小波
「セシルの言った通りだったわね」
王宮に戻ってきたブレンダは着替えを済ませると、人払いがされた歴代の国王の肖像画が並ぶ展示室にて、自身の手のひらを眺めながらポツリと呟いた。真っ白な手、爪は磨かれて艶めいている。我ながら綺麗な手だと思う。あれだけの数の翼白に囲まれて襲われたにも関わらず、ブレンダは傷一つ負っていなかった。
「あの子ははっきりとしたことは言わないから、何が起こるのかと思ってたけど、まさかあれだけの翼白が襲ってくるとは思わなかったわ。あの子の腕輪がなかったら、どうなっていたかしら……」
腕を上げると、手首にはめられた金色の細い腕輪がしゃらりと音を立てた。それは、妹のセシルが護ってくれるからと、言葉少なにくれたものであった。
しかし、ブレンダにはこれが魔物を寄せ付けない魔除けが施された魔導具であることは分かっていた。それを作ったのが、セシルであることも。
「なるほど。その腕輪のおかげで翼白は殿下に攻撃出来なかったのですね」
専属の執事と共に現れて、開口一番に告げたのは金烏騎士団副団長のアンセル・エルゴードだった。アンセルには、今日起きた事件の調査を頼んでいた。
「セシルが私を護ってくれるからとくれたの」
そうでしたかと、アンセルは納得したように頷いた。
「それで、何か分かったことはあるのかしら?」
「殿下の制服の上着から、翼白の血液が付着した羽根と燐粉が見付かりました」
ブレンダはゆっくりとアンセルの方へと振り返りながら、無表情にそう、と答えてから口を真一文字に引き結んだ。
「それのせいで私は襲われたというのかしら?」
「そうです」
アンセルはゆっくりと頷き、説明を始めた。
昆虫系や鳥類系の魔物から取れる燐粉は、一部の魔物達が好む匂いを発しているために、魔物を寄せ付けると言われている。そのことから、魔物から採取された燐粉は、加工されて魔物寄せとして、金烏騎士団や玉兎騎士団等が魔物退治の時に使用することがあった。
今回使われたのは、翼白の燐粉を加工したものなのだろう。同種の燐粉は同種の魔物を引き寄せやすい。
しかし、燐粉は魔物を寄せ付ける程度の威力はあれど、今回のような大量の翼白の群れを王都の中心部、ましてや結界が張られた学園に呼び寄せるには、燐粉だけの力では難しい。
「燐粉だけではありません。学園の屋上に、数十匹の翼白の首のない死体が見付かりました。翼白達はあれを見て怒り、そして学園内に残っていた者を襲ったんだろうとみられております」
「誰かが意図的にやったというの?」
アンセルは頷きもしなかった。
それにしても、誰がどうやってそんなまどろっこしいことをするのだろうと考え、自身の命を狙うならばどんな面倒なことでもする人物はいくらでもいるか、と思い直した。
「……だけど、どうやって学園まで翼白の死体を運んだのかしら?」
「翼白の血晶を使ったとの見方が強いようです」
血晶と聞いてブレンダの目の色が変わった。
血晶とは、魔物の血で出来た人工的に作られた晶石のことをいう。血晶もまた燐粉と同様に魔物を引き寄せることが出来るが、魔物を魅了させて引き寄せる燐粉とは違って、血晶は血の匂いを漂わせて魔物の怒りを煽り、引き寄せる。その上、大型の魔物さえも引き寄せる程の力を持つことから、これを作ることは禁じられていた。
「翼白は仲間意識が強い魔物です。山に入って翼白を捕まえ、数匹の翼白をおとりにして血晶と共におびき寄せます。すると血の匂いを嗅ぎ付けた翼白は後を追ってきます。途中でおとりの翼白を殺せば尚更追いかけてくるでしょう。過去に謀反を起こした連中は、同様のやり方で魔物をおびき寄せて王宮へと踏み入ったことがあります。同じやり方ではないかと」
「そうまでして……私の命が欲しいのね?」
アンセルは小さなため息を溢した。そのままむっつりと黙り込んでしまったので、ブレンダはふと視線を祖父の肖像画へと向けた。
白い豊かな髭に顔が半分覆われ、険しい顔でこちらを見つめている祖父は、厳つい人相とは反対に優しい人だった。
歴代の国王は皆命を狙われてきた。実際に暗殺された王だって何人もいる。ブレンダだけではない。王になるのだから、暗殺など付き物だ。
「殿下に接触してきた人物の中に不審な人物はおりませんでしたか?」
ブレンダは素早く頭を切り替えると、今日の学園での自分の振る舞いを思い出した。
「私に接触した人間は生徒会やクラスメート、教師といったいつも会う学園関係者のみ。それに今日は制服の上着を脱ぐこともなかったわ」
「さようですか」
「でも、誰かが入れたから、あんなことになったのよね。きっと手品師のようにいつの間にか入れられたのでしょうね」
「そうかもしれません」
「誰が入れたのかしら……?思い当たる人物はいないのよ」
誰かがぶつかってきたということはなく、いつも通りだった。だからこそ、胸の奥でざわざわと疑心が広がっていく。周囲の人間を疑いたくはないのに、あの人だろうか、あの子が近くにいた、だなんて考えが頭の中を占領していく。
