再開
一週間の休学を経て登校したリズは、翼白を倒したことが学園中に知れ渡り、ガーランド一族の生き残りであることもとっくに周知されているものだと思っていた。
しかし、登校してみると皆いつも通りで、翼白がブレンダを狙っていたということは周知されていたが、そこにリズやジョエルが関わったことは知られていなかった。
後でキムに聞いてみると、騎士団が聴取に来た時に、リズとジョエルがあの場に居合わせたことは誰にも言わないようにと箝口令が敷かれたらしい。
覚悟はしていたが、出来ることなら注目を浴びたくなかったリズは、これからも普通の学園生活を送れると思うと、肩の力が抜けて安堵した。
とはいえ、学園は翼白の話題で持ちきりだった。放課後に残っていて翼白を目撃した者はどこか自慢気に語り、ある者は面白おかしく話し、未だに恐怖が抜けないと震える者等、様々な反応をみせた。
反対に欠席者も多数いて、ブレンダが登校して安全が確保出来たとみなされない限り、登校しないという方針の高位貴族の子息子女も少なくなかった。
特にAクラスはそれが際立っていて、半数しか登校していなかった。ちなみにDクラスのほとんどの生徒は登校していた。
そういった理由で生徒数は減ったが、反対に職員と警備員の数はぐんと増えた。正門と裏門には常に警備員が立ち、第一図書館だけでなく第二図書館にも司書が置かれ、用務員や医師も一人ずつ増え、講堂は常に開け放たれて複数の神官が出入りするようになった。
「ちょっと過保護が過ぎるわよね」
教室の窓から正門の警備員を眺めながら、居心地が悪そうにスーザンが言った。
「安心と言えば安心なんだけどね」
「常に誰かに見張られているような気がするわ」
「食堂の料理人も増えてるみたいよ」
クラスメートが口々に言う。表面上では憂鬱さを装いながらも、非日常感からくるどこか浮ついた教室内の空気を感じ取ったリズは、ふぅと小さく息を吐いた。
きっとブレンダが登校したら、影の護衛がもっと増えるに違いない。それで安全ならばいいが、警護はしやすいのだろうか。むしろやりづらくないか。
クラスメート達とは違い、リズは近い未来に何かが起こることをセシルから報されている。それがブレンダの暗殺に関わるのならば、皆の様にはしゃいではいられなかった。
何かが起きた時、自分に何が出来るのだろう。ブレンダの、或いは誰かの力になれるのだろうか。一体、どうやって?
「そういえばリズ、今日の放課後はどうするの?」
思考を巡らせていたリズは、スーザンに聞かれて顔を上げた。
「ええと、アクスブリッジ先生のところへ行くつもりよ」
リズは借りっぱなしだった本を返すつもりでいた。感想を聞かせてと言われていたし、蝕貘のことで何か分かったことがないか聞きたかったが、ウォルターならばどうやって学園に翼白を呼び寄せたか分かるかもしれない。時間があれば聞いてみようと思った。
放課後、リズは生物学準備室を訪れていた。しかし、そこには先客がいた。生徒会長のカイル・グロスターである。
相変わらず散らかった部屋の中で、カイルは優雅に長い足を組んでソファに腰掛けていた。まるで絵のモデルをしているかのようだが、眉根を寄せて唇を尖らせ、不満気な表情を浮かべている。
「音楽祭を中止にするなんてナンセンスですよ、先生。ねえ、君もそう思うだろ?」
「ええっと……」
「あんなことがあったんだ。中止を考えるのは当然だろ。君もそう思うだろ?」
「そ、その……」
「音楽祭を目標に頑張ってきた吹奏楽部や合唱部の部員、そして楽しみにしている学生をがっかりさせないためにも、開催するべきだと思います。君も楽しみにしてたよね?僕の演奏を」
「私は……」
「それで開催してまた魔物が襲って来たらどうするんだ?カイル、お前が責任を取ってくれるのか?な?リズ」
「……」
リズは、ウォルターとカイルに挟まれて、音楽祭を開催するか中止にするかの論争に巻き込まれていた。中止も考えなければならないと主張するウォルターと、開催すべきと主張するカイルの意見はどこまでも平行線を辿っていた。
それに巻き込まれたリズは、二人の間で右往左往するしかなく、内心ではただ本を返しに来ただけなのに、と困り果てていた。
「君はどう思う?リズ」
「そうだ。一般生徒の君の意見を聞こう」
二人の視線がリズに集中する。リズはプレッシャーを感じてだらりと背中に汗が流れ落ちるのを感じた。こんな雰囲気の中で下手なことは言えないので、リズは狼狽えながら必死で答えを探した末に、無難な答えをひねり出した。
「私は……音楽祭を見てみたいです。去年は休学していたので……」
「ほら!」
嬉々とした声を上げたカイルの隣で、ウォルターの顔からすっと表情が抜けた。リズは慌てて、でも、と付け足した。
