第65飯 「めっちゃ素敵じゃないっすか~」
城に入ると吹雪の音が止んだ。
城の中は窓から入る外の光以外に明かりはほとんどなかった。外の明るさに目が慣れていたせいで、暗さに順応するまで数秒かかった。
「明かり、つけますね」
「はいっす」
お互い準備していたライトと、撮影ドローンのライトをつける。あたりを見回すと燭台がいたるところにあったので、童子切安綱で燭台に火をつける。
ぼ、ぼ、ぼ、と火が灯って、エントランス全体が見渡せるようになった。
高い天井、両脇に並ぶ石の柱、奥へ向かって空間まっすぐ続いていて、突き当たりに階段が見える。
ヴィヴィがエントランスの中ほどで止まった。
「どうした、ヴィヴィ」
「ここじゃな」
顎を上げて、天井のあたりを見ている。
「ダンジョンに入ったときから感じておった、あの違和感じゃ」
「何かあるって言ってたやつか」
「そうじゃ。たぶんここじゃ」
「それは、もう一つ魔剣があるってことか」
ヴィヴィが黙った。
「……わからぬ」
眉を寄せたまま動かない。もう一度聞こうとしたところで、横を風が抜けていった。
「うっひょーーー!」
文珠川さんが走っていった。
追いかけると、彼女はエントランスの中央で回っていた。
「柱が立ってるっす! 天井も抜けてないっす! こんなの遺跡じゃないっす、建物っす!」
「落ち着いてください」
「無理っす!」
ひとしきり回って、それから急に立ち止まった。
「……誰もいないっすね~。すっごく静かっす」
壁際に長い卓が据えてある。椅子が並んで、燭台が等間隔に立っていた。蠟の受け台には固まった蠟がある。
人がいた場所の形を、そっくり残していた。しかし人だけがいない。
「誰もいないのに、なんで内側から閂があったんでしょうね」
「さぁ。最後に残った人が閉めたのかも」
「それに奇妙っす。ピカピカではないっすけど、埃とか汚れがほとんどないっす」
「なんででしょうね……案外誰かいるのかも」
「冗談やめてくれっす~」
ニャハハ~と笑いながら荷物をほどいて探索の準備を進める文珠川さん。しかし本当に綺麗だな。綺麗すぎて逆に不気味だ。
「さ~、探すっすよ」
文珠川さんが手帳を開く。
一階を順に見ていった。厨房があった。石の竈が三つ並んでいて、壁に鉄の鉤が打ってある。何かを吊るしていたのは分かるが、何を、までは分からない。
階段を上がると、寝台の並んだ部屋があった。四つ。寝具は朽ちて木の枠だけが残っている。
「生活してるっす」
文珠川さんの声が落ちていた。さっきまでの騒ぎ方とは別人だ。
「遺物って、ふつうは欠片で出るんす。壺の底とか、柱の一部とか。それを何十個も集めて、やっと一行読めるくらいで」
手帳を開いたまま、彼女は何も書いていない。
「ここ、部屋ごと残ってるっす」
文珠川さんは探索に集中しているようだ。俺はその間ずっと落ち着かなかった。
うなじを触られるような感覚。なんなんだ一体。エントランスへ戻るたびに同じものを感じた。
三度目に通るとようやく言葉になった。——見られている。
「ヴィヴィ、お前は何か感じるか」
「飯の気配は感じぬ」
飯かよ。ヴィヴィは卓の上の皿を一枚ずつ裏返していた。食えるものを探している。
「いつから人がいないのかもわからんからな。食べ物があっても食うなよ」
「わかっておる」
文珠川さんに声をかける。
「文珠川さん」
「はいっす」
「ここ、何かがおかしいです。ずっと何かに見られているような、そんな気がします」
彼女の手が止まった。
「え……そうなんっすか? もしかしてモンスターっすか?」
「いえ、違います。もっと別の……気配のような」
自分でも説明できていない。モンスターならヴィヴィが先に気づく。そうではない何かが、この石の城に潜んでいる。
「すみません。うまく言えないんですが……、長居はまずい気がします」
「ええぇ、せっかく来たのに」
分かっている。この人がここまでくるのにどれだけ時間をかけたか。
「こうしましょう。文珠川さんはドローンで城の中を撮ってください。部屋の位置と、物がどこに置いてあったかが分かるように。撮り終わったところから、中の物は全部俺のインベントリに入れます」
