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王妃なんて絶対に嫌です!~前世で働きすぎた悪役令嬢は、今世こそぐーたら暮らしたい~  作者: 黒猫と珈琲


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8/10

第8話

 最近。


 妙なことが起きている。


「アデライード様、おはようございます」

「おはようございます」

「先日の件、本当にありがとうございました」

「……何の件?」


 王宮の廊下。


 すれ違った女官が、深々と頭を下げて去っていった。


 私はその背中を見る。


「エマ」

「はい」

「今の何?」

「何でしょう」

「知らない?」

「存じません」


 珍しい。


 エマにも分からないらしい。


 まあいいか。


 私は歩き出す。


 すると。


「アデライード様」


 今度は年配の侍従に呼び止められた。


「はい?」

「新しい勤務表、大変助かっております」

「勤務表?」

「はい。交代要員が明確になりまして、急な休みも取りやすくなりました」

「……へえ」

「ありがとうございました」

「わたくし、何もしておりませんけれど」

「ですが、きっかけはアデライード様だと伺っております」


 侍従は笑って去っていく。


 私はエマを見る。


「何かしたっけ」

「されましたね」

「何を?」

「王太子妃教育の見直しの際、仕事を分担するようおっしゃいました」

「ああ」

「殿下がその後、王宮全体の勤務体制も確認されたそうです」

「そうなんだ」


 知らなかった。


「王宮の仕入れ先も、一部変更されたそうですよ」

「もう?」

「試験的に、ですが」


 この前行った店の菓子や紅茶。若い職人の革製品。ほかにもいくつかの商品が、小規模な店から仕入れられることになったらしい。


「早いわね」

「殿下が動かれましたので」

「さすが仕事の化身」

「アデライード様」

「褒めてるわよ」


 エマが小さくため息をつく。


「少しは嬉しそうになさったらいかがです?」

「嬉しいわよ」

「そうは見えません」

「だって」


 私は首を傾げた。


「みんなが楽になったなら、それでいいでしょう?」


 エマが一瞬黙る。


 それから、小さく笑った。


「アデライード様らしいですね」

「まあ。どういう意味かしら」

「そのままの意味でございます」


     ◇


 その日の午後。


 王宮で開かれた茶会に参加した。


 また茶会。


 本当に貴族はお茶を飲むのが好きだ。


「アデライード様」


 隣に座るソフィーが小声で言う。


「何?」

「今日は機嫌が悪いのですか?」

「どうして?」

「先ほどから焼き菓子を三つも召し上がっているので」

「機嫌がいいのよ」

「逆でした」

「これ美味しいわよ」

「では私も」


 ソフィーが一つ取る。


 最近、この子とはすっかり普通に話すようになった。


 ゲームでは敵同士になる予定だったのに。


 人生って分からない。


「アデライード様」


 今度は別の令嬢から声をかけられた。


「先日の王都視察のお話、伺いましたわ」

「どこから?」

「皆様ご存じです」

「何で?」


 令嬢がくすりと笑う。


「小さな商店からも、王宮が品物を買い上げることになったとか」

「試しにね」

「素晴らしいですわ」

「そう?」

「商人たちも喜んでいるそうです」

「ならよかったわ」

「アデライード様のお考えなのでしょう?」

「一応、きっかけは」

「さすが王太子妃になられる方ですわ」

「それは違いますわ」

「え?」

「……何でもありません」


 危ない。


 反射で否定した。


 まだ王太子妃になると決めたわけではない。というか、できればなりたくない。


 ジェラールは、まあ、嫌いではない。


 ……かなり、嫌いではない。


 でも、それと王妃は別問題である。


「ずいぶん評判がよろしいのですね」


 聞き覚えのある声がした。


 振り返る。


 淡い金色の髪。赤いドレス。


 マルグリット伯爵令嬢。


 以前の茶会で、私を怠惰だと言った女性だ。


「ごきげんよう」

「ごきげんよう、マルグリット様」