「生徒達に危険が生じるような状況ならば、開催するのは難しいかと。それならば、やむなく延期という形を取るのはどうでしょう?」
「延期か……」
「いつまで?」
「殿下に危険がないと判断されるまでです」
「それはつまり、殿下を襲った犯人が捕まるまでってことか?そんなのいつになるか分からないじゃないか!」
カイルは、ああ!おしまいだ!と大げさに嘆いた。
「ご、ごめんなさい……。でも、そうするしかないと思って」
リズが謝ると、そんなことで謝らなくていいとウォルターが呆れ顔で言った。
「とにかくこんなところで話し合っていてもどうにもならない。決めるのは私ではないんだ。カイル、今日はもういいから帰りなさい」
「先生、そんな追い出そうとしなくても!」
「お前がいなくならないとリズがいつまでも用事を済ますことが出来ない。ずっと待ってるんだ」
カイルは途端に勢いをなくすと、しょんぼりと眉を垂らした。
「確かに、レディを待たせてしまったのは悪かったね。申し訳ない。でも君にも僕の演奏を見て欲しいんだよ」
そうだよね?と念を押されて、リズは頷くしかない。カイルはリズが頷いたのに満足したのか、ようやく腰を上げた。
「先生、くれぐれも中止にならないようにお願いしますよ」
「分かった分かった」
カイルはまだ何か言っていたが、頼むから帰れとウォルターに言われて、渋々部屋を出て行った。
ウォルターは閉められた扉を一睨みしてから盛大なため息を吐き出すと、疲れた様子で背もたれに身体を預けた。
「待たせて悪かったな」
「いえ。大丈夫です。あの、本を返しにきたんです」
「ああ。そうだったな」
リズは鞄の中から蝕貘とはを取り出すと、ウォルターに手渡した。ウォルターは本をパラパラとめくると、どうだった?と聞いた。
「興味深かったです」
「君の欲しい情報は書いてなかったろう?」
「はい。でも、気になるところはありました」
「どこだ?」
「蝕貘信教です。彼らの独自の見解をもっと知りたいと思いました」
「そう言うと思った……。だが、彼らと直接話そうと思わないことだ。危険だ。まあそれ以前に探し出すのは難しいが」
「でも、先生は信者の方から話を聞いたんですよね?どうやって信者の方と接触することが出来たんですか?」
ウォルターの眉がぴくりと動いた。ウォルターはゆっくりとした動作で本を閉じると、懐かしむような、どこか陰りのある表情で背表紙に視線を落とした。
「……私の学友が信者だったんだ」
声のトーンを落として呟かれた言葉に、リズはえっと声を上げた。
「私と彼は共に教師を志す良き友人関係にあった。ある日私は彼が突然退学することになったと聞かされて、心配になって彼の家を訪ねた。そこで分かったんだが、彼の家は熱心な蝕貘信教でね。両親は盲目的な信者だったが、彼は色々と思うこともあって、私にこの論文に書いてあることを告白してくれた。話し終えると彼は、家を出ると告げて私の前から消えた。彼は自分の家が異常なことに気付き、縁を切る決心をしたんだ」
「その人は今は……?」
「さあな。それ以来連絡はとっていない。どこに住んでいるかも分からない。そのほうが互いのためにいいと判断してのことだが……」
ウォルターは会わないと決めたことを後悔しているようだった。仲の良い友人だったのだろう。
「元気でやってくれてるといいがな」
「そうだったんですか……」
リズは俯いた。蝕貘の情報が欲しいあまりにウォルターの気持ちを考えずに踏み込んだことを聞いてしまった。無神経だったと自分を恥じていると、ウォルターが察したように笑った。
「リズが気にすることはない。昔の話だ」
「先生のことも考えずに込み入ったことを聞いて、ごめんなさい……。先生はそのことがあって、あの本を書いたのですか?」
「そうだな……。それもある。以前君に警告したのは、彼の両親を思い出したからだ。蝕貘は良くも悪くも人を盲目的にさせる危険な魔物だ。蝕貘にのめり込んで周りが見えなくなれば、周りを不幸にする」
真剣な表情でウォルターに諭されて、リズは素直に頷いた。周りを不幸にする、その言葉がずしりと重くのしかかった。
「気を付けます」
「ああ。……それで、君の方はフォックス卿から話を聞けたのかい?」
リズはいえ、と首を左右に振った。
「もう少し待って欲しいと言われました」
「そうか。私も色々調べてはいるが、新たに分かったことはまだないな。だが、あまり焦らないことだ。焦ってもいいことはない」
リズは期待していないつもりだったが、それでも少しだけ肩を落とした。しかし落ち込んでいる場合ではない。蝕貘に関しては進展はないが、翼白については何か聞けるかもしれない。
