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■ 第七章「ほんとに出ていくなよ」

雨は少しずつ弱くなっていた。


丘の上の空き地で、二人はまだ同じ姿勢のままだった。蓮司の腕の中に陽和がいて、陽和の手は蓮司のシャツを掴んだまま離さない。


どれくらいそうしていたのか分からない。五分かもしれないし、もっと長かったかもしれない。時間の感覚がおかしくなっていた。


最初に動いたのは蓮司だった。


「……陽和」


「……ん」


「震えてる」


「……蓮司もでしょ」


「俺はいい。おまえ、薄着だろ」


蓮司は陽和の肩を掴んで、少しだけ引き離した。至近距離で目が合う。


陽和の顔はひどかった。目は真っ赤で、鼻の頭も赤くて、頬は雨と涙でぐちゃぐちゃだった。髪が額に張りついている。


でも蓮司は、その顔を見て——泣きたくなった。


こんな顔をさせたのは自分だ。全部自分のせいだ。


蓮司は制服のブレザーを脱いだ。走ってきたから中は少し温かい。それを陽和の肩にかけた。


「……蓮司、濡れるよ」


「シャツだけで平気だ」


「平気じゃないでしょ。蓮司も濡れてるのに——」


「いいから黙って着てろ」


陽和は口を閉じた。ブレザーの襟を引き寄せて、鼻を埋めた。蓮司の匂いがする。体温が残っている。それだけで、さっきまで凍えていた指先が少しだけ緩んだ。


蓮司は立ち上がって、陽和に手を差し出した。


「立てるか」


「……うん」


陽和が手を取った。蓮司の手のひらは大きくて、冷たくて、でも握る力は温かかった。


引き上げてもらって立つと、膝が少し笑った。ずっと座り込んでいたから足がしびれていた。よろけた陽和の腰を、蓮司の手が支えた。


「……大丈夫か」


「うん、足しびれただけ」


「……どんだけ座ってたんだよ」


「蓮司が来るまでずっと」


蓮司は唇を噛んだ。


来るまでずっと。一人で。泣きながら。


もっと早く来ればよかった。もっと早く走ればよかった。いや——そもそも、昨日あんなことを言わなければ、陽和はここにいなかった。


「……降りるぞ。足元気をつけろ」


蓮司は陽和の手を離さなかった。離さないまま、丘の斜面を降り始めた。


雨で土がぬかるんでいる。陽和のローファーは泥だらけだ。蓮司のスニーカーも同じ。草が足に絡まる。


蓮司が先に降りて、危ない箇所では陽和の手を引いた。時々振り返って足元を確認した。何も言わずに。ただ、手だけは離さなかった。


陽和は蓮司の背中を見ていた。雨に濡れた白いシャツが背中に張りついている。肩甲骨の形が見える。大きくて、頼もしくて、でもどこか必死で。


——この人が走ってきてくれた。


息を切らして。制服を泥だらけにして。声を震わせて。


「探した」


あの一言を思い出すだけで、涙腺が緩む。


丘を降りきって、住宅街の道に出た。街灯が灯っている。雨は霧雨くらいになっていた。空はまだ灰色だけど、西の端がわずかにオレンジ色を残している。


蓮司は足を止めた。


繋いだ手を見下ろした。陽和の手は小さくて、冷えていた。自分の手も冷えている。でも重なったところだけ温かい。


「……手」


陽和が小さく言った。


「繋いだまんまだけど」


「…………」


蓮司は一瞬迷った。離すべきだ。もう丘は降りた。足元は安全だ。理由がない。繋いでいる理由が。


でも——離せなかった。


「……嫌なら言え」


「嫌じゃない」


即答だった。


蓮司は前を向いた。歩き出した。手は繋いだまま。陽和がその半歩後ろを歩く。


いつもの帰り道。でもいつもと全部違った。


蓮司が車道側。陽和が内側。それだけはいつもと同じ。でも間に手が繋がっている。しかも蓮司の方が、ほんの少しだけ強く握っている。陽和にはそれが分かった。


「……蓮司」


「ん」


「さっき言いかけたこと、あったよね」


蓮司の足がわずかに遅くなった。


「……何のことだよ」


「丘の上で。蓮司、いっぱい喋ってくれたけど——途中で止まった。全部言えてない気がする」


「……言った。言っただろ」


「消しゴムの話と、クリームパンの話と、歩幅の話はした。桐谷くんのことで何も言えなかった自分が情けなかったって話もした。でも——その先がなかった」


蓮司は黙って歩いた。


陽和は続けた。


「蓮司、いつもそう。大事なことの手前で止まる。最後の一言だけ飲み込む」


「……」


