第28話 追憶③ ー涙ー
ジークフリードは初めて宰相でもあるウェストン侯爵の邸を訪れた。ウェストン家だけでなく王宮から出たのも初めてであった。付き添ってくれた叔父のヴィクターと護衛としてジェストを含めた数人の近衛騎士も伴って邸の前で馬車を降りると、エントランスにはウェストン家に使えている使用人方が揃い頭を下げていた。その中心にいた初老の執事にヴィクターが声を掛ける。
「仰々しいのは好まないから楽にしてくれて構わない。宰相とレオンからの招待を受け、参った次第だ。」
「王弟殿下、並びにジークフリード王子殿下お待ちしておりました。ウェストン家へようこそお出でくださいました。」
「イアン爺、母上の所へ案内して欲しいのだけど、母上は大丈夫と言っていた?」
「はい。奥方様もお待ちになられております。奥方様から応接室へお連れするように申し使っております。」
「フィーも一緒なの?」
「はい、左様でございます。」
「ヴィクター様、ジーク、僕とイアン爺が案内するね。」
応接室に付きイアンが扉をノックする。
「奥方様。皆様お着きになられました。お開けしても宜しいでしょうか?」
「ええ。大丈夫よ。」
イアンが扉を開けると、扉前で淑女の礼をとるカトリーヌの姿があった。
「ヴィクター王弟殿下、並びにジークフリード王子殿下わざわざ我が家までご足労頂きありがとうございます。」
「カトリーヌ、楽にしていい。
君はまだ産後間もないだろう。今回はこちらの話を快く承けてくれてありがとう。」
「とんでもないですわ。こちらこそ、ジークフリード殿下にお目通りして頂きたかったですから。」
「母上、フィーはどこ?」
「あちらの揺り篭で大人しくしているわ。
ジークフリード殿下、気乗りはされないかもしれませんが娘に会って頂けますか?」
「カトリーヌ様…でも…僕は……」
カトリーヌは柔らかい笑みを浮かべるとジークフリードの手をとった。そして反対の手をレオンがとる。
「ジークこっちだよ。フィーリアっていう名前なんだ。僕はいつもフィーという愛称で呼んでいるんだ。とっても小さいんだよ。」
「レオン…」
揺り篭の前まで連れて来られたジークフリードは揺り篭の中にいる存在に目を落とした。
とても小さくて壊れてしまいそうな存在に胸の中に不思議な感覚を感じる。
無意識に揺り篭の中の存在に指先でそっと触れるとふわりと柔らかな感触を感じた瞬間そんなジークフリードの指先をキュッと力強い力でその存在は小さな手で握った。
小さくて今にも壊れてしまいそうなのに、指先に感じるのは力強くそして温かな感触だった。
この存在が確かに生きているという事をジークフリードは実感した。
「あったかい…」
ポツリと呟いたジークフリードに微笑みかけたカトリーヌはそっとジークフリードの肩を抱く。
「ええ。こんなに小さくとも力強く生きているのですよ。」
「生きてる……」
「ええ。ジークフリード殿下、アリア様も殿下がお生まれになられた時とても幸せそうでしたわ。」
「……母上は…本当に幸せだったの?僕が居なければもっと幸せだったんじゃ…って…」
「アリア様はいつも殿下の事を慈しんでいらっしゃいましたわ。そして、何よりもお大切になさっておりました。
親とは…母親とはそういうものなのです。自分よりも子どもが幸せになってくれる事が何よりの幸せなのですよ。」
ジークフリードの脳裏にはあの日からアリアが苦しみながら息絶える姿しか浮かばなかった。思い出すだけで吐き気が込み上げ苦しみと悲しみの淵にその都度落とされた。
しかし、今思い浮かんだのはいつも自分へ向けてくれていたアリアの優しい微笑みであった。
その時、ジークフリードの瞳から涙が一粒零れ落ちた。
それは、後を追うように次々と零れ落ちていく。
この日ジークフリードはアリアの死からようやく泣く事が出来たのだ。
その間カトリーヌは優しくジークフリードを抱き締めてくれ、レオンはずっと手を繋いでくれていた。
漸く涙が落ち着いたジークフリードにレオンは言葉を掛ける。
「ジーク。僕もジークの側にずっといるからね。」
「レオン…ありがとう。」
ジークフリードは少し気持ちが落ち着くとまた揺り篭の中を覗き込んだ。
そして、また指先でフィーリアの頬に触れる。
揺り篭の中にいるフィーリアはそんなジークフリードに大きな藍色の瞳を向けた後微笑んだその姿にジークフリードは思わず言葉が零れた。
「天使…」
そんなジークフリードの言葉に嬉しそうな笑顔を向けたレオンは口を開いた。
「僕ね、フィーが自慢できるような立派な兄上になろうと思うんだ。」
そんなレオンの言葉にジークフリードも言葉を発する。
「じゃあ、僕はフィーの騎士になる。」
「騎士?」
「フィーに僕は今日暗闇から助け出して貰ったんだ。
だから、僕もフィーの事を助けたり守ってあげられる強い騎士になる。」
フィーリアの温もりに生きるという強さを思い出させてもらったとジークフリードはこの時感じたのだ。
幼いジークフリードの心に強く刻まれたフィーリアの温もりと笑顔はこの日から忘れる事はなかった。
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇
3年後──……
王宮の鍛錬場には金属の撃ち合う音が響いていた。
小柄な少年が大柄な騎士の懐に入り、騎士の持つ剣を打ち上げ打ち落とそうとするが、力では勝っている騎士が反対に少年の剣を押し返し間合いを取った。
「殿下、大分腕を上げましたね。」
「いや…まだロッソお前には一度も勝った事はないから、まだまだだよ。」
「それでも、俺が殿下に武術の鍛錬の指導をするようになってから三年になりますが、殿下が俺に勝った事がないのは長剣と体術だけになりましたからね、その他の武術では勝敗を付ければ勝ちの方が多くなってきているんじゃないですか?
