、私もこの瞳について詳しくは知りませんので。せっかくですから、調べてみたいと思っていたところです」
「ミラースト公爵は詳しく教えてくれていないのか?」
「……お父様は少々過保護でして。『一気に知ることはない、ゆっくり学んでいけばいい』と、詳しいことはあまり教えてくださいません」
「なるほど……僕も、父上からその時が来たら教えるとしか聞いてないんだ」
「そ、そんなにすごいものだったんですね……王族の瞳って……」
その横で、レオナルドが、じっと考え込むように黙っていた。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。
「……調べる、か」
「殿下?」
「実は、僕も調べてみたかったんだ。この瞳のことを」
レオナルドは、静かに続ける。
「王族に生まれて、この色を持っているのに、何がどうしてこの色なのか、僕は何も知らない。ただ、そういうものだと教わっただけで」
「殿下……」
「ルシェルの話を聞いて、思ったんだ。もしかしたら、王家や公爵家の古い記録を見れば、何か分かるんじゃないかって」
紫の瞳が、いたずらっぽく光った。
「そういう記録は、あの扉の奥にないかなって考えたりしてるんだけど」
ルシェルの指先が、ぴたりと止まった。
あの、鉄の扉。
『立入禁止』の札のかかった、あの扉。
「殿下でも、許可がなければ入れないと伺いましたが」
「うん。入れないよ。……でも」
レオナルドは、少しだけ声を落とした。
「見てみたくない?」
一瞬の沈黙。
キセラが、目をぱちぱちさせて二人を交互に見る。
「え、えっと……殿下、それって、つまり……」
「さあ、どうだろう。僕は、ただ聞いてみただけだよ」
とぼけたように笑うレオナルド。
ルシェルは、その笑顔をじっと見つめた。
それから、ゆっくりと、口の端を持ち上げた。
――隠されると、見たくなるのが人間の性だ。
「ええ。是非」
にっこりと、ルシェルは微笑んだ。
その笑顔に、キセラは嫌な予感を覚えて、ごくりと喉を鳴らす。
「あの、でも、入れないところなんですよね?」
「入れない、とは言っておりませんわ」
「ええええ!?」
キセラの悲鳴が、静かな中庭に響き渡った。
レオナルドは、堪えきれないように、声を上げて笑った。
夕暮れの光が、東屋に長い影を落としている。
その向こうで、書庫の尖塔が、静かに三人を見下ろしていた。




