第一話 しゃべるリュックと夏休み一日目
夏休み一日目の朝、ぼくは世界でいちばん変なリュックを拾った。
場所は、星坂町の商店街のはしっこにある古道具屋「まるふく堂」。
店先には羽の折れた扇風機、音の出ないラジオ、片目だけ光るタヌキの置き物、それから、だれが買うのか分からない巨大なしゃもじなどが並んでいた。
ふつうなら、そこで引き返すべきだった。でも、夏休みというのは、少しくらい変なことをしても許される気がする。
ぼく、風岡ナギサは、星坂小学校に通う五年生だ。店先のガラクタの山にしゃがみこむと、黒い髪が目にかかった。ぼくはそれを、手で適当に払った。
いちばん下に、青いリュックがあった。布はところどころ色あせていて、ファスナーには丸い目玉みたいな飾りが二つついている。ポケットはふくらんでいて、中に何か入っていそうだった。
「……これ、売り物かな」
ぼくが指でつついていると、どこかから声がした。
「おい、そこの小学生」
ぼくは、思わず後ろをふり返った。だれもいない。商店街は朝の準備中で、魚屋のおじさんが水をまいていて、パン屋さんの前からいいにおいがしているだけだった。
「後ろじゃない。前だ、前」
声は、足もとからした。ぼくは、ゆっくり前を向いた。
青いリュックのファスナーが、にやっと開いた。
「オレだ」
リュックが、しゃべっていた。
夏休みはまだ始まったばかりなのに、ぼくの平和な予定はその瞬間に終わった。
「きみ、今なんて言ったの」
ぼくはしゃがんだまま、一歩だけあとずさりした。
「今なんて言ったの、じゃない。ちゃんと聞こえてたくせに」
リュックはそう言うと、ファスナーをパカッと大きく開いた。
中には折り畳まれた地図、小さな方位磁石、それからなぜかラムネの瓶が入っていた。
底の方で、青いビー玉が一つ、ころんと転がった。
「ビー玉?」
「昔から入っている。捨てる理由もないからな」
「きみって、けっこう物持ちいいんだね」
「歴史があると言え」
ポッケは、ファスナーを少し得意そうに開いた。
「オレは伝説の冒険道具だ。名前はポッケ。このまるふく堂の店先に置かれること十四年。おまえのような小学生が指でつつくのを、ずっと待っていたわけではないが、まあ、縁というものがある」
「十四年って……」
「そういう細かいことはいい。背負え」
「いやだよ」
「なぜだ」
「なぜだよって、しゃべるリュックをいきなり背負えって言われても」
ポッケは少し黙った。それからため息みたいな音を出した。
「おまえ、夏休みの予定はあるか」
「……べつに、そんなにない」
「よし。では決まりだ。背負え」
ぼくが立ち上がって逃げようとすると、ポッケはひとりでにぴょんと浮き上がって、ぼくの背中にくっついた。
「ちょっ、待って、なんで!」
「説明した。縁だ」
「縁って何だよ!」
そのとき、まるふく堂の引き戸がゆっくり開いた。
出てきたのは、腰の曲がった小さなおじいさんだった。よれよれの作務衣を着ていて、目の細い、でもどこかおかしそうに笑っている顔をしていた。
「おや、ポッケを気に入ったかね」
「気に入ってないです」
「必要なものは、必要な子のところへ行くんだよ」
おじいさんはそれだけ言って、また引き戸を閉めた。
ぼくは、しゃべるリュックを背負ったまま、商店街の真ん中に立ち尽くした。
星坂町というのは、海と山にはさまれた、どこにでもある感じの小さな町だ。商店街があって、坂の上に小学校があって、少し歩くと海が見えて、バスが一時間に二本来る。
ぼくはここで生まれて、ずっとここで育った。来月には、引っ越す。父さんの仕事の都合で、となりの町に行くことになった。べつに遠くはない。バスで三十分もかからない。でも、星坂の小学校には通えなくなる。ミウとも、タイガとも、夏休みが終わったら会えなくなる。そのことを、まだだれにも話していなかった。
言ったら、本当に終わる気がして。夏休みが始まる前の日、ランドセルの中に夏休み帳を入れながら、ぼくはそう思った。今日だけは、ただの夏休み一日目でいい。
