鎮魂歌
ブレンダが登校してから四日経っていた。
リズはセシルに言われた通りに、一日に一度、遠目からブレンダの姿を観察することにしていた。中庭にいる場合は、図書準備室から。第一食堂にいる場合は、廊下から。
ブレンダのそばには、いつもオリヴァーとエリックがいたので、何か起こっても二人がブレンダを護ってくれるはずだ。何も問題はなさそうだった。
リズはこの四日間、オリヴァーにもブレンダにも話しかていない。
いくら学園といえど、護衛中のオリヴァーを引き止めたり話しかけるのは気が引けたし、今まで関わりのなかったブレンダに学園で急に声をかけると、周囲が不思議に思うだろう。翼白の件は伏せてあるのだから、あまり近付き過ぎるのはお互いのためによくない。
だから、リズはまるでジョエルのようにこそこそと遠目から様子を窺うことにしたのだ。やってみると、盗み見ているようでいい気はしないし、なんだか疲れる。
セシルは気にかけるだけでいいと言っていたが、こんなやり方でいいのかよく分からないままだ。
この日はいつもより早く学園に着いた。
ジョエルと二人で校舎に入ると、キムと廊下でばったり会った。宿題を忘れたので、今からするつもりで早く来たのだという。ジョエルとは途中で別れて、二人で教室へ向かった。
「ブレンダ殿下はお元気?」
「そうね。元気よ。でも内心では、周りに人が増えたことにうんざりしてるんじゃないかしら」
「常に周囲に人がいて自分のことを見てるんだから、きっとストレスが溜まるわよね」
「見られることには慣れてると思うけど、自分のせいで学園の警備体制が厳重になって、しかも何かあったらと思うとね……。私なら気が気じゃないわ」
「そうよね……。殿下のせいではないのにね」
なんとなく暗くなってしまったが、キムがそういえば、と話題を変えた。
「音楽祭の延期が決まったのよ」
「え、そうなの?」
「やっぱり、こんな状況下では安全とは言えないでしょう?生徒会長は頑なに開催したいって言ってたんだけど、そういうわけにはいかないし。そこで、殿下が延期を提案した途端に、学園側が正式に延期を決めたのよ。犯人が捕まれば予定を調整して開催することになったわ」
「そうなのね……」
「生徒会長はがっかりしてたけどね。あの人、中庭で演奏することにこだわっていたから」
リズはウォルターとカイルが口論していたことを思い出して、苦笑しつつ聞いた。
「生徒会長ってヴァイオリンは上手なの?」
「それが、上手いのよね……。下手だったら音楽祭に出ようとは思わなかったかもね」
カイルが下手くそなヴァイオリンを音楽祭で披露しているのを想像して、リズは思わず笑ってしまった。
「まったく君達は、朝から僕のことを褒めてくれちゃって。照れるねぇ」
突然背後からした声に、リズとキムは驚いて跳び上がった。振り返ると、いつの間にかにこにこ顔のカイルが立っていた。
「か、会長!?いるなら声かけてくださいよ!」
「いやぁ。僕の話をしてるものだから、つい聞き入ってしまったよ」
「盗み聞きだなんて趣味悪いですよ……!」
唇を尖らせてキムが文句を言うと、カイルは苦笑した。
「吹奏楽部の朝練を終えて教室へ向かっていたらたまたま聞こえてきたんだよ。……それよりも、君、確か名前はリズだったよね?」
「はい。リズ・マーシャルです」
「そうそう。リズ」
いきなりの呼び捨てに驚いたが、上級生相手、しかも生徒会長だからと黙っていると、カイルがいいことを思い付いたように指をパチンと鳴らした。
「そんなにも僕の演奏が聴きたいのなら、明日の放課後に音楽室に来るといいよ」
リズは一度も聴きたいと言った覚えはないのだが、カイルはさも良い提案だと言いたげに微笑んでいる。
「でも、部活動の邪魔になるのでは?」
「明日は午後から顧問の先生が不在で、吹奏楽部は朝練だけなんだ。音楽室には誰もいないし、私のヴァイオリンソロを堪能出来るよ。それに、君もヴァイオリンを弾けるんだろ?久しぶりに弾いてみるのもいいじゃないか」
「リズ、ヴァイオリン弾けるの?」
「昔習っていたってだけで、あの……」
カイルの演奏を聴きたくないわけではない。むしろ、本当に得意なのか聴いてみたい気はする。行くべきか断るべきか迷っていると、キムが助け舟を出した。
「それなら、私も行くわ」
「生徒会の活動はないの?」
「明日は会議はないし、アクスブリッジ先生に書類を提出するだけだから、それが終わったら大丈夫よ」
