炎火
対峙した二人は、肩を上下させて荒い呼吸を繰り返し、睨み合っていた。
カイルはリズの出方を伺うようにレイピアを構えたまま間合いをはかっている。リズには手にする武器もないというのに、随分と警戒しているようだ。
リズは神経を張り巡らせて、周囲に武器となるものがないか探った。使えるものはなんでも使わなければいけない。そして、カイルが攻撃を始める前に先手を打ったほうがいいと考え、すぐに実行に移した。
リズは足元に倒れていたピアノの椅子を蹴り飛ばした。意表を突いたのか、カイルの反応が僅かに遅れたが、難なく飛んできた椅子を跳ね除けている。
その間にリズは、ピアノの裏側へと回り込むと、駆け出していた。
「リズ!」
リズは一目散に木管楽器の並ぶ棚の前までくると、楽器の入ったケースを引っ掴んだ。
すぐさま追いかけてきたカイルにケースを投げ付けたが、避けられてしまった。しかし諦めない。
次から次へとケースをひっ掴み、投げる。結構な重さがあったが、カイルを寄せ付けまいと必死で投げていると、そのうちの一つのケースが、避けきれなかったカイルの腕に直撃した。
カイルの手からレイピアが離れたのを見るなり、リズは走り出していた。レイピアが床に転がる。カイルが拾おうと手を伸ばしたが、リズのほうが早かった。レイピアを後ろへ蹴り飛ばすと、扉の方へと滑っていった。
ちっと舌打ちをしたカイルは、レイピアを諦めると、一気にリズの間合いに入り込んできた。胴に手を回して抱き込み、力を入れて持ち上げようとする。
それを、リズは腰を落として足を踏ん張って耐えていたが、男女の力の差は歴然で、身体を持ち上げられたと思うと、勢いよく投げ飛ばされていた。
リズは壁にぶつかって背中と腰を打ち付けた。しかし痛がっている場合ではない。カイルが突進してくるのが視界に入ると、素早く立ち上がって迎えうつ。
カイルは長い足を蹴り出した。リズはそれを身を屈めて避けると、足払いをかけようとして、躱された。今度はカイルが拳を次々と放つ。しっかりと攻撃を見ながら避けつつ、リズも攻撃を繰り出すが、中々ダメージを与えることは出来ない。激しい攻防は続く。
カイルは背が高く力はあるが、速さや体力、戦闘技術だけで言えばリズのほうが上のように思えた。このまま武器なしで長期戦に持ち込めば勝てるかもしれないが、早くカイルを倒してここを出なければいけない。
焦燥感を募らせているのは、カイルも同じようだった。
「君は、想像以上だ……!」
リズが上段蹴りを放つと、腕でガードされた。しかし、鳩尾が空いている。そこに拳を打ち込むと、カイルがうっと呻いてたたらを踏んで後退した。追いかけるように今度は回し蹴りを放つと、脇腹に入った。しかし、浅い。
カイルはすかさず距離を取った。その目に焦りが見て取れたその時、カイルの視線が床に転がったレイピアへ向けられた。
今だ!
その瞬間を見逃さなかったリズは、カイルの懐に飛び込むと、胸ぐらを掴んで引き寄せ、身体を捻った。カイルはしまったという顔をして、腕を掴んでリズを引き離そうとしたが、遅かった。リズは足を払ってカイルを背負い込むと、思い切り投げ飛ばした。
カイルは木管楽器の棚にぶつかった。棚から楽器や楽譜が派手な音を立てて落下する。打ちどころが悪かったのか、中々立ち上がることが出来ないようで、呻き声を上げている。
その間に、リズはレイピアを拾い上げると、立てずにいるカイルへと歩み寄った。
カイルはようやく半身を起こすと、リズがレイピアを手にしているのを目にして、目を細めた。形勢が逆転した瞬間だった。
「――僕を、殺すか?」
「会長には山程聞きたいことがあるんです。仲間を呼んで扉を開けさせてください」
「そんなことは出来ない。万が一の時のために、この階にはもう誰もいないようにしてある」
「万が一……?」
眉根を寄せたリズに、カイルは薄く笑った。
「僕に聞きたいことって、蝕獏のことだろ?蝕獏を倒す方法を知らないか、だとか?」
そんなことを聞いている場合ではないと分かりながらも、リズは聞いていた。
「……知ってるんですか?」
「蝕獏はね、次第に力が増してきているんだよ。人が倒すことなど不可能なんだ」
「どうして……?」
