第六話 ラスボス店長と閉店ゲームセンター
五回目の七月二十一日の夜、ぼくたちはゲームセンターの前に立っていた。
「スターボタン」という名前のその店は、商店街からすこし外れた路地の奥にある。看板のネオンが半分切れていて、「スタ ボタン」になっていた。ガラスのドアには「営業中」のプレートが出ている。でも、中には客の姿がなく、ゲームの音もまったく聞こえなかった。ふつうのゲームセンターならうるさいくらい音がするのに。
タイガが昼間からずっと楽しみにしていたくせに、今は少しだけ足が止まっていた。
「なんか、静かだな」
タイガが言った。
「そうだね」
「ふつうのゲームセンターって、外まで音がするじゃん」
「するね」
「でも、しない」
「しないね」
ぼくが答えるたびに、タイガの顔が少しずつ真剣になっていった。
「……行くけど」
「うん」
タイガは深呼吸して、ドアを開けた。中は、暗かった。ゲーム機が並んでいるのは分かった。クレーンゲームや、レースゲームや、音楽ゲームの台が、薄暗い中に並んでいる。でも電源が入っていないのか、画面はぜんぶ黒いままだった。
奥の方だけが、うっすら明るかった。
「だれかいるみたい」
ミウが小声で言った。ぼくたちはゆっくり奥に進んだ。足元に、硬貨みたいなものが落ちていた。拾ってみると、百円玉に似た形だけど、表面に「ゲームセンタースターボタン」と刻んである。古いメダルだった。
「昔のゲームセンターのメダルだ」
ポッケが言った。
「今はこういうメダル、使わないんだろ」
「たぶん。ぼくは見たことない」
ぼくが答えると、ポッケは少しだけファスナーを開いた。
「昔は使っていた。この店もそうだ」
奥に進むと、カウンターがあった。カウンターの前に、椅子があった。
椅子に、人が座っていた。サングラスをかけた、大きな男の人だった。腕を組んで、微動だにしない。ゲームセンターの店長、ゴトウさんだ。ぼくは何度か前を通ったことがある。いつも入り口の前に立っていて、子どもが通るとにらんでいるように見えた。だからぼくはこの店に入ったことがなかった。タイガがこそっとぼくの袖を引いた。
「あの人、こわくない?」
「少し怖い」
「少しじゃないよ、だいぶ怖い」
タイガが小声で言ったとき、ゴトウさんがゆっくり顔を上げた。サングラスの奥の目が、ぼくたちを見た。沈黙が三秒続いた。それからゴトウさんが立ち上がった。体が大きかった。黒くて長いマントをきっちり着込んで、腕を広げて仁王立ちになった。
「よく来た。ここはオレのフロアだ。通りたければ、ゲームをクリアしろ」
低い声で言った。タイガが「ひっ」と声を出した。天井が高くなった。気づくとゲームセンターの中が変わっていた。壁が遠くなって天井がどこまでも上に続いていて、あちこちにゲーム機の画面が光っている。まるで本物のゲームの中に入り込んだみたいだった。
足元に光の筋が走っていて、進む方向を示していた。
ゴトウさんが、マントをひるがえした。
「この店の奥に、夏休みのページがある」
「やっぱり持ってるんだな!」
タイガが一歩前へ出た。
「返してくれ。おれたち、そのページを集めてるんだ」
「返してほしければ、ゲームをクリアしろ」
ゴトウさんが指を鳴らした。店内のゲーム機が、いっせいに光った。古いレースゲーム。宇宙船を撃つゲーム。二人で遊ぶ格闘ゲーム。クレーンゲーム。どれも電源が入っていなかったはずなのに、画面の中で色とりどりの光が動き始めた。いちばん奥にある大きな画面に、白い文字が浮かんだ。四人協力型・星坂ダンジョン。
「四人全員で、最終地点までたどり着け。それが条件だ」
「それだけ? ゲームなら、余裕じゃん」
タイガが言った。
「まだ説明は終わっていない」
ゴトウさんは、ぼくが抱えていた夏休み帳を指さした。
「お前たちが勝てば、ここにあるページを渡す。だが、負けた場合は――すでに取り戻したページを一枚、置いていけ」
「えっ」
ぼくは夏休み帳を胸に抱えた。
「そんなの、聞いてない」
「だから今、説明した」
「勝てなかっただけで、取り戻したページまで取るの?」
ミウが低い声で聞いた。
「ゲームには、賭けるものが必要だ」
「必要ないよ。ふつうのゲームは、お金を入れるだけだよ」
