幕間12 動かないはずの門
前半はニュース、後半は地動視点(三人称限定)です。
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『——東卿湾岸部で発生したダンジョンスタンピードから、一夜が明けました』
朝のニュース番組は、どの局も同じ映像から始まっていた。
上空からの空撮だ。お代場の海沿いに、灰色の帯が延びている。防衛線の内側として放棄された一帯だった。ガラスの割れたビルが並び、道路には乗り捨てられた車が斜めに止まっている。その間を、オレンジ色の作業服の人影がゆっくりと歩いていた。
『発生は昨日午後五時過ぎ。お代場ダンジョンからあふれ出たモンスターは、湾岸の広い範囲に広がりました。科川、大盛、羽多、東神那川、桜樹町、本杢。被害は、海沿いのほぼ全域に及んでいます』
画面が地図に切り替わる。海岸線が赤く塗られていた。
『協会と警察の発表によりますと、現在までに確認された死者・行方不明者は、あわせて四百十六名。そのうち百三十八名が、初動で現場に入った探索者です』
キャスターが一度、手元の原稿から顔を上げた。
『行方不明となっている方の多くは、遺体が見つかっていません。モンスターに襲われた方は泡のように消えてしまう、という目撃証言が相次いでおり、協会が確認を進めています』
◇
『——九年前の京洛大氾濫では、死者・行方不明者が一万数千人にのぼりました。それと比べると、今回の被害は二十分の一以下に抑えられたことになります』
昼のワイドショーでは、スタジオに大きなパネルが置かれていた。京洛と東卿。二つの数字が並べてある。
『何が違ったんでしょうか』
司会者に話を振られた防災の専門家が、パネルを指した。
『まず、設備です。京洛のあとにできた法律で、商業施設には防護シャッターの設置が義務付けられました。警報と連動して自動で下りる。昨日は湾岸の地下街で、これがほぼすべて作動しています』
『電車も止まりましたね』
『遠隔で一斉に止まりました。駅には防護柵も下りた。モンスターが線路を伝って内陸に入ることは、一件もありませんでした』
『では、避難は順調だったと』
専門家は少し言葉を選んだ。
『……設備は、動きました。ただ、人のほうは訓練どおりとはいきませんでした。避難訓練は九年間、ほとんど形だけになっていましたから。シャッターが下りるのを見て、慌てて外へ逃げようとした方も少なくありません。通信も、安否確認が集中してしばらく繋がらなくなった』
『仕組みは間に合ったけれど、人はまだ慣れていなかった』
『そういうことだと思います』
画面の下に、テロップが流れた。
〈沿岸部の放棄区域は海岸線から一キロ圏 経済損失は数兆円規模の見込み〉
◇
夕方のニュースは、戦った側の話になっていた。
『今回、防衛線を支えたのは、国内に五人しかいないSランク探索者のうちの二人でした』
画面に、二枚の写真が並ぶ。割烹着の上に腕章をつけた小柄な老婆。目の下にクマのある、ひっつめ髪の女性。
『「城壁」の異名を持つ石動千代さん。東神那川で、数百体のモンスターを盾の魔法でせき止め続けました。そして「不死身工場」こと渚冴子さん。お代場の最前線で、負傷した探索者の治療にあたりました』
『渚さんの担当した区域では、探索者の死者がゼロだったそうですね』
『ええ。ご本人は救命救急医で、今朝にはもう病院の勤務に戻っているそうです』
スタジオに、小さな笑いが起きた。
『そしてもう一人』
画面が切り替わった。
ぶれた映像だった。誰かがスマホで撮ったものらしい。夜の海沿い。空から一筋の雷が落ちて、群れが一瞬で消える。次の瞬間、撮っている人のすぐ横に若い男が現れて、また消えた。
『Aランク探索者、狭間蓮さん。配信者「REN」としても知られ、「短剣ニキ」の愛称で親しまれています』
『大土島の解放型ダンジョンでも活躍した方ですね』
『はい。狭間さんは発生から約一時間後にお代場に到着。そこから三十分ほどで、お代場から本杢まで、湾岸のほぼ全域を回ってモンスターを掃討したとされています』
『それ、一人でですか?』
『一人です。最後はお代場に戻り、大型の指揮個体を倒しています』
別の映像が流れた。明星ふ頭公園の上空。夜空を埋め尽くす、青白い光の粒。
コメンテーターの一人が、身を乗り出した。
『これ、何なんですか』
『氷の矢、だそうです』
『……何万本あるんですか、これ』
『分かりません』
◇
夜の報道番組には、東卿帝都大学の神崎龍一郎教授が出演していた。