「蝕獏が初めて蝕を起こした時は夜で、ほんの数分間しか地上にいることは出来なかった。しかし、蝕獏は人や獣を飲み込んで次第に力を蓄えていくと、昼間でも日蝕を起こせるようになった。そして、今では三時間近く地上にいることが出来る。このままいけば、いずれ完全に地上に這い上がり、やがては天へと牙が届く……。だから、なんとしてでも王族を倒すんだ」
誰にも止めさせない、とカイルは底の見えない暗い目で語った。なぜそんな暗い目をしているのか、どうしてこんなことになってしまったのか。
「蝕獏に救われたからって、どうしてここまで蝕獏信教にのめり込むんですか?どうして過激派なんかに入ってしまったんですか?」
「……苦しんでいる時に手を差し伸べてくれた人が皆、優しく正しいとは限らない。それが分かっていても、その手を取るしか選択肢がなかったとしたら、君ならどうする?」
何を言っているのか分からずに答えずにいると、カイルは自嘲めいた笑いを零して、首を振った。
「僕はね、孤独に戻るくらいならば、その手を取ろうと思っただけだよ」
カイルはおもむろに制服の内ポケットを弄ると、ポケットから手を引き抜いて、眼前にそれを掲げた。カイルの手には、小さな小瓶と、オイルライターが握られていた。
リズは目を瞠った。火炎瓶だ。
「君をここで留め置くこと。それが僕の役目なんだ。だから、どうあってもここから生きて出すつもりはない」
カイルは親指で小瓶のコルクを開け、もう片方の手でオイルライターの火を点けると、瓶の口から伸びた紙に火を移した。そして、それをカーテン目掛けて投げつけた。
「だめッ!!」
静止の声も虚しく、火炎瓶の炎はカーテンに移ると、まるで生き物のように横へ横へと這うように広がっていく。転がった瓶が割れて油が床に散り、火の粉が落ちて炎が上がる。
リズはそれを呆然と眺め、悲鳴を上げた。
「なんてことを!」
「こうなることも考えて、カーテンにオイルを含ませておいたんだ。今から消そうだなんて無理だよ」
くつくつとカイルは笑っている。リズと一緒に死ぬ気だ。
リズは急いで扉に向かうと、どんどんと叩き、蹴り、体当たりをした。しかし、開かない。後方の扉も同じように開けようと試みたが、どうやっても開かない。
カーテンは一面炎に染まり、壁を黒く焦がしていた。天井はすでに煙で覆われている。熱で窓硝子が割れて、轟々と炎が音を立てていた。
炎の熱でリズの全身から汗が吹き出す。これ以上にない焦燥。どうすればいいか分からずに、レイピアで扉を斬り付けたが、無駄に終わる。それでもリズは、扉を叩き続けた。
「諦めるんだ」
カイルはすでにリズを攻撃しようだなんて考えはないようで、棚に背中を預けて窓の炎を眺めている。その顔はあまりに穏やかだった。それは、死の覚悟が出来ている、生きることを諦めた顔。
「なんで、こんなこと……?!」
「さっきも言っただろ?こうする他に選択肢はなかったんだよ。グロスター伯爵の手を取った時点で、僕の運命は決まっていたのさ……」
「まさか……グロスター伯爵が会長を引き込んだというんですか?!」
「そうだよ……。伯爵が孤児の支援をしているのは、孤児を蝕獏信教に引き込んで洗脳し、過激派の実行部隊に育てるため。だから、僕の境遇を知った伯爵は僕を養子にしたんだ。僕は見目もいいし、貴族入りしても違和感がない。それに、ブレンダ殿下に歳も近かったから、近付かせるには打って付けだったんだろう」
「そんな……」
リズは言葉を失った。
「それに僕も、もう独りで生きるのは嫌だった。僕は何より、孤独が怖かったんだ……。もうあんな思いをするのはごめんだった」
カイルはゆっくりと目を閉じた。
「伯爵は僕を必要として、そばに置いてくれた。ヴァイオリンだって、伯爵自ら教えてくれたんだよ。……僕にとって初めての家族だった。だから、感謝してるんだよ。蝕獏以上にね。……だから、ここで伯爵に恩を返して死ねるなら、僕は本望さ」
リズは見たこともないグロスター伯爵に怒りを覚え、同時に哀しみが込み上げてきた。
カイルに同情なんてしたくはない。どんな理由があっても蝕獏を崇める人の気持ちなど到底理解出来ないし、したくもない。けれど、カイルのことを思うと、胸が締め付けられるように苦しくなった。孤独である辛さを、リズもよく知っていたからだ。
気付けばリズは涙していた。それが煙のせいなのか、感傷のせいなのかは分からないが、とめどなく涙が溢れてくる。