「ナギサ、そこにツッコむところじゃない」
ミウに言われた。
大画面が三つに分かれた。そこに映ったのは、これまで取り戻した三枚のページだった。宇宙船になった商店街。雲の上の駅。校庭の地下王国。ページの絵が、それぞれゲームのセーブデータみたいに並んでいる。
「待て」
ポッケの声が低くなった。
「あれは、ただ絵を映してるんじゃない。負けたら本当にページを持っていかれるぞ」
「ポッケ、先に気づいてよ!」
「オレだって今気づいた!」
タイガは画面を見たまま黙っていた。いつもなら、真っ先に「やろうぜ」と言うはずだった。
「やめるなら今だ。挑戦しなければ、持っているページは失わない。ただし、この店のページも渡さない」
ゴトウさんが言った。
「どうする?」
ミウがノートを閉じて、聞いた。
ぼくたちは顔を見合わせた。
「やろう。ここまで三つ取ったんだ。ゲーム一個くらい、すぐクリアできるって」
タイガが言った。いつもの大きな声だった。
「でも、ルールがまだ分からない」
「やりながら分かるだろ」
「タイガくん」
スズがタイガを見た。
「ちょっと、怖い?」
「怖くない!」
タイガはすぐに答えた。
「ゲームセンターだぞ。怖いわけないだろ」
「じゃあ、四人でやろう。勝って、一枚も置いていかない」
ぼくが言ったあと、ゴトウさんがゲーム機のスタートボタンを押した。
「ゲーム開始だ」
次の瞬間、足元が消えた。
「うわあああ!」
タイガの叫び声といっしょに、ぼくたちはゲーム画面の中へ落ちていった。着地した場所は、暗い通路だった。壁も床も黒く、ところどころに青い線が走っている。
遠くに、四つの光る扉が見えた。ぼくの手には、小さな懐中電灯があった。ミウも、タイガも、スズも、同じものを持っている。空中に文字が浮かんだ。――四人全員で、出口へ向かえ。――一人でも脱落した場合、ゲームオーバー。
「簡単じゃん」
タイガが先頭に立った。
「おれについてこい!」
「待って。道を記録するから」
ミウがノートを開こうとした。でも、手に持っていたのはノートではなく、何も書かれていない小さな画面だった。
「これ、ゲームの地図みたい。でも、歩かないと表示されない」
「じゃあ、歩けばいいんだろ」
タイガが先へ進む。
「タイガ、離れすぎないで」
「大丈夫だって!」
タイガの懐中電灯が、暗い通路の先へ小さくなっていった。ぼくたちは急いで追いかけた。通路の途中で、道が四つに分かれていた。それぞれの道の上に、文字が浮かんでいる。勇気の道。知恵の道。記憶の道。気配の道。
「一人ずつ進め、ってことかな」
ミウが画面を確認した。
「でも、さっきは四人全員で出口へ向かえって」
「それぞれ進んで、あとで合流するんだろ」
タイガが「勇気の道」の前に立った。
「おれはここ。ミウは知恵。スズは気配。ナギサは記憶でいいじゃん」
「勝手に決めないでよ」
「でも、合ってるだろ」
「道の先がつながっている保証がない」
「考えてる間にも、夏休みが消えてるんだぞ」
タイガが扉を開けた。
「先に行ってる!」
「待って!」
ぼくが手を伸ばしたときには、扉が閉まっていた。残された三つの扉も、同時に開いた。後ろから、黒い壁がゆっくり迫ってくる。
「進むしかない」
ミウが言った。
「合流できると信じよう」
ぼくたちは、それぞれの道へ入った。
記憶の道には、いくつもの画面が浮かんでいた。商店街。雲の駅。校庭の地下王国。画面には、これまでの冒険が映っている。でも、ところどころが間違っていた。レジ袋ではなく、紙袋になっている。雲の駅の切符には「また今度」と書かれている。消しゴム王の体は青い。空中に文字が出た。
――正しい記憶を選べ。
ぼくは一つずつ、間違っている部分に触れた。「レジ袋だった」「切符に書かれてたのは、また明日遊ぼう」「消しゴム王は、うっすらピンクだった」答えるたびに、画面が消えて道が開いていった。最後の画面に、ぼくたち四人が映った。商店街のベンチに座って笑っている。けれど、ベンチにいるのはミウとタイガとスズだけだった。代わりに、空いた場所があった。――この夏休みが終わったあとも、四人はずっといっしょにいる。正しい。間違い。ボタンが二つ浮かんだ。ぼくの指が止まった。間違いだ。夏休みが終われば、ぼくは引っ越す。でも、「間違い」を押したら、本当に四人がばらばらになる気がした。後ろから黒い壁が迫ってきた。
