↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
77/80

おおきなさくらのおひっこし〜小川中学校2年生がつくった絵本は荘川村の歴史を伝える御母衣ダムの真実だった

2024年、東京・渋谷。


89歳の咲良のもとへ、一冊の絵本が届いた。


『おおきなさくらのおひっこし』


そこに描かれていたのは、70年以上前に離れた故郷――荘川村中野地区と、二本の大きな桜の物語だった。


ダム建設によって湖の底へ沈むことになった故郷。


反対運動をともにした幼馴染のショウ。


そして、水の底へ沈むはずだった二本の桜。


「知らなかった……生きていたんだ……あの桜たち……」


一冊の絵本によって、止まっていた咲良の時間が再び動き始める。


時代を越えて咲き続ける桜と、故郷を想い続けた人々の物語。


『おおきなさくらのおひっこし』


どうぞ最後までお付き合いください。

【ペルソナ】

・さくら=荘川桜の精(年齢不詳/CV:岩波あこ)=ストーリーテラー

・咲良=さくら(19-20歳/23歳/26歳/89歳/CV:岩波あこ)青年団所属で反対同盟の運動員

・昭一=しょういち/通称ショウ(年齢同上/CV:岩波あこ)咲良の幼馴染


【プロローグ/2024年4月/東京渋谷】


▪️SE/玄関チャイム「お荷物です」


2024年春。

私の元に小さな小包が届いた。


私の名前は、咲良。

89歳。

東京の渋谷に住んで、もう60年以上になる。


▪️SE/荷物の中身を開ける音


小包の中身は・・・

絵本?

題名は・・・


『おおきなさくらのおひっこし』。


私は本のページを捲る。


『荘川町中野地区。

そこには照蓮寺、光輪寺というお寺があり、

お寺には人々が大切にしていた二本の桜の木がありました』


え?


荘川村?中野地区?

桜の木?


何十年ぶりかに耳にするその名前。


荘川村の中野は、私が産まれたところだ。



【シーン1/1952年10月〜1953年1月/荘川村中野】


『ある日突然、この荘川にダムができるという話がきました。

中野地区の人たちは、みんなダムづくりにはんたいでした。

ダムは中野地区につくられるため、ふるさとが水の中にしずんでしまうのです』


▪️SE/小鳥のさえずり


1952年10月。

ダム建設計画が公表された。

私がその話を聞いたのは、光輪寺の境内。


19歳の私は、幼馴染のショウ=昭一と一緒だった。


光輪寺の境内は、小さい頃から私たちの遊び場。

大人になってもそれは変わらない。

遅い春には、桜吹雪の下でいつまでもショウと語り合った。


”お寺も、桜も、なにもかも・・・

私たちの村が水の底に沈む?”