 彼女は扇を広げた。


 笑っている。


 でも、目は笑っていない。


「近頃では、王宮中でアデライード様のお名前を耳にいたしますわ」

「そうなの?」

「ご存じなかったのですか?」

「今日知ったところです」

「まあ。ご謙遜なさらなくてもよろしいのに」

「しておりませんわ」


「アデライード様」


 後ろからエマが小さく呼ぶ。


 分かってる。


 ちょっと黙る。


「ですが、不思議ですわね」


 マルグリットが続ける。


「何が?」

「王太子妃教育を減らし、公務の負担も避けたがっていらっしゃる方が、なぜこれほど評価されるのでしょう」


 周囲の会話が少し静かになった。


 なるほど。


 今日はこれか。


「私には、高位貴族としての責務から逃げていらっしゃるようにしか見えませんわ」

「そう」

「王太子妃ともなれば、誰よりも努力しなければなりません」

「そう考える方もいらっしゃるでしょうね」

「アデライード様は違うと?」

「私は」


 紅茶をひと口飲む。


「誰よりも、は要らないと思っておりますの」

「……」

「必要なことを、必要なだけすればよろしいのではなくて?」

「だから怠惰だと申し上げているのです」

「ええ」


 私は頷いた。


 マルグリットが少し戸惑う。


「否定なさらないの?」

「前にも申し上げたでしょう?」


 別に。


 怠惰だと思われても困らない。


「私を嫌うのは、あなたの自由ですわ。でも、そのために私の時間まで使わせないでくださいな」

「……」

「わたくし、あなたに好かれるために生きているわけではありませんの」


 マルグリットの表情が固まった。


「私のやり方で困っている方がいるなら、もちろん話は聞きます。王宮の方でも、街の方でも。でも、あなたが私を気に入らないというだけなら――」


 私は皿の焼き菓子へ視線を落とした。


 まだ一つ残っている。


 食べたい。


「それは、あなたの問題でしょう?」


 静かになった。


 あ。


 かなり静か。


 ちょっと言いすぎたかも。


「アデライード様」


 横からソフィーが小声で呼ぶ。


「何?」

「ものすごく格好いいです」

「そう?」

「はい」

「焼き菓子食べる?」

「いただきます」


 空気を読まない。


 素晴らしい。


 私は最後の一つを半分に割った。


「ちょっと」


 マルグリットの声が震えた。


「まだ話は終わっておりませんわ」

「そうなの?」

「あなたは、王太子妃になる覚悟がないのに、周囲から持ち上げられているだけです」

「ああ」


 そこか。


「それについては、わたくしも王太子妃になりたくないと申し上げておりますけれど?」

「……」


「アデライード様」


 今度はエマ。


「何?」

「そこは胸を張って言うところではございません」

「そう?」


 周囲で、誰かが小さく笑った。


 つられて、別の場所からも笑い声が漏れる。


 マルグリットの頬が赤くなった。


 まずい。


 別に恥をかかせたいわけではない。


「マルグリット様」


 私は少し声を落とした。


「私は、あなたと争いたいわけではありませんの」

「……」

「あなたが一生懸命なのも分かりますわ」


 彼女なりに、ずっと努力してきたのだろう。


 きちんと学び、我慢し、立派な令嬢であろうとして。


 だからこそ、私のような人間が評価されるのが面白くないのかもしれない。


「でも」


 私は彼女を見る。


「頑張った量で、誰が一番偉いか決めなくてもいいでしょう?」


 マルグリットが黙った。


「あなたが頑張ってきたことは、私が楽をしたからって消えないわ」


 言ってから、私は止まった。


 あ。


 これ。


 結構真面目だ。


「……今のは」

「忘れませんわ」


 マルグリットが言った。


「え?」


 彼女は扇を閉じる。


「私、あなたのそういうところが嫌いです」

「そう」

「全部分かったような顔で」

「そんなつもりはないけれど」

「でも」


 少しだけ。


 彼女の顔から険しさが消えた。


「今日はこれで失礼します」

「ええ」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 マルグリットは去っていった。


