茶会
ブレンダは、金のボタンと丸襟だけの飾りけのないシンプルな水色のドレスを身にまとっていた。髪の毛は後ろに夜会巻き風にまとめられ、頭の上には同色の薔薇の飾りの付いた小さな帽子がやや斜めにして乗せられている。
学園で見る朗らかで可愛らしい印象とは違って、今日のブレンダはカッチリとしてどこか威厳を感じさせた。
リズは思わず背筋を伸ばしてブレンダを出迎えた。緊張で顔を引きつらせているリズとは違い、ブレンダはリズに柔らかい笑顔を向けた。そこでようやく、リズは少しだけ緊張を解いた。
「こうしてきちんと挨拶をするのは初めてですね。リズ・マーシャル嬢……というのは堅苦しいですね。マーシャル先輩」
「せ、先輩だなんて恐れ多いです!それにここは王宮ですし!」
ぶんぶんと首を振るリズに、ブレンダはくすりと笑った。
「学園では先輩ですもの。今日は先輩とお呼びしますわ。さ、立ち話もなんですから座りましょう」
一同が腰掛けると、執事が颯爽とやって来て、冷めたからと言ってセシルとリズのティーカップを下げていった。
「昨日は本当に助かりましたわ。それを言いたくてここに来たんですの。あなたとジョエル・マーシャルがいなかったら、今頃どうなっていたか……。本当に感謝しております」
そう言ってブレンダが頭を下げたものだから、リズは慌てて胸の前で両手を振った。
「とんでもありません!頭を上げて下さい!私はほとんど何もしておりません!玉兎騎士団やオリヴァー様達護衛の方々のお陰です!」
「もちろん護衛の方々や騎士団の方々のお陰でもあります。しかし、あなたがあの場にいてくれなかったら、もっと酷いことになっていたと思います。それこそ、私の命はなかったかもしれません。本当にありがとうございました」
天使のような笑みを浮かべてブレンダが言うものだから、リズはポカンと口を開けて、すぐにはっとして手で口元を覆ってから、どう致しましてともごもごと返した。
ブレンダは可愛らしさと美しさを兼ね備えた、同性のリズでもぼうっとする程の美人だ。ジョエルが熱を上げるのも無理もないと思った。
「ジョエル・マーシャル様の容態はどうですか?」
「もう平気です。一週間も学園が休みになったので、暇を持て余してます」
ブレンダは良かったとほっとしたように言ってから、それにしてもと語気を強めると、ずいとリズに詰め寄った。
「どうしたらあんなに強くなれるんですの?その細腕で剣を振って翼白を倒すマーシャル先輩は、とても逞しくてかっこよかったですわ!」
ブレンダは目をきらきらと輝かせて言った。リズは思わず身を引いた。
「私はガーランドの生まれですから、子供の頃から戦闘訓練を受けてきたので……」
「指導したのはエイデン・フォックス卿と聞きましたわ」
「そうです」
「彼は玉兎騎士団を突然辞めてガーランド領の私兵になったと聞きましたけれど、それはなぜですの?」
「それは……」
リズは言葉に詰まった。その経緯については、エイデンからは何も聞かされていなかった。
「申し訳ありません。私にも経緯は分かりません」
そう、とブレンダは少しの間思案した後、再び質問を投げかけてきた。
「フォックス卿は玉兎騎士団にいた頃はとても厳しいお方だと聞いておりましたけど、女性のマーシャル先輩にも厳しかったのですか?」
「エイデン先生は女も子供も関係ないと言って、子供の私にも容赦がありませんでした。ガーランド一族は領地で一番強くなければならないというのが父の教えでもありましたから」
「ということは、マーシャル先輩のご両親も強かったのですか?」
「ええ。父も母も兵士達と魔物討伐へ行くこともありましたし、子供の私から見てもとても強かったと思います」
「そうですか。マーシャル先輩は、私には想像がつかないような訓練を受けてきたのですね。……私もマーシャル先輩くらいの力があればと思わずにはいられませんわ」
どこか憂いを帯びた表情でブレンダが言った。リズは庭の端にズラリと並んだ使用人と護衛を横目で見やった。