「ナギサ!」
遠くから、ミウの声がした。
「答えて! 正しいことを選ばないと、道が開かない!」
ぼくは目をつむって、「間違い」を押した。画面が割れた。その向こうに、広い部屋があった。ミウとスズも、別の扉から出てきた。
「タイガは?」
ぼくが聞いた。二人とも首を横に振った。その瞬間、天井に大きな画面が現れた。画面の中に、タイガがいた。暗い通路を、一人で走っている。
「タイガくん、止まって!」
スズが叫んだ。タイガには、ぼくたちの声が聞こえていない。通路の床には、いくつも穴が開いていた。でも、タイガは前だけを見て走っている。
「下を見て!」
ミウが叫んだ。
「タイガ!」
ぼくも叫んだ。タイガの足が、黒い穴の上にかかった。床が崩れた。タイガの姿が、画面の下へ消えた。赤い文字が、天井いっぱいに浮かんだ。
――一名、脱落。――ゲームオーバー。
「タイガ!」
ぼくたちの足元も崩れた。気づくと、ぼくたちはゲームセンターの床に座り込んでいた。タイガもいた。けがはなかった。でも、顔が真っ青になっていた。
「大丈夫?」
ぼくが手を伸ばすと、タイガはすぐに立ち上がった。
「平気」
「でも今、落ちたよ」
「ゲームだから、平気だって」
そのとき、ぼくの腕の中で夏休み帳が震えた。ページが、ひとりでに開いていく。商店街のページ。雲の駅のページ。校庭地下王国のページ。三枚目の絵が、薄くなっていた。
「待って」
ぼくはページを押さえた。消しゴム王の姿が消えていく。玉座が消え、落とし物たちが消え、地下王国全体が白くなっていく。
「やめて!」
ミウもページの端をつかんだ。でも、紙はぼくたちの手からするりと抜けた。空中を飛び、ゲーム機の画面へ吸い込まれていった。画面に、校庭地下王国の絵が映った。その下に、文字が浮かんだ。――セーブデータを一つ、いただきました。
「セーブデータじゃない!」
ぼくは画面をたたいた。
「ぼくたちの夏休みだ!」
画面は何も答えなかった。
「負けは負けだ」
ゴトウさんが、腕を組んで立っていた。
「もう一回やらせて」
ミウが頼んだ。ゴトウさんは、じろりとミウを見た。
「条件は?」
「次に負ければ、もう一枚もらう」
「勝ったら?」
「奪ったページを返す。そして、この店にあるページも渡す」
二枚。次に勝てば、二枚を取り戻せる。でも負ければ、もう一枚失う。
「やろう」
タイガが言った。
「今度は絶対、落ちない」
ミウがタイガを見た。
「どうして落ちたの?」
「ちょっと足元を見てなかっただけ」
「どうして見なかったの」
「前に進まないといけなかったから」
「違う」
スズが言った。
「怖かったから、下を見られなかったんだよ」
タイガの顔がこわばった。
「怖くない」
「怖かったんでしょ」
「怖くないって言ってるだろ!」
タイガの声が、ゲームセンターに響いた。スズは何も言い返さなかった。タイガは息を切らしていた。握った手が、少し震えていた。
「……悪い」
タイガが小さな声で言った。
「でも、怖いって言ったら進めなくなるだろ。おれが怖がってたらみんなも怖くなるし」
「もう怖くなってるよ。ページ、一枚取られたんだから。怖くないふりをして一人で先に行ったから負けた。次も同じことをしたらまた負ける」
ぼくがそう言ったら、タイガがぼくを見た。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「怖いなら、怖いって言えばいい。そしたら、四人で進める」
タイガはしばらく黙っていた。ゲーム機の音だけが鳴っている。
「……怖かった」
やっと、タイガが言った。
「最初から、ちょっと怖かった。ゲームセンターが暗くなったときも、画面の中に落ちたときも。一人の道に入ったときは、かなり怖かった」
「うん」
「でも、おれが先に行かないと、だれも行けないと思った」
「頼んでない。一人で先に行ってなんてだれも頼んでない。四人で来たんだから四人で考えればいい」
ミウがそう言ったら、タイガは下を向いた。
「……ごめん」
スズがタイガの袖を軽く引いた。
「次は、怖いものを見つけたら教えて」