こんなことを考えるのはやめようと、ブレンダは緩く首を振り、祖父の顔をいつの間にか睨みつけていることに気付き、眉を下げた。不安が胸を暗くしている。気をしっかり持たなければいけない。
「……ともあれ、明日から殿下には安全が確認されるまで休学していただきます。学園もしばらくの間は休校が決まりましたので」
「そう……残念だけど仕方がないわね」
「護衛の数も増やすそうです」
それを聞いて深いため息が出た。王宮や公務の時ならば大勢の人に囲まれていても仕方がないと思えたが、学園では自由にしていたかった。
ふと、必死になって護ってくれた護衛達の顔が思い浮かぶ。オリヴァーにエリックは昔からの馴染みだから心を許している部分があったが、まさか学園内にあれだけの影の護衛がいたとは思わなかった。
「学園で怪我をした生徒は?」
「おりません。ほとんどの生徒が帰った後でしたから」
「それならよかったわ。でも……あの人……ジョエル・マーシャルの怪我の具合はどうなのかしら?」
「大した傷ではございません。すでに怪我の治療を終えて帰宅しました。しばらく休めば大丈夫でしょう。殿下の側にいたのが幸いしたのでしょう」
「セシルの腕輪のお陰ね」
ブレンダはほっと胸をなで下ろした。ジョエルのことは同学年だから当然知っていた。しかし、まさか自身の護衛だとは思わなかった。
ジョエルは家柄も成績も普通であまり目立つ生徒ではなかった。しかし、学園内でよく見かけることがあった。それはきっと影ながらブレンダを見守っていたからだ。
ジョエルが、ブレンダとキムを庇いながら戦う姿を思い出した。華奢に見えて意外と広い背中だった。普段の様子からは考えられない目の鋭さ、全身から放つ殺気、一目見て訓練されたと分かる動き。
翼白に囲まれたあの時、ジョエルはどこからかやってくると、ブレンダを真っすぐに見つめて言葉少なに言ったのだ。
「大丈夫です。絶対にお護りします」
胸の奥で不安が薄れ、別の何かがざわめいている。ブレンダはそれに気付かないふりをして、その感情に蓋をした。
そしてそれを忘れるためにも、次にもう一人共に戦ってくれた女子生徒を思い出した。
「あの場にいた女子生徒は……?」
「二年生のリズ・マーシャルでしょうか?彼女は傷一つ負っておりません。ジョエル・マーシャルと共にすでに帰宅しております」
「マーシャルってことは、二人は姉弟なの?」
「正確には義理の姉弟です。本当は従姉弟だそうです。私も先程知ったのですが、彼女はガーランド一族の唯一の生き残りなんです」
「ガーランドって、三角谷の?……彼女が?だからあんなに強かったのね……」
ブレンダは目を見開いて驚きつつも、納得した。
「私も本人から詳しいことはまだ聞けておりませんが」
先程までの淡々とした様子とは違って、アンセルの目の奥に興味の光が灯っていた。
かつて樹海からの魔物の侵入を防いできた防人がガーランド一族だった。それが蝕貘によって滅ぼされた。そして一人生き残ったのがリズということか。
「彼女も私の影の護衛なのかしら?」
「いえ。そういうわけではありません……」
「たまたま同じ学園に通っていてあの場に居合わせただけなの?」
「そのようです」
リズの戦いぶりを思い出して、ブレンダは鳥肌が立つのを覚えた。女の身であれ程戦えるのは、リズがガーランド一族の生まれだからか。
手のひらを広げて視線を落とすと、真っ白で細い非力な手。ブレンダはリズが真っすぐ翼白へ向かっていく姿を思い浮かべた。
あの場にいた誰もが圧倒され、惹きつけられた。軽やかで静か。それでいて力強く、美しいとさえ思う戦いぶりだった。ブレンダにはひっくり返っても真似できない強さを持ったリズに、興味を持った。
「話してみたいわ……彼女と」
それならば、と声を上げたのは執事であった。
「セシル様がリズ・マーシャルを招いてお茶会をするそうです」
「セシルが?なぜ?」
「以前ハンカチを貸したので、返す場を設けるんだとか。ブレンダ殿下もご同席するようにと、セシル様が仰っておりますが」
はあ、とブレンダは額に手を当てて、一人で何でも決めて先を行くセシルに呆れた。
「またなんの説明もないのかしら……。でも、分かったわ。セシルの言う通りにするわ。それで、お茶会はいつ?」
「明日でございます」
「また早いわね……。分かったわ」
「殿下。私も護衛として同席させて頂いてもよろしいでしょうか?」
アンセルを見やると、興味を抑えきれずに薄く微笑んでいた。ブレンダはひらひらと手を振ると、背を向けた。
「好きにしてちょうだい」
「ありがとうございます」
ブレンダはつかつかと足を動かすと、執事の開けた扉から展示室を出た。すると、護衛達が廊下にずらりと並んでいるのが目に入り、思わずため息を溢しそうになった。今までの倍の人数になっている。
「これも仕方がないわね……」
言い聞かせて、ブレンダは右足を踏み出した。