「ハンカチくれた日もそう。屋上で『それに——』って言いかけてやめた。あの時も最後だけ飲み込んだ」


蓮司は自分でも驚いていた。陽和がそこまで覚えていることに。あの日の「それに」の先を、ずっと気にしていたことに。


「……覚えてんのかよ、そんなこと」


「覚えてるよ。蓮司が飲み込んだ言葉、全部覚えてる」


蓮司の手が、一瞬だけ強く握られた。反射的に。


すぐに力を緩めた。でも陽和は気づいていた。


街灯の下を二人で歩く。濡れた制服。泥だらけの靴。繋いだ手。すれ違う人がいたら奇妙に見えただろう。でも幸い、雨上がりの住宅街に人通りはほとんどなかった。


「蓮司」


「……なに」


「もう飲み込まないで」


蓮司の足が止まった。


陽和も止まった。手は繋がったまま。向かい合うような、でも完全には向き合えないような、斜めの角度で立っている。


蓮司は陽和を見ていた。街灯が陽和の濡れた髪を光らせている。目元はまだ赤い。でもさっきよりずっと落ち着いている。静かで、真剣で、まっすぐな目だった。


「……おまえ、ずるいわ」


「何が」


「その目。そうやってまっすぐ見んなよ。逃げらんねえだろ」


「逃げなくていいよ」


「……」


蓮司は空いている方の手で自分の顔を覆った。指の間から溜息が漏れた。


長い沈黙だった。


霧雨が二人の間に降っている。かすかに。もうほとんど止みかけている。


蓮司は手を顔から下ろした。陽和を見た。目を逸らさなかった。


「……屋上で言いかけたこと」


「うん」


「ハンカチの日の『それに』の先」


「うん」


「昨日の嘘の、本当のところ」


「うん」


蓮司は息を吸った。深く。肺の底まで。


「——全部同じ答えだ」


「……」


「おまえが誰にでも笑うのが苦しいのも、桐谷が告白した時に殴りたくなったのも、おまえが泣いて出てった時に頭ん中が真っ白になったのも」


蓮司の声が震えていた。いつもの低い声が。


「全部——全部、おまえのことが好きだからだ」


言った。


言ってしまった。


心臓が壊れそうだった。いや、もう壊れているかもしれない。取り返しがつかないことを口にした。十年以上かけて積み上げた「幼なじみ」の壁を、たった一言で叩き壊した。


蓮司は陽和の反応が怖くて——でも目は逸らさなかった。逸らしたらもう二度と言えない気がした。


陽和は黙っていた。


数秒。長い数秒だった。


それから——


陽和の目から、涙がぼろぼろと溢れた。


さっきの丘の上とは違う涙だった。声を殺す涙じゃなかった。我慢しない涙だった。口元が歪んで、鼻が赤くなって、ぐちゃぐちゃな顔で——


「ずるい……蓮司、ずるいよ……」


「は——なんで泣いてんだよ」


「泣くでしょ……こんなの泣くに決まってるでしょ……」


「いや——ごめん、泣くなよ——」


「泣くなって言って泣かせてんの蓮司でしょ!」


「——それはそうだけど——」


陽和は繋いだ手をぐいっと引いた。蓮司がよろけた。その勢いで距離がゼロになった。


陽和の額が蓮司の胸にぶつかった。ごん、と鈍い音がした。


「……痛い」


「知らない。蓮司のせい。全部蓮司のせい」


「……おう。俺のせいだ」


「昨日あんなこと言って——今日は走ってきて——雨の中——ブレザーかけて——手繋いで——で、好きって——」


言葉が途切れ途切れになる。泣きすぎて呼吸がうまくできていない。


蓮司は空いている方の手で、陽和の頭にそっと触れた。濡れた髪を撫でた。不器用に。ぎこちなく。人の頭を撫でるなんて初めてだった。力加減が分からない。


「……泣きすぎだろ」


「泣くよ……だって——ずっと好きだったんだもん」


蓮司の手が止まった。


心臓が止まったかと思った。止まってはいなかった。むしろ今までで一番うるさく鳴っていた。


「……ずっとって、いつからだよ」


「知らない。気づいたらずっと。蓮司が隣にいるのが当たり前すぎて、いつからかなんて分かんない。でも——第四章目くらいから自覚した」


「……は? 第四章って何だよ」


「何でもない。私の話。——消しゴムに答え書いてくれた日。クリームパンの日。エプロンの紐結んだ日。全部ぜんぶ、蓮司のことばっかり考えてた」


蓮司は口を開きかけて、閉じた。また開いて、閉じた。


何を言えばいいのか分からなかった。好きだと言った。好きだと返された。その先のシナリオを、蓮司は一度も考えたことがなかった。振られることばかり恐れていて、受け入れてもらえた場合のことを想定していなかった。


