第7話
王太子と街へ行くことになった。
正確には、王都の商業区を視察することになった。
でも。
「私、本当に必要?」
「必要だ」
「どうして?」
「君が言い出したからだ」
「何を?」
「王宮の調達先を見直してはどうか、と」
「ああ」
そうだった。
王太子妃教育の会計資料を見ていた時、王宮で使われる菓子や布、日用品の仕入れ先が、何十年もほとんど変わっていないことに気づいた。
理由は簡単。
昔からそこだから。
それだけ。
「でも私は、安くていいものがあるなら変えたらって言っただけよ」
「だから実際に見に行く」
「殿下だけでよろしくってよ」
「君も来る」
「嫌ですわ」
「即答するな」
「街歩きって疲れるでしょう?」
「途中で休めばいい」
私はジェラールを見る。
「何だ」
「……ちゃんと学習なさってますのね」
「誰のせいだと思っている」
「私?」
「そうだ」
少し嬉しい。
でも、素直に言うのは悔しい。
「では、疲れたら休みます」
「最初から休む気だな」
「休む予定を入れておくのは大事です」
「はいはい」
「殿下、最近雑じゃない?」
「君に合わせている」
それ。
褒められている?
分からない。
◇
当日。
私は動きやすいワンピースに着替えた。濃紺の上着に、装飾は最低限。そして歩きやすい靴。
完璧。
「アデライード様」
「何?」
「本日は視察でございます」
「存じておりますわ」
「お忍びの街歩きではございません」
「でも歩くでしょう?」
「歩きます」
「でしたら、これでよろしくってよ」
エマが私の服を見る。
「……まあ、問題はございません」
「でしょう?」
「ですが」
「何?」
「殿下とお二人で歩かれるのですよね」
「侍従も護衛もいるわよ」
「そういう意味ではございません」
「?」
エマがため息をついた。
最近よくため息をつかれる。
私、何かした?
◇
王都の商業区は賑やかだった。
焼きたてのパンの匂い。果物を並べる店。色とりどりの布地を積み上げた店。食器、革製品、香辛料、雑貨。
見ているだけで楽しい。
「思っていたより元気そうね」
「場所による」
隣を歩くジェラールが答えた。
「表通りはな。一本入れば、閉まった店も増えている」
「そうなの?」
「ああ」
「どうして?」
「大きな商会に客が流れている」
「安いから?」
「それもある」
なるほど。
大きな店は便利だ。安くて、品揃えも多い。
それはそれでありがたい。
「あ」
ふと、小さな店が目に入った。
看板には、焼き菓子と紅茶。
「ここに入りましょう」
「まだ視察の途中だ」
「これも視察ですわ」
「絶対に違う」
「商業区の状況確認です」
「菓子屋だけ詳しく確認する気だろう」
「大事でしょう?」
「何が」
「甘いものは人を救うのよ」
「また大げさな」
でも、ジェラールは止めなかった。
最近。
分かってきている。
◇
店の中は小さかった。
五人も入ればいっぱいになるくらいの店内に、焼き菓子と瓶入りの茶葉が並んでいる。奥では年配の女性が一人で店を切り盛りしていた。
「いらっしゃいませ」
女性が私たちを見る。
ジェラールは十分目立つ。今日は儀礼用の装いではないけれど、銀髪で長身の王太子が一般人に見えるわけがない。
「おすすめは何かしら?」
「木苺の焼き菓子です」
「では、それを」
「俺にも聞け」
「嫌い?」
「いや」
「では、こちらを二つ下さい」
「……」
ジェラールが黙る。
「ジェラール様? 何か言いたいことでも?」
「ない」
素直でよろしい。
出された焼き菓子を食べる。
「……美味しい」
思わず声が出た。
外側はさくっとしていて、中はしっとり。木苺の酸味も強すぎない。
「これ、すごく美味しいわ」
「ありがとうございます」
店主の顔がぱっと明るくなる。
「殿下も食べて」
「分かっている」
一口。
「どう?」
「美味いな」
「でしょう?」
「なぜ君が得意そうなんだ」
「私が見つけたから」
「店は前からある」
細かい。
「こちら、王宮にも卸していますの?」
私が尋ねると、店主の表情が少し曇った。
「以前は、少しだけ」
「今は?」
「残念ながら。実は大きな商会が一括で入るようになりまして。うちのような小さな店では、必要な量を揃えられませんから」
なるほど。
安定供給と大量納品。
王宮なら、それも必要だ。
でも。
「では、個別注文はできる?」
「もちろんです」
「でしたら買いますわ」
「え?」
「この焼き菓子。それから紅茶も」
私は棚を見る。
「木苺の焼き菓子を二十個。紅茶も二袋」
「に、二十個でございますか?」
「少ない?」
「いえ! ありがとうございます」
エマが後ろから近づいてきた。
「アデライード様」
「何?」
「少し先に、もっと安い菓子店がございますよ」
「そうなの?」
「先ほど侍従の方から伺いました」
「そう」
「では、こちらは減らしますか?」
「どうして?」
エマが瞬きをする。
