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ぼくらの町のヘンテコ世界地図――しゃべるリュック・ポッケと、消えた夏休み――  作者: 明石竜


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7/12

第七話 ミウの破れた地図

 六回目の七月二十一日の朝、ぼくはミウに連絡しづらかった。昨日、母さんが引っ越しの話を口に出した。ミウには聞こえていたはずだ。聞こえていたのに、何も言わなかった。それがミウなりのやさしさだと、頭では分かっていた。でも、だから余計に、連絡しにくかった。

ポッケが机の横から言った。

「いつまでそうしてる」

「別にどうもしてない」

「うそをつくな。昨日からずっとその顔だ」

「どんな顔」

「見えないものを見ようとして、見ないふりをしている顔だ」

 ぼくは何も言わなかった。ポッケはそれ以上は言わなかった。

 その日、商店街のベンチへ行くと、三人はもう来ていた。タイガは地図を広げ、ミウはノートを確認している。スズはベンチの端に座って、時計台を見ていた。

「遅いぞ、ナギサ」

「まだ集合時間の前だよ」

「おれより遅いから遅い」

「それ、タイガ基準じゃん」

 いつもと同じ会話だった。昨日、母さんが言ったことなんて、だれも聞いていなかったみたいだった。引っ越しの準備。その言葉は、ぼくの中にはまだ残っていた。

 タイガもミウも、きっと覚えている。スズも分かっている。

 でも、だれも聞かなかった。聞かれたら話そうと思っていた。なのに、聞かれないと、今度は自分から言わなければならなかった。

「ナギサ?」

 ミウがぼくを見た。

「なに」

「ぼうっとしてる。地図、持ってきた?」

「持ってきた」

 ぼくは鞄から地図を出した。引っ越しのことは、出せなかった。

「今日どこだっけ」

 タイガが聞いた。

「町外れのバス停の辺り」

 ミウが地図を広げた。空白は、商店街を抜けて、坂を下った先にある古いバス停のあたりを示していた。

「バス停か。あそこ、あんまり行かないな」

「一時間に二本しかバスが来ない場所だからね」

「今日は何時に集合すればよかった?」

 タイガが聞いた。

「もう集まってる」 

「あ、そうか」

 ベンチの端に座っていたスズが、空を見上げた。今日は傘を持っている。

「今日、雨になるかも」

「また天気予報なし?」

「なし」

「スズ、すごいな」

 空を見ると、朝からすでに曇っていた。バス停までは商店街を抜けて、細い坂道を下ったところにある。途中の道に古い石畳があって、両側に家が並んでいる。住んでいる人は少ないみたいで、シャッターが閉まった家もあった。坂を下りながら、タイガが話しかけてきた。

「なあナギサ、昨日のあれって」

「タイガ」

 ミウが短く言った。タイガが口を閉じた。ぼくはミウを見た。ミウはぼくを見なかった。地図を見ていた。何かが喉のところまで来た気がした。でも出てこなかった。

 バス停には、十分もかからずに着いた。バス停は古かった。屋根のついた小さな待合所で、ベンチが一つある。時刻表が貼ってあって、でも紙が黄ばんでいて、何時のバスが来るのかよく読めない。周りには何もない。片側は空き地で、もう片側は古い壁だけだ。

 地図の空白は、ここを示していた。でも、昼間見る分には、ただの古いバス停だった。

「何もないな」

 タイガが首をかしげた。

「夜になるまで待つ?」

「今日は夜まで待たなくていい」

 ポッケが言った。

「バス停は、バスが来るときに変わる」

「バスって、一時間に二本じゃないの」

「地図にないバスは、そういう時刻表に従わない」

 ぼくたちはバス停のベンチに座って、バスを待った。空がどんどん暗くなってきた。スズが傘をぎゅっと持った。十分ほど待ったとき、遠くに何かが見えた。バスだった。でも、ふつうのバスじゃなかった。

バスの形はしているけど、色がなかった。透明な、すりガラスみたいなバスが、音もなくこちらに近づいてきた。行き先表示のところに、文字が出ていた。

「まだ行きたくない場所、行き」

 タイガが声に出して読んだ。

「まだ行きたくない場所って、なんだそれ」

「乗ってみないと分からない」

 バスが止まった。ドアが開いた。中は薄明るくて、座席がいくつかある。乗客はいなかった。運転席に、運転手がいた。帽子を深くかぶっていて、顔は見えない。

「乗りますか」

 低い声が聞こえた。ぼくたちは顔を見合わせた。タイガが「行こうぜ」と言って、先に乗り込んだ。ミウが地図を抱えて続いた。スズがその後ろに続いた。ぼくが最後に乗ると、ドアが閉まった。バスが動き出した。窓の外を見ると、景色が変わっていた。