「……蓮司、黙らないで。また飲み込んでるでしょ」


「飲み込んでねえよ。何言えばいいか分かんねえだけだ」


「正直だね」


「……うるせ」


陽和がくすっと笑った。泣きながら笑った。涙と笑顔が混ざった顔は、蓮司がこれまで見た中でいちばんひどくて、いちばんきれいだった。


「……泣くか笑うかどっちかにしろ」


「どっちもだよ。嬉しいけど泣けるの。蓮司が悪い」


「全部俺のせいだな」


「そう。全部蓮司のせい」


二人とも、繋いだ手を離していなかった。


雨が止んだ。


雲の切れ間から、月がのぞいていた。満月ではない。少し欠けた月。でもその月明かりが、濡れた道路を銀色に光らせていた。


蓮司は陽和の顔を見下ろした。泣き腫らした顔。鼻の頭が赤い。睫毛に涙の雫が残っている。


「……一個だけ、言っていいか」


「何?」


「昨日から——いや、たぶんもっと前から、ずっと思ってたこと」


「うん」


蓮司は繋いだ手に少しだけ力を込めた。


「おまえが誰に笑っても、誰に優しくしてもいい。おまえがそういうやつだってのは、俺が一番知ってる」


陽和は黙って蓮司を見上げていた。


「でも——泣く時は、俺の前で泣け。逃げる時は、俺のとこに来い。作り笑いしそうになったら——俺を見ろ」


声は震えていない。さっきまでの嵐のような告白とは違う、静かな声だった。


「おまえの全部を俺にくれなんて言わねえ。でも——おまえの本物は、俺だけに見せてほしい」


陽和の目からまた涙がこぼれた。今度は一滴だけ。静かに頬を伝って、顎から落ちた。


「……独占欲、強いね」


「……悪い」


「悪くない。——嬉しい」


蓮司は耳まで赤くなっていた。月明かりでも分かるくらいに。


陽和はその赤い耳を見て、いつもの言葉を口にした。


「蓮司、かわいい」


「——このタイミングで言うかよ」


「だってかわいいんだもん。好きな人に好きって言われて真っ赤になってるの、世界一かわいい」


「かわいくねえっつって——」


蓮司は言いかけて、止まった。


陽和が「好きな人」と言った。自然に。当たり前みたいに。


「……おまえ、今」


「うん。好きな人。蓮司のこと」


まっすぐだった。どこまでもまっすぐな目で、陽和は蓮司を見つめていた。


蓮司は頭を掻いた。視線を泳がせた。空を見た。月を見た。街灯を見た。道路を見た。全部見たけど、結局目が戻る先は陽和だった。


「……ずっと怖かった」


ぽつりと、蓮司が言った。


「おまえが誰にでも笑うから。俺のことも"誰にでも"の一人なんだろうって。いつか——いつか俺じゃないやつに本気で笑う日が来たら、俺はどうなるんだろうって」


「蓮司——」


「桐谷が告白した時——ああもう終わりだと思った。あいつの方がいいだろうって。愛想いいし、おまえの隣にいても自然だし、俺みたいに不機嫌面じゃねえし」


「やめて。蓮司と桐谷くんを比べないで」


陽和の声が強かった。蓮司が口を閉じた。


「蓮司。私が桐谷くん断った理由、分かる?」


「…………」


「好きな人がいるからだよ。消しゴムに数式書いてくれる人。朝、黙ってクリームパン置いてく人。歩幅を合わせてくれる人。頬のペンキを親指で拭ってくれる人。不器用で、ぶっきらぼうで、絶対に『好き』って言わないくせに——全部行動で見せてくれる人」


