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王妃なんて絶対に嫌です!~前世で働きすぎた悪役令嬢は、今世こそぐーたら暮らしたい~  作者: 黒猫と珈琲


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2/10

第2話

 ジェラール王太子が来る。


 そう聞いた瞬間から、私はずっと考えていた。


 どうすれば婚約を穏便に終わらせられるのか。


 罵倒はよくない。暴れるのもよくない。ゲームのアデライードみたいにヒロインをいじめるなんてもってのほかだ。


 できれば誰も傷つけず、静かに、円満に。


 そして私は自由になる。


 完璧だ。


「アデライード様」

「何?」

「先ほどから、ずいぶん悪いお顔をされています」

「失礼ね」

「楽しそう、とも言えます」

「それなら合ってるわ」


 鏡の前に座ったまま答える。


 エマは私の黒髪を整えながら、小さくため息をついた。


 本日の私は、淡い琥珀色のドレス。胸元にも袖にも過剰な装飾はなく、着心地重視である。


「もっと正式なドレスになさらなくてよろしいのですか?」

「今日は晩餐会ではないでしょう?」

「王太子殿下がお越しになるのですよ」

「それが?」

「それが、でございます」

「苦しい服を着たところで、殿下が代わりに息をしてくださると思う?」

「してくださらないと思います」

「でしたら、これでよろしくってよ」


 エマはしばらく黙った。


「……その理屈で押し切るの、本当にお上手になりましたね」

「ありがとう」

「褒めておりません」

「まあ。残念ですこと」


     ◇


 ジェラールは、午後きっかりにやってきた。


 さすが王太子。


 時間に正確。


 こういう人はきっと、仕事もきっちりしている。


 つまり、忙しい。


 私はますます将来が不安になった。


「久しぶりだな、アデライード」

「ごきげんよう、ジェラール殿下」


 銀髪に、淡い青灰色の瞳。背が高く、姿勢もいい。


 いかにも乙女ゲームの攻略対象らしい、整った顔立ちだ。


 前世なら画面越しに見て、素直に格好いいと思ったかもしれない。


 しかし今の私には、王妃への入り口にしか見えない。


「何だ、その顔は」

「どの顔ですか?」

「歓迎されていない顔だ」

「まあ。よくお分かりで」

「否定くらいしないのか」

「嘘はよろしくありませんもの」


 ジェラールが眉間にしわを寄せる。


 私は何食わぬ顔で紅茶をひと口飲んだ。


 おいしい。


 こうしてお茶を飲みながらなら、多少面倒な話でも耐えられそうだ。


「今日は王太子妃教育について話がある」

「嫌ですわ」

「まだ何も説明していない」

「王太子妃教育でしょう?」

「ああ」

「でしたら嫌です」

「なぜだ」

「大変だからです」

「……それだけか?」

「十分な理由だと思いますけれど」


 ジェラールが一瞬黙った。


「王太子妃となる以上、必要な教育だ」

「まだなっておりませんわ」

「婚約しているだろう」

「婚約は結婚ではありませんもの」

「そのための婚約だ」

「そうなんですか?」

「今さら何を言っている」


 ジェラールのこめかみに、わずかに筋が浮いた。


 短気な人には見えないのに、私と話していると疲れるらしい。


 少し申し訳ない。


 でも、将来王妃になる方がもっと嫌だ。


「アデライード」

「はい」

「王太子妃教育は、君の将来のために必要だ」

「その将来が嫌なんです」


 ジェラールが黙った。


 初めて聞いた、という顔をしている。


 それも無理はない。


 ゲームのアデライードは、王太子妃という立場にも、その先にある王妃の地位にも執着していた。


 それを自分から嫌がるなんて、今のジェラールには理解できないだろう。


「王妃になりたくないのか?」

「なりたくありません」

「なぜ」

「忙しそうだからです」

「……」

「責任も重いでしょう?」

「ああ」

「公務も多いでしょう?」

「当然だ」

「まあ、大変ですこと。では遠慮いたしますわ」

「そんな簡単な話ではない」

「私にとっては、とても分かりやすい話です」


 ジェラールは片手で額を押さえた。


「君はもう少し、高位貴族としての自覚を持った方がいい」

「ありますわ」

「どこに」

「家名を汚さない程度には礼儀も守りますし、必要なら社交にも出ます」

「それだけか」

「十分では?」

「王太子妃になる者としては足りない」

「ですから、ならなくてよろしくってよ」

「話が戻ったな」

「戻しました」


 少し離れたところにいるエマが、ものすごく静かだ。


 たぶん笑うのを堪えている。


 あとで覚えておこう。


「君は昔、王妃になると言っていただろう」

「昔の私は若かったんです」

「今も若いだろう」

「考えが浅かったという意味です」

「自分で言うのか」

「過ちは早めに認めた方が楽ですもの」


 ジェラールが少しだけ目を細めた。


 怒っているというより、観察されている。


 そんな感じがした。


「ずいぶん変わったな」

「そうですか?」

「以前の君なら、もっと王妃という立場にこだわっていた」

「面倒だと気づいたんです」

「王妃という立場を、面倒の一言で片づけるのか」