「それなら、ブレンダ殿下も誘うといい。いい気分転換になるんじゃないかな?」
「そうね。ブレンダ殿下と、オリヴァー様とエリック様も連れて行くわ」
オリヴァーを連れてくると聞いて、リズの気持ちが急浮上した。ここ最近話せていなかったから、話せると思うと嬉しくて、途端に明日が楽しみになってくる。我ながら現金だと思う。
「リズは先に行ってて。こっちの用事が済んだら行くから」
「それじゃあ明日の放課後、待ってるよ」
こうして、あれよあれよと放課後の予定が埋まってしまった。しかしこれで、明日はブレンダの様子をこそこそと見に行かなくてもよくなったし、オリヴァーにも会える。リズはスキップでもしたい気分だった。
リズは以前オリヴァーからもらった金鳥のバッジを常に持ち歩いていた。失くすといけないので小さなポーチの中に忍ばせてある。
こんなに大切なものを預けてくれたオリヴァーに、何かお礼をしたいと思いつつも、何をしたらいいのかいい考えが浮かばないでいた。でも、何か贈り物をしたい。
もし明日話す機会があれば、オリヴァーの好きなものを聞いてみようと決めて、リズは軽い足取りで廊下を歩いた。
✴
昼休憩になり、リズはスーザンと二人で第二食堂に向かっていた。途中、中庭に面した廊下を歩いていると、中庭の花壇の植え込みの所に警備員がしゃがみこんでいるのが見えた。
よく見ると、それは翼白が襲ってきた時に駆け付けてきてくれた警備員だった。あの時は、中庭で気を失っていたので、リズが校舎の中まで引きずっていったのだが、その後どうなったのかは詳しく聞いていなかった。
そういえば、勝手に剣を拝借してしまった。その後きちんと返したが、怪我はもう治ったのだろうか。
リズは気になって、スーザンに先に第二食堂へ行ってもらい、中庭に出た。
「警備員さん!」
「ん?あ、君は……!」
警備員はリズに気付き、立ち上がった。腰には、リズが借りた剣が下がっている。きちんと戻ってきたようで安心した。
「あの時は助けてくれてありがとうございました。君のおかげで助かりました」
「いいえ。怪我はもう大丈夫なんですか?」
「もう大丈夫です。大した怪我ではなかったし、後遺症もないので。色々心配かけてしまったかな。君は怪我はありませんでしたか?」
「はい。私は大丈夫です」
「それならよかったです」
「あまり無理しないでくださいね」
「ご親切にどうもありがとうございます」
警備員はにこやかに笑った。元気そうでよかった。それじゃあと言って、警備員に頭を下げて中庭を後にした。
第二食堂へ向かうと、スーザンが席を取って待っていてくれた。リズは警備員のことを早速話した。
「それにしても、リズが助けた女子生徒だってよく分かったわね」
「えっ?」
「だって、警備員さんは気を失っていたのでしょ?リズが助けたところは見てないはずよ。顔は知らないんじゃないの?」
言われてみればそうだった。
その後リズが助けたと聞いていたとして、リズとは裏庭で会って会話をしているが、すぐにあの場で別れている。それに、スーザンの言う通り中庭では警備員は気絶していたから、裏庭で会ったリズと助けた女子生徒が同一人物だと分かるものだろうか。
疑問が浮かんだが、ふとアンセルの姿を思い出した。
「あ、きっと玉兎騎士団から教えてもらったのよ」
玉兎騎士団には事情聴取で警備員と裏庭で会ったことからリズが助けたことを話してあるので、騎士から話を聞いていれば分かるはずだ。そう考えると合点がいった。
「なるほどね。とにかく大したことがなくてよかったわね」
「ええ」
あの時は気を失っていたので心配だったが、二週間で復帰出来る程の軽症で本当によかったと思った。
✴
翌日、リズは何事もなく放課後を迎えると、真っすぐに音楽室へ向かった。
音楽室にはすでにカイルの姿があり、丁度ヴァイオリンをケースから出しているところだった。挨拶をして中に入り、普段部員が使っている椅子に座るように言われた。
「会長はアクスブリッジ先生のところへ行かなくても大丈夫なんですか?」
「ああ。書類関係は書記と総務に任せているからね」
カイルはヴァイオリンを手にして、チューニングを始めた。ヴァイオリンを構えるその姿は、さすが様になっている。
リズは今更ながら、広い音楽室の中にカイルと二人きりという状況に気付いた。音楽室の扉は、リズが音漏れを気にしてぴしゃりと閉めてしまったのだ。我ながらそれで良かったのかと、今更思う。
