嫉妬
久しぶりの学園は、いつにも増して賑やかだった。
授業では必ず先生に当てられて、休み時間になるとクラスメートから取り囲まれ、廊下を歩けば女子生徒達から黄色い声を上げられる。
手紙さえ渡してくる者はいなくなったが、騒ぎ立てられるのはいつも通り。オリヴァーは少々煩わしいと思いつつも、騎士団の任務から離れた久しぶりの学園生活は、平穏を感じられた。
それに、放課後にはリズと勉強をするという楽しみが待っているため、終始機嫌がよかった。
昼休みに入って、いつも通りエリックを誘って食堂に向かうと、ブレンダの姿があった。
学園ではブレンダを気にかけるように、との陛下からの頼みは今も有効だったが、ブレンダの暗殺未遂事件があった後で、近衛騎士団や侍女や秘書官から随従まで再調査が行われ、人事異動がなされた。
おかげで、ブレンダ周辺の人事は半分入れ替わるという事態になった。近衛騎士団に至っては、団長と副団長がそれぞれ任を解かれた。代わりに信用できる者を配置するとのことだが、詳しい発表はまだだ。
オリヴァーは人事に関しては口を出せないし、任務があれば学園には行けない。あんなことがあったのだし、ブレンダのことを気にかけてくれる人は必要だと思う。
ジョエル・マーシャルが陰ながら見守っているとはいえ、表立ってブレンダのそばにいてサポートしてくれる人が、キム以外にいてくれればと思っていたのだが、ブレンダの両隣に座る人物を見て、オリヴァーの心配は杞憂だったと気付いた。
「オリヴァー、久しぶりだな!」
ブレンダの右隣に座り、快活な声を上げて手を振っているのは、二年生のBクラスに在席するマーティン・オードラン。生徒会の総務を担当しており、三年生に上がったら生徒会長に指名されていると噂の男だ。
筋肉質でガッシリとした体型をしており、家は代々軍人を排出している子爵家。身体を鍛えるのが趣味の脳筋と言われているが、誰とでも仲良くなれるため、人脈は広い。
そして、ブレンダの左隣に座っているのは、一年生のリンゼイ・クロード。生徒会の会計を担当している、ブレンダのクラスメートである。
小柄で、分厚い前髪で目が半分まで隠れていて、一見無口で大人しそうに見えるが、ブレンダと首席を争った才女だ。家が貧乏なため、将来は女官志望。
生徒会に入ったのは、女官になるために今のうちにブレンダに取り入ろうと考えてのことらしい。
彼らは、今までは昼休みは別でとっていた。経済的な事情から、第一食堂を使うことが出来なかったからだろう。
代わりに、今まで一緒に昼食をとっていたキムの姿はなかった。
「俺達も一緒にさせてもらうことになったんだよ」
「ブレンダ殿下のおごりで……ここだけの話ですが」
マーティンとリンゼイがこそこそと小声で言った。ブレンダは、二人の間でくすりと微笑んだ。昼ご飯で二人を買収したらしい。
「キムは?」
「マーシャル先輩が学園にいる時は、先輩達と食べることにしたそうですわ。マーシャル先輩も、今や人気者。食堂で食べると騒がれてゆっくり出来ないそうなので、お弁当を作って皆で食べるそうです」
「それで、周りを牽制する役の代打に、俺達が」
「私の周りには信用出来る方が必要だから、お願いしたんですの」
その信用出来るのが、この癖の強い生徒会の二人か。
だが、この二人をそばに置いたことは、正解だと思う。
まず、マーティンは将来必ず軍に入ることになるはずだ。家柄も本人の資質も申し分ないため、騎士を希望すれば、おそらく近衛騎士団辺りに配属されるだろう。
そしてリンゼイもまた、成績を見る限り、本人の志望通り女官になれるだろう。リンゼイは意外としたたかで計算高い性格をしており、よく人を見ていることから、そばに置いておけば、ブレンダに近寄ってくる不審な輩にも気付くかもしれない。
この二人とは、学園を卒業しても関係は続いていく可能性が高い。それならば、今のうちに仲良くして信頼関係を築いておいたほうがいいと考えてのことだろう。
そして、ここに副会長がいないことも、察するところだ。会長と仲が良かった副会長は、春になれば卒業してしまうため、今から仲良くする必要もない。
オリヴァーは、暗殺未遂事件があってブレンダも変わったと思った。
以前までは、学園では王女の仮面を脱いで、学園生活を満喫していたはずだが、信用していた身近な生徒会長に暗殺されかけたのだ。損得勘定抜きにして人付き合いをしている場合ではないと気付いたのだろう。
最後に自分を護れるのは自分だけ。身の安全のために、周囲に信頼出来る者を固めておくしかない。
「ブレンダ、調子はどうだい?登下校を一緒にしなくても大丈夫そうか?」
「とても元気ですわ。オリヴァーが心配することは何もありませんわ。いい護衛の方がつきましたし、こうして生徒会の二人も居てくれますから」
「そうか」
「もう心配はいりませんよ」
「それならいいんだけどね」