当時の荘川村は農作物も豊富で、恵まれた農村だった。

土地を失うということは『職と未来を同時に失うこと』を意味する。


年が明けると『御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会』を結成。

日に日に反対運動は激しくなっていった。


私とショウは、家々の玄関に『ダム絶対反対』と書いた木札を打ち付ける。

バス停や道路沿いの家には巨大な横断幕を張って回った。


その年、白川村と合同陳情団を結成。

国会議事堂まで直訴に出かけた。


反対運動は日を追うごとに、激しさを増していく。


争いは何年にも渡り、終わりの見えない暗闇へと突き進んでいった。


そこに現れたのが『賛成派』の村人たち。

それは村を二分する深刻な対立へと発展した。


死守会の若手頭、ショウの怒りは頂点に達していく。


そんな時、私たちの目の前に、ひとりの老人が現れた。



【シーン2/1959年夏/荘川村中野】


『ある日、ダムづくりをすすめている、偉い人がやってきました。

その人は、ダムづくりが日本のためになると説明しました。

しかし、中野地区の人たちは、

何回きてもらっても、ダムづくりには、反対だからね、と言いました』


▪️SE/ヒグラシの声


1959年。

初めてその人を見たとき、少し驚いた。


ダム開発の責任者。


それは冷徹で心のない、怖い人

私はそう想像していた。


なのに、その人の目は全く違った。

私たちを真っ直ぐに見て、深々と頭を下げる。

時には、目を潤ませながら。


ショウは、そんな姿を目にしてもまったく動じなかったけど。


『日本のために、みなさんからふるさとをとりあげる。

ほんとうにひどい話だと想っています』


私にはその人が、うわべだけのでまかせを言っているようには見えなかった。

ショウは相変わらず鋭い目つきで老人を睨みつける。


その夜、家に帰ると、父と母が私を待っていた。

仏壇の前に 正座して、私に告げたのは・・・


『荘川を出る。新しい場所でやり直す』


耳を疑う言葉。


父の声は小さく、震えていた。

母は仏壇に向かったまま、肩を落としてすすり泣いている。


『もうここまでか・・・』


私の心の中に、波紋が広がっていった。


▪️SE/小鳥のさえずり


次の日。

私はショウを光輪寺の境内に呼びつけた。


「さくら・・どうしたんだ?」



「私、東京へ行くことになった」


「え・・・?」



絶句したまま、ショウは何も言わなかった。

季節は晩夏を越えて、もうすぐ冬の準備に入る頃。


目の前には私たちをずうっと見守ってきた大きな桜の木。

この桜も、水の底に沈んでしまうのか・・・

どうしようもない悲しさが私の心を覆っていく。


老木は、風に吹かれて枝を揺らしていた。



【シーン3/1959年11月/荘川村中野】


『一九五九年(昭和三十四年)11月、

みんながあつまって中野地区のお別れ会がひらかれました』


▪️SE/虫の声


1959年11月。

荘川村立中野小学校。


反対同盟の解散式がおこなわれた。


それは今思い出しても、切なくて美しい和解の瞬間。


解散式に出席したのはなんと、開発の責任者。あの老人。

反対同盟から案内状を受け取り、わざわざ足を運んでくれたという。


反対同盟の幹部が解散宣言を読み上げる。

ショウは、何も言わず唇を噛んでいた。


宣言が終わる。

壇上で反対同盟の代表と開発責任者の老人が歩み寄った。


言葉を交わすのではなく、心を結ぶような固い握手。


その瞬間、大人も子供も、ショウも私も、嗚咽した。

愛する故郷と決別しなければならない寂しさ。

それでも開発側の誠意にようやく心rがほどけた複雑な感情。


解散式が終わり、誰もいなくなった小学校。

教室の黒板には、チョークで大きくこう書き残されていた。


『さようなら御母衣、さようなら中野』


それはまるで、私の心を映す言葉。


私は翌日、両親とともに、東京へ旅立った。



【シーン4/1960年/荘川村中野】


『この桜をたすけましょう。なんとかしてくれる人をさがします』

『こうして光輪寺と照蓮寺の桜の木のおひっこしがはじまりました』


▪️SE/虫の声


1960年11月。

光輪寺と照蓮寺の桜が山の上へ引き上げられた。

驚くような大移植が無事完了。


それを指示したのは、開発の責任者、あの老人だった。


え?

うそ?


あの桜が・・・


東京へ引っ越したあと、父と母は渋谷で旅館業を始め軌道に乗った。


私には縁談が舞い込み、この年、お見合いをして結婚。

すぐに子供が生まれ、目が回るような毎日。


荘川のことなど、考える余裕すらなかった。


子供たちが成長して巣立つと、代わりに孫を授かる。

孫たちの面倒を見ながら

気がつくと60年以上が経っていた。


知らなかった・・・


生きていたんだ・・あの桜たち・・・


『春のようせいと、桜のようせいがお話をはじめました』

『今年はおそかったね。

暖かいところからまわってきたので少しおそくなったけれど、

ちゃんとあたらしい芽をもってきたよ』

『春のようせいのおかげで、桜の木に芽がでました。

桜のようせいも喜びました』


『おおきなさくらのおひっこし』

そういう意味なのね。


最後のページを捲ったとき、一枚の紙が床に落ちた。


きれいに折り畳まれた羊皮紙。

そこには簡素な文字でこう書かれていた。


『父からこの絵本を咲良さんに送るよう言われました。

父の名は・・・』


昭一?