生徒達から人気のあるカイルと二人きりだなんて、もしも女子生徒に知られたら、オリヴァーから手紙をもらった時のようになるのではないかと一抹の不安が過ぎった。
キム達が来るまでは誰も来ないでくれと祈っていると、チューニングを終えたカイルが、リズの前までやってきた。
「皆はもうしばらく来ないだろうから、先に君に一曲聴かせよう」
「いいんですか?」
「もちろん。君にピッタリの曲があるんだ。以前ウォルター先生のところで会った時から、君にはこの曲が相応しいと思っていてね。是非聴いて欲しい」
カイルとはほとんど話したこともないのに、リズに相応しい曲が思い浮かぶだなんて、どんな曲なのだろう。不思議に思っていると、カイルはリズの返事を待たずに、ヴァイオリンを弾き始めた。
高い音から始まった曲はゆったりとしていて、聴いていて心地がよかった。リズは、明るい日差しの下、オレンジの木を縫うように駆けていくロキの背中を思い出した。懐かしくて美しい景色を連想させる、優しい音色。
カイルの演奏は、リズの胸を温かくさせた。
しかし、穏やかだった心地いい音楽に、一転して不協和音が混じる。ミスタッチかと思ったが、音は階段を降りるように低くなり、曲調もどんどん早くなっていく。何かが転げ落ちていくように、不安を煽る音の羅列。
カイルは一心不乱に弓を動かし、鋭い音を出す。燃える、枯れる、崩れる、激情、怒り。そんな言葉が浮かぶような激しさ。
曲は終盤に差し掛かって、寂しさの漂う弱よわしい細い音に変わると、こと切れるように終わった。
室内に静寂が訪れても、リズは拍手をすることも、言葉を発することも出来なかった。カイルの演奏は素晴らしかった。しかし、感動のあまりに動けないわけではない。
リズはカイルを見上げた。ゆっくりとヴァイオリンと弓を下ろしたカイルに、目が釘付けになった。カイルの胸には、濁った灰茶色の光が灯っていたからだ。こんな色は見たことがない。
背中に嫌な汗が吹き出す。リズは困惑しつつも言葉を探したが、何を聞いていいのか分からなかった。
「僕の演奏はどうだったかな?君に相応しい曲だと思ったんだけど」
「今の、曲は……」
「真昼の鎮魂歌」
「鎮魂歌……」
「太陽が最も高い位置に浮かぶ穏やかな昼下りに、ふいに暗闇が訪れる。闇が辺りを飲み込み、ガラガラと日常が崩れ落ちていく。そして、暗闇が去って辺りを見渡すと、残ったものは自分の影だけだった」
リズは真意を確かめるようにカイルの目を見据えた。膝の上に置いた手を握りしめると、汗でじっとりと濡れていた。
「この曲はね、当たり前だと思っていた日常を失った人への弔いの曲なんだ。どうかな?君にピッタリの曲だと思うんだけど」
リズは確信した。カイルは知っているのだ。リズがガーランド一族の生き残りであることを。
「ウォルター先生との会話を聞いて、私がガーランド一族の生き残りだと気付いたんですか」
「確かにあの時も話は聞いていたけれど、それよりもっと以前から知ってるよ。君の故郷が蝕獏に襲われて失くなって、生き残った君はマーシャル家に養女に入り、二年生になってようやく学園に登校してきたこともね」
「どうして……?マーシャル家と以前から付き合いがあったのですか?」
カイルはゆっくりと首を横に振った。
「蝕獏に関することは、知っておかないといけないからね」
蝕獏と聞いて、リズは目を見開いた。嫌な予感がして、心臓が早鐘を打ち始める。
「……どうして」
その時だった。リズの言葉を遮るように、突然爆発音が響き渡った。
校舎全体を揺ゆがすような音と同時に、窓硝子が割れる音がした。音楽室の窓硝子は割れることはなかったが、ガタガタと小刻みに揺れている。
リズは咄嗟に椅子の肘掛けにしがみついたが、すぐに揺れは収まった。
「何……?!」
リズは気が動転しながらも、窓へと駆け寄った。
すると、奥まった校舎の一階の窓から、黒煙が上がっていた。そこは、生物学準備室のある辺りだった。リズは青褪めた。
「……始まったようだね」
はっとして振り返ると、カイルは綺麗な微笑を浮かべていた。それはいつもの明るい笑顔ではなく、得体の知れない陰りのある笑顔だった。カイルの瞳の奥に深い闇が見えたような気がして、リズの背筋は凍り付いた。
「あなたは、一体……」
カイルは人差し指を突き立てると、そっと唇に触れて見せた。




