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アルシエル遺物探検録  作者: たつりゅう
第四章 七星武闘祭編
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「煮込みと悔しさ」


スミレさんの「おかえりなさい」は、小さかった。


 けれど、玄関の明かりの中で、確かにわたしに届いた。


「……うん。ただいま、スミレさん」


 そう返した声が、思ったより小さくなった。

 けれど、スミレさんは少しだけ目元をゆるめて、こくんと頷いた。


 家に帰ってきた。


 そのことが、遅れて胸の奥に落ちてくる。


 星環闘技場《アストラルリング》の白い境界線も、場外判定の声も、まだ頭のどこかに残っている。

 でも、目の前にはアルシエル家の廊下があって、台所からは煮込みの匂いがしていた。


「おかえり。二人とも」


 母さんが台所から顔を出す。

 その奥で、父さんも立ち上がりかけていた。


「スノア、怪我はないのかい?」


 第一声がそれだった。


「ありません」


「そうか……よかった」


 父さんは心底ほっとしたように息を吐いた。


 その様子を見て、少しだけ肩の力が抜ける。

 負けたかどうかより先に、怪我をしていないかを聞かれる。

 それが家に帰ってきたということなのだと、少し遅れて分かった。


「まずは着替えてきなさい。話は食べながら聞くわ」


 母さんは、いつも通りの声でそう言った。


「……はい」


* * *


 食卓には、温かい煮込みと白パン、薄く切った野菜の酢漬けが並んでいた。


 スミレさんが並べてくれたらしい皿は、どれも丁寧に置かれている。


 席につくと、父さんがもう一度こちらを見た。


「それで、試合はどうだったんだい?」


 聞き方は穏やかだった。

 けれど、心配が隠しきれていない。


 わたしは匙を持つ手に、少しだけ力を入れた。


「一回戦は勝ちました。土魔法の方でした」


「勝ったのか。すごいじゃないか」


「でも二回戦で負けました」


 自分で言うと、思ったより胸の奥が重くなる。


 父さんは何か言いかけて、母さんに目で止められた。

 母さんは煮込みを取り分けながら、静かに頷く。


「相手は?」


「探索・特殊合同枠で、学院認可の補助具を使う方でした」


「補助具……遺物に近いものかしら」


「はい。移動を補助する靴でした。速いというより、止まるのが上手くて」


 言いながら、白い境界線を思い出す。

 防げたと思った。

 でも、その先に足場がなかった。


「短杖で制圧点を取る近接型でした。魔法の撃ち合いとは、全然違いました」


 父さんが眉を寄せる。


「近距離で?」


「はい」


「危なくはなかったのかい?」


「結界判定です。怪我はありません」


「それでも心配はするよ」


 父さんは少し困ったように笑った。


 その笑い方が優しくて、少しだけ返事に詰まる。


 母さんがわたしの前に皿を置いた。


「負けた日はね、空腹のまま考えない方がいいわ」


「母さんも、そうしていたの?」


「ええ。悔しい日にお腹を空かせたまま考えると、だいたいろくな結論にならないもの」


 わたしは匙で煮込みをすくう。

 温かい湯気が顔に触れた。


「それで、お兄ちゃん」


「うん?」


 隣で静かに食べていたお兄ちゃんが顔を上げる。


「どうして普通の見学席じゃなくて、来賓席にいたの?」


 食卓の空気が、少しだけ変わった。


 お兄ちゃんは匙を止めた。


「俺にも分からない」


「分からないまま、外部講師の隣に座っていたの?」


「受付では普通の見学者のはずだったんだけど、途中で警備のおっちゃんが来て」


「支部入口にいる、あの気さくな警備の方かい?」


 父さんがすぐに反応した。


「うん。そのおっちゃんが、俺を外部協力員の見学候補に推薦してたらしい」


「本人の許可は?」


「記憶に、ない」


 母さんが小さく息を吐いた。


「……あの方ね」


「母さん、分かるの?」


「何回か顔を会わせたことがあるわ。それに……あなたが自分から来賓席に行くとは思えないもの」


 父さんは真面目な顔で考え込む。


「外部協力員というのは、正式な立場なのかい?」


「俺は正式じゃないと思う」


「では少し不安だな……」


「父さん、俺も不安だったよ」


 その返しに、ミリエルがいたらきっと笑っていたと思う。

 実際、スミレさんが匙を持ったまま、小さく瞬きをした。


「……ノアト、すごい?」


「違うよ、スミレ。今回は」


「今回は?」


 わたしと母さんの声が、ほとんど同時に重なった。


 お兄ちゃんは目をそらした。


 少しだけ、笑いそうになる。


 けれど、笑いきるにはまだ胸の奥が痛い。

 悔しさは消えていない。

 ハルベルトさんの足運びも、白い境界線も、まだ残っている。


 それでも、食卓の空気はさっきより少し軽くなっていた。


「スノア」


 母さんが、穏やかにわたしを呼ぶ。


「はい」


「悔しいなら、明日から考えなさい。今日は食べて、眠ること」


「……はい」


「反省は大事。でも、帰ってきた日は、ちゃんと帰ってきた自分を休ませるの」


 「……そうする」

 

 わたしはもう一口、温かい煮込みを口に運んだ。

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