インベントリと聞いたあたりで、文珠川さんのがっかりした顔に生気がもどった。
「……インベントリ?」
「はい、全部入れて帰りましょう。持って帰ってから、いくらでも調べられます」
「う、うわ~それ全部持って帰れるってことっすか。めっちゃ素敵じゃないっすか~」
俺もこのダンジョンは相当苦労したんだ。さすがに手ぶらで帰るわけにはいかないからな。
「でも入るんすか、そんなに」
「五十メートル四方あります。城そのものは無理ですけど、中身なら大丈夫です」
「……狭間様、うち、いま女の子として一番やっちゃいけない顔してると思うっす」
「どんな顔ですか」
「よ誰が出そうな顔っす」
もうでてますよ。拭いてから言ってほしい。
◇
ドローンが浮いた。
文珠川さんが先に立って、部屋を一つずつ撮影していく。廊下の幅、扉の間隔、窓の高さ。この人は建物の何を記録するべきなのか、撮り方を知っていた。さすがだ。
俺はそのあとを追って、部屋ごとに手をかざす。
椅子。卓。燭台。鉄鍋。寝台の枠。棚と、棚に並んだ器。触れたそばから消えていく。インベントリの在庫が増えていくことがわかる。
三部屋目で、ヴィヴィが横から口を出した。
「下僕、これも入れい」
「それは皿だ」
「皿は要るじゃろ」
「うちにある」
「五百年前の皿じゃぞ! 価値が違うわ!」
「お前が使ったら三日で割る」
「割らぬわ!」
言い合っているあいだに、文珠川さんが皿を三枚抱えて戻ってきた。
「これは研究用っす」
「便乗しないでください」
二階の奥に書庫があった。
扉を開けた文珠川さんが、一歩入ったところで目をキラキラさせて固まった。
「狭間様! これ! 本っすよ! 大量に! 宝の山っす!」
部屋の壁がすべて本棚だった。床から天井まで棚が組んであって、その全部が埋まっている。背の高さも厚みもばらばらで、革のものと木のものが混ざっていた。
「すごいな……」
一冊、手に取ってみる。紙ではなく、薄い獣皮に書かれている。細かい記号がびっしり並んでいて、文字だとは思うが読むことはできない。
「これ、読めますか」
「読めないっす。でも——」
彼女は別の一冊を開いて、俺の手元と見比べる。眼鏡がずり落ちているのに直そうともしない。
「同じ記号が出てくるっす。この形とこっちの形。並びの癖まで同じっす」
文珠川さんの声が震えていた。
「規則があるっす。これ、ちゃんとした文字っす」
この本の価値は俺には見当もつかないが、この人がそう言うならそうなんだろう。
「狭間様! ざっと撮るんで、撮ったそばから入れてくださいっす!」
「わかりました」
俺は順々に棚ごと消していった。
最後の一列が消えると、部屋は空の箱になった。石の壁だけが四方に残っている。
文珠川さんはその真ん中に立って、ゆっくり見回した。
「……うち、たぶん一生分の宿題をもらったっす」
「よかったですね」
「よくないっす。提出期限が寿命っす」
一生分の課題を抱えたというのに、文珠川さんのニッコリしていた。
◇
町のはずれ、坂を上がりきったところに義名間梓——アズール・ギナの家がある。
玄関で靴を脱いだ。店はみんなに任せてきた。
左手の手袋を外す。青い甲の上を、白い線が走っている。手首から指の付け根まで伸びた紋様が、いまも淡く光っていた。
これは城に誰かが入ると浮かび上がる。ギナの一族だけが使える秘術の一つだ。
——たった二日で城に侵入された。
吹雪であきらめるだろうと考えていた。霜の巨人で引き返すだろうと思っていた。あの岩山を見れば帰るだろうと、そう思っていた。
奥の物置に入る。棚をずらして、床板を持ち上げる。下へ降りる段があって、その先が一族の部屋になっている。
壁に立てかけてあった布包みを取った。
紐を解くと白い鞘が出てきた。抜くと刃が青白く光って、その光が暗い石壁を端まで照らした。
魔剣クラウ・ソラス。輝く剣と呼ばれている。
母が死んだ日にアズールのものになった。
「……これが要る日が来るとはね」
床に非対称の幾何学模様が刻んである。
アズールはその中央に立って、胸の前で手のひらを合わせた。
模様が、外側から順に青く灯った。