 私はその背中を見る。


「……やっぱり嫌われてるわね」

「そこですか」


 エマが言う。


「だって本人が言ったもの」

「それでよろしいのですか?」

「いいんじゃない?」


 私は残り半分の焼き菓子を口に入れた。


「少なくとも、言いたいことは言えたでしょう?」


 それなら十分だ。


     ◇


 茶会が終わったあと。


 私は廊下を歩いていた。


「今日は疲れた」

「ほとんど座っていらしたではありませんか」

「人と話すのって疲れるのよ」

「それは分かります」

「エマも?」

「時々」

「じゃあ帰ったら休みましょう」

「私は仕事がございます」

「休憩は取って」

「はい」


 返事が前より素直だ。


 いい傾向。


「アデライード」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 ジェラール。


「殿下」

「少しいいか」

「何分かかります?」

「またそれか」

「大事です」

「では、五分で」

「なら」


 廊下の端。


 大きな窓の前で立ち止まる。


「聞いた」

「何を?」

「茶会のこと」

「早くない?」

「王宮だぞ」

「ああ」


 納得。


 噂は早い。


「マルグリット嬢に何か言われたそうだな」

「まあ」

「大丈夫だったか」

「何が?」

「嫌な思いをしなかったか」


 私は瞬きをした。


 そこ?


 てっきり、何を言ったんだと叱られるのかと思った。


「ちょっとは」

「そうか」

「でも終わったし」

「それだけか」

「それだけ」


 ジェラールが私を見る。


「君は本当に、自分を嫌う人間に執着しないんだな」

「だって」


 私は窓の外を見る。


 夕方の庭が、淡い金色に染まっている。


「嫌われたくないって頑張っても、嫌う人は嫌うもの」

「ああ」

「だったら」


 私は少し笑った。


「私を好きでいてくれる人に使う時間の方が大事でしょう?」


 ジェラールが黙った。


「あれ」

「何だ」

「また真面目なこと言った?」

「……別にいいだろう」

「恥ずかしいのよ」

「なぜ」

「知らない」


 逃げようとした。


 すると。


「アデライード」

「何?」

「俺は、君を怠惰だとは思っていない」

「……」

「最初は思っていたが」

「余計」

「最後まで聞け」

「はい」


 ジェラールは少しだけ表情を緩めた。


「君は、何もしないために何も考えていないわけじゃない。無駄なものを減らすためによく見ている」

「そんな大した」

「ある」


 言い切られた。


「人が苦しんでいれば気づくし、必要なら動く」


 淡い青灰色の瞳が、まっすぐ私を見る。


「俺は知っている」


 心臓が少し跳ねた。


 困る。


 今日はもう、真面目な話はお腹いっぱいなのに。


「殿下」

「何だ」

「五分過ぎました」

「まだ三分だ」

「数えてたの?」

「君が聞いたからな」

「細かい」

「逃げるな」

「逃げます」

「なぜ」

「恥ずかしいから!」


 私は歩き出す。


 ジェラールが後ろからついてくる。


「アデライード」

「何?」

「もう一つ」

「嫌」

「聞け」

「まあ、面倒ですこと。何ですか?」


 ジェラールが少し笑った。


「今日の話を聞いて、ますます君が気に入った」

「……」


 止まる。


「殿下」

「何だ」

「最近、隠す気なくなってません?」

「何を?」


 言えない。


 自分で言ったら、もっと恥ずかしい。


「もう帰ります」

「そうか」

「ついてこないで」

「同じ方向だ」

「嘘」

「本当だ」


 絶対、少し楽しんでる。


 私は早足になる。


 でも、後ろから聞こえる足音は嫌ではなかった。


 嫌われることに使う時間は、もったいない。


 なら、私を大切にしてくれる人と過ごす時間は、もう少し大切にしてもいいのかもしれない。


 ……なんて。


 そこまで考えて、私は首を振った。


 まだ。


 まだよ。


 王妃なんて、絶対に嫌なんだから。

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