第4話 これ食べたい!
「あれ、ましろ? ましろなの?」
しばらく山を下っていると、ミコに出くわした。どうやら、これから薫の家に遊びに行くらしい。オレはフンと鼻を鳴らした。
「そうだよ」
「こう見るとすごく毛並みが綺麗なのね」
オレは猫の姿に戻っていた。真っ白で綺麗な毛並みに、サファイアの瞳。尻尾の先が割れているところを除けば、ただの白猫である。ミコがいたずらっぽく笑った。
「やっぱり、節約は大切よね」
「すぐにからかうなっての。ミコ、オレがいなくなったら、山の窓口頼んでもいい?」
「はー?」
ミコが怒ったように翡翠の瞳を吊り上げた。
「何よ、あんた役目を放棄して山の外に出るっていうの?」
「違うけど!」
「じゃあ何で」
「妖だっていつか死ぬだろ?」
ミコが目を見開いた。オレたちは、生きる時間が短い人間と違って、死には無頓着だ。そのはずなのに、その時のミコは言葉に詰まったようだった。
「……生きる選択肢をどうしてそう簡単に捨てれるのよ」
「妖なんてそんなもんだろ」
いつの間にか、ジジババがすべてになっていたみたいだ。オレが人間の姿に化けるのもそうだった。ジジババに、少しでも自分は近い存在なんだって思ってもらえるように、孫みたいにかわいがってもらえるように、人間の男の子に化けたのだ。
ミコを置いて、オレは山を下りていく。寿命を迎えるまで、あと四か月ちょっと。死ぬ前にオレは。
「ババの料理を食べたいな」
ふと頭に浮かんだのは、今日薫が出してくれたフルーツポンチだった。
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「今日は、返事を書きたいから少し待っていてくれる?」
翌日、人間の姿に化けて、いつものように絵葉書を届けると、差出人を見た薫はオレにそう言った。連日ひどい態度を取っているというのに、彼女は全く変わらない。え、と思ったまま何も言えないでいると、薫は小首を傾げた。
「郵便局まで届けてくれる?」
「そこまではオレの仕事じゃないけど」
あくまで山の窓口だ。即答したオレに、薫は困ったように笑った。
「そうよね。もう、行っていいわ」
薫が絵葉書を後ろ手に、にこりと笑いかけた。オレもすぐに背を向けようとして、ハッと思い出す。
「なぁ、料理本、見てぇんだけど」
薫は目を見開いた。
薫が万年筆で便箋に何やら書いている隣で、オレは料理本を見つめた。ババが残していたという料理本だ。だいぶ年季が入っている。かなり色褪せているし、ページも指垢などで黄ばんでいる。この染みは、卵だろうか。
壊れものを扱うように、そっとページを開いた。ナポリタンに、ハンバーグ。漬物のレシピなんかも載っている。文字の読めないオレは、写真だけを見つめてパラパラとページをめくった。昔、ババもこれを参考に料理を作っていたのだろうか。毎日食べていた料理は、どれだけこの料理本の中に入っているのだろう。
「あ……!」
オムライスのレシピで、オレは手を止めた。ケチャップで卵に絵を描いた記憶が蘇る。自分もババを手伝えるという点で、大好きな料理だった。
「薫!」
バッと料理本を薫に見せた。隠していた尻尾がゆらゆらと揺れているのを感じるが、今はそれどころではない。
「これ食べたい!」
作って!
薫は目を見開いた。
「えっと」
「覚えてる、ババもこれ作ってくれたんだ。オレ、もう一回これを食べたい。フルーツポンチを作れたんだから、オムライスだって作れるだろ? なぁ、お願い!」
気分が高揚するままに、オレはぐいと薫に身を乗り出す。薫は少し驚いたようだったけれど、最終的に嬉しそうにうなずいてくれた。
「じゃあ、お昼ご飯はオムライスにしましょうか」
「やったぁ!」
思わず料理本を抱きしめてゴロゴロしていると、薫の躊躇いがちな声が降ってきた。
「……他にも食べたいものがあったら言ってね」
「マジ⁉︎ へへ、他に何かあるかなぁ」
ババが作ってくれた料理を、片っ端から薫に作ってもらおうっと。……遠慮なんかいらねぇよな?
