第五話 校庭地下王国と消しゴム王
四回目の七月二十一日の朝、ミウから連絡が来た。
窓の外がまだ白っぽい早い時間に、ぼくの部屋のドアをノックする音がした。
開けると、ミウが立っていた。ノートを三冊抱えて、ペンを耳に挟んでいる。
「おはよう。早い」
「地図を見てたら眠れなかった」
「それは心配な話だね」
「次の空白、小学校の校庭の辺りなの。学校って昼間に行けるから、今日は早めに動こうと思って」
ミウは夏休みでも、段取りを立てないと気がすまないらしかった。
ぼくは着替えて、ポッケを背負った。
「ポッケ、今日は学校らしい」
「知ってる。昨日から地図を見ていた」
「見えるの? 背中から」
「見える。ファスナーの目玉は飾りじゃない」
それはちょっと怖いな、と思ったけど口には出さなかった。
集合は学校の正門前だった。タイガはすでに来ていて、鉄棒にぶら下がっていた。スズは門の脇にしゃがんで、地面の何かを見ていた。
「おはよう」
「おはよ。学校に夏休みに来るって変な感じ」
タイガが鉄棒から飛び降りた。
「でも、校庭って広くていいな。だれもいないと余計広く感じる」
確かにそうだった。夏休みの朝の校庭は、シーンとしていた。空気はもう、少しむっとしていて、砂は朝露で少しだけ色が濃くなっている。蝉がうるさいのに、どこか静かな感じがした。
スズが立ち上がって、校庭の真ん中を指さした。
「朝礼台の下」
「下?」
「なんかある。昨日からずっと、あそこから変な感じがしてた」
ミウが地図を広げた。
「空白も、ちょうど校庭の中央あたりにある。朝礼台の位置と一致する」
四人で朝礼台に向かった。朝礼台は、校庭のまんなかにある。コンクリートの台で、高さは大人の腰くらい。毎週月曜日の朝会で、校長先生が上に立って話をする。ぼくは毎回、早く終わらないかなと思いながら聞いていた。近づくと、台のふちのあたりから、なんか変な音がしていた。がさがさ、ごとごと。何かが動いている音。
「下から聞こえる」
タイガがしゃがんで、台の側面をノックした。こんこん。こんこん。
「返ってきた!」
「ノックに返してくるな」
ミウがしゃがんで、台の下を確認した。
「台の底のところ、少し浮いてる。隙間がある」
見ると、コンクリートの台の底面が地面からわずかに浮いていた。普段はぴったりくっついているはずなのに、今日は五センチくらいの隙間がある。
その隙間から、薄い光が漏れていた。
「入れるかな、これ」
「入る」
ポッケが言った。
「子どもが四人、入れる。ただし先に台を動かせ」
「動くの?」
「動く。タイガ、押せ」
タイガが朝礼台の側面に両手をあてた。
「どっちに」
「横だ」
タイガがぐっと押した。コンクリートの台が、ずず、と横にずれた。思ったより軽かった。下に、穴があった。穴の中から光が上がってきて、石段が続いていた。
「地下だ! 地下があった。校庭の地下」
タイガの声がひっくり返った。今度は興奮の方向で。
「一年生の頃からこの学校にいるのに、こんなの知らなかった」
ぼくも興奮した。
「そりゃそうでしょ、ふつう朝礼台の下に穴はない」
ミウがノートに書き込みながら言った。冷静だった。
「行くよ」
石段を降りると、そこは広い空間だった。天井が高くて、壁が土でできていて、あちこちにランタンみたいなものが灯っている。ただしランタンの中身はろうそくじゃなくて、消しゴムのかすが固まって光っているみたいだった。床に、小さなものがたくさん転がっていた。鉛筆。定規。キャップ。名前の消えた上履き。給食のナプキン。リコーダーの替えのジョイント。体育の時間に使うゼッケン。どれも、くたびれた感じがあった。
「落とし物だ」
ミウが言った。すぐにノートを開いて、床いっぱいの鉛筆や定規を見回す。
「学校の落とし物が、ぜんぶここに来てる」
「落とし物置き場というより、落とし物が自分で来た感じだね」
ぼくがそう言ったとき、奥の方から声がした。
「そうなんだ。俺はずっとここにいた」
声がした。ぼくたちは振り向いた。奥の方に、玉座みたいなものがあった。玉座は、消しゴムを積み上げて作ってある。白い消しゴム、ピンクの消しゴム、ケース入りの消しゴム、キャラクターの消しゴム。それが山のように積まれて、椅子の形になっていた。
その上に、でっかい消しゴムが座っていた。人の形をした巨大な消しゴム。高さは子どもの背丈ほどある。体はうっすらピンクで、四角くて、顔のところに目と口がある。
「王だ」
巨大な消しゴムが言った。
「俺は消しゴム王だ。おまえたちは何者だ」
「星坂小学校の五年生です」
ぼくが答えた。
「地下に何の用だ」