だから古道具屋なんかに寄ったのだ。変なものを見て、少し笑って、それで気持ちが軽くなる気がしたから。
「おい、聞いてるか」
ポッケが背中でもぞもぞ動いた。
「聞いてる。ちゃんとしゃべってる」
「そうじゃない。あれを見ろ」
ポッケの言う方向を、ぼくは目で追った。商店街の出口のところに、時計台がある。
古い石造りで、星坂町の有名な場所の一つだ。その針が、止まっていた。
七月二十一日、午前八時ちょうど。
ぼくは立ち止まって、自分のスマホの時計を見た。今は午前十時を過ぎている。
「……こわれてるのかな」
「こわれてるんじゃない」
ポッケは冷静な声で言った。さっきまでのえらそうな感じとは、少し違っていた。
「時計が止まってるんじゃない。時間が、止まってるんだ」
「どういう意味」
ポッケは答えなかった。
家に帰ったのは、お昼前だった。玄関を開けると、お母さんが台所でラジオを聞きながら昼ごはんの準備をしていた。
「おかえり。どこ行ってたの」
「商店街」
「あ、そう。もうすぐお昼だから、手を洗っておいで」
ぼくはポッケをこっそり部屋に持ち込んで、押し入れに入れようとした。
「やめろ」
「なんで」
「暗い」
「リュックが暗いのいやがるの」
「オレは伝説の冒険道具だぞ。もう少し丁重に扱え」
仕方なく、ぼくはポッケを勉強机の横に立てかけた。
ランドセルの隣に、しゃべるリュックが並んでいた。
なんか変な夏休みが始まったな、とぼくは思った。
夕方、宿題をしようとして、夏休み帳を広げた。
最初のページには、日付と天気を書く欄がある。
七月二十一日、晴れ。
ぼくはそこまで書いて、手を止めた。帳面が、なんとなく薄い気がした。先生から配られたときは、もう少し厚かったはずだ。手に持った感じも、ページをめくる指先の感触も、少し軽い。
「気のせいかな」
ぱらぱらと最後までめくってみる。白紙なのは当たり前だ。まだ夏休み一日目なのだから。でも、最後のページまで来たところで、手が止まった。
ページの綴じ目に、不自然な隙間があった。一枚だけ、きれいに抜け落ちている。
ぴりっとした感覚が、背中を走った。
「おい」
ポッケが背後から声をかけてきた。
「その夏休み帳、最後までページがあったか」
「あったと思うけど」
「今は?」
「……一枚、なくなってる」
ポッケのファスナーが、ゆっくり開いた。
「だから言っただろ。この町の夏休みが、だれかに食われてる」
その夜、ぼくは布団の中でなかなか眠れなかった。ポッケは机の横で静かにしていた。ファスナーは閉じていて、目玉の飾りも動いていない。眠っているのかもしれない。リュックが眠るのかどうかは分からなかったけど。窓の外で、虫が鳴いていた。夏休み一日目の夜だった。ぼくは天井を見ながら、消えた一ページのことを考えた。
食われてる、とポッケは言った。夏休みが、だれかに。意味が分からない。でも、時計台が止まっていたことと、夏休み帳からページが消えたことが、なんか関係してる気がした。引っ越しは、夏休みが終わるころだ。ということは、何かがこのままなら、ぼくはミウたちと過ごせる日を、一日ずつ失っていくことになる。
そう考えたらなんか胸の奥がきゅっとした。べつに平気なのに。ぼくは目をつむった。
翌朝、目が覚めた。起き上がって、一階に降りると、お母さんがラジオをかけながら朝ごはんの準備をしていた。ラジオから、アナウンサーの声が聞こえた。
七月二十一日、本日は晴れのち曇りでしょう――
ぼくは、朝ごはんを食べながらテレビに目をやった。
画面のすみに、日付が出ていた。七月二十一日。昨日と同じ日付だった。
ニュースで流れている内容も、昨日の朝に見たものと同じだった。
「おはよう、ナギサ。今日から夏休みだね」
お母さんが振り向いて、笑った。ぼくは台所の入り口で、しばらく動けなかった。昨日と、まったく同じことを言っている。二階から、ポッケの声がした。
「おい、そこの小学生。起きてるか」
ぼくはゆっくり引き返して、階段を上がった。
ポッケのファスナーが、にやっと開いた。
「始まったぞ」