「お安い方がよろしいかと」
「ああ」
私は納得した。
「安いから買うんじゃないの」
「はい?」
「続いてほしいから、お金を使うのよ」
エマが黙る。
ジェラールもこちらを見る。
「美味しいと思った。また食べたい。なら、この店がなくなったら困るでしょう?」
「そうですね」
「だったら買って応援する」
簡単な話だ。
「……つまり」
私は少し考えた。
「推しよね」
「おし?」
エマが首を傾げる。
「気にしないで」
「また変な言葉か」
ジェラールが言った。
「便利でしょう?」
「意味は何となく分かる」
「なら十分」
彼の口元が少し笑っていた。
◇
そのあとも、いくつかの店を回った。
安い店もあった。品揃えのいい店も。長く続いている老舗もあれば、若い職人が始めたばかりの店もある。
私は気になるものを見つけるたびに足を止めた。
「あら。可愛い」
「買うのか」
「使うなら」
「意外だな」
「何が?」
「もっと何でも買うと思っていた」
「私を何だと思ってるの?」
「欲しいものを全部買う人」
「欲しいものは買うわ。でも、欲しくないものまで買わなくってよ」
「なるほど」
その時、小さな革製品の店が目に入った。
ベルト。財布。手袋。鞄。
どれも派手ではないが、作りが丁寧だ。
「ここ、いいわね」
私は店へ入った。
中には若い男性職人が一人。
「いらっしゃいませ」
私は手袋を手に取る。
「まあ、柔らかい」
「鹿革です」
「縫い目も綺麗ね」
「ありがとうございます」
ジェラールも隣から覗き込んだ。
「確かにいいな」
「でしょう?」
値札を見る。
少し高い。
でも、作りを見れば納得できる。
「これください」
「ありがとうございます」
私が言うと、ジェラールが横から口を挟んだ。
「さっきより高いぞ」
「でも気に入ったもの」
「そうか」
ジェラールが手袋を見る。
「……推し、か?」
「覚えたの?」
「ああ」
「使わなくていいです」
「便利そうだ」
「殿下が言うと変」
「なぜだ」
「なんとなく」
でも。
ちょっと面白い。
◇
昼過ぎ。
さすがに疲れた。
「休む」
「早いな」
「十分歩きましたわ」
「まだ半分だ」
「だから?」
「……休むか」
即決。
素晴らしい。
「殿下」
「何だ」
「成長しましたね」
「うるさい」
近くの小さな喫茶店へ入る。
窓際の席で、紅茶と軽い昼食を頼んだ。
「ん、これ美味しい」
「またか」
「美味しいものは美味しいの」
私はパンに挟まれた鶏肉を食べる。
ジェラールはスープ。
視察なのに、こうして向かい合って普通に食事をしている。
「……これ」
「何だ」
「なんだかデートみたいね」
ジェラールの手が止まった。
「……今さらか」
「え?」
「いや」
「何?」
「何でもない」
「絶対何かある」
「ない」
「怪しい」
「食べろ。冷めるぞ」
逃げた。
私はしばらく睨む。
でも、お腹が空いていたので食べることにした。
仕方ない。
◇
視察を終えて王宮へ戻る頃には、荷物がかなり増えていた。
焼き菓子。紅茶。手袋。小さな瓶詰め。
私物もあるし、王宮で試すために買ったものもある。
「ずいぶん買ったな」
「必要経費です」
「半分以上、私物だろう」
「必要です」
「何に」
「心の健康に」
「便利な言葉だな」
「でしょう?」
馬車の中。
私は窓の外を見る。
街並みが少しずつ遠ざかっていく。
「ねえ、殿下」
「何だ」
「大きな商会から買うのが悪いわけじゃないのよ」
「ああ」
「安いのも、便利なのも大事」
「そうだな」
「でも、全部そこだけにしなくてもいいでしょう?」
ジェラールが頷いた。
「小さな店からも、一部仕入れられる仕組みを考えてみる」
「無理しない程度にね」
「分かっている」
「殿下、一人で全部考えないでくださいね」
「それも分かっている」
「いい傾向ですわ」
「君に何度も言われたからな」
私は笑った。
ちゃんと届いている。
私が楽をしたくて言い始めたことが、少しずつ周りにも広がっている。
それなら、悪くない。
「アデライード」
「何?」
「今日は楽しかった」
不意打ちだった。
「……視察が?」
「君と街を歩くのが」
私は固まった。
また、そういうことを。
「殿下」
「何だ」
「急に言わないで」
「前にも聞いたな」
「心の準備が必要なの」
「何の準備だ」
「だから分からないってば」
ジェラールが笑う。
「次も一緒に行こう」
「視察ですか?」
「それでもいい」
「それでも?」
「君は本当に鈍いな」
「何が?」
「何でもない」
「またそれ。気になるじゃないですか」
「次の休憩でな」
「それまで待てない」
「なら考えろ」
ひどい。
私は頬を膨らませた。でも、次も一緒に街を歩くのが、少し楽しみになっている自分に気づく。
王妃にはなりたくない。
それは今も変わらない。
ただ、ジェラールと過ごす時間は、いつの間にか楽しみなものになっていた。