「怖いものばっかりだったら?」
「全部教えて」
「それ、ずっとしゃべらないといけないじゃん」
「タイガくんならできるよ」
「どういう意味だよ」
タイガが少しだけ笑った。ぼくはゴトウさんを見た。
「再戦する」
「覚悟はできたか」
「できた」
ゴトウさんが、もう一度スタートボタンを押した。二回目も、同じ暗い通路から始まった。でも今度は、タイガが走り出さなかった。
「……暗いな」
「うん」
「すごく怖いってほどじゃないけど、ちょっと怖い」
「分かった」
ぼくたちは四人で並んで歩いた。四つの道が現れた。勇気の道。知恵の道。記憶の道。気配の道。ミウが画面を調べた。
「道は分かれてるけど、懐中電灯に通信機能がある。さっきは気づかなかった」
「これ、話せるの?」
ぼくが懐中電灯の横にあるボタンを押すと、ミウの持っているライトから声が出た。
『これ、話せるの?』
「最初から使えたんだ」
「説明書がなかったから」
「ゲームのせいにするな」
ポッケの声が、どこからか聞こえた。
「ポッケもいるの?」
「オレは装備品扱いらしい。不本意だ」
「リュックだから、だいたい合ってるよ」
「うるさい」
四人で声をつなぎながら、それぞれの道を進んだ。
ぼくが記憶の問題に迷うと、ミウがこれまでの記録を教えてくれた。
ミウの知恵の道に地図の問題が出ると、タイガが実際に歩いた方向を思い出した。
スズの気配の道には、姿の見えないものがいた。スズが感じた位置を、ぼくたちがライトで照らした。そして、タイガの勇気の道。
『床に穴がある』
タイガの声が、懐中電灯から聞こえた。声は震えていた。
『三つ。いや、四つある。前だけ見てたら、絶対落ちる』
「止まって」
ミウが言った。
「こっちの画面に、道の形が出てる。右の壁に沿えば避けられる」
『分かった』
「一人で行ける?」
ぼくが聞いた。少し間があった。
『怖い。でも、みんなの声が聞こえるなら行ける』
タイガが一歩ずつ進む音がした。右へ。少し前へ。また右へ。
『渡れた』
タイガの声が明るくなった。
『みんな、こっちだ! 出口がある!』
四つの道が一つにつながり、その先に二枚のページが浮かんでいた。
「待って。最後にも穴がある」
今度は、タイガがだれより先に気づいた。
「壁際なら通れる。おれが先に行く。でも、離れないで」
タイガが一歩進んだ。怖がりながら、ゆっくり進んだ。ぼくたちも、その後ろを離れずについていった。暗い通路を抜けると、ゴトウさんが立っていた。
「通ったな」
「通りました」
「穴に気づいたのは、そこのやつか」
ゴトウさんがタイガを見た。タイガが「はい」と答えた。声が少し震えていた。
「怖がっていたくせに、先を歩いたな」
「……友だちを置いて逃げるより、怖い方がましなので」
ゴトウさんがサングラスを少しだけずらした。目が見えた。
思ったより、やさしい目だった。
「そうか」
ゴトウさんは、それ以上何も言わなかった。
校庭地下王国のページと、ゲームセンターのページが、ゆっくり降りてきた。
「二枚とも返す。ゲームクリアだ」
ぼくは二枚を受け取って、夏休み帳に戻した。消えかけていた消しゴム王と落とし物たちの絵が、もう一度はっきり浮かび上がった。もう一枚には、ゲームセンターが描かれていた。暗い通路を、四つの懐中電灯が照らしている。
タイガが校庭地下王国のページを見て、小さく息を吐いた。
「よかった……」
それから、ぼくたちに聞こえないようにするみたいに、顔をそむけた。
「おれ、今まで一番前を歩いてたじゃないか。暗くて怖かったのに」
「怖くないから前にいたんだと思ってた」
ぼくが言うと、タイガがむっとした。
「違うよ。怖かったけど、前にいたんだよ」
「じゃあ、やっぱりすごいじゃん」
タイガはしばらく黙っていた。それから後ろ頭をかいて、下を向いた。
隠れていた。顔を見せたくないやつが、よくそういう動きをする。
「怖くても進めることを、勇気と言う。怖くないのに進んでも、それはただの無頓着だ」
ポッケがそう言うと、タイガが顔を上げた。
「ポッケ、それいいな」
「オレはいつもいいことを言っている」
ゴトウさんが腕を組んだまま、小さな笑い声をあげた。そしてマントを脱いだ。
