第75飯 「派手な男だ」
ワープ。ワープ。ワープ。
本杢から北へ、海沿いを百メートルずつ跳んでいく。瞬光で次の着地点を決め、着いた瞬間にはもう次へ跳んでいる。
視界の端で、お代場の灯りが近づいてくる。その手前の海が、黒く盛り上がっていた。
残り一分。
三十秒。
最後のワープで、明星ふ頭公園の上空に出た。
バチッ、と籠手から雷が抜けた。
腕が急に重くなる。ワープが切れた。ここから九十分は使えない。
「ぎりぎりだったな……」
シフトに切り替えて、空中で体を止める。
眼下の公園は、膝まで水に浸かっていた。
その水の中で、六つの人影が動いている。フルーツバスケットの五人と、もう一人。白い術衣の上に、防刃ジャケットを羽織った女性だ。
「龍梅! 右から三体来るぞ、下がれ! 梨路は前に出すぎだ!」
鋭い声が飛んでいる。その女性は、片手に剣を持ったまま、もう片方の手で龍梅さんの肩口に触れていた。青い光が傷口に流れ込み、裂けた皮膚がみるみる塞がっていく。
「ありがとうございます……!」
「礼はいい。次にその角度で受けたら腕ごと持っていかれるぞ。受けるな、流せ。分かったか」
「は、はい!」
治しながら説教している。
全員、頭の先から足の先までずぶ濡れだった。サハギンたちが口から細い水流を吐き、それを浴び続けたらしい。
その奥で、海が立ち上がっていた。
盛り上がった海水がゆっくりと崩れ落ちる。その中から、巨大なものが姿を現した。
サハギンだ。だが大きさが違う。
十五メートルはある。ロードの倍近い。全身を覆う鱗は、夜の深海のように黒い。頭からはエラが変形したらしい骨と肉の突起が何本も突き出して、王冠のような形をつくっていた。
手には、船のマストほどもある三叉の槍。
サハギン・キング。
キングが胸を膨らませるたび、足元の海面がぼこぼこと泡立つ。その泡の中から、一メートルほどの小さなサハギンが次々と這い出してきた。
こいつ、産んでやがる。
「狭間さん!」
柿山さんが俺に気づいて叫んだ。
「よかった……! 戻ってきてくださったんですね!」
「遅くなりました。全員無事ですか」
「死人はいない。私がいる限り出さん」
答えたのは術衣の女性だった。目の下に濃いクマがある。髪はきつく後ろでひっつめていた。
「渚冴子。Sランクだ。お前が狭間か」
「はい」
「話は後だ。あれをどうにかしろ。私には火力がない」
あっさり言い切った。
水のSランク。前線の全員を治し続けて、一人も死なせないと聞いたことがある。ついた二つ名が「不死身工場」。本人は嫌がっているらしい。
◇
キングが、こちらを見た。
黒い目が、まっすぐ俺を捉えている。
まずい。
キングの喉が、大きく膨らんだ。
『下僕! 来るぞ!』
キングが口を開く。
「——ッ!」
水が来た。
ただの水流じゃない。海そのものを押し固めて撃ち出したような、超高圧の奔流だ。進路にあった街灯が、根元からへし折れて吹き飛んでいく。
レヴィア・ブレス。
「ロック!」
公園の前面、幅百メートルにわたって空間を固定した。
ドォン、と腹に響く衝撃。見えない壁に激流が叩きつけられ、左右へ裂けていく。
止まった。だが重い。壁越しに伝わる圧が、腕の骨にまで響くようだ。
「なんて水量ですの……!」
ブレスが止んだ。
壁の左右から回り込んだ水が、公園全体に流れ込んでいた。膝までだった水位が、腰まで上がっている。
そして、その水のあちこちが泡立ち始めた。
ぼこり。ぼこり。
広がった水から、サハギンが生まれてくる。十体、二十体。数える間にも増えていく。
「戦場を、自分の水で埋めてやがる……」
本杢のサハギン・ロードとは格が違う。水そのものを自分の領地に変えている。
ノヴァで一掃するか。
籠手に意識を向けて、そこで止めた。本杢とは違う。
全員ずぶ濡れだ。ロックで浮かせても、髪や服から滴る水までは切り離せない。この水量の中で最大出力の雷を落とせば、余波で全員を感電させる。
『下僕』
ヴィヴィの声がした。
『あれを使え。今日拾ったやつじゃ』
……やっぱりそうなるか。
試し撃ちもしていない。ぶっつけ本番だ。
だが、水には氷だろう。
「仕方ないな」
インベントリに手を入れて、引き抜いた。
白い弓だった。握りの部分に霜が浮いている。触れた指先から、冷気が腕を這い上がってきた。禰室の氷の巨人王が落とした魔剣だ。
「狭間……お前、それは」
「魔氷雪弓ヨトゥンです。氷の魔剣です。禰室ダンジョンで手に入れました」
「……いけるのか?」
「やるしかないですね。雷だと皆さんまで感電させます」
弦に指をかける。引く。
矢をつがえていないのに、弦と弓の間に淡い光が集まり始めた。光は細く伸び、透き通った氷の矢になった。
近くのサハギンに狙いを定める。
「アイスアロー」
放った。
矢は水を割って飛び、一体のサハギンの胸に突き刺さった。
ピシッ、と乾いた音がした。
刺さったところから、白い霜が一気に広がる。サハギンの体が、表面から芯まで凍りついた。槍を振り上げた姿勢のまま、一体の氷像になる。
凍った体の真ん中に、核が透けて見えた。
いける。