「夏休みのページを探しています」
「ページ?」
消しゴム王はぐるっと周りを見渡した。落とし物たちが、ざわざわ動いた。
「ページはここにある。だが、渡せない」
「なんでですか」
「こいつらが怒っているからだ」
消しゴム王が手を振ると、落とし物たちがざわざわとこちらに集まってきた。
鉛筆が転がってきて、定規が立ち上がって、上履きがぴょこぴょこ歩いてきた。
「ボクたちは忘れられた」
鉛筆が言った。
「落とされて、だれも取りに来なかった」
定規が言った。
「名前も消えて、だれのものか分からなくなった」
上履きが言った。
「だから、ここへ来た。消しゴム王のところへ来た。ここにいれば、忘れられずにすむ」
ミウが小さく息をのんだ。
ぼくも、なんか胸のあたりがぎゅっとした。忘れられたくなくて、集まってきた。
「分かりました。持ち主を探します」
ミウが言った。みんながミウを見た。
「名前の消えたものでも、形を見れば分かるものがあるかもしれない。落とし物リストを作って、持ち主を探しましょう」
消しゴム王が首をかしげた。
「できるのか」
「やってみます」
ミウはノートを開いた。
「まず全部並べてください。一つずつ確認します」
落とし物たちが、ぞろぞろと並び始めた。鉛筆だけでも十本以上あった。キャップや定規、片方だけの上履きまで並べると、床が落とし物でいっぱいになった。ミウは一つずつ手に取って、ノートに書き込んでいった。
「この鉛筆、名前は消えてるけど削り方が特徴的。こういう削り方をする子、クラスに一人いた」
「この上履きのかかとの汚れ方、体育館の入り口のゴムマットの跡と一致してる」
「このナプキンの刺繍、家庭科の授業で縫ったやつだ。何年生のときの?」
ミウがどんどん記録していく。でも、落とし物の数は多かった。
ミウの筆が少しずつ遅くなった。
「全部を完ぺきに確認するには、時間が足りないかもしれない。全員分の持ち主が分からないと、ページは渡せないかな」
ミウが独り言みたいに言って、消しゴム王を見た。
「全員分、調べてくれるのか」
「調べます。でも、時間がかかります」
消しゴム王がしばらく黙った。その間に、タイガがこそっとぼくの袖を引いた。
「ミウのやつ、真剣すぎてかえって動けなくなってる」
「気づいてた」
「何か言ってやれよ」
「ミウが自分で気づかないと意味ない気がする」
「それはそうだけど」
タイガはしばらく考えて、それから消しゴム王の前にずかずかと歩み出た。
「あのさ、王様」
「なんだ」
「こいつらを全部持ち主に返したとして、そのあとこいつらはどうなるの?」
消しゴム王が止まった。
「どうなるとは」
「だって、持ち主が見つかっても、もう古くなってるし、使ってもらえないかもしれない。それってまた忘れられるってこと?」
落とし物たちがざわっとした。消しゴム王がゆっくり答えた。
「……使ってもらえなくても、見つけてもらえれば、それでいい。覚えてもらえれば、それでいい。忘れられたままなのが、いちばんつらいんだ」
タイガはそれを聞いて、うなずいた。
「じゃあ、全部完ぺきに調べなくても、持ち主が分かったやつだけでも、まず戻せばいいんじゃないの」
ミウが顔を上げた。
「完ぺきじゃなくても?」
「全部できなくても、できる分だけやる。残りはあとでまた来ればいい」
ミウが少しの間、黙っていた。ぼくには、ミウが何かと戦っているのが分かった。
全部きれいに記録できないと気がすまない、そういうところと。
スズがミウの隣に来て、ぽつりと言った。
「こっちの上履き、持ち主、分かる気がする」
スズが手に取ったのは、片方だけある小さな上履きだった。
かかとに、小さなハートのシールが貼ってある。
「四年生の松村さんのだと思う。この子、シール集めてたから」
「スズ、どうして覚えてるの」
ミウが聞いた。
「去年、いっしょに帰ったとき、かばんにいっぱいシール貼ってた。かわいいって言ったら、笑ってた」
ミウがスズを見た。
それからノートを見た。それから、ふっと肩の力を抜いた。
「そうだね。分かるものから、やろう」
スズが持ち主を見つけた。名前が消えていても、形や特徴から持ち主を感じ取る。スズにはそういう力があった。鉛筆の削り方からクラスメイトの名前を当てた。定規の傷のつき方から、体育倉庫の番をよくしていた六年生だと分かった。ナプキンの刺繍が去年の家庭科の課題だったことを、スズは何となく知っていた。
ミウは記録をとった。全部じゃなかった。でも、半分以上の持ち主が、少しずつ分かっていった。最後に残ったのが、名前の消えた上履きだった。片方だけ、ひどく汚れていて、かかとが折れていた。