常に命を狙われているにしても、護衛の数は多いように思う。使用人の格好をしていても、中にはマーシャル一族のような影の護衛の手練も紛れ込んでいるだろう。
先程紅茶を持って来た老齢の執事も、足音を立てずに歩いていた。執事も影の護衛だろう。
そして周囲の気配を探る限り、この小さな庭の周りにも姿を隠してはいるが、何人か潜んでいるようだ。
リズは誰のものか分からない視線を感じ取って、少しの居心地の悪さを覚えた。王族とは、次期女王とは、こんな緊張の中で生活しなければならないのかと思うと、リズはなんとも言えない気持ちになった。
「お姉様には戦闘訓練なんて必要ありませんわ。それにお姉様は身体を動かすことは苦手でしょう?」
「あら。私だって少しくらい護身術は教えてもらったことがあるわよ?」
「そうですわね。教えてもらったことはありますわよね」
「実践出来ないと言いたいのね?」
「うふふ。分かりました?」
「もう!セシルだって人のことは言えないでしょう?」
「お姉様程ではありませんわ」
「セシル!」
なんとも微笑ましい姉妹の会話に、リズはほっとして小さく笑みを零した。姉妹仲が良いという噂はどうやら本当のようだ。
「仲がよろしいのですね」
「ええ!とっても!」
セシルが年相応の笑顔で元気よく答えると、ブレンダも愛おしそうにセシルを見つめて微笑んだ。
和やかな雰囲気になったところで、執事が静かに紅茶を持って現れた。
「殿下のご希望通りにオレンジティーを用意致しました」
それを聞いたリズは、えっと声を上げて執事を見上げた。執事は口角を上げて応えると、そっとテーブルに置いたティーカップの中に、輪切りにされたオレンジを一枚入れて上から紅茶を注いだ。すぐに瑞々しいオレンジの香りが漂ってきて、リズは目を大きくした。
「そしてこちらは、砂糖漬けにしたオレンジにチョコレートを浸して固めたオレンジチョコレートでございます」
陶器の皿の上に乗ったお菓子をまじまじと見下ろした後、リズは問いかけるようにブレンダへ視線を向けた。
「ガーランド領は柑橘類の果物が有名でしたわね。王宮にも毎年最盛期のオレンジが送られてきて、こうしてオレンジティーにしたりお菓子にしたりして、美味しく頂いておりましたの。こちらのオレンジは南部で採れたものですけど、よかったら召し上がってください」
「あ、ありがとうございます……」
リズはブレンダとセシルが先にオレンジティーを飲んでから、恐る恐るティーカップを手にした。少しだけ口に含んでみると、口の中でさっぱりとしたオレンジの香りが広がる。オレンジの酸味と甘みが丁度いいバランスなのは、紅茶を入れた執事の腕がいいからかもしれない。
「美味しいわ」
「とてもいい香り」
セシルとブレンダが顔をほころばせて褒め合う中、何も答えずティーカップを置いたリズに、ブレンダが今度はお菓子を薦めた。
「こちらのオレンジチョコレートも美味しいですよ。どうぞ」
リズは言われるがままオレンジチョコレートを口にした。口に入れるとチョコレートの甘みがまずやって来て、噛むとオレンジの苦味が続く。甘くて苦くて、少し酸味が強く感じた。
「苦いけど、でも美味しいわ。癖になる味ね」
セシルが言うと、ブレンダはそうねと同意して、今度はリズを伺うように見やった。
「マーシャル先輩ならオレンジが好きじゃないかと思って頼んだんですけど、お口に合わなかったかしら?」
リズははっとして、首を振った。
「とんでもありません。オレンジは好物ですし、とても美味しいです。ただ……少し酸味が強いなと思って……」
ポツリと呟いて、ティーカップの中で揺れるオレンジを見下ろした。南部のオレンジはやや酸味が強く、ガーランドのオレンジは甘みが強かった。だからオレンジチョコレートは苦味がほとんどなく、子供の頃から好きなお菓子だった。
懐かしい、でもまったく違う味の紅茶とお菓子を目の前にして、もうあのオレンジを二度と口に出来ないのかもしれないと思った瞬間、喉が渇き、胃が空腹を感じた。
