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黒き獅子は天使に愛を乞う  作者: 一ノ瀬葵
本編

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第9話 婚約者

 フィーリアは自分に降りかかるだろう衝撃に一瞬目を瞑った。

 だが、自分が全くワインに濡れる事がないことに不思議に思う。目を開けて大きな背中だけが見えた事を認識したと同時に悲鳴が聞こえた。


「きゃぁぁぁ」


 フィーリアの目の前にはフィーリアを庇うように先程カトレアと共にフィーリアの元を離れていたはずのジークフリードが立っていた。ジークフリードの髪の毛や上衣が赤ワインで濡れている。そして、フィーリア自身はドレスも何も汚れていない状況で、フィーリアがかぶる筈のワインをジークフリードが庇った際にかぶった事がわかった。


「リ、リト…ラル子爵様…これは…」


 目の前にいるワインをかけたコーニッシュ伯爵令嬢のキリエは今にも倒れそうなくらい、青褪め震えている。


「フィーリア嬢が自分の婚約者だとわかっていての行動だろうか?」


「あの…わ、(わたくし)……」


「自分が離れた後、彼女に何かを言っているようにも見えたが…事と次第に寄っては貴女方のお父上にもお伝えしなければいけなくなるが…」


 ジークフリードの声色はいつもよりも低く怒っているようにも思えた。


(いけない…これ以上、事を大きくしては…ジークの立場も悪くなってしまうかもしれない。)


「違うのっ!」


「フィー?」


 急に声をあげたフィーリアを訝しげな表情でジークフリードはみつめる。


「あの…キリエ様の後ろからどなたかがぶつかってしまったようで、それで体勢を崩されたようで…」


「……………。」


(こんな事を言って誤魔化すのが難しい事はわかっているけど…)


「たぶん…それで手が滑ってしまったのだと思うわ…

 ジークが居ない間は貴方の社交界での姿を教えてくださっていたの…だから……」


 フィーリアが事を大きくしないように嘘をついてキリエの事そして、ソニアの事を弁明した事にジークフリードは溜め息を一つ溢した。


「……フィーがそう言うのであるならば、俺は何も言えない。

 だが、貴女方にはフィーリア嬢は自分の婚約者である事だけは忘れないで頂きたい。」


 これは、ジークフリードの牽制であった。フィーリアに何かしようとするのであればジークフリード自身はもちろん、レイサレル家も後ろにいるのだという事をわからせる為の言葉であった。


「ジークこれ──」


「ジークフリード様大丈夫ですか?」


 フィーリアはジークフリードのワインの汚れを拭こうと自分のハンカチーフを差し出そうとした時、先に労るような声と上品なハンカチーフを差し出す人物がいた。


「カトレア嬢…貴女が汚れてしまいますのでお気になさらず…」


「いえ…故意ではないとはいえ、二人は(わたくし)の友人ですので…私からも謝罪致しますわ。」


 カトレアは、自身のハンカチーフをジークフリードに渡し近くにいた給仕に声をかけ、拭くものを用意する事と身だしなみを調える部屋へ案内するように伝えた。その手際は無駄がなく所作も淑女のマナーをしっかりと守っているものだった。


「フィーリア様も驚かれたでしょう。折角のデビュタントとしての舞踏会でしたのに申し訳ありません。その代わりと言っては失礼ですが、今度我が家で行うお茶会へお招きしてもよろしいでしょうか?」


「お気遣い頂きありがとうございます。」


 カトレアがフィーリアへにっこりと笑みを浮かべた時、ジークフリードが言葉を発した。


「カトレア嬢、我々は一度下がらせて頂きたいと思いますので、失礼致します。

 フィー、給仕が別室を用意してくれるようだから一度ホールを出よう。レオンに声をかけるようにとも伝えてある。」


「え、ええ…カトレア様。色々とありがとうございます。失礼致します。」


 フィーリアはカトレアへドレスをつまんで礼をとり、ジークの後をついていった。

 そんなフィーリアとジークフリードの事をカトレアが表情を変えずにずっと見詰めていた事などこの時はフィーリアは知るよしもなかった。

 給仕に案内された別室に入り、兄のレオンが来るまでは二人きりという事もありドアを少し開け近くにいた警備兵に廊下で待機させた。

 ジークフリードは廊下に漏れない程度の声で話始める。


「何故、あのような嘘を言った?」


「え…嘘…?あ…それは…」


 ジークフリードは全て理解した上でフィーリアの言葉に合わせてくれたのだとわかった。


「あまり、大事になってしまうとジークの立場も悪くなってしまうでしょう?それに、あのお二方はカトレア様のご友人という事でもあったから、カトレア様の立場を考えても大事にしてはいけないと思って…」


「だから…酷い事を言われてさらにワインまでかけられそうになりながら相手を庇ったのか?」


「ワインは…ジークが庇ってくれたから…ありがとう。

 だけど…こんな状態にさせてしまってごめんなさい…

 私が…悪いの…相手の言葉に反応して感情を出してしまったから…

 あんなに、母様からも言われていたのに…相手の挑発に簡単に乗るんじゃないって…」


 ジークは汚れた上衣と白手袋を脱ぐとさっと髪の毛を給仕が用意したタオルで拭いた。

 そして、素手になった右手でフィーリアの頬にそっと触れる。

 その瞬間フィーリアの心臓は跳ね、ピクッと身体が震えた。


「何を言われた?傷付けられたのではないのか?