「だって面倒でしょう?」


 私は数えるように指を折った。


「毎日きちんと起きる」

「当然だ」

「公務をする」

「当然だ」

「会いたくない方にも会う」

「それも必要だ」

「笑いたくない時も笑う」

「立場によってはな」

「体調が悪くても、いつでも好きに休めるわけではない」

「……まあな」


 私は真顔で頷いた。


「ほら。無理ですわ」

「そこまで真顔で言うことか」

「大事なことです」


 ジェラールは呆れたように息を吐いた。


 でも私は本気だ。


「殿下」

「何だ」

「できるかどうかと、やりたいかどうかは別ですよ」

「……」

「私が王妃を務められるとしても、務めたいとは限らないでしょう?」


 ジェラールが黙った。


 私は紅茶へ手を伸ばす。


 少し真面目なことを言ってしまった気がする。


「君なら務まる」

「それ、褒め言葉ではありませんわ」

「なぜだ」

「できるならやれ、と言われているみたいですもの」

「そういう意味ではない」

「でも、私はやりたくありません」

「そこは揺るがないんだな」

「はい」


 即答すると、ジェラールはしばらく私を見ていた。


 私は気にせず、テーブルの上の焼き菓子へ手を伸ばす。


「では、どう生きたい」

「のんびり」

「……」

「美味しいものを食べて、眠い時は寝て」

「……」

「嫌なことはできるだけ避けて、毎日機嫌よく暮らしたいです」

「それだけか?」

「それが案外、難しいんですよ」


 ジェラールがこちらを見る。


「難しい?」

「ええ」


 私は焼き菓子をひと口かじった。


「立派になるより、毎日ちゃんと幸せでいる方が難しいこともありますから」


 少し真面目になりすぎた。


 私は居心地が悪くなって紅茶を飲む。


「……そんな大したことを言ったつもりはないんですけど」

「誰も何も言っていない」

「顔が真面目だったので」

「君に言われたくない」


 ジェラールが小さく息を吐いた。


 それから、自分の紅茶へ手を伸ばす。


「王太子妃教育は」

「嫌ですわ」

「最後まで聞け」

「どうぞ」


 ジェラールの眉がぴくりと動いた。


「すべて受けろとは言わない」

「え?」


 予想外だった。


「内容を一度確認する」

「確認?」

「ああ。本当に必要なものと、慣習として続いているだけのものを分ける」

「減らすんですか?」

「不要ならな」


 私は瞬きをした。


 てっきり「王太子妃たるもの黙って全部やれ」と言われると思っていた。


「……意外と話が分かりますね」

「失礼だな」

「褒めていますわ」

「まったくそう聞こえない」


 ジェラールはそう言ったが、先ほどまでより少しだけ表情が柔らかい。


「そのうえで、必要なものは受けてもらう」

「……全部なくすわけではないんですね」

「当たり前だ」

「少し期待しましたのに」

「するな」


 私はため息をついた。


 まあ、全部逃げるのは難しいらしい。


 でも、減るならいい。


「分かりました」

「やけに素直だな」

「無駄を減らしてくださるなら協力します」

「無駄かどうかは確認してからだ」

「はいはい」

「返事は一度」

「はい」


 まるで教師と生徒だ。


 嫌だなあ。


 でも、最初から「黙って全部やれ」と言わないだけ、この人は思ったより話が通じるらしい。


「では、今日は帰る」

「もう?」

「ああ。君と話していると予定より時間を使う」

「まあ。それは申し訳ありませんわ」

「反省していない顔だな」

「ばれました?」

「分かりやすい」


 ジェラールが立ち上がる。


 私も一応、見送るために立った。


 扉の前まで行ったところで、彼がふと振り返る。


「アデライード」

「はい?」

「君は本当に、王妃になりたくないんだな」

「絶対に」


 即答した。


 ジェラールはしばらく私を見たあと、ほんの少し口元を緩めた。


「そうか」

「……何ですか」

「いや」

「感じ悪いですわ」

「そうかもしれないな」


 そのままジェラールは帰っていった。


 扉が閉まる。


 私はエマを見る。


「何だったのかしら」

「さあ」

「笑われたわ」

「楽しそうではございました」

「何が?」

「殿下が」

「……まさか」


 私は首を振った。


 そんなはずはない。


 私はそのうち現れるはずのヒロインにジェラールを任せて、円満に婚約を終える予定なのだ。


 だから、今どう思われようと関係ない。


「まあ、いいわ」


 私はソファへ座り直した。


「今日のお仕事はこれで終わりですわ」

「まだ午後三時でございます」

「殿下とお話ししたので疲れましたの」

「では、これから刺繍を」

「おほほほ。そんな面倒なこと、今からするわけありませんでしょう?」

「アデライード様」

「寝ます」

「まだ寝台へも行っておりません」

「では、ここで寝るわ」

「そういう問題ではございません」


 私はソファのクッションを抱きしめた。


 王太子妃教育は、少し減るかもしれない。


 ジェラールも、思ったより話が通じる。


 今日の成果としては十分だ。


 私は満足して目を閉じる。


 それでもやっぱり。


 王妃なんて、絶対に嫌だ。


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