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王妃なんて絶対に嫌です!~前世で働きすぎた悪役令嬢は、今世こそぐーたら暮らしたい~  作者: 黒猫と珈琲


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第9話

 考えたくないことほど、考えなければならない時が来る。


 私は朝から、その事実に気づいていた。


「アデライード様」

「何?」

「先ほどから紅茶を一口も飲んでおられません」

「そう?」

「はい。かなり珍しいことでございます」


 エマが心配そうに私を見る。


 私はカップを手に取った。


 もうぬるい。


 でも、今はそれくらいがちょうどいい。


「考え事ですか?」

「少し」

「殿下のことで?」

「何で分かるの」

「分かります」

「そんなに?」

「はい」


 嫌だな。


 最近、周りに全部ばれている気がする。


「別に、嫌いになったわけじゃないのよ」

「存じております」

「むしろ」

「はい」

「……」

「はい」

「急かさないで」

「急かしておりません」


 嘘。


 絶対待ってる。


「むしろ」


 私は小さく息を吐いた。


「好きなのかもしれない」

「そうでしょうね」

「何その返事!」

「今さらでございます」

「今さら?」


 エマは淡々としている。


「街へ行かれる前日に服を三回選び直し」

「歩きやすさの問題よ」

「殿下とお会いにならない日は所在を気にされ」

「たまたま」

「殿下に褒められると耳まで赤くなります」

「もういい」


 私は顔を伏せた。


 ひどい。


 証拠が多すぎる。


「でも」


 私は小さく言った。


「だからって、王妃になりたいわけじゃないの」


 エマが黙る。


 そこなのだ。


 ジェラールが嫌いなら簡単だった。


 婚約を解消したい。


 王妃になりたくない。


 それで終わり。


 でも今は違う。


 ジェラールとは話していたい。街にも行きたい。一緒に休憩して、美味しいものを食べたい。


 それでも、王妃にはなりたくない。


「まあ、面倒ですこと」

「恋とは、そういうものかもしれません」

「もっと簡単でいいのに」

「アデライード様らしいですね」

「褒めてる?」

「たぶん」

「たぶんって何」


 私はソファへ深く沈み込んだ。


     ◇


 その日の午後。


 私は王宮へ来ていた。


 本日は王国法。


 本来なら集中しなければならないのに。


「アデライード様」

「はい」

「今、どこを読んでおりました?」

「……どこでしょう」


 教師がため息をついた。


「少し休憩を入れましょうか」

「いいんですか?」

「今日は必要そうです」

「ありがとうございます」


 優しい。


 私は教本を閉じ、休憩室へ向かう。


 廊下を曲がると、銀髪が見えた。


 ジェラール。


 向こうも私に気づく。


「アデライード」

「殿下」

「休憩か?」

「ええ」

「ちょうどいい。俺も今から休む」

「……」


 本当に偶然?


