日常
オリヴァーは、久しぶりにヘイワード公爵邸へと戻ってきていた。
長い遠征を終えて王都へと帰ってきたのは、昨日の早朝のこと。休む暇もなく、隣国との合同訓練、南部と西部での魔物討伐と浄化の報告書を書いて、仕上がったのが夜。
報告書を提出すると、金鳥騎士団副団長のリチャード・メルバーンに、しばらく任務は回さないから、実家でゆっくり休めと言われて、夜遅くに帰宅した。
久しぶりに帰宅したオリヴァーは、疲れが溜まっていたせいで、その日は泥のように眠りについた。
翌日、昼過ぎに起きてくると、暖かい部屋で豪勢な食事を食べ、伸びた髪を切ってもらい、ゆっくりとお風呂に入り、肌触りのいい服を着て、マッサージをしてもらった。
オリヴァーは、使用人達にこれでもかと甘やかされて、久しぶりの贅沢を味わった。
夕食まで時間があったので、リズへ手紙を書いていると、珍しい来客があった。客といっても、この邸に住む兄のエドマンドだ。
「西部地方の森林地帯にまる一ヶ月もかかるとはな」
ソファへとどっかりと座ったエドマンドは、後ろで一つにくくっていた髪をほどくと、オリヴァーのために用意された苺を頬張りながら、疲れたように目頭を揉んでいる。
オリヴァーは手紙を書く筆を止めた。
エドマンドはオリヴァーの五歳年上で、今年に入って二十二歳になった。母が亡くなったことにより、父親との折り合いが悪かった頃もあったが、現在は父の領地運営を補佐している。兄弟関係は今も昔も良好だ。
「オリヴァーにしては珍しく手こずっていたと、耳にしたぞ」
「西部にある森林地帯の沼地に、毒性の魔物が多発して、まずそれを倒すのに西部の兵士共々、手こずったんだよ。その後、雪が降って天候が悪い上に、足場の悪い地形もあって瘴気を祓うのにも時間がかかってしまったんだ」
「ともあれ、被害は最小限に抑えられただろう?」
「なんとか。死者は出なかったし、瘴気も大したことはなかったから、また植物も生えてくるだろう」
「それなら良かった。……オリヴァーが気にしてた三角谷は、未だに雑草の一つも生えてこないと、先日会合でダールベック辺境伯が言っていた。蝕獏の瘴気は根強いな」
「そうだね……」
途端に沈んだ声を出したオリヴァーを気づかってか、エドマンドは手招きした。オリヴァーは素直に従って、エドマンドの向かい側へ座ると、苺に手を伸ばした。
誰も見ていないのをいいことに、兄弟揃って手づかみで苺を口に放り込む。高位貴族だというのに、こういう少しガサツなところはよく似ていた。
最後の一つを頬張っていると、エドマンドは手を拭きながら、そういえばと口にした。
「ガーランドの姫と仲良くしてるそうだな」
「ああ。リズとは同級生なんだ」
「友達になったとか」
誰からこういった情報を仕入れてくるのだろうと思いつつも、隠しているわけでもないので、オリヴァーはそうだよと答えた。
「彼女は今一番の注目の的だな。議員の反応はいまいちだが、軍関係者からは支持されてる。彼女の後ろ盾であるレーン侯爵とは良好な関係だから、うちも彼女を支持してる。まあ、言うまでもないことかもしれないが、蝕獏信者の一斉摘発のこともあって、中央の勢力図は変わってきている。ヘイワード家のものとして、理解しておいてくれ」
「分かりました」
「それから、近々私は婚約することとなる。この年で婚約者の一人もいないのは、問題だからな」
オリヴァーは驚いて目を大きくした。
エドマンドは今まで縁談の話をのらりくらりと躱してきたが、自分の立場は弁えている。政略結婚は厭わないし、公爵家嫡男として慎重に相手の選定を行ってきたから、こんな歳になったのだろう。
相手はすでに決まっているのかもしれないが、慎重なエドマンドのことだ。きっと相手が誰かは、ギリギリまで教えてくれないだろう。
「オリヴァーももう十七歳だ。父上からそういった話があるかもしれないな」
オリヴァーの頭の中に、同じ学園の女子生徒達が次々に浮かんだ。それこそ、ヘイワード家と良好な関係を築いているレーン侯爵家のニコルなんかが、婚約相手として上げられているという噂があることは、知っている。
しかし、蝕獏信教に入信していた中央貴族が没落したことによって、すでに絶大な権力を有しているレーン侯爵家が、更に力を大きくした。そこに、王家の血を継ぐヘイワード家と縁組となると、いくら次男のオリヴァーが相手といえど、力が片寄りすぎてしまう。
