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リズの瞳  作者: 朋永実久
第一章
34/50

感情



 敵の死を前にして動けずにいたオリヴァーは、頭を振った。今は打ちのめされている場合ではない。ブレンダの身の安全が最優先だ。直ちに頭を切り替えて、なんとか立ち上がった。


 オリヴァーはブレンダの姿を探したが、廊下に姿はない。エリックの姿も同様だ。連れ去られたのではないかと、背筋が凍った。


「ブレンダ!」


「……皆無事だよ」


 生物学準備室の隣の空き教室からエリックが現れた。エリックは既のところで教室に飛び込んだようで、制服や顔が煤けて黒くなっていたが、大した怪我もなく無事のようだった。


「無事か……」


「大丈夫だ。オリヴァーも大丈夫か?」


「大丈夫だ。敵は……死んだ」


「そうか……」


 エリックは廊下の先に視線をやり、やるせないように目を伏せた。もう安全だと返事をして空き教室へ入ると、ブレンダとキムが身を寄せ合って教卓の前に立っていた。

 二人共青褪めた顔をして震えていたが、怪我はないようだ。


「ブレンダ、キム、大丈夫か?」


「大丈夫よ」


「ジョエルと先生が助けてくれたの」


 二人のそばには、ウォルターとジョエルの姿があった。


「アクスブリッジ先生……無事でしたか!」


「奴らに捕まって、隣の空き教室に閉じ込められていたんだが、マーシャル君が窓から入ってきて助けてくれたんだ」


「遅れてすみません。敵に囲まれて戦っていたら、遅くなってしまいました」


 ジョエルが頭を下げた。ジョエルの制服は泥と血で汚れていた。多少の怪我はしているようだが、しゃんと立っているところを見ると、大丈夫そうだ。


「彼が私達を部屋に入れて庇ってくれたのよ」


「間に合ってよかったです」


 無事を確かめ合って安堵していると、足音が聞こえてきた。すぐに剣を構えたが、現れたのは真っ白な軍服に身を包んだ近衛騎士団の騎士達だった。ようやく駆け付けて来てくれたのだ。


「殿下!」


「この先にいた敵は排除致しました」


「そう……。ありがとう」


 近衛騎士団に囲まれて、ブレンダはようやく肩の力が抜けたようだった。思わずふらついたブレンダを、隣にいたジョエルが肩を掴んで支えた。


「ありがとう」


「いえ……」


 ジョエルに代わって騎士達はブレンダを保護すると、周囲の安全を確認次第、王宮へ戻ることを告げた。それを聞いたオリヴァーは、すぐさま廊下へ駆け出していた。


「ここは任せました!」


「オリヴァー!どこへ?!」


「リズが危ないんだ!」


「リズが……?!」


「エリックも来てくれ!マーシャル!ブレンダを頼んだ!」


 オリヴァーは返事も聞かずに走った。廊下を抜けて、階段を駆け上がる。心臓はどくどくと嫌に鳴り続けていた。

 カイルに捕まるリズを想像して、そんなはずはないと打ち消す。


 リズが無事でいてくれるのなら、なんだってする。

 頼む。お願いだ。お願いします。

 何度も太陽神に願った。


 音楽室の前にはバリケードが置かれ、扉の隙間から黒煙が洩れているのが見えて、血の気が引いた。

 火災が発生している。中で何が起きているのか。最悪の想像が浮かび、力付くでバリケードを退かしていった。


「無事でいてくれ!リズ!」


 熱を持った扉を開けると、煙が目に染みた。部屋の中は煙と熱で酷い有様だった。そして、扉のすぐそばで倒れている人影を見付けて、オリヴァーは叫んだ。


「――――リズ!!」


 駆け寄って抱き起こすと、思いきり抱きしめた。


「リズ!」


「オリヴァー様……!」


「無事でよかった……!」


 掠れた声で名前を呼ばれて、抱きしめる手に力を込めると、体温、荒い呼吸、心臓の音が伝わってきて、ようやくリズが生きていると実感して安堵の息が出た。


 生きている。よかった。間に合った。


 リズの声を聞き、泣き顔を見ていると、オリヴァーまで泣きそうになったが、安心させるために微笑んだ。


 こんな姿になって、辛い思いをしただろう。もっと早く助けてあげられたらと思うと、悔しくて仕方がない。

 そして、こんな目に合わせたカイルに怒りが湧き、それでも、とにかく無事でよかったとほっとした。


 悔しさや怒りに安堵がない混ぜになって感情はぐちゃぐちゃだ。リズのことを考えると、平静でいられない。それがなぜかなんて考えている暇はなかった。


 オリヴァーはリズを抱え上げた。煙を吸い込んでしまったはずだから、まだ油断は禁物だ。

 隣で倒れ込んでいるカイルを、エリックとウォルターに頼むと、医務室へと急いだ。



   ✴



 気を失ってしまったリズを医務室へと運び込み、ベッドに寝かせたところへ、玉兎騎士団のアンセル・エルゴードが現れると、カイルと息のある暗殺者達は軍病院へと運ぶ手筈になったと伝えられた。