蓮司は息を止めていた。


「そんな人がいるのに、他の誰かと付き合えるわけないでしょ」


陽和は泣き笑いのまま、蓮司の手をぎゅっと握った。


「蓮司以外にいるわけないじゃん。ばか」


蓮司は何も言えなかった。何も言えなくて、空いている方の手で目元を押さえた。


泣いているのではない。泣いていない。目が熱いだけだ。雨のせいだ。——雨はもう止んでいるけど。


「……蓮司、泣いてる?」


「泣いてねえ」


「泣いてるじゃん」


「泣いてねえっつってんだろ……雨だ」


「雨もう止んでるよ」


「……知ってる」


陽和はくすくすと笑って、蓮司の胸にもう一度額をくっつけた。今度は優しく。


「泣いてる蓮司も、かわいい」


「……今だけは黙っとけ」


「やだ」


蓮司は鼻をすすった。一回だけ。小さく。


陽和はそれを聞いて、繋いだ手をもっと強く握った。


しばらくして、二人は歩き出した。


帰り道。いつもの道。でもいつもと全部違う道。


蓮司が車道側。陽和が内側。手は繋いだまま。


歩幅は蓮司が合わせている。いつもより、もっとゆっくり。家に着くまでの時間を、一秒でも長く引き延ばすみたいに。


「……蓮司」


「ん」


「私たち、これ——どうなるの?」


蓮司は前を向いたまま答えた。


「……どうって」


「だから——付き合うとか、そういう話」


蓮司の耳が目に見えて赤くなった。


「…………」


「蓮司?」


「……分かってんだろ。わざわざ言わせんな」


「分かんない。蓮司ちゃんと言って」


「…………」


沈黙。


五歩分くらいの沈黙。


「……付き合え。俺と」


「命令形なんだ」


「……付き合ってください」


「急に敬語」


「——どっちだよ!」


陽和が声を出して笑った。本物の、お腹の底からの笑い。目が細くなって、くしゃっとなる、あの笑い方。


蓮司はその笑顔を見て——ああ、これだ、と思った。


この笑顔を守りたくて、怖くなって、逃げて、壊して、走って、泣かせて、泣いて——全部やって、やっとここに来た。


「……うん。付き合う。蓮司と」


陽和の声は震えていなかった。涙もなかった。ただ、少しだけ照れくさそうに、嬉しそうに、静かに笑っていた。


蓮司は前を向いた。


何か言おうとして、何も出てこなくて、代わりに繋いだ手を少しだけ引いた。陽和がつんのめって、肩が蓮司の腕にぶつかった。


「あ、もう」


「……すまん」


「全然すまんって顔してない」


「してる」


「笑ってるじゃん。蓮司、今めっちゃ笑ってる」


「……笑ってねえ」


「笑ってるよ。初めて見た、蓮司のそういう顔」


蓮司は空いている手で口元を隠した。


笑っていた。自分でも分かっていた。止められなかった。


「……見んな」


「見る。いっぱい見る。ずっと見る」


「……勝手にしろ」


「うん。勝手にする」


二人の家の前に着いた。左が七瀬家。右が朝霧家。門の間は三メートルもない。


立ち止まる。手はまだ繋がっている。


「……離さないと、家入れねえぞ」


「うん」


「……」


「……」


どちらも離さなかった。


十秒。二十秒。馬鹿みたいな時間が過ぎた。