下はふつうのTシャツだった。「STAR BUTTON 1998」と書いてある。
「演じすぎたな」
「あの、マントは」
「ゲームのラスボスっぽいかと思って。いや、ラスボスというか、ただ試したかっただけだ。この店に来る子どもが、久しぶりだったから」
ぼくはゲームセンターの中を見回した。電源の入っていないゲーム機が、ずらりと並んでいる。昔は、もっとにぎやかだったのかもしれない。
「この店、閉めるって聞きました」
スズが言った。ゴトウさんが止まった。
「どこで聞いた」
「町の人が話してるのを、聞いた気がして」
ゴトウさんはしばらく黙った。
「今月いっぱいで閉める予定だ。客が少なくなった。修理が必要な機械もある。続けるのが難しくなった」
「そうですか」
「べつに」
ゴトウさんは短く言ったけど、その間に何かがあった気がした。ぼくは鞄から地図を出した。ミウが横からノートを出した。
「地図に、描いてもいいですか。この店のこと」
「なんで?」
「ここに来たことを、記録したいから。ここがあったこと、ぼくたちが来たこと」
ゴトウさんがぼくを見た。サングラスの奥の目がさっきより少しだけ違う感じだった。
「好きにしろ」
ミウが地図にスターボタンの外観を描き込んだ。ゴトウさんが案内して、店の中の機械の配置も教えてくれた。途中から、ゴトウさんもいっしょに机の上に地図を広げて、「ここのクレーンゲームは一番人気だった」とか「この音楽ゲームは開店当初からある」とか、話してくれた。タイガがクレーンゲームの前で言った。
「電源入れてもいいですか」
「百円入れたら動く」
タイガがポケットから百円玉を出した。クレーンゲームの画面がぱっと光った。中にぬいぐるみが入っていた。古いけど、ちゃんとかわいいやつだった。タイガがレバーを握った。真剣な顔で。三回失敗したけど、四回目に取れた。
「取れた!」
「うるさい」
「ゴトウさん、取れましたよ」
「見てた」
ゴトウさんの口の端が、少し上がっていた。店を出るとき、ゴトウさんが言った。
「夏休み大会でもやろうかと思っている」
「え」
「閉める前に。子どもが来てくれるなら、最後に一度くらい」
「やります」
タイガが即答した。
「告知しないと来ないぞ」
「貼り紙します。ミウ、貼り紙作れる?」
「作れるけど、なんでわたしに聞いてるの?」
「字がきれいだから」
「……まあ、作る」
ゴトウさんが短くうなずいた。
「また来い」
「来ます」
タイガは振り返らずに言った。さっきとは声の震え方が違った。怖くて震えるのと、うれしくて震えるのは、似てるけど違う。路地を出て、商店街の方へ歩きながら、ミウが地図の四つ目の空白を塗りつぶした。残りの空白が、まだ三つある。
タイガがぬいぐるみを肩に乗せて歩いた。
「なんか、疲れた。でもいい感じに疲れた」
「怖かったからでしょ」
「そうかもしれない。でもまあ」
タイガがぼくを見た。
「ゲームは、怖くてもクリアできる。そういうことが分かったからよかった」
「大きく出たね」
「大きく出た」
スズが小さく笑った。ぼくも笑った。ミウが急に立ち止まった。
「あ」
「どうした」
「忘れてた。ゲームセンターを出たとき、ゴトウさんの後ろで何かが見えた気がしたんだけど、記録するの忘れた」
「何が見えたの?」
「壁に、貼り紙。でも遠くてちゃんと読めなかった。夏休み大会の話が出たから、そっちに気をとられて」
「戻る?」
ミウは少し考えた。
「いや、次に来るときでいい。また来るから」
ぼくはその言葉を聞いて、少しだけ胸がきゅっとした。
商店街を歩いていると、道の向こうからぼくの母さんの声がした。
「ナギサ、こんな時間まで外にいたの。あ、みんなもいたのね。引っ越しの準備、少しずつしようね」
母さんはそれだけ言って先に歩いて行った。ぼくは固まった。ミウの足が一瞬止まった。タイガも聞こえていたはずだった。引っ越しの準備。夜の商店街に、その言葉だけが残った。ミウはぼくを見なかった。タイガも何も言わなかった。スズだけがぼくの横で静かに立っていた。何も言わなかったけどいてくれた。ポッケが背中で小さな声で言った。
「……帰れ。今日はここまでだ」
ぼくはうなずいて、家に向かった。夜の時計台の針は、今夜も止まったままだった。




