作戦失敗
俺は、恐怖の顔でこちらを見ながら、少しずつ遠ざかっていくクレアの姿を見るのが、辛かった。その上視界には『扉を開ける』という文字が主張してきている。
俺の身体はいま、扉を開けることしかできなくなってしまっているのだろうか?その時、その視界の中に一筋の希望が見えた。
俺に指示を与えているその文字の後ろに小さい文字でこう書いてあった。
『あなたは現在、所有者によってフリーモードに変更されています』
フリーモードとは一体どういうことなのだろうか?俺がそう考えると、便利なことにその瞬間の記録が流れ出した。
「もう好きにしたらいいさ!」
今朝アビーが言い放った一言だ。そうか!好きにしたら良いから、俺はこの言葉を発せられた時から、自由になっているというわけだ。アビーの言うことを聞かなくてもいいし、クレアのお願いを聞くのも自由だった。
つまり、クレアをここから連れ出すのも自由なんだ!
俺はそう確信できると、本当になんでもできるような気がした。
「クレア、もう心配ないぞ!」
「エリック……?」
どうやら、俺が話した通りにクレアにも伝わっているようだ。
俺の視界に出てきた、アビーの指示はすぐに消去された。
「どうしたの?早く扉を開けなさい!」
アビーの怒号が聞こえるたびに、彼女の指示が表示される。これをどうにかする術はないのか?
「ねぇ、どうしたらいいの?」
クレアの不安と恐怖の顔を、消すことはまだできないようだ。
「あなたはどうしたいですか?」
またアンドロイドの典型文みたいな喋り方になった。
「私?」
俺はそれが一番大事だと思った。結局、俺が勝手に彼女をこの家から連れ出したところで、それが彼女の本心ではないなら、単なる自分自身のエゴだ。それにこの体は自由な時より、誰かから指示がある方が、動きやすい気がしていた。
「あなたはこの家から逃げ出したいですか?」
俺がそう尋ねると、外から扉をこじ開けようと体当たりをしているような音と衝撃が、バリケードとして置かれている棚やベッドに伝わり、そろそろタイムリミットが近づいていることを知らせてきた。
すると、クレアはこちらを見て頷いた。
「お願い、私を外へ連れ出して!」
「承知しました」
本当はもう少しフランクに返してあげたかったが、俺はそう返事をすると、すぐに窓を開けた。クレアも俺についてくるように、窓のそばに近寄り、開いた窓から下を見下ろした。
「もしかして、ここから飛び降りるつもり?ダメよ!また壊れちゃうわよ!」
クレアの必死さが伝わってくる。俺が壊れてしまったら、彼女はこの地獄から逃げ出すことができないとわかっているのだろう。
だが、もちろんそんなつもりはない。俺は首を横に振った。
「部屋に入っててください」
クレアが窓から首を引っ込めると、俺は窓を大きな音が立つように、勢いよく閉めた。
「くそ!窓から逃げるつもりか!」
男の声が聞こえる。
「ボケっとしてないで!行くわよ!」
アビーの声も後から聞こえると、鈍い足音が下へと向かっていくのが聞こえた。俺の想定通り。
「うまく行ったみたい」
ようやくクレアの嬉しそう顔を見ることができて俺は嬉かった。
奴らが帰ってくる前に、俺は急いでバリケードを解いた。そして扉を開こうとした時、俺のシステムが微かな音を感知した。
「早く!お母さんが戻ってくるよ!」
立ち止まっている俺を急かしながら、クレアが扉を開けてしまった。俺は慌てて扉に向かって走る。すると、クレアが一瞬、俺の視界からいなくなる。
一瞬のこと過ぎて何が起きたのか分からなかったが、そこには、扉のサイドに隠れてクレアを捕まえようと待ち構えていたアビーが、勝ち誇った顔でクレアを抱き抱えていた。
「やっぱりね!あんたが高所恐怖症なのを母親の私が知らなかったとでも思った?」
だから、彼女は窓を開けた時に、躊躇するようなことを話していたのか。彼女はそれに気づいて、一度下の階へ移動したにもかかわらず、また戻ってきたようだ。
しかも、俺に気付かれないように、足音を立てずに。
「その子をどうするつもりですか?」
「生意気なロボットだね!あんたはここの掃除でもしてな!」
だが、俺の視界には掃除の指示が出てこなかった。今俺に指示を出しているのは、クレアだ。
クレアはアビーの脇で口を手で押さえつけられ、ジタバタと足を必死に動かしている。だが、どんなに動かしても、アビーはびくともしなかった。
「やっぱり壊れたわね!」
微動だにしない俺を見て、アビーの目つきがまるで獲物に飢えたヒグマのようになった。
「なんで私の言うことが聞けないの?」
「あなたは私に好きにするように命令されました。ですので、私はあなたの指示に従って、私の意思でクレア様からのご命令通り『クレア様を外へ連れ出す』を遂行しているだけのことです」
そう言うと、クレアの口がようやくアビーの支配から抜け出すことができた。とはいえまだ脇に抱えられて身動きが取れないことは変わらない。
「エリック、助けて!」
その言葉に一番敏感に反応したのはアビーだった。
「なんであんたがエリックって呼ばれてるのよ!なんで、あんたもあんなポンコツをエリックなんて呼ぶのよ!」
アビーの感情が揺さぶられたおかげで、脇の締めが甘くなったのがわかった。
「クレアいまだ!」
クレアがアビーの脇を肘でつくと、アビーはその衝撃で、クレアを手離した。あとは俺がアビーを抑え込んでおけば、クレアは逃げられる。
だが今度は鼓膜を破るような爆音を感知すると俺の視界が途切れ始めた。
『予測不能の事態発生。壊滅的損傷を検知』
どうやら俺の身体に何かあったようだ。
視界が復帰すると、地面が俺の真横に横たわっている。
また倒れているのか。だが、倒れた瞬間の意識がない。
微かに会話が聞こえてくる。アビーとあの男の声がする。
どうやら俺はゲームに負けた。敗因は予期せぬイベントに、時間を使い過ぎてタイムリミットがきてしまったこと。そして、背後のクリアリングを怠り、階段に背を向けてもう一人の敵に気がつかなかったことだ。
「大丈夫か?」
「全く、手こずらせやがって」
アビーの足が目の前にある。だが、その足を俺はどうすることもできない。
クレアは?
途切れ途切れの視界に、男に抱えられたクレアが見える。
「今の銃声でサツが来る前にずらかるぞ」
「私がうまいことやっておくわ」
アビーの低い声が頭の中で鳴り響く。
「エリック!お願い助けて!エリック!」
クレアの必死な声がだんだんと歪んでいくような音に変わり、俺の視界は完全に真っ暗になってしまった。
俺はどうなってしまうのか?いやそれよりもクレアは?彼女はこのあとどうなってしまうのか?
だんだんとそんなことまで考えられなくなってしまっていた。
今までのゲーマー人生で一番屈辱的な敗北だ。