「あの、先生は翼白が現れた時はどこにいらっしゃったんですか?」
「ここにいたよ。だが、騒動には気付かなかった。後で知って驚いたよ。君が戦ったことも聞いた。怪我はなかったんだな?」
「はい。大丈夫です」
「それならよかった。だが、無茶はしないことだ」
「はい。あの、翼白をどうやって学園に呼び寄せたのか先生なら分かりますか?」
「血晶を使ったんだろう」
ウォルターは即答した。リズが血晶?と首をひねると、魔物の血を使って作った人工的な晶石であること、魔物の怒りを煽り呼び寄せる効果があることを教えてくれた。リズはそんなものがあるのかと驚いた。
「国に禁止されてはいるが、どこかでまだ作られているのか、以前作られたものが残っていたのかは分からないが、あれを使えば王都にも魔物を呼び出すことは可能だ。しかし、一人では無理だろうな。殿下を狙ってのことならば、複数犯と考えるのが自然だな」
あくまで個人的な見解だが、この話は口外無用だとウォルターに言われて、リズはしっかりと頷いた。
「しかし、疑問だな……」
「何がでしょう?」
「なぜあんな手間のかかるやり方で殿下を襲ったんだろうな。魔物を呼び寄せるのならば、翼白のような弱い魔物ではなく、もっと強い魔物を呼び寄せればいい。翼白は確かに操りやすい魔物といえるが、殿下の周りには護衛がついているんだ」
確かにウォルターの言うとおりだった。翼白程度の魔物が、確実にブレンダの命を落とせるとは言い難い。実際に、護衛や騎士団が駆け付けて翼白は一掃されている。倒される可能性のほうが高いと分かるはずだ。
「どうして翼白を選んだのでしょうか……?」
「血晶を使用している時点で、魔物について詳しくないってことはないだろうし」
「強力な魔物を操る力がないから?」
「血晶があれば魔物の行動はある程度予測がつくから、魔物さえ捕まえることが出来たならば、操るのはそれ程難しいことではない。もちろんそれなりのリスクは伴うが、やって出来ないことはない」
だとしたら、他に何か理由があるのだろうか。そもそも、もっと別の方法はなかったのだろうか。どんな方法にせよ、ブレンダの周りには護衛が張り付いているから、暗殺は難しいのだろうが。
ウォルターとリズはそれぞれしばらく考えに没頭していたが、唐突に扉をノックする音がしてはっと我に返った。
振り返ると若い女性職員が入ってきて、会議があるので呼びに来たと告げた。見たことがない職員だった。新しく雇われた影の護衛かもしれない。
ウォルターは引き出しに本をしまうと鍵をかけた。
「悪いが、今日はここまでだな。あんなことがあったばかりだ。君もしばらくは気を付けなさい」
「はい。分かりました」
それから三人で廊下に出ると、そこには帰ったはずのカイルが待ち構えていた。にやりと微笑んだカイルを見て、ウォルターはため息まじりに言った。
「カイル、お前もしつこい奴だな……。残念だが、これから会議があるんだ」
「まさか、音楽祭を中止にする会議じゃないですよね?」
「さあな。とにかく、私達は急ぐから」
「先生!絶対に中止にしないでくださいよ!」
「分かった。分かった」
ウォルターは面倒だったのか手を振ると、職員と足早に歩いて行ってしまった。リズはなんとなくタイミングを失って、カイルと一緒にその場に取り残されてしまった。
リズは気まずげにカイルを横目で見やった。
カイルはリズとウォルターが話している間ずっと廊下で待っていたようだが、話し声は聞こえていなかっただろうかと心配になった。
「君は以前も生徒会室の前でウォルター先生を待っていたね。授業で分からないところを聞きに来たのかい?」
思い出したようにカイルに問われて、リズは頷きつつ、どうやら会話は聞こえていなかったようだと安堵した。
「あ、はい。そんなところです……」
言葉を濁したリズに、カイルが言った。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったね。僕はご存知だろうが、生徒会長のカイル・グロスターだ」
正直リズは名前まで知らなかったのだが、以前から知っていたかのようにはいと頷いてみせた。
「二年のリズ・マーシャルです」
カイルがすっと手を出してきた。握手をしなければならないらしい。リズが恐る恐る手を出すと、カイルが半ば強引に手を取って軽く上下に振った。
カイルの指は長くて細いが、手のひらは厚く、人差し指にはヴァイオリンをしているせいか指だこが出来ていた。繊細そうに見えて、意外と男らしい手だと思った。
「よろしく」
カイルはさながら王子様のように微笑んだ。リズも微笑を返しながら、黙っていればかっこいいのになと、心中でぽつりと呟いた。