王宮の一流の執事が入れる紅茶でも、一流のシェフが作ったお菓子でもない。リズが本当に食べたいと思うものは、本当に好きだったものはどこにもない。
分かりきったはずのことを、リズは今更ながら痛感して胸が締め付けられた。それでも、表情では精一杯笑顔を作って、カップに口付けた。
「確かにガーランド領のオレンジは甘かったですわ」
「私はガーランド領のオレンジはそのまま食べるのが一番好きでしたわ」
リズもそう思った。ロキと二人で果樹園に忍び込んで、こっそり木からもいだオレンジを太陽の下で二人並んで食べるのが一番美味しかった。
懐かしい思い出が脳裏をよぎる。リズはティーカップに口を付けると、溢れ出る記憶を紅茶ごと飲み込んだ。
「失礼なことを言って申し訳ありません。南部の紅茶もお菓子もとても美味しいです。私はどうも舌がお子様みたいで……。もう少し大人になったらもっと美味しく感じるのかもしれません」
リズは紅茶をおかわりしたが、すでに味はしなくなっていた。ただ、寂しさだけが胸に残った。
✳
お菓子とケーキを食べ終えたところで茶会はお開きとなった。
茶会では終始、リズがどんな生活をしていたのかブレンダが聞きたがり、昨日の事件についてはほとんど語られなかった。
席を立つと、ブレンダが言った。
「学園が始まるのは来週からになりそうなんです。私が学園に行くことが出来るのは再来週かしら。二週間後に学園でまたお会いしましょう」
「はい。楽しみにしております」
リズが頭を下げたところで、セシルが声を上げた。
「あ、迎えが来ましたわ。オリヴァー!」
オリヴァーと聞いてリズが驚いて顔を上げると、金烏騎士団の制服を着たオリヴァーがこちらに歩いて来るところだった。
「オリヴァー様!」
オリヴァーの突然の登場に、リズは驚きつつも弾んだ声を上げた。
「やあリズ!王宮の入口まで送ってくれとセシルに頼まれていてね。迎えに来たんだ」
「お二人は友人なんですよね?それならばオリヴァーに案内してもらったらいいと思ったんですの」
リズはオリヴァーが案内すると聞いて、される方ではなくて?大丈夫だろうかと内心思った。不安が顔に出ていたのか、セシルがくすりと笑った。
「大丈夫ですわ。後はオリヴァーに任せますわ。私達はここで失礼します」
「それでは、今日は本当にありがとうございました」
こちらこそともう一度頭を下げると、セシルがぱちんとウィンクをした。
「では、リズ・ガーランド。後はよろしくお願いしますね」
「は、はい」
リズがしっかりと頷くと、セシルは満足気に微笑み、ブレンダと並んで歩き出した。その後ろをぞろぞろと使用人や護衛達が続く。その最後尾を歩くのは、黒い軍服を着た男だった。男はリズの横を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
「リズ・マーシャル嬢。話は殿下やエリックからお聞きしました。さすがはフォックス卿の教えを受けただけあってお強いようですね」
「え、あ、そんなことは……」
突然話しかけられたこともあってたじろぐリズに、男は目を細めた。
「ところで以前お会いしたことがありましたね?」
「え……いえ?」
「武術大会の会場で見たことがあります。あの場に私もいましたから」
武術大会と聞いて、はっとした。十三歳の頃にロキが勝手に参加を決めた貴族子息が集まる武術大会のことを言っているのだ。
リズは黙り込んだ。男は微笑んでいたが、目は瞬きせずにリズを捉えていた。その強い視線に、リズは思わず目を逸らした。
「すみません。忘れてしまいました……」
「そうですか……。それでは、また機会がありましたらその腕を見せて頂きたいところです」
返事も聞かずに男は去って行った。じっと男の背中を見ていると、オリヴァーが尋ねてきた。
「珍しいな。エルゴード副団長が女性に声をかけるなんて。女嫌いと有名だから」
「副団長……だったんですね」
「そうだよ。厳しいけれど強いから、騎士達の憧れでもあるんだ」
「そうだったんですか……」
リズは黒い軍服が見えなくなるまで、その背中を見つめていた。




