↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルシエル遺物探検録  作者: たつりゅう
第四章 七星武闘祭編
PR
49/50

「来賓席の見届け人」


 控え通路へ戻ると、ヴァイオラ先生が待っていた。


「対応は悪くありません。敗因は間合いです」


 淡々とした声だった。

 慰めではない。

 だからこそ、胸の奥にまっすぐ落ちる。


「……はい」


「一度取った判断は正しい。けれど、近接制圧の連続判断には慣れていない。今は休みなさい」


「はい」


 わたしは頷き、手袋を外して指を握った。

 まだ動く。

 大丈夫。


 そう思った時、通路の向こうで足音が止まった。


「スノア・アルシエル様」


 侍女の声だった。


 学院の礼装。

 胸元には、王家の紋章。


 周囲の生徒たちが、息を呑む。


「アメリア王女殿下より、短いお時間を頂戴したく。学院応接室にて、お待ちです」


 背筋が、自然に伸びた。


 王女殿下に呼ばれるなど、想定していない。

 心臓が一度だけ跳ねる。


「……ヴァイオラ先生」


「行きなさい」


 ヴァイオラ先生は短く言った。


「礼節だけ守れば十分です。言葉は短く、誤魔化さずに」


「はい」


 わたしは息を整えた。

 まだ、負けた悔しさは胸の奥に残っている。


 それでも、王女殿下の前に出られない理由にはならない。


* * *


 応接室は、思ったより小さかった。


 豪華ではある。

 けれど、王城の部屋というより、学院の応接室らしい落ち着きがあった。


 窓際に、アメリア殿下が座っている。

 侍女と護衛は一歩下がり、距離を取っていた。


 アメリア殿下はわたしを見ると、軽く咳払いをした。


「……スノア・アルシエル。試合、見事でしたわ」


「恐れ入ります、殿下」


 わたしは頭を下げる。

 背筋を正し、声を整えた。


 令嬢として。

 アルシエル家の者として。


 でも、胸の奥だけはまだ少し熱い。


「あなたの氷は、派手ではありません。けれど、相手をよく見ている氷でしたわ」


「……相手を、見る氷」


「ええ。力で押すのではなく、どこに立ち、どこで崩れるのかを見ている。わたくしには、そう見えました」


 負けた。

 でも、見られていた。


 勝敗だけではなく。

 わたしの氷を。


「……はい。わたしは、わたしの氷で勝ちたかったんです」


「そう。……素敵ですわ」


 それだけ言って、アメリア殿下は侍女へ目線で合図した。

 合図の仕方が少し不慣れで、ほんの少しだけ可愛らしく見えた。


「本日は、お時間をいただきました。また、話しましょう」


「はい。光栄です」


 わたしはもう一度礼をして、応接室を退出した。


* * *


 廊下の角を曲がったところで、ミリエルが飛びつく勢いで駆け寄ってきた。


「スノアー! 王女殿下に呼ばれるとか、何それ!」


「声が大きい」


「だって王女殿下だよ!?」


「ミリエル、静かに」


 サラサが小さく言って、眼鏡を直す。

 その口元は、少しだけ笑っていた。


 わたしは照れ隠しに咳払いをする。


「……そろそろ、帰ろう」


「うん。あ、でも――」


 ミリエルは頷きかけて、ふと上段席の方を見た。


 王家の紋章が入った青い天幕の近く、上段に設けられた来賓席の端。

 そこに、白いバッジを胸につけたお兄ちゃんがまだ座っていた。

 外部講師のミラ先生と真面目な顔で会話をしている。


「あ、ノアトくん、まだあそこにいる」


 サラサも眼鏡の奥で視線を上げる。


「呼ぶ?」


「うん。呼んでくるね!」


「え、ミリエル――」


 止める前に、ミリエルはもう来賓席の方へ駆け出していた。


「……速い」


 サラサがぽつりと言う。


