第78飯 「一生かかっても読み切れないな」
東卿帝都大学の正門をくぐるのは、久しぶりだった。
銀杏並木の下を、学生たちが行き交っている。何人かがこっちを見て、足を止めた。スマホを向けてくる人もいる。昨日のSランク発表のニュースのせいだろう。
『下僕、見られておるぞ』
『そうだな』
『わしが可愛いからじゃな』
『剣のままだぞ、お前』
研究棟の三階。神崎先生の研究室のドアをノックすると、中から勢いよく開いた。
「狭間様ぁ! Sランクおめでとうございますっす!」
文珠川さんだった。
「千門っすね! サウザンド・ゲートっすね! かっこいいっす!」
「ありがとうございます」
「……でも、ちょっと言いづらいっす」
「俺もそう思います」
奥の机で、神崎先生が眼鏡を外して立ち上がった。
「おめでとう、蓮くん」
「ありがとうございます、先生」
「ニュースで見たよ。静江が、あの写真をスマホの待ち受けにしていた」
……やめてほしい。ヴィヴィが真ん中で胸を張っているやつだ。
研究室は、相変わらず本と資料で埋まっていた。壁一面の書棚、床に積まれた箱、机の上の古い地図。人が三人座ると、それだけで窮屈になる。
先生が淹れてくれたコーヒーを受け取って、俺は切り出した。
「先生。今日は、禰室の遺物のことで来ました」
「ああ。文珠川くんから、少しは聞いている」
「あの古城にあったものは、魔族のものだったんです」
「やはりそうか……」
「証拠はありません。でも、俺は本当だと思っています。それで、相談があります」
◇
禰室で起きたことを、順番に話した。
古城の奥で、青い肌の女と戦ったこと。名前はアズール。あの城は、彼女の家だったこと。俺たちが持ち出した長卓も、鍋も、書庫の本も、全部その家のものだったこと。
彼女は、謁見の間の祭壇を守っていたこと。そこにあったのが右脚の魔王剣で、それがヴィヴィと一つになったこと。そのおかげでワープが使えるようになったこと。
そして、守っていた魔王剣がなくなって彼女が逃げたこと。
先生は、最後まで口を挟まなかった。
話し終えると、研究室はしばらく静かだった。窓の外で、学生の笑い声が遠くに聞こえる。
「……魔族の一族が、今もあの城を守っていた」
先生が、ゆっくりと眼鏡をかけ直した。
「五十年前、世界中にダンジョンが現れてから、ずっとということか。あるいは、もっと前から」
「分かりません。でも、あの城に埃は一つもなかった。誰かが、ずっと手入れをしていたんだと思います」
「ああ。そうだろうね」
先生は机の上で、両手の指を組んだ。
「蓮くん。私は遺物学者だ。ダンジョンの中の物は誰のものでもない。我々はずっとそう考えていたし、そう教えてきた」
それから、俺をまっすぐ見た。
「だが、持ち主がいるなら話は別だ。それは発掘ではない。返すのが筋だ」
「……はい」
「我々は、人の家に土足で上がり込んだわけだ」
先生の声は静かだった。責める調子ではない。それでも文珠川さんが小さく肩をすくめた。
「……うちも、浮かれてたっす。素敵なお城だって、はしゃいで」
「君だけのせいではないよ、文珠川くん。私が依頼を出したんだ」
先生が、ふっと息をついた。
「それで。遺物は、今どこに?」
「全部、俺のインベントリに入ってます」
俺は、自分の胸のあたりを指した。
「とりあえず、出してみます」
床の空いたところに手をかざす。まず一番大きいものから——。
「待ってほしいっす!」
文珠川さんが両手を広げて飛び込んできた。
「それ、一階の長卓っすよね!? 五メートルくらいあるやつっすよね!? 無理っす! 研究室に入らないっす! 床が抜けるっす!」
「……ですよね」
長卓はやめた。鍋も、燭台も、椅子も、家財は全部インベントリに残しておく。
結局、出したのは書庫の本と、小部屋の帳面と、羊皮紙の地図だけだった。それだけで、机の上が埋まった。床の箱の上にも積んだ。それでも、まだ書庫の本の半分にも満たない。
先生が、一番上の一冊を手に取った。
革の表紙をそっと開く。見たことのない文字が、細かく並んでいた。
先生の目の色が、変わった。
「……これは」
ページをめくる指が、わずかに震えている。
「文珠川くんが言っていた、規則性のある文字だね。書庫一つ分か」
「書庫一つ分っす。残りは全部インベントリっす」
「一生かかっても読み切れないな」
先生は本を閉じて、机に置いた。それから、俺に向き直った。
「蓮くん。分けよう」
「分ける?」
「すぐに返せるものと、時間がかかるが必ず返すものだ」
先生が、指を一本ずつ立てた。
「長卓や鍋のような家財は、使い方を映像に残してある。我々が手元に置く理由はない。すぐに返そう。君のインベントリに入ったままなら、明日にでも持っていける」
「はい」
「本と帳面と地図は、少し時間がほしい。解読できれば、魔族のこと、ダンジョンのこと、五十年前のことが分かるかもしれない。だが、それも持ち主の許可があっての話だ」
先生の声が、少しだけ低くなった。
「返さないものは、ない。それだけは決めておこう」
「……はい」
「問題は、許可を誰に取るかだが」
「明日、禰室ダンジョンに行って聞いてこようと思います」
先生と文珠川さんが、そろって俺を見た。
「古城の玄関に、ゲートを残してあるんです。入口に張り直せば、すぐに城まで行けます。城に誰かが入れば、彼女は多分気づきます」
「……会えるのかい」
「分かりません。でも行ってみます」
本人がいないところで決めていいことじゃない。
先生が、小さく頷いた。
「分かった。協会への報告書は、私と文珠川くんでまとめよう。地動さんには、私から連絡しておく」
「ありがとうございます。それと、もう一つ」
俺はインベントリから、青白い破片を取り出した。
地球儀を切り分けたような、いびつな形。断面に、何かの紋様が途切れている。
「氷の巨人王ヨトゥンの玉座の上にあった籠に、入っていました」
先生は受け取ると、しばらく眺めていた。光にかざし、断面を指でなぞり、裏返す。
「……分からないな」
「何かの一部だということは分かる。だが、何の一部なのかは見当もつかない。少なくとも、私が今まで見てきた遺物の中に、似たものはない」
「そうですか」
「文珠川くん、君はどうだい」
「うちも分からないっす。禰室で見たときからずっと考えてるっすけど」
破片を、先生の手から受け取った。
「これは俺が持っておきます」
「ああ、頼む」
インベントリに戻す。
先生が、ふと、俺の腰に目をやった。
「蓮くん。右脚の魔王剣と一つになったと言ったね」
「はい」
「ヴィヴィくんに、何か変化は?」
ボンッ。
ヴィヴィが実体化した。研究室の真ん中で、腕を組んで仁王立ちしている。
「ない!」
「即答だな」
「強いて言えば、腹が減るくらいじゃ!」
「それは前からだろ」
先生が少しだけ笑った。
「……そうか。何か変わったことがあったら、すぐに教えてほしい」
「分かりました」
「下僕! 話は終わったか!」
ヴィヴィが、俺の袖を引っ張った。
「終わったなら、いたりあんじゃ! あいすけーき三つじゃ!」
「分かってる」
それから、先生と文珠川さんのほうを見た。
「先生たちも、一緒にどうですか。今日は俺が出します」
「行くっす!」
文珠川さんの返事は、俺が言い終わる前だった。
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