「父上は中央との縁談は考えてないのでは?」
「だろうな。……そもそもオリヴァーには、金鳥騎士団としての職務がある。そんなことを考える必要はない。縁談だ婚約者だとせっつかれても、気にするな。私が防波堤になってやるから、職務を全うしろ。セシルとブレンダも、きっと同じことを言うだろう」
「それはそれは。心強い後ろ盾がたくさん」
オリヴァーは、エドマンドの優しさに笑みを溢した。エドマンドはなんだかんだで昔から弟には甘い。
「私は立場的に、好きな相手と添い遂げるなんて考えたこともないが、オリヴァーには自分の選んだ相手と一緒になってもらいたい。これは、勝手な兄の想いだがな」
「本当にそんなことが許されるのならね」
「任せておけよ」
ふっとエドマンドは笑うと、立ち上がった。それから、オリヴァーの机へと目を向ける。書きかけの手紙を遠目で見やり、目を細めた。
「オリヴァーが昔、家を継げないなら、功績を上げて領地を賜り、そこで母と暮らすと言っていたのを覚えてるか?」
「そういえば……騎士になる前はそんなことを言っていたっけ。子供だったから、あの時はただ母と離れたくなかったから、そう言ったんだよ」
よく覚えてるなとオリヴァーが関心していると、エドマンドは懐かしそうに柔らかく微笑んだ。
「私はなぜか鮮明に覚えてる。そうしたら母が、ついていけないけど、オリヴァーは方向音痴だしすぐ迷子になるから、オリヴァーの手を引いてくれる子を嫁にもらえと言っていたんだ」
「そうだったね……忘れてたよ」
オリヴァーは母の笑顔を思い出して、懐かしくなると同時に寂しくなった。
母との思い出は全て記憶しておきたいと思うのに、時間が経つと、少しずつ忘れていってしまう。今ではもう、どんな声をしていたかさえ、覚えていない。
だが、こうしてオリヴァーの代わりにエドマンドが覚えていてくれて、思い出させてくれる。
オリヴァーは、エドマンドの存在に何度も助けられていた。そして、これからもきっと兄弟で助け合っていくのだろう。頼もしい兄がいてくれて良かったと、心から思った。
「オリヴァーはそういう子を、選べよ」
エドマンドはそれだけ言うと、部屋を出ていった。
オリヴァーは手紙を書くために、机へと向かった。ふと、リズの顔が思い浮かんだ。
もう三ヶ月以上会っていないが、元気にしてるだろうか。毎日訓練で、怪我をしてないだろうか。一方的に手紙を送るだけで、リズの近況を全く知らない。今、何をしてるんだろう。
手紙を書く手を止めて肘をつくと、ため息が漏れた。
「顔が見たいな……」
手紙のやりとりでは物足りない。リズに会って話がしたいと、そう思った。
翌朝、オリヴァーはエドマンドから学園が再開されたことを聞いた。校舎の改修が済んだので、学園が再開されていると、ブレンダから連絡があったそうだ。
オリヴァーは、早速明日から学園に通うことにした。遠征の疲れなどすっかり忘れて、リズに会えることが楽しみだった。
✴
学園登校日、オリヴァーはいつもより早くヘイワード邸の馬車に乗り込んだ。学園に行くのが楽しみで、早くに目が覚めたのだ。まるで子供のようだと、使用人達からは温かい目で見送られた。
車窓から街並みを眺めていると、貴族街を抜けたところで、石畳の道を二人の男女が歩いている姿が目に入った。
黒いコートにマフラーをした背の高い男性と、茶色のコートにマフラー、帽子を被った全体的にもこもこした女性の二人組だ。
黒い鞄を持って並んで歩く足取りはキビキビしていて、まるで軍人のようだ。歩く速度も妙に速く、息はピッタリだった。
この後ろ姿はどこかで見たことがある気がすると思った直後、馬車が二人の横を通り過ぎた。そして顔を確認するなり、慌てて御者に馬車を止めるように叫んだ。
オリヴァーは馬車を止めてもらうと、外へ飛び出した。
「リズ!エリック!」
「あれ……?」
「オリヴァー様!?」
二人組はリズとエリックだった。リズは駆け寄ってきたオリヴァーの顔を見るなり、驚きつつも微笑んだ。寒さのせいかリズの鼻の頭と頬が赤らんでいるのが、なんだか可愛い。
オリヴァーは嬉しさのあまり、リズの両手を取った。
「おはよう!リズ」
「おはようございます!オリヴァー様!お久しぶりです!」
「本当に久しぶりだね」
