第九話 プラネタリウムの昔の光
八回目の七月二十一日の朝、ぼくは早く目が覚めた。
まだ蝉も鳴いていなかった。今日で、地図の最後の空白を確かめる。
集合したのは、今日は四人そろって時計台の前だった。
ミウがいつものようにノートを持っていた。タイガが「今日で最後の場所だな」と言った。スズが時計台を見上げていた。
「行こう」
ぼくが言った。四人で坂を上り始めた。時計台の針が、坂の下に見えた。止まったままだった。今日、最後のページを取り戻したら、次はあそこへ行く。坂を上っている途中で、タイガが地図を覗き込んだ。
「この地図、夏休みが終わっても続けようぜ」
「続けるって?」
「秋になったら、今度は山の方を調べる。冬は、雪が降った場所とか」
「雪、そんなに降らないよ」
ミウが言った。
「少しくらい降るだろ」
「少しなら」
「じゃあ決まり。二学期も四人で地図を描く」
タイガが、当然のことみたいに言った。ミウもノートに何かを書き足した。
「二学期の調査予定、って書いておく」
「ナギサくんも来るよね」
スズが聞いた。すぐに「うん」と言えばよかった。いつもなら、そう答えていた。
「……そのときになったら、考える」
変な答えになった。タイガがぼくを見た。ミウのペンが、一瞬止まった。でも、二人とも何も言わなかった。その沈黙が、責められるより苦しかった。
「行こう」
ぼくは、みんなより先に坂を上り始めた。背中に三人の気配を感じた。だれも追いかけてこないわけじゃない。ちゃんと、ついてきている。それなのに、少しずつ離れていくような気がした。
プラネタリウムの建物は、思ったより古かった。壁のペンキが剥げていて、入り口のガラスに「営業中」のプレートが貼ってあるけど、手書きだった。駐車場には車が一台もなかった。ドアを開けると、ベルが鳴った。
受付に、若い女の人がいた。白いシャツを着ていて、名札に「星野ユイ」と書いてあった。ショートカットで、眼鏡をかけている。本を読んでいたのを、ぼくたちが入ってきたので顔を上げた。
「いらっしゃい。子ども達だけで来るのは、珍しいね。今日はどうしたの、四人で」
「プラネタリウムを見たくて」
「今日、上映は午後だよ。今は準備中だけど、待てる?」
「待てます」
「じゃあ、中に入っていいよ。展示室だったら今でも見られる」
ユイさんが受付の奥に案内してくれた。
展示室には、星座の図や、惑星の写真、宇宙望遠鏡の話などが並んでいた。手作りっぽいパネルが多くて、ユイさんが自分で作ったのかもしれなかった。
一番奥に、星坂町の夜空の写真があった。
古い写真で、少し黄ばんでいたけど、星がたくさん写っていた。
「きれい」
スズが言った。
「昔の写真だよ」
ユイさんが後ろから言った。
「二十年以上前。今より空気がきれいで、星がよく見えたころ。最近は、明かりが増えたから、あんまり見えなくなった」
「今も星は、そこにあるんですよね」
ミウが聞いた。
「そうだよ。見えにくくなっただけで、なくなったわけじゃない。星の光って面白くてね、今見えてる光は、実は何年も何百年も前に出た光なんだよ。遠い星だと、光が地球まで届くのに何光年もかかる。だから、今夜空を見ると、昔の光を見てることになる」
「昔の光が、今ここに届いてる」
ぼくは、思わずつぶやいた。
「そう。星は昔の光だけど、今ここに届いてる。思い出も、それと似てるのかもしれないね」
ぼくは、その言葉を聞いた瞬間、何かが胸のあたりでちゃんと落ちた気がした。
昔の光が、今ここに届いてる。思い出も、それと似てる。
ユイさんが続けた。
「この施設も、もう長くないかもしれないけどね」
「閉まるんですか」
「お客さんが少なくなって、維持費がかかる。来年の予算が出るかどうか、分からない」
ユイさんは笑って言ったけど、声の中に重さがあった。
「でも、こういう場所がなくなると、星のことを話せる場所もなくなるから、それが嫌で、続けてる」
ポッケが背中で静かに動いた。
「ユイさん」
ぼくは声に出した。
「はい?」
「時計台のことを、知ってますか」