 最近、ちょっと疑わしい。


「一緒に来るか」


 以前なら、少しくらい迷ったかもしれない。


 でも今日は。


「行く」


 即答した。


 ジェラールが少し驚いた顔をする。


「何ですか」

「いや。珍しく素直だと思って」

「まあ、失礼ですこと」

「事実だろう」

「帰ろうかな」

「来い」

「命令?」

「頼んでいる」


 私は少しだけ笑った。


「では、仕方ないので」

「素直になれ」

「嫌です」


 いつものやり取り。


 なのに今日は、少しだけ胸が苦しい。


     ◇


 東屋。


 紅茶。


 焼き菓子。


 いつもの休憩。


 でも今日は、なかなか話せない。


「アデライード」

「何?」

「何かあるだろう」

「何が?」

「分かりやすい」

「私、そんなに?」

「ああ」


 ジェラールが紅茶を置いた。


「さっきから考え事をしている顔だ」

「……嫌だ」

「何が」

「殿下、私のこと分かりすぎ」


 ジェラールが少し笑った。


 私はカップを両手で包む。


「殿下」

「何だ」

「聞いてもいい?」

「ああ」


 一度、息を吸う。


「私と結婚したい?」


 ジェラールの手が止まった。


「急だな」

「ごめん」

「いや」


 少しだけ間があった。


「したい」

「どうして?」

「どうして、と言われてもな」

「王妃に向いているから?」


 ジェラールの表情が変わった。


「違う」

「でも、最初はそうだったでしょう?」

「ああ」


 否定しない。


 そこがジェラールらしい。


「君なら務まると思っていた。能力もあると思っていた」

「今も?」

「ああ」

「じゃあ――」

「だが、それは今、君と結婚したい理由じゃない」


 私は顔を上げる。


 淡い青灰色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。


「君を王妃にしたいから、結婚したいわけじゃない」


 心臓が大きく鳴る。


「君と一緒に生きたい」


 その一言だけで、何も言えなくなった。


「……殿下」

「王妃である前に、君は君だろう」


 ジェラールが少し笑った。


「美味いものを食べて喜んで、嫌なことは嫌だと言って。人が無理をしていれば放っておけない」


 淡い青灰色の瞳が、私を見る。


「そういう君がいい」


 ずるい。


 本当に、ずるい。


「そんな顔するな」

「どんな顔?」

「泣きそうだ」

「泣いてない」

「そうか」

「泣かない」

「分かった」


 優しく言わないで。


 もっと困る。


「でも」


 私は両手を握る。


「私は王妃になりたくない」

「ああ」

「本当に」

「知っている」

「今までみたいな王妃には、絶対になりたくない」

「それも知っている」


 ジェラールは少しだけ身を乗り出した。


「だから、同じようにする必要はない」

「……え?」

「必要な役目はある。だが、すべて一人で抱える必要もない」

「でも」

「分担すればいい」


 私は瞬きをした。


「俺もやる。任せられるものは任せる。君だけに背負わせるつもりもない」

「……殿下」

「何だ」

「本当に変わったね」

「誰のせいだと思っている」

「私?」

「そうだ」


 少しだけ。


 笑ってしまった。


 ジェラールも笑う。


「アデライード」

「何?」

「君が嫌なのは、俺なのか」

「違う」


 今度は、すぐ答えられた。


「王妃という役割か」

「……うん」

「なら、そこは二人で考えればいい」


 簡単に言う。


 でも、この人なら、本当に考えてくれるのかもしれない。


 私が嫌だと言ったことを、ただの我が儘で終わらせずに。


「殿下」

「何だ」

「それ、結婚したあとも忘れない?」

「忘れない」

「本当に?」

「ああ」

「無理になったら、無理って言ってね」

「君もな」

「私は言うわよ」

「知っている」

「かなり早めに言う」

「それも知っている」


 また笑った。


 少しだけ空気が軽くなる。


 ジェラールが手を差し出した。


「では、改めて聞く」

「はい」

「アデライード」


 一瞬。


 息が止まる。


「君は、俺と生きたいか?」


 王妃になるか。


 ではない。


 俺と生きたいか。


 それなら。


 答えはもう分かっていた。


「……うん」


 小さく。


 でも、ちゃんと。


「一緒にいたい」


 ジェラールの表情が、ゆっくりほどける。


「そうか」


 私は少し恥ずかしくなって、視線を逸らした。


「でも、条件があります」

「まだあるのか」

「あります」

「聞こう」

「無駄な仕事は減らす」

「ああ」

「私一人に抱え込ませない」

「ああ」

「ちゃんと休む」

「ああ」

「昼寝に文句を言わない」

「それは内容による」

「なんで!」

「公務をすっぽかして昼寝するのは駄目だ」

「厳しいですわ」

「普通だ」


 私は頬を膨らませた。


「あと、美味しいものを食べる時間は作る」

「分かった」

「街にも行く」

「ああ」

「たまには何もしない」

「……努力する」

「そこは即答して」

「まだ慣れていない」

「まあ、仕方ありませんわね」


 私が笑うと、ジェラールも笑った。


 そして、もう一度手を差し出す。


「アデライード」

「何?」

「これからよろしく」


 なんだか。


 ずいぶん普通の言葉だった。


 でも、それがいいと思った。


「……私も」


 私はその手を取る。


「よろしくね、ジェラール」


 言ってから、気づいた。


 初めて、殿下ではなく名前で呼んだ。


 ジェラールの目が少し見開かれる。


「今」

「何?」

「名前で呼んだな」

「……呼んでない」

「呼んだ」

「気のせいですわ」

「便利だな、その言葉」

「忘れて」

「嫌だ」


 ジェラールが笑う。


 私も、つられて笑った。


 王妃にはなりたくない。


 今も、その気持ちは変わらない。


 でも、ジェラールと一緒に生きたい。


 その気持ちも、もう誤魔化せなかった。


 だったら、その二つが両立する形を、これから二人で探せばいい。


 今は、それで十分だった。

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