 また、リズや怪我をした護衛達も同様に、軍病院で治療を受けるように言われた。馬車の手配はすでに出来ているというので、オリヴァーはリズを馬車まで運んで、一緒に軍病院へと向かった。

 アンセルから、怪我をしているからこちらでリズを運ぶと言われたが、オリヴァーは頑なにそれを拒否して、自分が運ぶと言って聞かなかった。



 そして現在、オリヴァーは怪我と火傷の手当を受けていた。

 怪我自体は大したことはなかったが、今頃になって火傷した背中が、ズキズキと脈を打つような痛みを放っていた。

 医者からは痕が残ると言われた。自分で思っていたよりも酷い火傷のようだ。しかし、今まで傷痕を気にしたことはないので、どうでもよかった。それよりも、リズのことが心配だった。


 治療を終えてリズの病室を訪ねると、部屋の前でアンセルが陣取っていた。廊下の端で遠巻きに衛兵が立っていたが、万が一のことを考えて、アンセル自らリズの護衛としてここで見張りをしているという。

 リズはまだ眠っているそうで中には入れないというから、アンセルと二人で廊下の椅子に座って待つことにした。


「エリックは打撲が酷くてな。骨折の疑いがあるから、現在治療中だ」


「そうですか……。学園は大丈夫でしょうか?」


「音楽室の火は両隣の準備室と第二音楽室まで広がったが、そこで食い止めることが出来た。だが、壁も焼け落ちてるから、あそこは建て替えなければならないだろう」


 アンセルは意外にもオリヴァーの質問にすらすらと答えてくれたので、質問を続けた。


「火災に巻き込まれた生徒や教員は?」


「先程安否確認は終えた。すでにほとんどの生徒が帰宅していたし、あの日は吹奏楽部も休みだったのが幸いした。全員無事だ」


「護衛として潜り込んでいた暗殺者は全員捕らえたのでしょうか?」


「表向きはな。まだ潜ったままの奴がいるかもしれない。護衛達からは治療を終えたら、順に聴取を始める。とはいっても、今回は魔物が関わっていないから、近衛騎士団のほうに捜査指揮権がある。玉兎騎士団は前回の事件の裏取りをして、主にサポートに回ることになるだろう」


 では、なぜアンセルが今こうしてリズの見張りを買って出ているのか疑問に思ったが、口には出さなかった。アンセルは切れ者で知られている。きっと何か理由があるに違いない。

 オリヴァーは質問を変えた。


「そうですか……。ブレンダはどうしていますか?」


「現在は王宮に戻って国王夫妻とセシル殿下と一緒にいるから、安心しろ」


 オリヴァーは黙って頷いた。


 護衛として潜り込んでいた敵の半数は死に、残っている者は治療を受けている。本来の護衛達も今回の一件で死人は出ずとも、重症者も出ているという。被害は大きかった。


 それを目の前にして、ブレンダは大丈夫だろうかと心配になったが、そばに一番信頼出来る家族がついているのだ。とはいえ、今回の一件でブレンダが心に大きな傷を負ったのは確実だった。


「学園はまた明日から休みになる。しばらく再開するのは難しいだろう」


「そうですね……。カイル・グロスターは?」


「まだ意識は戻らない」


 オリヴァーは眉根を寄せて、拳を握った。リズにあんなことをしたのが、許せそうになかった。


「なぜ、あんなことを……誰の指示でしょうか?」


「十中八九、グロスター伯爵だな。今頃衛兵が伯爵家に押し入っているところだろう」


「ですが、軍と無関係のグロスター伯爵だけでは、護衛の人事には口を出せないはずです。軍の上層部が関わっているのでは……?」


「……そうなるが、それはここでする話ではないな」


 アンセルは横目で衛兵を見やった。

 もしかしたら、すでに疑わしい人物に目星を付けているから、アンセルは近衛騎士団に全権の捜査を任せずにここにいるのかもしれない。

 だとしたら、アンセルも誰かに言われてここにいるのだろうか。ふと、セシルの顔が思い浮かんだ。


「この後リズに聴取するつもりですか?」


 聞くと、意外にもアンセルは首を横に振った。


「まだだ。今は安静にしたほうがいい。だが、君からは話を聞いておきたい」


 オリヴァーは早速今日起きたことを順を追って話した。アンセルは表情を変えることなく、全て聞き終えると、なるほどと呟いた。


「今の話を聞いて納得した。君の言うとおりになりそうだ」


「と、いいますと?」


「今回の件で軍は大きく変わるってことだ」


 アンセルが口の中で呟くように言った時、病室の扉が開いた。そこから看護師が顔を出した。


「すみません。患者さんの意識が戻りました」


「そうか。彼女の家族はまだ来てないんだ。私はここにいるから、様子を見てきてくれ。彼女にはある程度事件のことを話してもいい。代わりに、話を聞けるような状態ならば、聞いてきてくれ」