朝一番に会えるとは思ってもみなくて、オリヴァーの心は弾んでいた。リズもまた嬉しそうに笑っている。
会いたかった、と言おうとしたところでエリックがやって来たので、オリヴァーは名残惜しくもリズの手をそっと離した。
「おはよう、オリヴァー。長い任務だったな」
「おはよう、エリック。本当に長かったよ」
久しぶりの友人との再会に、オリヴァーは満面の笑顔になったが、二人は笑顔でも寒そうに小刻みに震えていた。
「それにしても二人共、歩いて学園に向かってたのか?どうして?」
疑問を口にすると、エリックとリズは困ったように顔を見合わせた。オリヴァーは首を傾げる。
エリックは、玉兎騎士団団長に言われて、早朝訓練後に徒歩で学園に通うことになったと話した。
「この寒いのに……結構な距離なのに」
オリヴァーは呆れた。玉兎騎士団は良くも悪くも実力主義。強い者に従う、弱肉強食の世界。上下関係はしっかりしている。二人が団長に逆らえるはずもない。
「そういうわけだから、命令に背くわけにもいかなくてね。オリヴァーは先に行っててくれ」
「また、学園でお会いしましょう」
エリックとリズは寒いからか、さっさと歩いて行こうとする。久しぶりの再会で喜んでいたというのに、案外あっさりしたものだ。
しかも、二人が歩き出したタイミングも歩調もピッタリ。当然のように並んで歩いている。
オリヴァーはなんだかむっとした。自分の知らない間に、二人は仲良くなっている。一人だけ置いてけぼりにされたような気がして、気付けば叫んでいた。
「それなら、私も一緒に行こう!」
驚いて二人が振り返ると、口々に言う。
「寒いから止めとけ」
「コートだけでは凍えますよ」
制止する二人を置いて、御者に先に帰るように告げると、戻ってきたオリヴァーは、二人の間に割って入った。
リズは驚き、エリックは呆れたような顔をしていたが、オリヴァーは構わずに二人の腕を掴んで歩き出した。
「さあ、遅刻する。行こう!」
まるで子供のような振る舞いだったが、構わなかった。
オリヴァーは、道中でリズの近況を聞いた。
玉兎騎士団に入団してから、リズは使用人寮に入って、毎日訓練に明け暮れて、任務で遠征にも行ったという。
少しずつ経験を積んでいることに、よくやっていると褒めると、リズは照れくさそうに笑っている。それが可愛くて、オリヴァーの顔は緩んだ。
それを見ていたエリックが、だけど、と告げ口をした。
「リズは課題を忘れてたんだよ」
「エリック様!その話は……!」
「本当のことだろ?」
「で、でも……」
オリヴァーを挟んで行われるやりとりに、オリヴァーは片眉を上げた。
「なんの話?」
「リズは訓練に必死で、学園の課題をすっかり忘れてて、間に合わなくなって私の課題を丸ごと写したんだ」
「だって、忘れてたんです!……これからは気を付けます」
「それで、テスト勉強ははじめたのか?」
「昨日の夜はしました……一応」
訓練や任務で頭がいっぱいだったのだろう。おまけにリズは、勉強が苦手なようだ。このままでは、近々あるテストもまずいことになると、焦っている。
オリヴァーはふいに、リズと学園で再会した時のことを思い出した。第三図書室で、リズは教科書を広げて物思いに耽っていた。あの時も、テスト勉強をしていたようだった。
「今回のテストは進級に響くので、さすがに頑張らないと……!」
決意するリズを見て、オリヴァーはいいことを思い付いたと、微笑んだ。
「私が勉強を教えるよ」
「えっ?!」
「しばらくの間は、余程のことがない限り任務は回ってこないことになってるんだ。テストまでは学園に通えそうだから、一緒に勉強しよう」
「い、いいんですか?!」
「もちろん」
オリヴァーが笑みを深くすると、リズは恥ずかしげに笑みを返したが、すぐに申し訳無さそうに眉を下げた。
「でも私、オリヴァー様の手を煩わせるかもしれません……物覚えが悪くて……。そんな私に付き合わせるのは、忍びないです」
「気にしないでよ。人に教えることによって、自分もより理解を深めることが出来ると思うんだ。だから、リズにもいい点を取ってもらって、一緒に進級しよう」
「それはそれで、プレッシャーだな……」
ぼそりとエリックが呟いたが、リズと二人で勉強が出来ることが楽しみで、エリックの耳には届かなかった。




