彼女の面影
カイルがこちらに戻ってくると、ハンナは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そういえばこの前ロビンソンさんにいただいたクッキーがあるから、召し上がっていってちょうだい」
「いいえ、ウィンターズさん。我々も忙しいので、聞きたいことを聞いたら、すぐにお暇します」
カイルの少し冷たい物言いに対しても、ハンナは特に反応を示すことはなかった。少しかわいそうな気もするが、確かに我々はクッキーを食べているどころか、このなんの変哲もない会話の時間すら惜しいのは事実だ。
俺もここはカイルの態度を尊重して、単刀直入に本題に入った。
「あなたのアンドロイドがいなくなってしまったとのことですが?」
「そうなのよ。てっきり私は庭で洗濯物を干していると思って気にも留めてなかったけど、外が暗くなってるのに一向に戻ってこないから心配になって、様子を見てみたらいなくなってたのよ」
「アンドロイドが部屋を出たのは何時ごろですか?」
俺の質問に彼女は首を傾げながら、一生懸命思い出そうとしていた。
「ごめんなさい、かれこれ一週間以上前の話だから覚えていないのよ。いやんなっちゃうわ!歳には敵わないわね」
そう言うハンナの顔はどこか寂しげに見えた。
老い……、俺は経験することなく、こんな体になってしまった。まぁ元に戻るかもしれないが、できれば経験したくはない事象の一つではある。
そういえば、この体って老いとかあるのだろうか?アンドロイドでも、その場所に物体として存在しているなら、劣化は避けられないだろう。
「すいませんウィンターズさん、アンドロイドを所有したことがないんでわからないんですけど、アンドロイドって勝手にどっかに行ってしまうことってあるんですかねぇ?」
すると、彼女は訝しげな表情で俺の方をまじまじと見始めた。
「彼はアンドロイドじゃないのかい?」
「いや、これは僕の所有物じゃないので……」
カイルの言葉に少しばかり傷ついた。俺は相棒だと思っているのになぁ……。
「そうねぇ……、機械のことは私にもよくわからないけど、エリックはアンドロイドが発売してからすぐに私の娘が買ってくれて、もう長いこと家のことを任せていたけど、そんなことは今まで一度もなかったわねぇ」
俺の電子回路に静電気のような電流が身体中を駆け巡った。
「クレア!?」
思わず声を出していた。
「いえ、私はハンナよ?忘れたのかしら?この子は機械のくせにそこまで賢くないのね」
「ええ、なんか壊れているみたいなんです」
またもや、カイルの言葉に傷ついた。
「それにくらべてうちのエリックはすごいのよ。ピアノも弾けるし、家の本は全て暗記しているし、何よりも私にチェスで勝つくらいの実力者なのよ」
最後のは果たしてどのくらい強いのかわからないが、そのエリックはハンナにとってかけがえのない存在だったということは、彼女が話している時の穏やかな表情で察しがついた。
「そのエリックがいなくなった日、何か変わったことはありませんでしたか?家の外に見慣れない車があったとか……」
ハンナはまた首を傾げた。
「いえ、わからないわね。その時ちょうど補聴器が壊れてしまって、外の様子とかを考えている余裕がなかったのよ」
「わかりました。では少し家の中を調べさせてもらってもよろしいですか?」
俺の言葉にカイルは、少し不服そうな表情を浮かべた。
「ええ、クッキーはいかが?」
「私はアンドロイドなので」
「あら、そうだったわね!」
ハンナは恥ずかしそうに、俺の肩をこずいた。俺はそんなことに関わることなく、家の中を調べはじめた。一週間、家事をする人間、いやアンドロイドが不在だったせいで、家のあちこちで洗濯物が山積みになり、流しには食べた後の食器が散乱している。
ただ、この一週間で彼女の脅威に晒されていない領域は、規則正しくまるでモデルルームのように、何もかもが綺麗に整えられていた。
「ウィンターズさん、なんであれだけ通報してたのに、その時に言ってくれなかったんですか?」
後ろでカイルが説教じみたことを言っている。説教ができるということは、なんだかんだで、カイルも彼女のことを放っては置けないようだ。
「そうね……、なんか気がついたら、ふらっと帰ってくるんじゃないかな?と思っちゃったのよ。ほら、あなたたちに相談しちゃったら、本当にエリックがどこかへいってしまったような気がするじゃない?」
そんな葛藤を彼女は少なくとも89回は行っていたということのようだ。
俺は庭に出た。エリックが最後に目撃されているのはこの庭だ。俺の目にはわずかな地面の歪みから足跡を検知した。
自分の足跡とハンナの足よりも大きい、それこそ俺と全く同じ大きさの足跡が、検知できた。それでいくと、ハンナはしばらくこの庭に出ていないことがわかる。
だが、ハンナをはじめ、俺と同じ大きさの足跡以外は検知されなかった。そしてそのもうひとつの足跡は裏手に向かって続いている。
俺は戸口を開けて先を調べてみた。
歩幅が、途中で不自然に広がっている。自発的な散歩にしては歩調が乱れている。何者かに誘引されたのか、あるいは内部プログラムにエラーが起きたのか……?
俺はその時、自分の過去の経験を思い出した。
俺が手伝いアンドロイドとしてクレアの家にいた時、アビーの命令以外の行動をとることに随分と苦戦を強いられた。もし、彼が自分の意思で外へ出たのなら、ハンナは彼にあることを言っているのかもしれない。
「ウィンターズさん、一つ伺ってもよろしいですか?」
「何かしら?」
彼女の口にはビスケットのかけらがついていた。
「あなたはエリックに対して、何か自由を与えるような発言をされたことはありますか?」
「ええ、いつも彼は家のことが終わったら、この家で自由に過ごしていたわよ?」
ハンナはさも当たり前のことのように答えた。
だとしたら、彼が自分の意思でこの家から出ていった可能性も捨てきれなくなってしまった。
「ところで、あなただったら私のチェスの相手になるかしら?それこそ、このチェス盤、彼とのやりかけなのよ。彼の番なんだけどいなくなってしまったから……」
見ると、ピアノのすぐ隣に、圧倒的に白が多いチェス盤が死守されていた。
どうやら数が少ない黒がエリックが動かしている駒のようだ。
「わかりました。ですがもう一つ、お聞きしてもいいですか?」
「あら?そうやって私の気を逸らす作戦かしら?」
「エリックの名前の由来は?」
そう言いながら、俺は黒のナイトを動かした。
「型番よ、ERCなんとかだったから、エリック」
彼女の口から出た答えはそれだけだった。クレアと同じ理由だ。
「チェックメイトです」
俺がそう言うと、ハンナは笑顔だった。そしてその笑顔を見て、俺は微かに抱いていた疑念を払拭することができた。
それは彼女はクレアではないし、クレアとは関係がないということだ。
でも、どこか彼女と通じるところも同時に感じていた。
「ウィンターズさん、せっかくですから、お暇する前に少し部屋の片付けをお手伝いしますね」
「あら、本当に?嬉しいわねぇ」
彼女の嬉しそうな声が響いている中、密かにカイルのため息の声も俺の高性能な音声感知システムが拾っていた。