柿山さんが目を見開き、それから周りの群れを見回した。百体、二百体。まだ増え続けている。
「これだけ……?」
「いいえ」
俺はもう一度、弦を引いていた。
「上を見てください」
◇
柿山さんが空を見上げ、そのまま動かなくなった。
夜空が青白く光っていた。
公園の上空いっぱいに、氷の矢がびっしりと並んでいる。百本や千本ではきかない。すべての鏃が、真下を向いていた。
弦を引いている間、矢は次々に生まれる。生まれた端からロックで空へ送り、並べて固定していく。一本目を撃った直後から、もう始めていた。
何万本あるのか、作った俺にも分からない。
「な……」
柿山さんの口が開いたまま閉じない。
桃瀬さんも、梨路さんも、龍梅さんも、栗花落さんも、空を見ていた。サハギンたちまで、一斉に上を向いていた。
渚さんだけが、小さく鼻を鳴らした。
「派手な男だ」
キングが吠えた。
本能で分かったのだろう。三叉の槍を天に突き上げ、喉をふたたび膨らませる。二発目のブレスだ。
遅い。
「全員、動かないでください」
弦から手を離し、頭上に掲げる。六人をロックで水面の上へ持ち上げ、頭上に傘を張る。
それから、空いっぱいの矢に向けて、腕を振り下ろした。
「氷巨人の宝庫!」
固定を、一斉に解いた。
キュウゥン。矢が、空気を走る音がした。
ズドドドドドドドドドド——。
何万本もの氷の矢が、雨のように降り注いだ。サハギンの群れに、チーフに、生まれかけの泡に、腰まで溜まった海水そのものに。
刺さった端から、白く凍っていく。
ピシピシピシピシ、と乾いた音が重なり、やがて一つの轟きになった。
水面が凍る。凍った水面に立っていたサハギンが、足元から凍る。逃げようとした群れが、走る姿勢のまま止まる。
キングの胸に、腕に、王冠に、矢が次々と突き立つ。それでもキングは二発目のブレスを吐いた。
だが水流は、口を出たところで凍った。
太い氷の柱が、キングの口から斜めに伸びて止まる。そこから霜が逆流するように顎へ、首へ、胸へと這い上がっていく。
三叉の槍を掲げた姿勢のまま、十五メートルの巨体が一本の氷の塔になった。
降っていた矢が、尽きた。
明星ふ頭公園は、一面の氷原に変わっていた。
凍った海面の上に、何百ものサハギンが氷像になって立ち尽くしている。その中央で、氷漬けのキングが夜空を突いていた。
透き通った胸の奥に、核が見えた。人の頭ほどの大きさで、暗い青色に脈打っている。
まだ生きている。
だが、もう動けない。
ヨトゥンを下ろして、右手を前に突き出した。
「ブレイク」
空間を震わせる。最大の出力で、高く、細かく。
一瞬、何も起きなかった。
次の瞬間、キングの氷の表面に、白いひびが走った。
ひびは枝分かれしながら全身に広がり、周りの氷像にも、凍った海面にも伝わっていく。
パキン、と澄んだ音が一つ鳴った。
キングが砕けた。
鱗も、王冠も、三叉の槍も、胸の奥の核も。すべてが細かな氷の粒になって崩れ落ちる。
周りのサハギンたちも、同じだった。数百の氷像が次々に砕けて、きらきらと光る粉になっていく。
粉は夜風に巻き上げられ、街灯の光を受けて、公園の上を雪のように舞った。
◇
静かだった。
誰も、しばらく口を開かなかった。
「……終わった、んですの?」
桃瀬さんが、恐る恐る周りを見回した。
「終わりました」
六人を氷の上に下ろし、傘を解く。足元の氷は、ゆっくりと溶け始めていた。
「すごい……」
柿山さんは、矢が一本も残っていない空をまだ見上げていた。
渚さんが、龍梅さんの腕を掴んで傷を確かめていた。
「お前、さっき言ったことをもう忘れたのか。また受けたな」
「す、すみません……」
「死んでなきゃ治す。だが、死ぬな」
ぶっきらぼうに傷を塞いでいく。それから、俺のほうを見た。
「狭間」
「はい」
「助かった」
それだけ言って、また次の怪我人のほうへ歩いていった。
ボンッ。
腰の横で、聞き慣れた音がした。
「下僕ーーーーー!」
実体化したヴィヴィが、俺の腕に飛びついてきた。
「終わったのじゃな! 終わったのじゃな!?」
「ああ。終わった」
「ならば次は飯じゃ!」
ヴィヴィが両手を突き上げた。
「イタリアンと天ぷらじゃーーー!」
ずぶ濡れのフルーツバスケットが、一斉に吹き出した。
「ピザじゃ! マルゲリータと、マリナーラと、ペスカトーレと——」
「わかったわかった」
凍った海の上に、ヴィヴィの声がいつまでも響いていた。
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◇ 渚冴子
年齢:45歳
身長:168cm
ランク:Sランク
二つ名:「不死身工場」(本人は嫌っている)
外見:術衣の上に防刃ジャケット。髪はひっつめ。目の下のクマが取れない
本業:救命救急医。探索者は副業扱いだと本人は言い張っている
性格:口が悪い。怪我人を見ると治しながら説教を始める
魔剣:アロンダイト(水)
戦闘:前線の全員を治し続ける持久型。本人の火力はほぼゼロ
関係:東堂修二の元指導役。東堂は今でも頭が上がらない
口癖:「死んでなきゃ治す。死ぬな」