「これ、だれのか分からない」
スズが首をかしげた。タイガが受け取って、裏を見た。
「サイズが……二十センチか。おれのより四センチ小さい」
タイガはしばらく上履きを見ていた。それから、ぽそっと言った。
「三年生のとき、おれも上履き片方なくして、ずっと見つからなかったことある」
「タイガ?」
ぼくが呼ぶと、
「べつに、このやつがそれだとは言わないけど」
タイガは上履きを消しゴム王の前に置いた。
「持ち主、探してみる。夏休みが終わる前に、だれのか分かったら教えに来る」
「約束か」
「約束」
消しゴム王が、ゆっくりとうなずいた。
「よかろう。ページを渡す」
落とし物たちがいっせいにふわっと光った。光は天井の方へ上がっていって、一枚の紙がひらりと落ちてきた。夏休み帳のページだった。ミウが受け取った。
「絵が出てきた。地下王国の絵だ」
消しゴムを積み上げた玉座と、ランタンと、集まった落とし物たち。ぼくたちが今いた場所が、ちゃんと描かれていた。
地上に戻ると、朝礼台を元の位置に戻した。
タイガとぼくで押すと、ずず、と動いてすっぽり元通りになった。夏の日差しが、校庭に戻ってきた。ミウが地図の三つ目の空白を塗りつぶしながら、独り言みたいに言った。
「全部きれいに記録できなかった」
「でも、半分以上分かったじゃん」
タイガが言った。
「うん。そうなんだけど」
ミウはノートを閉じた。
「なんか、変な感じ。記録できなかったのに、悪い気がしない」
「それでいいんじゃない。全部完ぺきにしようとしたら、おれたちも動けなかった。スズが上履きを見つけて、おれが消しゴム王に聞いて、ミウが記録して、ナギサが……ナギサ、なんかした?」
「ポッケのこと背負ってた」
「それだ。全員でやったから、できた」
ミウが少し笑った。
「タイガって、たまにいいこと言うね」
「たまにってなんだよ」
「いつもじゃないってこと」
「ほめてないじゃん」
「どっちかというと、ほめてる」
スズが小さく笑った。その直後、ふと立ち止まって古い倉庫の壁を見た。
落書きがあった。白いペンキが剥げかかっていて、うっすらと子どもの文字が見えた。
「何か書いてある」
スズが言った。ぼくたちはそこへ近づいた。
字が古くて、読みにくかった。ミウが目を細めて、声に出して読んだ。
「トキワスレに会ったら、時計を見ちゃだめ」
全員が黙った。
「ポッケ、トキワスレって、何?」
ぼくは聞いた。
ポッケはしばらく黙っていた。風が吹いて、校庭の砂がさらさらと動いた。
「時計台にいるやつだ。夏休みを食ってるのも、あいつだ」
時計台。止まったままの針と、スズが言っていたさびしい影が、頭に浮かんだ。
「どんなやつ?」
「悪いやつじゃない。でも、会うのはまだ早い」
「なんで?」
「おまえたちが、もう少し分かってからじゃないと、うまく話せない」
ポッケはそれ以上は言わなかった。ぼくは壁の落書きをもう一度見た。トキワスレに会ったら、時計を見ちゃだめ。だれが書いたんだろう。
昔、この学校に通っていた子どもが書いたのか。時計を見たら、どうなるんだろう。
タイガが腕を組んだ。
「……よし。次、どこだ」
「急に話変えたね」
ぼくが言うと、タイガは少し胸を張った。
「変えてない。進めてるんだ」
ミウが地図を広げて、次の空白を指さした。
「次の空白は、商店街の外れのゲームセンターの辺り」
「ゲームセンター!」
タイガの目が光った。
「それは行きたい。絶対行きたい」
「喜んでるけど、ふつうのゲームセンターじゃないと思うよ」
「分かってる。でも行きたい」
スズがタイガを見上げた。
「ゲームセンター、夜もやってるかな」
「たぶん夜の方が変なことになるんだろうな」
ぼくはそう言って、時計台の方向を見た。今日も針は止まっていた。でも、三枚になったページが、鞄の中にある。少しずつ、戻っている。ポッケが背中でぽつりと言った。
「よく動いた。今日はここまでにしておけ」
「まだ昼前だけど」
「消しゴム王に、約束をしてきただろ。夏休みが終わる前に、上履きの持ち主を探すと」
タイガが「あ」という顔をした。
「忘れてなかったけど、どうやって調べようか、まだ考えてなかった」
「今日の午後に考えろ。冒険は一人でやるもんじゃない。でも、約束は一人でするもんでもない」
タイガが神妙な顔でうなずいた。
「……ポッケ、たまにいいこと言うな」
「たまにじゃない。いつも言ってる」
「いつもはえらそうなだけだけど」
「オレは伝説の冒険道具だぞ。えらそうで当然だ」
ミウとスズが同時に笑った。ぼくも笑った。夏の日差しが、校庭をあたためていた。




