第二話 終わらない夏休み
同じ朝がもう一回来ていた。ぼくは自分の部屋で夏休み帳を開いた。ページ数を数えると、昨日と同じだ。いや、昨日と同じというか今日が昨日になっている。
「ポッケ」
「なんだ」
「これって、ぼくだけ? 昨日の記憶があるの」
ポッケのファスナーがゆっくり開いた。
「さあな。確かめてみろ」
ぼくは着替えて、家を出た。ミウの家は商店街を抜けたところにある。三枝ミウは、ぼくの幼なじみだ。去年もいっしょのクラスで、今年も隣の席だった。理屈っぽいけど、困ったときにいちばん頼りになる。玄関のチャイムを押すと、ミウがすぐに出てきた。
肩までの少し茶色がかった髪は、夏の朝なのにきれいにとかされている。手に、ノートとペンを持っていた。
「ナギサ。ちょうどよかった。聞いて」
「ぼくも聞いてほしいことがある」
「どっちが先?」
「じゃんけんで」
ぼくが勝った。
「今日、七月二十一日だよね?」
ミウは一瞬、目をほそめた。
「……昨日も、七月二十一日だったよ」
ぼくの胸の中で、何かがほっとした。
「覚えてるんだ」
「もちろん。わたし、ちゃんとノートに書いてた。今朝起きたら日付が戻ってたから、最初は自分が間違えたのかと思ったけど、ノートの日付は昨日のままだった。だから、昨日は確かにあった。今日はもう一回七月二十一日なんだ」
ミウはノートをぼくの顔の前に突き出した。きれいな字で、昨日の出来事が細かく書いてあった。時計台が止まっていたこと、商店街の様子、時刻まで記録されている。
「すごいな」
「当たり前でしょ。分からないことを分からないままにするのが、わたしは苦手なんだから」
そう言いながら、ミウはちらっとぼくの背中を見た。
「そのリュック、昨日持ってたっけ」
「昨日、こいつに拾われた」
「そのリュック……しゃべってる?」
「オレのことを『そのリュック』と呼ぶな」
ミウが一歩うしろに引いた。
「しゃべった!」
「ポッケっていう名前なんだ。伝説の冒険道具で、くわしいことはあとで説明する。今はタイガのところに行きたい」
「分かった。わたしも行く」
ミウはノートを脇に挟んで、サンダルに足を突っ込んだ。
小森タイガの家は、坂を上ったところにある。タイガはクラスでいちばん声の大きいやつで、いつも「行こうぜ!」と言ってみんなを引っ張っていく。ぼくとは去年から仲がいい。少しうるさいけど、いっしょにいると元気になれる。
チャイムを押すより先に、タイガが家から飛び出してきた。五年生にしては大柄な体が、勢いよく玄関から出てきたので、ぼくは思わず一歩よけた。
「ナギサ! ミウ! やばい! 今日また七月二十一日だ!」
「知ってる」
「知ってるのかよ!」
「昨日の記憶あるんだ」
「当たり前じゃん! おれ昨日の夜ちゃんと寝たのに、起きたらまた一日目なんだよ! 最初は夢かと思ったけど夢じゃないし、テレビもスマホの日付も昨日と同じだし、父さんも母さんも今日が一日目だと思ってるし、これどういうこと!?」
タイガは一息でそこまで言って、ぼくの背中に気づいた。
「なんだそのリュック」
「伝説の冒険道具だ。名前はポッケだ。そんなにじろじろ見るな」
タイガが固まった。三秒後、叫んだ。
「しゃべったァ!!」
「うるさい。耳が痛い」
「ごめん」
タイガは反射的に謝って、それから首をかしげた。
「……リュックに謝った、おれ」
「いいから来い」
ポッケが言った。
「もう一人、昨日の記憶がある子がいる。あの四年生だ」
「あの四年生って、スズのこと?」
ぼくは聞いた。
「そうだ。神社の近くだ。昨日を覚えているやつは、少しだけ気配が違う。オレには分かる」
ポッケはそう言って、商店街の先を指すみたいにファスナーを動かした。
大月スズは、神社の近くの細い路地に住んでいる。去年の夏に公園で会ってから、時々いっしょに遊ぶようになった。口数は少ないけれど、変なものを見つけるのがうまい。落ちているビー玉とか、曲がった枝とか、だれも気づかない小さな穴とか。
路地の入り口にスズはいた。四人の中ではいちばん小柄で、肩の下まである髪を一つに結んでいる。小さなトートバッグを持って、地面の何かをじっと見つめていた。
「スズ」
ぼくが呼んだら、スズが顔を上げた。
「ナギサくん。おはよう。今日、また昨日だね」
「覚えてたか」
「うん。朝起きたら、なんか変な感じがして」
スズはそう言って、地面から視線を上げた。商店街の方角を見ている。
「時計台、まだ止まってる」
ぼくたちは、時計台のある方を見た。
遠くから見ても、針が七月二十一日の朝八時のままなのが分かった。
「時計台の上に、さびしい影がいる」
スズがぽつりと言った。
「影って?」
「形になってないけど、なんかいる。昨日も、あそこにいた」
タイガがこっそりぼくの袖を引っ張った。
「スズ、いつもああいうこと言うよな」
「うん」
「信じてるのか?」
「信じてる」