ユイさんがぼくを見た。
「時計台、ね」
展示室の椅子を引いて座ると、棚から古いファイルを取り出した。ぼくたちも周りに座った。
「昔のことは、ここの記録に残ってる。このプラネタリウムができたころ、星坂町はもっとにぎやかだった。商店街にも、ここにも、子どもたちがたくさん来てたんだって」
「時計台は?」
「子どもたちの待ち合わせ場所だったみたい」
ユイさんがファイルを開いた。古い写真には時計台の前で笑う子どもたちが写っていた。制服の子も私服の子もいる。
「今は、あそこに集まる子も少なくなった。商店街へ行く人が減って、時計台だけが残ったんだ」
「時計が止まったのは?」
「修理しようとしたら、中から変な音がするって、業者さんが断ったらしいよ」
「変な音?」
「泣いてるみたいな音だって」
ぼくはミウを見た。地図の裏に浮かんだ言葉を思い出す。
トキワスレは、時計台の中で泣いている。
「その音が何なのか、ユイさんは分かりますか」
「分からない。でも、場所にも記憶が残ることがあると思う。たくさんの人が集まった場所なら、なおさらね」
「その記憶が、泣いてるのかもしれない」
スズが言った。ユイさんがゆっくりとうなずいた。
「誰にも来てもらえなくなって、さびしいのかもしれないね」
ぼくは窓の外を見た。遠くに、時計台の丸い屋根が見えた。
トキワスレが、あそこにいる。昔の夏休みをなくしたくなくて、時間を止めている。
ぼくにも、分かる気がした。終わらせたくない。変わってほしくない。だから、ぼくも転校のことを言えなかった。
でも、昔の光は今ここに届いている。終わっても、届く。
その言葉が、胸の中に残った。
午後になって、プラネタリウムの上映が始まった。
ドーム型の天井に、星が映し出された。暗い部屋の中で、ぼくたちは寝転がって、天井を見上げた。星座の説明がユイさんの声でゆっくり流れた。
タイガが隣で、珍しく静かにしていた。ミウはノートを持っていたけど、さすがに暗くて書けなかった。スズは天井を見ながら、小さく口を動かしていた。何かを、数えているのかもしれなかった。
ぼくは天井の星を見ていた。今見えているこの光は、何年も前に出た光だ。
ここに届くまでに、ずっと飛んできた。
思い出も、それと似てる。星坂町で過ごした夏休みも、終わったからといって消えるわけじゃない。それでも、胸の奥にしまったままの言葉は、まだ重かった。
上映が終わって電気がついたとき、ぼくたちはまぶしくて目をパチパチさせながら起き上がった。
ユイさんが「どうだった」と聞いた。
「よかった」
タイガが言った。珍しく、小さな声で。
「また来たい」
「来てね。まだこの施設がある間は、やってるから」
「なくなる前に、また来ます。また今度じゃなくて、また来ます。今言っておきます」
ミウがそう言ったら、ユイさんが笑った。
「ありがとう。そういう言い方、好きだよ」
ぼくたちは外に出た。夏の日差しが、まぶしかった。
ポッケが背中で言った。
「ページは?」
ぼくは鞄を見た。気づかないうちに、鞄の中に一枚の紙が入っていた。
プラネタリウムのドーム型の天井に、星が映し出されている絵だった。
暗い部屋の中で、四人が寝転がって、星を見上げている絵。ぼくたちの絵だった。
「全部のページが、揃った」
ミウが言った。落ち着いた声だった。
タイガが時計台の方向を、にらむように見た。
「次は、あそこだ」
「うん」
ぼくはうなずいた。そのとき、空が急に暗くなった。遠くから、雷の音がした。違う。雷じゃない。時計台の方向から、音がした。
ゴォン、と低い音が、町全体に響いた。ぼくたちは立ち止まった。
ポッケが叫んだ。
「まずい。夏休み一日目が、最初からなかったことにされるぞ!」
空の色が変わった。白くなってきた。商店街が、薄くなってきた。消えていくみたいに、白く、薄く、なっていく。
「走れ!」
ぼくはそう言って、坂を駆け下り始めた。
時計台に向かって。ミウが走った。タイガが走った。スズが走った。
白くなっていく町の中を、四人で走った。




