第68飯 「……は?」
ロックが軋む。アズールの刃がじりじりと迫ってくる。
アズールの怒りに満ちた顔がすぐそこにあった。涙で濡れた目が、まっすぐ俺を射抜いている。
押し返そうとしても、腕に力が入らない。この女の言っていることが本当なら、非はこちらにある。城の物を持ち出したのは俺たちだ。
刃越しに、魔王剣ヴィヴィアンが見える。
黒い刀身に赤い筋。柄の目玉のような宝石。
——他のヤツのところじゃ、美味い飯が食えんじゃろが!
そうだ、これからもこいつと一緒に飯を食うんだ。
こいつは俺に魔力を、こいつに俺は飯を。俺たちはそういう契約で始まった。これからもずっと世界中の美味いものを食う。ここで終わるわけにはいかない!
「……負けられるか」
腹に力がこもる。ロックに魔力が通り始める。
「約束したんだ——」
俺の剣がアズールを押し返し始めた。
じりじりと元の位置へ戻っていく。アズールの目が見開かれた。
「これからも、こいつには美味いもんを食わせる。ずっとだ」
ギィン、と刃が弾かれた。
同時に霧が引いた。氷の人形も崩れて、床に破片だけが残る。アズールが部屋の入口にとどまり、剣を構え直す。すぐには踏み込んでこない。
互いに動けないまま、睨み合った。
◇
文珠川たえは、書斎の机の前でドローンの操作盤を握ったまま固まっていた。
上から音がする。
ガン、と何か硬いものがぶつかる音。
「……狭間様?」
天井を見上げる。すぐ戻ると言っていた。何かあったら大声で呼んでくれとも。
狭間様がヴィヴィアン様を探しに行ってまだ戻ってこない。
一人で城の中を歩くのは少し怖い。
「……ちょっとだけっす。ちょっと様子見るだけっす」
ドローンを呼び寄せ、書斎を出た。
階段は薄暗かった。一段上がるごとに、空気が冷たくなっていく。
◇
「狭間様ー! どうしたっすかー?」
階段のほうから声がした。
アズールと睨み合ったまま、俺は息を止めた。アズールも同じだった。
とん、とん、とん。階段を上がってくる足音が、少しずつ近づいてくる。
部屋の入口にいるアズールの視線が、声のするほうへ流れた。ほんの一瞬、その目が迷ったように揺れる。
アズールの剣先が床へ向く。
「アイスウォール」
パキパキパキ。部屋中が急速に冷え、俺とアズールの間に幾重もの氷の壁が立ち上がった。足止めするつもりか!
——狙いは、文珠川さんだ。
「文珠川さん、こっちに来ちゃだめだ!」
叫んだ。
書斎を出るとき、入口にロックを張っておけばよかった。ヴィヴィはどうせまた勝手にうろついているだけだと、軽く考えた。
「えっ」
間に合わなかった。
「っ! バースト」
氷の壁が砕け散った。
破片が床に降り注ぐその向こうで、アズールが文珠川さんの背後に立っていた。
白く光る刃が、文珠川さんの首元に当てられている。
「ひっ……」
文珠川さんの喉が小さく鳴る。文珠川さんの目が、俺を見て、ヴィヴィを見て、祭壇の黒い剣を見た。
そして、自分に剣を突きつける青い肌の女。ドローンがその肩の横で、所在なさげに浮いている。
「……本来であれば、こんなことはしたくないが」
アズールが苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「文珠川さんを離せ!」
「え、え、なんすかこれ、誰っすか、狭間様これどういう——」
「喋るな、そして動くな」
アズールの低い声に文珠川さんがぴたりと口を閉じた。眼鏡の奥の目が、俺とアズールの間を必死に往復している。
「こちらの要求に応じてもらおう、狭間蓮」
アズールの視線が、俺の右手に落ちた。
「剣を地面に置け」
「なんでこんなことをするんだ!」
「聞こえなかったのか。早く剣を置けと言っている」
キチリ。刃が、わずかに文珠川さんの首に近づいた。
俺は右手のヴィヴィアンを見た。
ヴィヴィアンを手放したら魔力がどこまで持つかわからない。ヴィヴィや俺自身を守っているロックも。
文珠川さんが泣きそうな顔でこっちを見ていた。置くだけだ。渡すわけじゃない。
「……わかった」
膝を折り、ヴィヴィアンを床に置く。カタン、と黒い刀身が石の上で小さく鳴る。
手を離す。
「下がれ」
言われるまま、二歩下がる。床の上の短剣と俺との間が開く。
「……なあ」
俺は両手を開いて見せた。
「城のものは全部返す。お前たちのものだとは思わなかったんだ」
アズールの肩が震えた。
「そう言って……!」
声がひび割れた。
「人間は口先ばかりだ! 返せば済むと思うのか! お前たちはいつもそうだ。勝手に来て、勝手に名前をつけて、勝手に持っていく!」
刃を持つ手が震えている。震える刃先が、文珠川さんの首元で危なっかしく揺れる。
「……そうだ」
アズールの目が、床の上の短剣に落ちた。
「その剣が……魔王剣があるからこんなことになる」
「——おい、待て」
「そんなものがあるから!」
アズールが手に持つ剣の切っ先を、床の魔王剣ヴィヴィアンへ向けた。
パキィパキィン!
床から大きな氷の刃が突き上がった。
真下から突き上げられたヴィヴィアンが——勢いよく宙に跳ね上がった。
クルクルと回転しながら天井に当たる。ガン。
跳ね返って石の椅子の背に当たる。ゴン。
さらに跳ねて、ヴィヴィを包むロックの膜に当たる。ガイン。
弾かれた短剣は、クルクルクルクルと回りながら宙を舞った。
「あ……」
「え……」
「……うん?」
三人の視線が、その軌道を追った。
開いた壁の奥。祭壇の上。黒い剣が突き立っているその真横へ。
カンッ!!
高い音を立てて、ヴィヴィアンが祭壇に突き刺さった。
黒い刀身が二本、寄り添うように並んだ。
謁見の間がしんと静まり返った。
カタ……。
二本の剣が小さく揺れた。
カタカタ……カタカタカタ……。
揺れが大きくなる。二本の剣が、共鳴するように震えだす。
そのとき、ロックの中のヴィヴィの姿がふっとかき消えた。
カタカタカタカタカタカタ——!
祭壇が震え、刀身の赤い筋がいっせいに脈打つように光った。
——カッ。光はみるみる強くなり、白く、目を開けていられないほどにまぶしくなって、謁見の間を丸ごと塗りつぶした。
「うっ」
「きゃっ」
「くっ」
俺は思わず腕で目を覆う。
——光が引く。
何が——何が起こった。腕を降ろして祭壇を見る。
「……は?」
「……は?」
「……は?」
俺と文珠川さん、そしてアズールの声が重なった。
祭壇の上に剣が突き立っていた。
黒い剣は一本だけだった。