 星坂町の道路じゃない。どこまでも続く細い道で、両側に霧がかかっていた。

「どこに連れていくんですか?」

 ミウが運転手に聞いた。

「まだ行きたくない場所へ」

「それはどこですか」

「乗った人によって、違います」

 ミウが黙った。窓の外の霧の中に、何かが見えた。影みたいなものが、ぼんやりと浮かんでいる。形がない。ただ、そこにある。

「あの影、何ですか」

 スズが聞いた。

「行きそびれた場所の記憶です。この路線は、そういうものが集まる場所を通ります」

 窓の外に、知っている景色が浮かんだ。星坂小学校だった。でも影みたいな星坂小学校で、窓から明かりが漏れていて、中に子どもたちがいる気配がした。

「これ、学校じゃないか」

 タイガが窓に顔を近づけた。

「夏休みだから、今は閉まってるのに」

「閉まる前の記憶です」

 運転手が言った。

「ここに来る前に、行きたかった場所。行けなかった場所。そういうものの残像です」

 ミウが窓の外を見ていた。ミウの窓には別の景色が浮かんでいた。本屋さんだった。以前、商店街にあった本屋さんでミウがよく地図の本を買っていた店。二年前に閉まった。

「ミウ?」

「見てた。あの本屋、閉まる前に最後に行けばよかったって、ずっと思ってた」

 ミウは窓から目を離した。地図を膝の上に広げた。

「記録する。今見えているものを、全部記録する」

 バスが揺れた。ミウがペンを走らせた。そのとき、雨が降り始めた。最初は小さな粒だったのが、あっという間に激しくなった。バスの窓に雨粒がたたきつけた。バスが急に揺れた。ミウの膝から、地図が落ちた。落ちた地図は開いた窓のすき間から半分外に出た。

「ミウ!」

 ぼくが手を伸ばしたけど、一瞬遅かった。雨が、地図に当たった。ミウが地図を引き戻したときには、濡れてふにゃふにゃになっていた。そのまま真ん中からびりっと裂けた。

 ミウが黙った。二枚になった地図を、両手で持って、黙っていた。バスが止まった。気づくと、バスは古いバス停の前にいた。元の場所に戻っていた。ドアが開いた。

「終点です」

 運転手が言った。

「ページはどこですか」

 ミウが聞いた。声がいつもより低かった。

「お持ちのものの裏を見てください」

 ミウは破れた地図の裏を見た。何も書いていなかった。

ぼくは、降りる前に運転手に聞いた。

「ページを取り戻すには、どうすれば」

「地図が破れても、歩いた道は消えません。道は、紙の上じゃなくて、歩いた人の中にあります」

 運転手はそれだけ言って、前を向いた。ぼくたちは雨の中に降りた。バス停の屋根の下で、雨宿りをした。激しい雨が屋根を叩いた。ミウは、破れた地図の二枚を並べて持っていた。何も言わなかった。タイガが傘を持っていなくて、スズがさっき持ってきた折りたたみ傘を広げた。タイガとスズが傘に入って、屋根の端でぼくとミウが並んだ。

 ポッケが背中でぽつりと言った。

「地図係、地図は破れたが、描いた道は消えていない」

「わかってる」

「分かってるなら、その顔をやめろ」

「どんな顔」

「完ぺきにできなかったと思っているときの顔だ」

 ミウが黙った。ぼくは、破れた地図の二枚を交互に見た。商店街の辺り、駄菓子屋、学校の校庭、ゲームセンターへの道。ミウがここまで描き込んできた場所が、ぜんぶある。

 破れていても、ちゃんとある。

「ミウ」

「なに」

「これ、ぼくに欠片を持たせてよ」

「なんで」

「二人で持てば、一枚分ある」

 ミウが少し止まった。

「論理的じゃない」

「そうだけど」

「でも」

 ミウはぼくに、破れた地図の片方を渡した。

「ちゃんと持っといて」

「持つ」

 タイガが傘から顔を出した。

「おれも何か書いていい? 地図に。おれ、字は下手だけど、ゲームセンターの場所くらいは分かる。ここが商店街で、ここがスターボタンで」

 タイガが「スターボタン」と書き、スズが雲の駅を描いた。ミウのきれいな文字の間にタイガの大きな字と、スズの小さな雲が並んだ。

「なんか、わたしの地図じゃなくなった」

「ぼくたちの地図になったんだよ」 

ミウは地図をしばらく見つめた。それから、ペンを持ち直した。

「……じゃあ、続きを描く。ここも、ちゃんとわたしたちが来た場所だから」

 ミウは今日のバス停を書き加えた。

 雨が少し弱まってきた。屋根から雨粒が落ちていた。スズが地図の裏を見た。

「何か浮かんできた」

 ミウが裏返した。うっすらと、文字が出ていた。古い字でにじんでいたけど読めた。

「トキワスレは、時計台の中で泣いている」

 全員が黙った。泣いている。敵が、泣いている。タイガが小声で言った。

「泣いてるって、どういうこと」

「悲しいんじゃないかな」

 スズが言った。

「何かを、なくしたくなくて」

 ぼくはそれを聞いて、自分の胸の中がじんとした。なくしたくなくて。夏休みを何度も一日目に戻しているのは、なくしたくないから。ぼくが転校のことを言えないのも、なくしたくないから。同じだと思った。ポッケが背中でひっそりと言った。

「ナギサ」

「うん」

「そういう顔をしているということは、少し分かってきたということだ」

「何が」

「トキワスレのことが」

 ぼくは破れた地図の欠片を、鞄にしまった。雨が上がり始めていた。空の端の方が、少しだけ明るくなっていた。残りの空白が、あと二つある。時計台の針は、まだ止まっているはずだ。でも、何かが少しずつ、つながってきている気がした。

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