「止められなかった」


「ミリエルだから」


 そう言われて、少しだけ笑いそうになった。

 でも、うまく笑えなかった。


 負けたことは、まだ胸の奥に残っている。

 王女殿下に褒められたことも、嬉しかった。

 けれど、それで悔しさが消えるわけではない。


 わたしは手袋を握り直し、ミリエルが向かった先を見た。


* * *


 上段の来賓席では、ミラ先生が闘技場を見下ろしたまま、静かに言った。


「良い試合だった」


「……そうですね」


 結局、最後まで普通の見学席には戻れなかった。


「ハルベルト君は、補助具を速さのためだけに使っていなかった。出入りの回数を増やし、止まる位置を選ぶために使っていた」


「スノアは、止まる場所までは見てました」


「足元を止めた細い氷線、見事だったね」


 ミラ先生はそこで、わずかに声を落とした。


「だが、近接制圧の間合いは、魔法の撃ち合いとは別物だ。見えてから考える時間が短すぎる」


「……はい」


 それは、俺にも分かった。

 スノアは見ていた。

 考えていた。

 ちゃんと対応しようとしていた。


 でも、ハルベルトはその一つ先で、距離を変え続けていた。


「ノアト君」


「はい」


「そこまで見えているなら、言葉にして返してあげるといい」


「俺がですか?」


「君は、最後まで見ていたのだろう?」


 ミラ先生は、闘技場から退場通路の方へ視線を移した。


「勝ったところだけではなく、負けたところまで」


 言い返せなかった。


 その時、来賓席の下から明るい声が飛んできた。


「ノアトくーん!」


 振り向くと、ミリエルが大きく手を振っていた。

 人目を気にしない声量で、こちらを見上げている。


「スノア、帰るよー!」


「ミリエル、ここ来賓席なんだけど」


「知ってる! だからノアトくんが下りてきて!」


「俺が動く前提なんだ」


「うん!」


 その返事は、あまりにも迷いがなかった。


 ミラ先生は小さく笑い、俺の胸元の白いバッジへ視線を落とした。


「行っておいで。今日の君の役目は、もう解説ではないだろう」


「最初から解説役ではなかったんですけど」


「それもそうだね」


 最後まで否定しきれないまま、俺は軽く頭を下げて席を立った。


* * *


 階段を下りる途中で、ミリエルは少しだけ声を落とした。


「ノアトくん」


「うん?」


「スノア、平気な顔してるけど、平気じゃない時の顔してる」


 足を止めかけて、俺はゆっくり頷いた。


「分かりやすい?」


「スノアは分かりにくいよ。でも、友達だから分かる」


「ありがとう。気づけるのは、ミリエルが優しいからだよ」


「ふふん、友達ですから!」


 ミリエルは胸を張ってから、少しだけ真面目な顔に戻った。


「だからノアトくんも、お兄ちゃんとしてちゃんと見てあげてね」


「うん」


「慰めすぎると、たぶん怒るよ」


「分かる」


「分かるんだ」


「妹だから」


 ミリエルは一瞬きょとんとして、それから楽しそうに笑った。


「じゃあ、大丈夫だね」


 大丈夫かは分からない。

 けれど、何を言えばいいかは、少しだけ分かる気がした。


 階段を下りきると、控え通路の近くにスノアとサラサが立っていた。


 スノアは背筋を伸ばしている。

 いつものように、きちんと立っている。


 でも、支給杖を持っていない手が、制服の袖を少しだけ握っていた。


「……見てた?」


「見てたよ」


 スノアの視線が、少しだけ揺れる。


「負けたところも?」


「最後まで」


 それだけ答えた。


 スノアは一度、唇を結んだ。

 何かを言い返そうとして、やめたように見えた。


「……なら、分かるでしょ。まだ足りなかっただけ」


「うん」


「次は、もう少しうまくやる」