さり気なく食堂を見渡すと、食堂の端で背を丸めたジョエル・マーシャルの姿が視界に入った。こちらを見てはいないが、神経はこっちに向いているはずだ。
ジョエルは以前までは第一食堂で食事をしていただろうか。もしかしたら、ここで食事をするように言われたのかもしれない。
ちらりとブレンダへ視線をやると、ふふふとブレンダは微笑んだ。
「安心材料はなるべくそばに揃えて置くことにしたんですの。彼にも、進級時のテストでは全力を尽くすようにお願いしましたの」
ジョエルと同じクラスのほうが、ブレンダは安心出来るのだろう。
「……ブレンダの頼みなら断れないね。それに、確かに彼が一緒ならば私も安心だ」
でしょう?と笑みを深くしたブレンダに、オリヴァーは苦笑した。
放課後になって、クラスメートから逃れるようにやって来たのは、以前リズと再会した校舎奥にある第三図書室だ。第三図書室は、生物学室の真上にある。
奥校舎はブレンダ暗殺未遂事件によって半壊。爆発で壁が崩れていたが、骨組みは無事だったことから四ヶ月かけて建て直すことが出来た。
おかげで、古びて埃臭かった第三図書室は、きれいな真っ白な壁に囲まれて、新築の匂いがした。中の造りは以前と変わらないままで、テーブルや本棚も一部新しくなっている。
きれいになったとはいえ、相変わらず人の気配はない。ガランとした第三図書室は寒く、暖炉に火がついていない。
勝手に火をつけていいものか思案していると、リズが生物学教師のウォルター・アクスブリッジを連れてやって来た。
「オリヴァー様お待たせしました。先生に暖炉の火をつけてもらおうと思って呼んできました」
「わざわざありがとうございます」
ウォルターは、手早く暖炉に火をつけて、パチパチと音を立てて火が大きくなったことを確認すると、オリヴァーとリズに向き直った。
「本来ならここは冬の間は使わないことになってるんだが、君達が第一図書室を使うと騒々しくなりそうだから、特別に許可する。帰る時は暖炉の火を消して、私のところに寄ってくれ」
「ありがとうございます」
「机を持ってきて暖炉の前で勉強するといい。それじゃあ、勉強頑張るように。それから、リズ。また何か聞きたいことがあれば生物学準備室に来なさい」
「はい。分かりました」
頭を下げると、ウォルターは颯爽と部屋を出ていった。
「ウォルター先生は変わりないね」
ウォルターも事件に巻き込まれて大変な目にあったが、以前と変わりなく元気そうで安心した。教室で会ったキムも、一見して事件のことを引きずっている様子はなかったのでほっとした。
「オリヴァー様、背中の火傷はどうですか?」
「全然大丈夫だよ。痛みはとうにないし、跡は残るだろうけど、大したことはないから」
それを聞いて、リズはほっとしたようだった。
「ブレンダ殿下も変わりありませんか?私はまだ会えてなくて」
「生徒会のメンバーがそばにいるから」
いくら相手がリズとはいえ、ブレンダの周囲の使用人が代わったことは言えないので、大丈夫みたいだとだけ言っておいた。
それから、暖炉の前に机を並べて勉強出来るようになる頃には、部屋が少しずつ暖まってきた。
並んで腰をかけると、リズが一番苦手だという数学から始めることにした。
リズは、難解な数式にうんうん頭を悩ませていたが、オリヴァーが説明すると、少しずつ飲み込んで問題を解くスピードが上がってきた。
「オリヴァー様の説明は分かりやすいです」
「そうかな?」
「はい!これならテストもなんとかなりそうな気がしてきました!」
リズがあまりに嬉しそうに言うものだから、オリヴァーはなんだか嬉しくてくすぐったくなった。
その後も、リズは順調に問題を解いていく。オリヴァーはリズの横顔をそっと盗み見た。
濃茶の長い髪は緑がかっていて、緩く波うっている。顔にかかった髪を耳にかけて、真剣な眼差しで問題を解く瞳は、深い緑色をしている。貴族の令嬢と比べると、肌は少し日に焼けた色をしていて、きゅっと閉じた唇は桃色と橙色を混ぜて淡くしたような色をしていた。
触れてみたい。そんな風に思った自分に驚いた。
ふいに、視線に気付いたリズがこちらに顔を向けて、視線がかち合った。不思議そうな顔をしたリズが、少しだけ首を傾げた。
オリヴァーは思わず口元を手で覆った。きょとんとしたリズの顔が可愛くて、顔に熱が集まる。
「どうかされましたか?この問題、間違ってましたか?」
「いや……」
うまい誤魔化しの言葉を見付けることが出来ない。赤くなった顔を隠すように視線を逸して首を振ると、リズは問題を見下ろした。
「私、オリヴァー様やエリック様のように勉強が出来ないので、何が合ってて何が間違ってるのかも分からないんです。ですから、間違ってたら言ってくださいね」
ふいにエリックの名前を出されて、脳裏に二人が息ぴったりで登校していた姿が蘇る。
オリヴァーの顔から少しずつ熱が引き、代わりに胸にチリリと痛みが走った。
「……リズ、エリックと仲良くなったんだね」