・・・ショウ!


『父は故郷が湖底に沈んだあと、中学校の教師となりました。

中野中学校は統合されて、荘川中学校になり、

定年まで勤め上げたのです。


この本は今年、2024年に4月に完成しました。

作ったのはいまの荘川中学校2年生の生徒たちです。


父は絵本の完成をとても楽しみにしていました。

残念ながら本を目にすることはできませんでしたが、

いつもこう言っていたのを思い出します。


咲良に見せてやりたい。

教えてあげたい。

時代に翻弄されながら、立派に生き抜いている荘川桜のことを。


咲良、というのは咲良さんのことですよね。


集団で東京や千葉へ向かった中野開拓団。

その名簿を調べました。


父と同い歳。

咲良さんが父と一緒に反対運動を続けていたことも知りました。


私が、咲良さんって誰?と聞くと

いつも『戦友だ』と言っていました。

本当に『戦友』だったのですね。


この本は父の形見でもあります。

どうか、父の気持ちをくんでいただき、受け取っていただけませんでしょうか』


ああ、よかった。


ショウ、荘川で幸せな人生を全うしたのね。

今度会えたら、荘川桜のこと、いっぱい教えてちょうだい。

早く、会いたいな・・・ショウ・・・


『荘川桜は今もきれいに咲き続けています。

地域の人々や私たち小・中学生も保全活動を行っています。 

次は、この物語を読んでくださったあなたが荘川桜を大切に守っていってください。

いつまでもこの荘川桜がみなさんの力で大切に守られていきますように』



【エピローグ/2026年/渋谷の老人介護施設にて】


▪️SE/老人介護施設の雑踏


「ママ!絵本みつけた!」

 

「あら。そこにあったの?

ひいおばあちゃん、2年前誰かからもらった、って言ってたやつ。

毎日毎晩、見てたらしいけど

・・・もう捨てちゃいなさい」


「やだ、ほしい」


「もう〜。

それよりちゃんとお手伝いしてね。遺品整理。

施設のお部屋使えるのは、今日までなんだから」


「はあい!」


「さ、あとはこのダンボールでおしまい」


「ママ!お外見て」


「なあに?」


「桜の花が咲いてる」


「なわけないでしょ。9月に」


「だって、いっぱい花びら飛んでるもん」


「え?どこに?

・・・なんにもないじゃない」


「ホントに飛んでたんだもん」


「あら?

ちょっと見せてその本。

最後のページ・・・これ、桜の花びらよね。

ひいおばあちゃん、栞にしてたのかしら」


「こんど、桜見にいきたい」


「そうね・・・じゃ、行ってみようか」


「どこへ?」


「ひいおばあちゃんのふるさと。荘川村」


『ふるさとは 湖底(みなぞこ)となりつ 移し来(きた)し

この老桜(おいざくら) 咲け とこしえに』

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


故郷が湖の底へ沈んでも、そこで生きた人々の記憶まで沈んでしまうわけではありません。


誰かが覚えている。

誰かが語る。

そして、その物語を受け取った次の世代が、また誰かへ伝えていく。


大きな桜が新しい場所へ移され、時代を越えて花を咲かせ続けるように、人々の記憶もまた、世代から世代へと「おひっこし」していくのかもしれません。


咲良からショウへ。

ショウから次の世代へ。

そして一冊の絵本から、さらに未来の子どもたちへ。


物語の最後にひ孫が口にした「こんど、桜見にいきたい」という言葉は、過去の物語が未来へつながった瞬間でもあります。


いつか荘川を訪れる機会がありましたら、今も生き続ける荘川桜に会いに行ってみてください。


その花の向こうに、かつてそこにあった故郷と、そこを愛した人々の姿を感じることができるかもしれません。


この物語はボイスドラマになっています。

「ヒダテン」で検索して公式チャンネルからお聴きいただくほか、Spotify、Apple Podcasts、Amazon Musicなどでもお楽しみいただけます。


物語を「読む」だけでなく、声と音で描かれる『おおきなさくらのおひっこし』も、ぜひお楽しみください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。