 アンセルなりに気を使ってくれたのかもしれない。オリヴァーは礼を言うと、病室へと入った。

 一人部屋の病室のベッドに、リズは横たわっていた。オリヴァーに気付くと身体を起こそうとしたので、慌てて止めた。


「まだ寝ていて」


「あの……」


 リズの声は掠れていた。煙を吸い込んだせいか、上手く声が出ないのだろう。そんな自分の声に、リズは喉に手を当てて驚いている。


「無理に話さなくていいよ。水を飲むかい?」


 リズが頷いた。オリヴァーはベッド脇の椅子をそばに持ってきて座ると、テーブルに用意されていた水をコップに注いだ。

 それからリズの身体を起こしてやると、背中にクッションを挟んで座らせた。コップを渡すと、リズはごくごくと喉を鳴らして水を飲んでいる。三度に分けて水を飲み干すと、空になったコップを受け取ってテーブルに置いた。


「大変な目に合ったね」


「私は大丈夫です……。オリヴァー様は大丈夫ですか?お怪我は?」


 水を飲んだからか、先程よりも声が出ていることに安堵しつつ、リズが自分のことよりもオリヴァーのことを心配しているのに、胸が温かくなった。


「こんな格好だけど、大したことはない。大丈夫だよ。もちろん、ブレンダもキムも。それから、君の弟や、エリックもね」


 リズはほっとしたように息を吐き、もう一度礼を言った。それから何が起きたのか聞きたがったので事件について話すと、リズの顔はどんどんと険しくなっていった。話し終えると、今度はリズに起きたことを話してくれた。


 オリヴァーはショックを受けた。アンセルの言うとおり、カイルはグロスター伯爵の命令で自分の命を投げ出してまで、命令を遂行しようとしていたのだ。

 オリヴァーの中でふつふつと沸騰していた怒りが急速に温度を下げていく。それでもまだ許せず、怒りは消えなかった。


「あの、会長の容態はどうですか?」


「まだ意識は戻っていないそうだ」


「そうですか……。会長はどうなるのでしょうか?」


「処分は免れないだろう」


「そう……ですよね」


 小さく呟いて、リズは悲しげに目を伏せた。


「会長は、もう独りになるのはごめんだと言っていました。その気持ちだけは、私にも分かるんです。独りだけ取り残される……恐怖と絶望は。だから……」


 リズはそれ以上何も言えなくなって唇を噛み締めると、俯いてしまった。布団の上に乗せた手が小刻みに震えていた。

 オリヴァーは思わずリズの手の上に自身の手を重ねていた。はっと顔を上げたリズに、頷いてみせる。


 きっと今のリズは、同じ境遇であるからこそ、カイルがどんな気持ちで暗殺に加担したのか、なぜその道を選んでしまったのか。本当に他に道はなかったのかと考えてしまうのだろう。そして、考えれば考える程、苦しくなってしまうのではないか。


 オリヴァーにはリズの気持ちを全て分かってあげることは出来ない。けれど、寄り添うことは出来るはずだ。

 オリヴァーはリズの手を握った。


「どんな言葉でリズを慰めたらいいか分からないけれど……約束したよね?そばに居ることは出来るって。リズには私がいるよ」


 驚いて目を見開いたリズの目の縁に、涙が溜まっていく。それは今にも零れ落ちそうで、オリヴァーは指で掬い取るようにして、リズの涙を拭った。


 リズの視線がふとオリヴァーの胸元に落ちると、小さく微笑んだ。その笑顔にどくんと心臓が跳ね、一気に鼓動が加速していく。

 そんな自分に戸惑い、無意識のうちにリズの頬を撫でていた。リズが驚きと恥じらいの混じった視線を向けてきた。

 リズの深みのある綺麗な緑色の瞳を見ていると、胸の奥に熱が灯って、抱きしめたい衝動に駆られた。


 気付けば、オリヴァーはリズを抱きしめていた。そっと壊れ物を扱うように、優しく背中に手を回す。


 リズを護りたい。これ以上独りで悲しく辛い思いをさせたくない。優しくしたい。大切にしたい。一緒にいたい。リズには元気で笑っていて欲しい。

 そして、一番近いところで一緒に笑っていたいと思う。


 優しくも熱い感情がどっと押し寄せてきて自分でも戸惑っていると、リズが名前を呼んだ。


「オリヴァー様」


「ん?」


 少し身体を離して至近距離でリズの顔を見下ろすと、顔を赤くして涙を浮かべたリズが言った。


「いつも私が辛い時に助けてくれて、本当にありがとうございます」


 照れたように笑う顔が眩しくて、オリヴァーは目を細めて微笑むと、うんと頷いて、もう一度抱きしめた。

 一拍してリズの手が背中に回されたが、火傷の痛みはすでになかった。




 

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