タイガはちょっとだけ顔をひきつらせたけど、何も言わなかった。
四人で商店街のベンチに集まった。ミウがノートを開いて、昨日わかったことを整理し始めた。タイガはじっとしていられないのか、ベンチの上でそわそわしている。スズは隣で静かに座っていた。
「まず確認するね。昨日を覚えているのは、今のところわたしたち四人だけ。時計台は止まったまま。夏休み帳からは、一枚消えている。つまり記録ごと消された」
ミウがペンを走らせながら言って、眉をひそめた。
「記録を消すって、そんなことが起きるの」
ぼくが言ったら、ポッケが背中でもぞっと動いた。
「起きてる。だから今こうなってる」
「このリュック、なんで事情を知ってるの」
「知ってるというか、感じてる。オレはこの町の夏休みを長いこと吸ってきた。だから、町の何かがおかしくなると分かる。今、この町の夏休みは、だれかに少しずつ食われている。このままなら、時間は元に戻らない」
全員が黙った。
「なくなるって?」
タイガがおそるおそる聞いた。
「時間が止まったまま、動けなくなるということだ」
「それ、まずくない?」
「まずい」
タイガが立ち上がった。
「じゃあ行こうぜ! どこへ行けばいいんだ!」
「まだ座れ。話が終わってない」
タイガがしぶしぶ座った。ポッケが続けた。
「消えた夏休みのページを取り戻せば、時間は元に戻る。ページは、この町のあちこちに現れた、地図にない場所に隠されている」
「地図にない場所って」
ミウが身を乗り出した。
「昨日の商店街の時計台も変だったけど、ほかにも?」
「ある。この町は今、少しずつおかしくなっている。夜になると姿が変わる場所、扉を開けると別の世界につながる場所、そういうところにページが散らばっている。それを集めれば、夏休みは取り戻せる」
ミウはすでにノートに書き込んでいた。
「場所の目印は?」
「地図には載らない。でも、見つける方法がある」
ポッケの口のファスナーがすっと動いて、中から一枚の紙がひらりと落ちてきた。
広げると、星坂町の地図だった。
でも、ところどころに小さな空白があった。印刷が抜けたわけじゃなくて、まるでそこだけ霧がかかっているみたいな、白いぼんやりした部分が七つか八つある。
「この空白が、地図にない場所だ。一つひとつ、足で行って確かめるしかない」
ミウが地図を受け取って、じっくりと眺めた。
「空白が……ここと、ここと、ここにあるね。最初のは商店街のアーケードの辺りかな」
「目がいいな、地図係」
「地図係って呼ばないで。三枝ミウ」
「似たようなもんだ」
ミウがむっとしたけど、地図から目が離せないようだった。
スズが、ふと立ち上がった。
「夜になると、変わる場所」
そうつぶやいて、商店街のアーケードの方を見る。
「昨日の夜、あそこが少し光ってた。青っぽい光。だれも気づいてなかったと思う」
「スズが気づいてたんだ」
ぼくが言うと、スズはこくっとうなずいた。タイガがそわそわしながら地面を蹴った。
「じゃあ、夜まで待つのか。今日の夜」
「そうなる」
ポッケが答えた。
「夏休みが増えたみたいで最初ちょっとうれしかったけど、全然そういうことじゃなかったね」
ミウが言った。
タイガはため息をついた。でも、すぐにまた顔を上げた。
「まあでも、四人でやるんだろ。おれたちが行けばいい話だよな」
ぼく、ミウ、スズが顔を見合わせた。
「そうだね。四人で行く。場所は記録する。地図に足りないものを全部描き足して、ページを取り戻す」
「頼もしいな、地図係」
「ミウって呼んで」
ポッケはそれには答えなかった。ぼくは地図を覗き込んだ。空白の一つが、商店街のアーケードのちょうど真ん中あたりにある。夜になれば、そこへ行ける。変な夏休みになった、とぼくはまた思った。でも、なんかちょっとだけ、ひとりじゃないのがよかった。
夜の八時前。ぼくたちは四人で商店街の入り口に集まった。お店はぜんぶ閉まっていてアーケードの中は薄暗かった。シャッターの前に貼られたポスターが風にゆれている。
「行くぞ」
ポッケが言った。タイガが真っ先に歩き出して、ミウが地図を持って続いた。スズがぼくの横に並んで、静かに歩き始めた。ぼくはアーケードを見上げた。いつもはただの天井なのに。足を踏み入れた瞬間、何かが変わった。天井が、なかった。見上げると、そこには星空が広がっていた。それも、ふつうの夜空じゃない。星と星の間に、細い光の筋がいくつも走っている。足元を見ると、地面がわずかにふわりと浮いている感じがした。
「うそ」
タイガの声がひっくり返った。
「商店街が、宇宙船になってる」
ぼくも、同じことを思った。アーケードの壁が金属みたいに光っていて、閉まったシャッターが、まるで宇宙船の扉みたいに見えた。
「地図にない場所、見つけたね」
ミウが震える手でノートを開いた。スズはそっと前を向いて言った。
「ここに、最初のページがある」