 そもそも俺が始めから傍を離れなければ良かったんだ。」


 フィーリアの胸がズキンと傷む…


(どうして、そんなに優しい言葉をかけてくれるの?こんな風な優しい仕種に、そしてこんな言葉を掛けられたら…勘違いしてしまう…ジークの事を私が苦しめているのに…)


「私の方こそごめんなさい…ジークに辛い思いをさせて…ごめんなさい…」


「何故、お前が謝る?俺が辛い思い?どういう事だ?」


「だって…ジークは…」


 苦しい胸の内を言おうとした瞬間部屋のドアをノックもなしに開けられ勢いよく中へ入ってきた人物がいた。


「フィー!!大丈夫か!?」


「にっ、兄様っ…それにジェシカまで…」


 部屋に入ってきたのは婚約者のジェシカを連れたレオンだった。


「ジークこの騒ぎはどういう事だ?お前が傍にいながら何故フィーリアが令嬢方に絡まれたんだ?」


「俺がカトレア嬢と傍を離れた時に色々言い掛かりをつけられたらしい。」


「傍を離れた?

 ……ジークにも色々な事情がある事は知っているけれど、今日フィーリアはデビュタントで、そのエスコートをジークが申し出たんだ。その事を理解しての行動だったのか?」


「全て俺の認識の甘さが招いた事だ。俺が悪い。すまなかった。」


 いつもは穏やかなレオンが怒っている姿にフィーリアは事の大きさを感じた。そして、レオンの発した『───…ジークにも色々な事情がある事は知っているけれど…』という言葉にレオンもジークフリードに想い人がいる事を知っていてるのだとわかった。

 そしてその相手がカトレアではないだろうかと感じていた事がフィーリア自身確信に変わった。その瞬間様々な思いがフィーリアの心の中を駆け巡る。そして、先程の二人の令嬢方の言葉が頭を離れない。『愛し合っている二人を引き裂いている邪魔者…』という…


「兄様…違うのよ…ジークは悪くないわ。カトレア様と踊ってきてと言ったのは私なの。ジークは、初め私から離れる事に躊躇していたわ。でも、カトレア様からのダンスのお誘いを断ればジークの貴族紳士としての名前に不名誉な烙印を押される事になる。それに、先にあのお二方の言葉に感情的になったのは私なの。だから…」


「フィーの言う事は正論かもしれないけれど、それでももっとジークは、上手く立ち回らなければいけなかったと思う。ただの幼馴染としてフィーをエスコートしていた訳じゃない。婚約者としてエスコートするには自覚が足りなかったと思うよ?この事は父上に報告する事は理解しておいて。」


「ああ。当然の事だし、明日俺からも謝罪に伺うとも伝えてほしい。」


「どうして?どうして、そこまで兄様は怒るの?そこまでする必要はないんじゃ…」


 今まで口を挟まずに黙っていたレオンの婚約者であるジェシカ・マーヴェス侯爵令嬢がフィーリアに向かって穏やかな口調で話始めた。ジェシカはフィーリアより三歳歳上で、あまり他の貴族の子息や、令嬢と交流のなかったフィーリアがレオンの妹としてだけでなく友人としても仲良くしている間柄であった。


「フィーリア、レオンが怒っているのはデビュタントである貴女が標的にされて、尚且つ今日の舞踏会は国内の殆どの貴族方が集まっている会場の中で羞恥に晒されたからよ?

 貴族が足の引っ張り合いをしているっていう事はカトリーヌ様からも聞いているでしょう?みんな笑顔の下では相手の粗を捜しているの。ましてや、フィーリアは今日デビューで今までは貴族の子ども達が集まるようなお茶会にも出席した事がなかったでしょう?そんな貴女の粗を見付けたくてどうしようもない人々の前で感情露になりながら喧嘩している姿を見せ付ける。それが、相手の作戦だったのかもしれないわ?フィーリアの名誉をさらにはウェストン家、もっと言えばレイサレル家の名誉まで傷付ける為にね?」


「……っ………」


 ジェシカの言葉に社交界が本当に甘い考えでは通用しない事がよりわかった。


「でもね、騒ぎにはなってしまったけれど…ジークフリード様が貴女を庇って、さらに牽制をかけた事で悪い方向には向かなかったのではないかしら?だから、レオンも可愛い妹が悪意ある嫉妬に晒されたからといっても、そんなにピリピリなさらないで?」


「ま…ジェシカの言う通りだけどね…

 それで?ジークはどうするの?その格好で会場へは戻れないだろう?それに、フィーもまた会場へ戻ってもまた周囲の目に晒されるからね…折角のデビュタントの舞踏会だけど…このまま帰った方がいいかな?」


「うん…迷惑をかけてしまってごめんなさい…」


「ま、その辺は僕が悪いようにはしないから安心してフィー。」


「レオン。お顔が悪くなっていますわよ?」


「それは、そうさ。僕の可愛い天使を苛めたんだからね?

 あ、心配しないで法は犯さないで社交界で生きていく事が辛くなるようにする方法はいくらでもあるからさ。」


 そんな軽口のレオンの言葉や寄り添ってくれるジェシカのおかげでフィーリアは少しだけだが、気持ちが軽くなるような気がした。

 そしてジークフリードと共に自宅へと帰宅する事にした。









ここまで読んで頂きありがとうございます。

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