第71飯 「現場からの報告です」
八皇子ギルドの自動ドアが開いた瞬間、怒鳴り声が耳に飛びこんできた。
「湾岸線、全面通行止めです!」
「カモメレール全線停止、乗客の安否確認中!」
「Bランク以下の招集、まだ三割も繋がってません!」
職員がカウンターの内側を走り回っている。どの電話も鳴りっぱなしだった。待合のベンチには探索者が十数人、装備を抱えたまま壁の大型モニターを見上げている。
モニターには湾岸の中継が映っていた。ヘリからの映像だ。夜の海沿いに、ところどころ火の手が上がっている。
「狭間さん!」
カウンターの奥から古館さんが出てきた。いつもの強面が、さらに険しくなっている。
「戻られましたか」
「ついさっき。状況を教えてください」
「こちらへ」
古館さんは振り返りもせずに歩きだした。俺と文珠川さんがその後を追う。
「すみません、こちらの方は」
「東卿帝都大学の文珠川さんです。北海堂から一緒に戻ってきました。ここで預かってもらえますか」
「承知しました。川原さん! この方を奥の休憩室へ」
「は、はいっ」
文珠川さんが若い職員に連れられていく。振り返った顔が、何か言いたそうだった。
◇
ブースの一つに入ると、古館さんがタブレットを机に置いた。湾岸一帯の地図に、赤い印がびっしりと打たれている。
「発生は日没の少し前です。お代場周辺の海から、モンスターが一斉に上陸しました。その後、東卿湾の海沿いを東西へ広がっています」
赤い印は、お代場を中心に左右へ伸びていた。海沿いの埋立地を、端から端まで塗りつぶすように。
「敵は水棲型の人型モンスターです。数は不明。報告が多すぎて、本部でも数えられていません」
「本部の指示は」
首を横に振った。
「出ていない、と言ったほうが正確です。スタンピードは解放型と違って、規模も範囲も最初はわかりません。本部は情報を集めるので手一杯です。現場の判断で動いてください、というのが今の実質的な指示です」
指揮系統は、あってないようなもの、ということか。
「現地の戦力は」
「Sランクが一名、すでに対応中です。もう一名もまもなく到着すると聞いています。Aランクは各地から向かっていますが、全員が揃うには時間がかかるでしょう」
「被害は」
一瞬、言葉を選ぶように黙った。
「本部の試算です。湾岸部の人口と、モンスターの侵攻速度から出したものですが」
タブレットの画面を切り替える。
「このまま押し込まれた場合、最初の数時間で犠牲者は数千人から、数万人」
息が止まった。
「道路は避難の車で動きません。救急車も消防も現場に近づけない状況です」
モニターの中継が切り替わった。地上のカメラだ。
海沿いの街並みが映っている。ビルも、看板も、信号も、そのまま残っていた。崩れているところはほとんどない。
なのに、人がいなかった。
車道の真ん中に、ドアの開いたままの車が何台も止まっている。歩道に、片方だけの靴が落ちていた。
指先が冷たくなった。
この光景を、俺は知っている。
「狭間さん」
古館さんの声で、我に返った。
「それから、もう一つ。現場からの報告です。単純な攻撃では倒せないとのことです。斬っても、元に戻ると」
「元に戻る……」
「くれぐれも……気をつけてください」
◇
「下僕」
腰の短剣が震えた。
ボンッと音がして、ヴィヴィが実体化する。ブースの椅子にちょこんと座り、俺を見上げた。
「腹が減ったのじゃ」
「後でな」
「ずっと後でと言われておる」
「今は本当に後でなんだよ」
古館さんが、机の下から紙袋を取り出した。
「おにぎりならありますよ。職員の夜食用ですが」
「よいのか!」
「おかかと、昆布と、梅です」
「梅以外じゃ」
ヴィヴィが紙袋を抱えて、ちょうど通りかかった文珠川さんの隣に座った。休憩室から少し出てきたところだったらしい。二人で並んで、おにぎりの包装をぺりぺりと剥がしはじめる。
「おぬし、おかかと昆布、どちらがよい」
「えっ、あ、じゃあ昆布で……」
「やらん」
「聞いただけっすか!?」
緊張感のかけらもない。だが、少しだけ肩の力が抜けた。
俺はタブレットの地図に目を戻した。
八皇子からお代場まで、直線でおよそ五十キロ。シフトで時速二百キロなら十五分。道路が止まっていようが、空は関係ない。
ワープを連打すれば四分で着く。だが使えるのは三十分だけで、切れたら九十分は戻らない。移動はシフトでいい。三十分は全部、向こうで使う。
それから、敵。
海から来た。斬っても戻る。水棲型。
手持ちの魔剣を頭の中で並べる。童子切安綱の炎は、水が相手だと効果が少ない。ヨトゥンの氷は、凍らせて止めることはできても倒せるかはわからない。ゲイボルグの風は、散らすだけで終わるかもしれない。
水を相手にするなら、一番通るのは雷だ。
ヤールングレイプル。
「古館さん。フルーツバスケットの桃瀬さんから電話がありました。スタンピードが起きた、早く戻ってきて、と。そこで切れて、それきり繋がりません」
古館さんの眉がわずかに動いた。
「フルーツバスケット……さっき待合にいた探索者が、ファンの投稿を見たと話していました。今日はお代場で撮影だったそうです。所在の確認は取れていません」
発生地点のど真ん中だ。
「そこに直行します」
古館さんは何も言わずに頷いた。止める気はないらしい。
「お代場周辺の詳細な地図を、狭間さんのスマホに送ります。避難所の位置と、すでに崩れている区画も」
「助かります」
古館さんが、引き出しから小さな機械を取り出した。耳にかけるタイプのインカムだった。
「これを。現場の協会回線に繋がっています」
「俺、雷を使いますけど、大丈夫ですか」
「探索者用の支給品です。魔力の干渉に強い造りで、雷属性の方も現場で使っています」
耳にかける。ザザッと雑音がして、遠くで誰かが怒鳴っている声が聞こえた。
◇
ギルドの外に出た。
夜風が生ぬるい。遠くでサイレンが鳴り続けている。
「狭間様!」
文珠川さんが、おにぎりを片手に追いかけてきた。
「気をつけてくださいっす。ほんとに……」
「大丈夫ですよ。俺はマグマから生還した男ですから」
「……それ、三回目っす」
文珠川さんが少しだけ笑った。
ヴィヴィが最後の一口を飲みこんで、俺の隣に並ぶ。指についた米粒を舐めとってから、こっちを見上げた。
「下僕。この戦が終わったら、いたりあんじゃぞ」
「わかってる。約束だ」
「ピザとパスタとリゾットじゃ」
「全部な」
「うむ」
ヴィヴィがすっと消えて、腰の短剣に戻った。
インベントリからヤールングレイプルを取り出し、両腕に装着する。金色の籠手が、街灯の光を鈍く跳ね返した。
ギルドに着いてから、十五分も経っていなかった。
足元の空間を固める。体がふわりと浮いた。
八皇子の街並みが、みるみる小さくなっていく。
東を向いた。
夜のはずの空が、湾のほうだけ赤く染まっていた。