急に話題を変えたオリヴァーに、リズは一拍遅れて頷く。
「あ、ええ。同じ騎士団で、同じ班ですから」
「同じ班……とは、知らなかった」
「新人騎士は副団長の直轄に入ることになっている決まりなんです」
「それでか……」
ということは、騎士活動の時も学園の時も一緒で、ほとんど毎日顔を合わせていることになる。そうなると、仲良くなるのは当然のことかもしれない。
自分の知らないところで二人はどんどん仲良くなっていく。友達同士が仲良くなることは悪いことではないのに、寂しいような拗ねたくなるような感情が湧いてきて、胸の痛みは広がる一方だ。
オリヴァーは、机の上に置いた手を握りしめた。
エリックにリズを盗られたみたいで、なんだか嫌だ。これでは、まるで嫉妬しているみたいだ。そう思った途端に納得した。
私は、エリック相手に、嫉妬していたのか。
初めて抱く感情に、心臓がバクバクと鳴り、戸惑って髪をかき上げる。どんな顔をしてリズを見ればいいか分からなくなり、眉根を寄せて視線をさまよわせる。
「オリヴァー様?大丈夫ですか?」
急に表情を曇らせたオリヴァーに、リズが少しだけ距離を詰めてきた。すると、香水か香油か分からないが、リズからかすかな柑橘系の爽やかな香りが漂ってきた。
距離が近い。触れようと思えば触れられる距離だ。
オリヴァーの胸がドクンと跳ねる。
唐突に、病院でリズを抱きしめたことを思い出した。あの時は非常事態で、傷付いたリズを護りたい一心だったけれど、よくもあんな大胆なことが出来たと、今では思う。
今この場で抱きしめたら、リズはどんな反応をするだろうか。驚いて拒否するだろうか。それとも、あの時のように背中に手を回して、受け入れてくれるだろうか。
触れたいけれど、嫌われたくはない。
こんなことを考えている自分に、また驚く。一度リズのことを意識してしまうと、思考はリズのことばかり。これでは勉強どころではなくなってしまった。
「大丈夫だよ……なんでもない」
リズの大きな丸い瞳が、オリヴァーを心配そうに覗き込んでいる。かと思うと、リズの視線が僅かに下がると、何かを見付けたかのように、目を見張った。オリヴァーの胸元を凝視している。
「リズ……?どうかした?」
今度はオリヴァーが首を傾げる番だった。
リズはハッとして顔を上げると、慌てたように首を振って、両手を胸の前で左右に振った。
「なんでもありません!」
「……本当に?」
今度はオリヴァーが詰め寄ると、二人の距離はぐっと近くなった。リズの顔が赤くなる。耳まで赤くなっているのを見て、さっきまで渦巻いていたもやもやとした感情が薄れていくのを感じた。
代わりに、リズもまた、オリヴァーのことを意識しているのではないかという、喜びが沸き起こった。
「本当です!」
慌てふためくリズは、そうだ!と、思い出したかのように鞄の中を漁り始めると、小さな小箱を取り出して、オリヴァーに差し出した。
「ずっと、オリヴァー様にお礼をしようと思ってたんです。勉強が終わってから渡そうと思ってたんですけど、集中力も切れてしまったし……今受け取ってくれますか?」
唐突な贈り物に、オリヴァーは胸中で渦巻く様々な感情を、一旦置いておくことにした。リズからの贈り物を受け取らないわけがない。
「開けてもいい?」
もちろんですとリズの許可を得てから、オリヴァーはドキドキしながら包装紙に包まれた小箱を開けた。
「これは……玉兎騎士団のバッジ」
中に入っていたのは、月をモチーフにした玉兎騎士団のバッジだった。
「オリヴァー様から頂いた金鳥のバッジはお守りにしてるんです。持ってると安心出来て、本当に助けられてます。だから、私のもオリヴァー様に預かってほしくて」
「兎のバッジじゃないんだ?」
「兎のは可愛いいから私がつけたいので、オリヴァー様には月の女神の加護があるように、これにしました」
オリヴァーは、バッジを手のひらに乗せて、まじまじと見つめた。綺麗に輝く銀色の月型のバッジ。
騎士達は皆、危険な任務から必ず帰ってくるという祈りを込めて家族や恋人にバッジを預ける。それを、リズも自分に預けてくれた。それが、何より嬉しかった。
「任務で忙しいオリヴァー様を、きっと月の女神が護ってくれます」
「嬉しい……大切にするよ、リズ」
喜びで胸がいっぱいになった。リズは、照れくさそうに頬を赤くして微笑んでいる。
愛しい気持ちが溢れてきて、心が満たされていく。
オリヴァーは、兄のエドマンドの言葉を思い出していた。
『オリヴァーは方向音痴だしすぐ迷子になるから、オリヴァーの手を引いてくれる子を嫁にもらえ』
もし、本当に好いた相手を選べるというのならば、リズがいい。リズがそばにいてくれて手を引いてくれたのならば、どこでだって、何があったって頑張れる気がした。
こんなふうに思うのは、リズのことが好きだからだと、オリヴァーはその日、初めて自分の気持ちを自覚した。