『先生。今回のスタンピードの原因について、どうお考えですか』
キャスターの問いに、神崎教授は眼鏡の位置を指で直した。
『分かりません』
『……と、言いますと』
『協会が調査を始めたところです。現時点で申し上げられるのは、それだけです』
キャスターが困った顔で次の質問に移る。画面の隅で、教授は手元の資料を静かに閉じていた。
◇
三日後。
探索者協会本部。関東統括部長室の窓からは、東卿の街並みがよく見えた。湾岸の方角だけ、まだところどころ灰色が残っている。
地動弥勒は、机の上の報告書をもう一度めくった。
調査班が昨夜まとめたものだ。三日かけて、ようやくお代場ダンジョンの入口まで潜れた。
何度読み返しても、中身は変わらない。
ノックの音がした。
「失礼します」
入ってきたのは、狭間蓮だった。ジーンズにパーカー。認定式のときのスーツではない。
「急に呼び立ててすまなかったね。座ってくれ」
「いえ。電車がタダなので」
狭間がソファに腰を下ろした。その腰に提げた短剣から、少女の不機嫌な声がする。
『下僕。いつになったらイタリアンに行けるのじゃ』
「あとでな」
『あとでとは、いつじゃ! もう三日じゃぞ! 三日もお預けとは、どういう了見じゃ!』
……少女の不機嫌な声がする。配信で何度も見た、例の魔剣だ。
「……魔剣殿は、ご機嫌ななめのようだね」
「すみません。三日間、事情聴取と報告書で潰れたので」
「それは協会のせいだな。悪かった」
地動は報告書を狭間の前に滑らせた。
「今回のスタンピードについて、調査班の報告が上がってきた」
狭間が顔を上げた。
「お代場ダンジョンのゲートは、本来は明星ふ頭公園の奥にある。君は見たことはあるかね」
「いえ、ありません。それに着いたときはキングの相手で、そこまでは見ていませんでした」
「だろうね。そこなんだ」
地動は、報告書の一枚目に貼られた写真を指で叩いた。
濁った水の中に、青白い渦が写っていた。
「ゲートが、海の中にあった。公園の奥から、およそ八十メートル沖。水深は十二メートルほどだ」
「……は?」
「あのダンジョンの中は、もともと水没した瓦礫の街だ。ゲートが海の底に移ったことで、ダンジョンの中と東卿湾が繋がってしまった。キングはその膨大な水を使って、サハギンを産み続けた。今回のスタンピードは、それが原因だ」
狭間は黙って写真を見ていた。
「ゲートって……動くものなんですか」
「動かない」
地動は即答した。
「五十年前にダンジョンが現れてから、世界中のどこでも、ゲートが動いたという記録は一つもない。地震でも、洪水でも、ずれたことはない」
「じゃあ、なんで」
「分からん」
それが、報告書の最後の一行だった。原因不明。
狭間は写真から目を離さなかった。納得していない顔だった。
「……誰かが、動かしたってことは」
「それも含めて、調べている」
地動は、それ以上は言わなかった。言えるだけの材料が、まだない。
◇
「それと、もう一つ」
地動は、机の引き出しから別のファイルを取り出した。
「禰室の件だ。君が魔族と接触したという報告は、受けている。詳しく聞かせてもらえるかね」
狭間の表情が固くなった。
「禰室ダンジョンの古城で、魔族と会いました。戦闘になって、相手は逃げました。城の中にあった遺物は、俺がまとめて預かっています」
「ふむ」
「ただ、正直、俺もまだ全部は整理できていなくて。遺物のこともあるので、大学の神崎先生と文珠川さんと一度話をしてから、きちんと報告させてもらえませんか」
地動は狭間の顔を見た。
隠しているわけではない。順番を踏もうとしているだけだ。
「分かった。それでいい」
「ありがとうございます」
「ただし、なるべく早く頼むよ。上がうるさくてね」
上。その言葉に、狭間が首をかしげる。地動は小さく笑った。
内政補佐官の玉城から、昨日も電話があった。魔族の件はどうなっている、と。あの男の眉間の皺は、たぶん今夜も深い。
「それから、最後に一つ。こちらは悪い話ではない」
地動はファイルを閉じて、狭間に向き直った。
「一週間後、もう一度ここに来てもらえるかね」
「また認定式ですか」
狭間が、露骨に嫌そうな顔をした。
地動は、今度ははっきりと笑った。
「察しがいいな。ただし、今度はAではない」
狭間の動きが止まった。
『下僕』
腰から、また声がした。
『その日の帰りに、イタリアンじゃな?』
狭間が天井を仰いだ。
窓の外では、湾岸の灰色の上に、ゆっくりと日が傾き始めていた。




