第3話 お前と仲良くはならないから
「薫ちゃんの家に住めばいいじゃない」
「嫌だね」
次の日、地蔵の前でオレとミコは駄弁っていた。ミコはこの山に棲む三毛猫の妖だ。オレのように人間に化けているのではなく、常時猫の姿である。
「お前、結構あの人の家出入りしてるよな」
「ええ。女の子はかわいいもの。ね、地蔵様」
「そうですねえ」
地蔵がのんびりと答える。こういう時の地蔵の相槌は適当だ。ミコは都合のいいように地蔵の相槌を解釈することにしたようで、嬉しそうに付け加えた。
「昨晩もあの子の家に行ったのよ。雨宿りさせてもらえちゃった」
「うへえ」
オレもレッサーパンダに言われたっけな。
しょっちゅう通っているミコを目の当たりにして、オレは変な声を出してしまう。ミコはオレの反応にフンと鼻を鳴らした。
「あんただって雨苦手じゃない。昨日はどうしてたのよ?」
「松の木の下で雨宿りだよ。寒いったらありゃしない」
「昔はすぐにあの家に行ってたじゃない。なんで薫ちゃんは嫌なのよ? 意地張ってても死ぬだけよ」
「意地なんかじゃ……!」
ずけずけと物を言うミコに、オレは勢いよく立ち上がった。何か吐き捨てようと口を開く。ミコの不思議そうな翡翠の瞳。地蔵の微動だにしない姿。
ゆっくりと口を閉ざす。ミコは眉を上げた。
「その姿だって、変化を持続させるのには妖力を使うでしょ。なんで?」
「それは……」
反論しようとして、オレは自分で自分がわからなくなった。
オレは、どうしてずっと人間の男子の姿に変化しているんだろう。かといって、ミコのようにずっと猫の姿も違和感がある。
オレは改めてミコを見つめた。きれいな三色の毛並み。かすかに立ち上る、ミコの妖力。
ミコとオレは違う。人間に依存しなくても生きていける妖。他人を必要としないくせに人懐っこい。だから、ミコにとってはオレの生き方など所詮他人事、オレの気持ちなんてわかるはずもない。それなのにこいつはずけずけと物を言うんだよな。
「……色々、考えてみる」
それだけ言って、オレはその場を後にした。ポケットに突っ込んでいた絵葉書を取り出す。きれいな富士山のイラストに重い息を吹きかけた。
今日も届けに行かなければいけない。
****
「まあ、ありがとう」
「ん」
行くと、ちょうど薫が玄関を掃いていたところだった。いつものようにポストに突っ込んで去ろうとしたけれど、鉢合わせたらそうもいかない。
薫は柔らかな笑みを浮かべた。
「昨日のフルーツポンチ、残ってるけど、食べる?」
「……うん」
家にあがる。昨日の居間に通されて、オレはしばらく一人になった。薫は台所に行っている。オレは大の字に寝っ転がった。
オレは、いいと思えない人と、生き長らえるためだけに一緒にいたいとは思えない。オレはジジババが一番良かった。薫ではなく、薫の祖父母が良かったのだ。オレを孫のようにかわいがってくれた。白いスニーカーだって買ってくれたし、おいしいごはんだって作ってくれた。オレの知らないことをたくさん教えてくれた。そんな二人がいきなりいなくなって、十数年後に来たのは孫娘がただ一人。
『薫ちゃんの家に住めばいいじゃない』
「……嫌に決まってんだろ」
独りごち、右腕を枕に横になる。
この山にいる人間は薫だけだ。別の人間を探そうと思えば、この山を出ることも視野に入れなければならない。
山しか知らないオレが、今さら山を出て、いいと思う人間を見つけられるのか? だったら、このまま見知った環境、見知った妖に囲まれて、天寿を全うするのがいいんじゃないか? どうせ、一月後に神力がもらえなくなっても、三ヶ月程度は持つだろう。変化をやめて妖力を節約したら、もう少し生きられる。
オレは、このままでもいい。
そよそよと、外から入ってくる風が心地いい。風に頬を優しく撫でられ、ゆっくりと目を閉じた。
「ましろくん? ……寝ちゃった?」
躊躇いがちな薫の声が頭上から降ってきて、オレはむくりと起き上がった。薫があっと申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい、起こしちゃったかしら」
薫がテーブル越しにフルーツポンチを差し出した。スプーンを手に取って、すぐに一口分すくう。
「……うま」
ひんやりとした喉越しに、しゅわっとした絶妙な舌の刺激がたまらない。
「そう? よかった」
「お前、こういうの結構作んの?」
「ええ。この家ね、昔は祖父母が住んでいたの」
フルーツポンチを食べる手が止まった。
知っている。お前の匂いや、変わらない家の結界から知っている。言われなくても、お前がジジババの孫だったのなんて知ってんだ。知ったうえでお前が気に入らないんだ。
「だから、そのままになっているものも多くて……。このフルーツポンチは、祖母が残した料理本に書いてあったの」
ハッと顔を上げた。
「料理本……?」
ババの料理本!
お尻を浮かせかけて、はてと首を傾げる。
「オレ、ババにこれ作ってもらった記憶ないけどな?」
薫はふわりと笑った。
「やっぱり、あなたがそうなのね。祖父母から話は聞いていたわ。遺言もあなた宛てに預かってる」
「……ふうん」
「祖父母は——」
「聞きたくないからいい」
ジジババは、オレの話を薫にしていたらしい。薫やその両親がここに訪れたことはなく、逆に祖父母が薫の家に訪れていたはずだ。ここの山神様は用心深いので、よその人間を山に入れたがらない。だから、ジジが寿命を迎えた時も二人で山を下りて、息子のいる薫の家へ行った。オレも、二人が家を出るときに一緒に行かないかと誘われた。けれど、人間の寿命は短い。すぐに二人は死ぬとわかっていたから、山の外で一人になるのが怖かったから、オレは行かなかった。
死んだんだろうとは思っていたけど、そっか。遺言ってことは本当に死んだのか。薫はその死に目にあったのか。
あーあ、やっぱり気に入らないや。
自分の心がふてくされていくのを感じた。フルーツポンチをのどに流し込んで、薫に背を向けるように寝転がる。
「……オレは、ジジババに世話になった妖だ。そのあとは山神様に世話になって今も生きてる」
「……うん」
「だから役目を放棄することはしない。絵葉書も毎日届けるさ。でも」
立ち上がって、縁側に向かった。
「お前と仲良くはならないから」
自分でもわからないけれど、心の中がぐちゃぐちゃだった。