ゆっくりとまぶたを開けたカイルが、同じように静かに涙を零しているのを見て、リズは決意した。
リズはレイピアを放り捨ててカイルに駆け寄ると、胸ぐらを掴んで無理やり引っ張り上げた。そして、されるがままのカイルの頬を、思い切り手のひらで打った。
驚き目を見開くカイルに、声を大きくして言う。
「私は会長と二人でここを出て、殿下を助けに行くんです!」
リズは扉の前までカイルを引きずるようにして連れてくると、扉へと体当たりを始めた。
「絶対に!ここから生きて出るんですッ!!」
何度も身体を扉に打ち付けるも、扉は開かない。窓側はすでに炎に包まれ、炎の魔の手はこちらへ伸びてきている。煙はすでに部屋の上半分を覆い尽くしていて、身を屈めないと煙を吸い込んでしまいそうだった。熱と煙にやられて、身体は限界が近い。
リズは体当たりを止めると、上着からハンカチを取り出してカイルの手に握らせ、口元に押し当てた。リズは身を屈めると、自らも制服のリボンを解いて、口元を覆う。
カイルは涙で濡れた目でリズを見つめた。
「どうして、君はそこまで生きようとするんだ……」
「私は蝕獏を倒すまで死ねないんです……!」
こんなところで死ぬわけにはいかない。三角谷の人々の顔が脳裏に浮かび、生きなければと強く思った。
しかし、炎はすでにそこまで迫っていた。煙で視界はほとんどなくなり、咳が止まらない。それでもリズは扉を叩いた。
気付けば、隣でカイルが倒れ込んでいた。カイルの身体を揺さぶったが、反応はない。すでに意識はないのかもしれない。
リズもまた扉を叩くことが出来なくなり、その場にうずくまるようにして倒れ込んだ。
熱い。息が苦しい。力が入らない。
誰か助けて。誰か……。
その時、オリヴァーの顔が浮かんだ。
「オリヴァー、さ、ま……」
もらった金鳥のバッジは、教室に置いてきた鞄の中だ。肌身放さず持っていればよかった。いや、ここに持ってきていたら燃えてしまったかもしれない。持ってこなくてよかった。おかげで、綺麗な状態でオリヴァーに返せるだろう。
こんな風に思うだなんて、諦めるのか。もうだめなのか。もう……どうすることも出来ないのか?
自分に問いかけ、リボンを掴んでいた手から力が抜けて床に落ちた。
その時、何かがぶつかるような音が連続して聞こえてきたかと思うと、次いで誰かの怒声。何を言っているのかは聞き取れなかったが、その声はリズの耳にしっかりと届いた。
なけなしの力を振り絞って顔を上げた時、激しい音を立てて扉が開かれた。
「――――リズ!!」
倒れているリズを起こすように背中と脇に手を回された。その力強さと温かさに、安心感で胸がいっぱいになる。
来てくれた。助けに来てくれたんだ……。
リズは滲む視界の中にオリヴァーを見付けると、思わずその胸になだれ込んだ。オリヴァーはしっかりとリズを抱きとめた。
「リズ!」
「オリヴァー様……!」
「無事でよかった……!」
リズが苦しい時に、オリヴァーはいつも来てくれた。
何もかも失い絶望していた時も、孤独に打ちひしがれて寂しくてどうしようもない時も、諦めかけた今も。
いつも救い上げてくれる。太陽のような人。
愛しさが込み上げてきて、リズはオリヴァーの胸に顔を埋めた。そしてその胸に光が灯っているのを見て、どんどん涙が溢れてきた。
「リズ……」
オリヴァーはリズの身体を少しだけ引き離すと、顔を覗き込んだ。オリヴァーは目が合うと安堵した表情を浮かべて、安心させようと微笑んだ。
「もう大丈夫だ」
オリヴァーは涙で濡れた頬を指で優しく拭うと、リズを抱えて立ち上がった。そして、後から駆け付けてきたエリックとウォルターに、会長をお願いします!と指示を出して、廊下を走り出す。
エリックとウォルターがカイルを担いで追ってきたのを見て、リズは掠れた声で聞いた。
「殿下は……?」
「大丈夫だ」
「実は、会長が暗殺を……蝕獏信教の信者で……」
「それも分かってる」
必死で説明しようとするリズに、大丈夫だからと安心させるようにオリヴァーが何度も言った。それを聞いて、ようやく安堵し気が抜けたのか、リズの身体から力が抜けた。
「オリヴァー様……」
「なんだい?」
「来てくれて……ありがとう……」
オリヴァーが優しい笑みを浮かべて頷いたのを最後に、リズの意識はそこで途切れた。