「そうだな」


「……それだけ」


「うん」


 ミリエルが隣で何か言いたそうに口を開きかけたけれど、サラサが袖を軽く引いて止めた。


 スノアは少しだけ目を伏せて、それから歩き出した。


「帰ろう。暑いし」


「うん、帰ろ帰ろ!」


 ミリエルが明るく返す。

 その声に、場の空気が少しだけ動いた。


 俺たちは学院の門へ向かった。

 星環闘技場《アストラルリング》のざわめきが、背中の後ろで少しずつ遠くなっていく。


 星見ヶ丘からブレストン方面へ戻る定期馬車乗り場には、同じように帰る生徒や見学者が集まっていた。

 空はまだ明るい。

 けれど、昼の熱は少しだけ薄れている。


 スノアは馬車に乗る前、一度だけ学院の方を振り返った。


 何も言わなかった。


 俺も何も言わなかった。


 ただ、隣に立って、同じ方を見ていた。


* * *


 夕刻。

 アルシエル家。


 スミレは、居間の窓を少しだけ開けて、風の通り道を作っていた。


 外の熱気は、まだ重い。

 けれど、家の中には煮込みのやさしい湯気と、乾いた薬草の匂いが漂っている。


 小さな手が、テーブルの縁を布で拭く。

 拭く順番は、少しぎこちない。

 けれど、何度も同じ場所をなぞらないように、ゆっくり、丁寧に。


 今日は、休む日。

 学院には行かない日。

 大きな声も、人の波も、魔法のぶつかる音も避ける日。


 そう言われた。


 分かっている。

 分かっているけれど、何もしないで待つのは、少しだけ苦手だった。


 守られているだけの自分でいたくない。

 ほんの少しでも、帰ってくる人のために何かをしたかった。


「スミレさん、ありがとう。そこまでで十分よ」


 台所から、奥様の声がした。


 スミレは布を持ったまま、少しだけ顔を上げる。

 奥様は鍋の火を弱めながら、穏やかに微笑んでいた。


「今度は、お皿を並べてもらえる?」


 スミレは、こくんと頷いた。


 棚から皿を取る。

 一枚。

 もう一枚。

 重ねすぎないように、両手でそっと持つ。


 皿の音が大きくならないように気をつけながら、テーブルへ運んだ。


「今日は、きっと二人ともたくさん話を持って帰ってくるわ」


 奥様が横で小さく言った。


 スミレは皿を並べる手を止める。


 ノアトの声。

 スノアさんの、朝の少し照れた顔。

 玄関で聞いた「行ってきます」。


 胸の奥に、小さな泡みたいなものが浮かんだ。


 スミレは、唇を少しだけ動かす。


「……おかえり、なさい」


 声はまだ弱い。

 けれど、家の中の静けさには、ちゃんと届いた。


 奥様は何も急かさず、ただ嬉しそうに目を細める。


「きっと喜ぶわ」


 スミレは小さく頷き、次の皿を並べた。


 その時、玄関の方で扉の開く音がした。


 スミレの手が、皿の縁で止まる。


「ただいま」


 ノアトの声。


 続いて、少しだけ遅れて、スノアさんの声がした。


「……ただいま」


 朝より、ほんの少しだけ小さい声だった。


 スミレは両手を胸の前で重ね、玄関の方へ向き直る。

 さっき練習した言葉を、もう一度、ゆっくり外へ出した。


「……おかえり、なさい」


 スノアさんが、目を瞬かせた。


 ほんの少しだけ、張っていた背中の力が抜ける。


「……うん。ただいま、スミレさん」


 小さな声だったけれど、家の中にはちゃんと届いた。


 ノアトはスノアさんの少し後ろで、静かにその様子を見ていた。


 奥様は鍋の火を止め、玄関へ向かって静かに微笑んだ。


「おかえりなさい。二人とも」


 今日の話は、きっとこれから始まる。

 けれど今は、帰ってきた人を迎えられたことが、少しだけ嬉しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。