初め、陛下やヴィクター様から依頼された時は何で俺がガキに…いや…子どもの殿下に?って思いましたけどね。」
「お前はいつも自分の思った事を正直に何でも俺に対しても言ってくるな。」
「殿下が、媚び諂わなくて良いって言ったんじゃないですか?
それとも、下手に出た方がお望みですか?」
「媚び諂われるなんて胸くそが悪い、そのままで良い。」
「俺も媚び諂へと言われても嫌だけどな。ってか…殿下のその言葉遣い…俺の影響だってヴィクター様や姉上からも言われているんだけどよ…やっぱり俺の影響なのか?」
「さあ?手が空いたら鍛錬場に来ていたから、ロッソだけの影響という訳でもないとは思うけど…」
「殿下の吸収力は半端ねぇから、勉学の方は覚える早さに講師の連中が舌を巻いているっていう噂ですよ?武術は、才能や技術だけじゃ賄いきれないものもあるからな、殿下の体格と俺の体格じゃああまりに違い過ぎるから今のような打ち合いになると力で負けちまう事があるのが現実だ。ま、殿下はその力の差をスピードでカバーしているから俺に勝てるのも時間の問題だな。
好きなんですよね?身体動かすの。」
「嫌な事を忘れられるから…」
「だが、そんな気持ちで鍛錬に挑んでいたら本物の力にはならない事は忘れないでくださいね。」
「わかっている。」
「しっかし、陛下もヴィクター様も近衛騎士でなくてしかも役職にもついていない俺に何で依頼したんだか?」
「父上と叔父上の采配は間違っていなかったと思う。
ロッソは、身分だとかそういう面倒なものに捕らわれないで俺にも接してくれるからありがたい。」
「貴族に生まれたからにはそういうものを重視しねぇと上の人間から睨まれてやべぇけどな?俺のくそ親父もいつも煩いからな~、最近は漸く、その辺の使い分けがわかってはきたが…まぁ面倒くせぇ。特にガチガチな貴族思考の奴等はな。その点、殿下は俺の意思を汲んでくれてやりやすいですよ。」
そう、ロッソは言うとニィと笑った。
ジークフリードは年齢が上がる度、周囲の貴族と呼ばれる人間達の自分に対する扱い方に苦悩していた。
レトリアル王国の貴族で表立ってはいないがある派閥というものができつつあった。
それは、従来通り正妃の子で長子であるからと第一王子であるクリストファーを王太子にと望む派と、それに反して第二王子であるジークフリードを推し進めようという派、そして中立という立場であると言っている者達であった。
レトリアル王国の掟には必ずしも正妃の長子が王位継承権が一番目であるとは記されてはいない。しかし、ここ何百年の間は正妃の長子が王太子となっていた。それを変えてはならぬと言う者がいる反面、ジークフリードの才能と風貌は巷で『獅子王』の再来とまで言われており、『黒獅子』こそ王太子に相応しいと言う者達がいたのだ。
ジークフリードに対して直接王太子が相応しいと言う者はまだいなかったが。そのように話されている事はジークフリードの耳にも届いていた。
ジークフリード自身、王太子は兄のクリストファーがなるものだと幼い頃から思っていたし、興味も野心もなかった。それなのにこのような声が大きくなっている事に対して幼い頃から帝王学なども学び王太子になる為の教育を受けてきていたクリストファーに対して侮辱であり不敬であると思った。そして、自分の気持ちを無視しないでほしいとも感じていた。
そんなモヤモヤとした気持ちを晴らすようにジークフリードは武術の鍛錬にのめり込むように取り組んでいたのだ。
通常王子の武術の指導者には騎士団の第一師団の近衛騎士で役職のついた人間がつくのだが、ジークフリードには役職のついていないしかも第二師団所属であり、まだ若いロッソ・グレゴールを父親である国王と叔父のヴィクターは采配した。周囲からは分不相応である、若すぎるという声もあったがそのままジークフリード付きの指導者としたのだ。
二人の相性は良かったようでジークフリードの能力の高さもあり指導される事を吸収するかのように技術を伸ばしていった。
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ようやくここでフィーリアとの出逢いです。
そして、ロッソとは王子の時に交流がありました。