そうやってウキウキしている間に、薫はオムライスを作ってくれていた。卵の匂いが漂ってきたところで、オレはハッと料理本から顔を上げる。
「最後、ケチャップに絵描くのはオレがやるから!」
「ふふ、わかったわ。他に食べたいものは見つかった?」
「うん、三つくらい。ババ、これあんまり見てなかったのかなあ。見覚えのあるやつ少ないや」
「他には何があったの?」
薫がオムライスを持ってくる。黄色のきれいな丸を見て、オレは心が舞い上がるのを感じていた。
「お前、料理上手なのな!」
「うまく出るかわからないから、簡単なのがいいと思うわ」
ケチャップを手渡してくるので、オレは勇んで受け取った。昔は、猫の形を描いたらジジがめちゃくちゃ褒めてくれたっけ。
「あ」
ケチャップは、残りが少なかったらしい。チューブを押すとブフッという変な音が噴き出した。猫耳の三角を描こうとしたけれど、変に噴き出したケチャップが血しぶきのようなものを描いてしまった。
「ごめんなさい、やっぱり少なかったわね」
薫が口元に手を当てて、しまったというようにオレを見る。オレは膨らんでいた気持ちが風船のようにみるみるしぼんでいくのを感じていた。
「……お前が描いていいよ。どうせオレ、そんなにうまくないし」
「ごめんなさい」
薫は本当に申し訳なさそうにオレからケチャップを受け取ると、少なくてブツブツとしか出ないケチャップで、見事、猫の絵を描いて見せた。オレが描こうとした猫の顔のシルエットではなく、なんと全身を横から見た絵だ。不貞腐れた気持ちなんて吹き飛んでしまった。
「すげえ」
「ふふっ。どうぞ召し上がれ」
こいつ、すげえ絵心あるぞ。
オレは感心しながらオムライスを平らげた。味が濃いケチャップライスも、ちょっと焼けすぎた卵も、とても懐かしかった。
薫が皿を持って台所に消えていく。暇だなあ、と思いながらテーブルの一端に目をやる。それは、さっきまで薫が書いていた便箋だった。絵も写真もない、横棒と字だけのシンプルな便箋だ。三行くらい書いてあるが、やわらかくくねくねした文字は初めて見るものだ。たぶん、ひらがなでもない。不思議でしばらくそれを見つめていると、薫が戻って来た。ちょうどいいところに、とオレは口を開く。
「これ、何が書いてあるんだ?」
「え?」
薫はオレを見て固まった。オレが人差し指で指し示す先を見て、恥ずかしそうに頬を染める。
「友達へ手紙を書いているのよ。シンガポール……海外の友人にね」
「へえ、海外」
人間にとって、海外は身近らしいけれど、妖にとってはそうではない。海外から来た妖を、オレも知り合いの妖も見たことがないのだ。
「いつも届く絵葉書もそいつから?」
「そうね、その人のもあるわね。あとは母とか、日本の友達とか」
「毎日?」
「ええ、毎日」
「人間はもっと便利な道具があるだろ? それは使わないの?」
「私は、使わないわね」
「へえ」
薫の隣で寝転がりながら、オレはふっと湧いて出た質問を次々にかけていった。ジジもババも、郵便物をそう多くはやりとりしていなかった。あるとしたら、そう、年末年始のお年玉? いや、違う、年賀状くらいのものだ。出す量ももらう量も多くて大変そうだった。
飽きてきたし、そろそろ行こうっと。
「じゃあな、また明日」
ぐるんっと起き上がったオレに、薫は目を見開いた。なんだよ、今日何度もその表情見たぞ。眉をしかめると、薫はかすかにふるえる唇から小さく声を出した。
「ええ、また明日」
家を出ると、オレは変化を解いて猫の姿に戻る。
明日は何を作ってもらおう。