蓮司が先に口を開いた。


「……明日」


「うん」


「朝、迎えに行く」


「……今までは待ってたのに、迎えに来てくれるの?」


「今までは『たまたま』だったからな」


「じゃあ明日からは?」


「…………たまたまじゃない」


陽和は笑った。くしゃっと。


「——おやすみ、蓮司」


「おやすみ」


手が離れた。指先が最後に触れて、するりと解けた。


陽和が門を開けて、玄関に向かう。途中で振り返った。


「蓮司」


「……なに」


「好き」


まっすぐだった。照れも誤魔化しもない、まっすぐな一言。


蓮司は硬直した。三秒くらい固まって、それから視線を地面に落として、耳を真っ赤にして、蚊の鳴くような声で言った。


「……俺も」


「聞こえない」


「——聞こえてんだろ!」


「聞こえなーい」


「…………俺も、好きだ。——これでいいだろ」


陽和は満面の笑みで「うん」と頷いて、家の中に入っていった。


蓮司は自分の家のドアの前で、額を押し当てた。


心臓がうるさい。顔が熱い。全身がおかしい。


鍵を開けて中に入って、靴を脱いで、二階に上がって、自室のドアを閉めて——


ベッドに倒れ込んだ。


枕に顔を埋めた。


「…………」


しばらくして、枕の中でくぐもった声が漏れた。


「……好きだって、言っちまった」


天井に向かって寝返りを打つ。


窓の外。隣の家の二階。明かりがついた。カーテンが揺れた。


今日は——窓を開けた。


夜風が入ってきた。雨上がりの匂い。土と草と、少しだけ花の匂い。


隣の家の窓も、開いた。


カーテンの隙間から、陽和が顔を出した。目が合った。


「……なに見てんだよ」


「蓮司こそ」


「……窓開けただけだ」


「私も」


しばらく見つめ合って、陽和がぷっと吹き出した。


「何これ。ロミオとジュリエット?」


「全然違え」


「バルコニーないもんね」


「あったとしてもやらねえよ」


陽和が笑う。蓮司の口元も緩む。


「おやすみ、蓮司。二回目だけど」


「……おやすみ」


「明日、迎えに来てくれるんでしょ」


「……言っただろ」


「楽しみにしてる」


陽和が窓を閉めた。カーテンが揺れて、影が部屋の奥に消えた。


蓮司は窓を閉めなかった。


しばらく夜風に当たっていた。雲が流れて、さっきより月がよく見えた。


右手を見た。陽和と繋いでいた手。まだ温かい気がする。気のせいかもしれない。でも、忘れたくない温度だった。


制服の内ポケットに手を入れた。卵サンドのマスキングテープ。


「蓮司のために早起きしたよ。おつかれさま」


丸い字。陽和の字。


蓮司はそれを引き出しの奥にしまった。ペンキの跡が残ったハンカチの隣に。


引き出しの中が、少しずつ陽和で埋まっていく。


それが——悪くないと思った。悪くないどころか、胸の底がじんわり温かかった。


蓮司は明かりを消して、ベッドに横になった。


明日、迎えに行く。たまたまじゃなく。


目を閉じた。


今夜は、眠れそうだった。

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