第64飯 「なんであやつは、あんなに楽しそうなのじゃ」
氷の巨人王ヨトゥンがいたであろう心臓の位置、そこにその武器があった。
武器自体が放つ冷気によって、周囲の水気は完全に凍っている。
——弓だった。
白い金属でできた本体は随所に氷の装飾と青い水晶がちりらばめられており、青白く輝いている。先端の弦につながる部分には氷の結晶をかたどった細工がつけられていて神秘的な雰囲気を醸し出していた。
持ち手を握り、持ち上げる。
弦がない。だが張るべき場所は分かる。指を当てると、そこに冷気が凝って、透き通った線になった。
頭に情報が流れ込んできた。
<魔氷雪弓 ヨトゥン>
放つ矢はすべてを凍りつかせる。矢は持ち主の魔力によって生成される。放てる数も威力も持ち主の技量によって変わる。
なるほど、魔力量によって変わる弓か……、なかなか使えそうだ。
——というよりなぜ弓なんだ。ヨトゥンが使っていた武器、あの斧とかじゃないのか? 今さらだが魔剣という武器のジャンルが広すぎる。
隣でヴィヴィが俺をじっと見ていることに気が付いた。
……。
…………。
「出ないな」
いつもの<アンロック>の文字は、どこにも現れなかった。
「なんじゃと!?」
背後でヴィヴィが叫んだ。
「おかしいじゃろ! 四本目じゃぞ!」
「出ないもんは出ない」
「風、雷、火、そして今回で氷じゃ! 属性コンプじゃろが!」
「そういわれてもな」
「わしはワープを待っておるのじゃ! もう何回目じゃと思っておる!」
「四回目だな。というかゲートがあるだろ」
「ゲートを作らんでもどこへでも行けるやつじゃ!」
一本目のゲイボルグでインベントリが広がった。二本目のヤールングレイプルでは何も起きなかった。三本目の童子切安綱でゲートが使えるようになった。そして四本目の今回は何もなし。
アンロック、なし、アンロック、なし。
「……多分だけど、次はアンロックあるぞ」
「どういうことじゃ?」
根拠は薄いんだが、今までの傾向を思うとそう考えざるをえない。
「一回目、三回目ときたら次は五回目だ。規則性があるなら次は何かあると思う」
「まことじゃな?」
「ああ」
「嘘だとゆるさんぞ!?」
「たぶん」
「たぶんとはなんじゃ!」
ゴッ。脛をけられた。
「痛い……」
ヴィヴィは毎回本当に期待している。次は出ろよ、ワープさん。
「嘘じゃったらステーキ百人前じゃぞ!」
ヴィヴィはプリプリして向こうに行ってしまった。
うーん、機嫌を直させないと、この先ずっと蹴られるな。
「狭間様——ちょっと休憩しないっすか?」
俺たちのやり取りを傍で見ていた文珠川さんはそう切り出した。
「洞穴のほうはひと段落したっす。古城に入る前に一息つきましょう」
「——そうですね。何か温かいものでも飲みましょうか」
ヴィヴィの耳が動いた気がした。
「ヴィヴィ! ココアだ。一緒にのもう」
「うむ! よいぞ!」
ニッコニコでこっちに戻ってきた。文珠川さん、ありがとう。
◇
洞穴の入口近く、風が入ってこない岩陰に腰を下ろした。
童子切安綱を雪に突き立てて、炎を灯す。オレンジ色の光が岩肌を舐めて、三人ぶんの影が伸びた。
インベントリから小鍋を出した。牛乳。ココアの粉。買い込んだ食料の中に混ぜておいたやつだ。
童子切安綱の炎を操作して鍋底に火をあてる。ふつ、と縁のほうから細かい泡が立った。
凍った空気の中に、柔らかな炎と湯気がある。それだけで暖かな空気が流れて心地よい。
ヴィヴィが鍋の前に綺麗な姿勢で座っている。
ココアを三つのカップに注ぐ。湯気がまっすぐ立って、甘い匂いが上がってくる。それだけが妙にはっきりと届いた。
「熱いからな、気をつけろよ。はい、文珠川さんもどうぞ」
「知っておる」
「ありがとうっす」
「あっっっつ」
「言っただろ」
「じゃが……うまい……」
両手でカップを抱えたまま、ヴィヴィが動かなくなった。湯気で金の前髪が湿っている。
俺も一口飲んだ。
甘い。喉を通って胸の奥に落ちていくものが、そのまま体の芯に溜まっていく感じがした。ヨトゥンの近くで凍ったときは肝が冷えた。生きててよかったと感じる。
「……生き返るっす」
文珠川さんが眼鏡を曇らせながら言った。彼女も両手でカップを持っている。
「うち、こんなにココアがうまいと思ったことないっす」
「俺もです」
カップが半分ほど減ったところで、俺は弓を取り出した。
「そうだ、文珠川さん。これです」
文珠川さんのカップが止まった。
「……え」
「魔剣ヨトゥンです」
「うっ、うわああああ!」
カップを雪に置いて、四つん這いで近づいてきた。さっきまで生き返っていた人の動きではない。
「弓っすか! 魔剣で弓は初めて見たっす! 意匠が! この氷の細工、溶けてないっすよね!? 触っていいっすか!」
「冷たいですよ」
「問題ないっす!」
素手で掴んで、三秒で「つめたっ」と離した。
「あとこれも見てほしいんですけど」
俺はもう一つ、インベントリから出して見せた。
玉座の籠に納められていた、青白い破片。手のひらに載る大きさで、断面に途切れた文様がある。
文珠川さんの動きが止まった。破片を食い入るように見ている。
「……これ、どこに」
「玉座の上です。氷の籠に入ってました」
文珠川さんはそれを両手で受け取って、顔の前まで持ち上げた。眼鏡の奥で、目が文様の端から端まで、何度も往復している。
「……分からないっす」
「そうですか」
「この断面、文字でもないし、装飾でもない。割れたんじゃなくて、最初からこの形で作られてるっす。でもどこかで見たような……うーん」
指で断面をなぞった。
「ここの断面は他の物と合わせるっすね、きっと」
「どういうことですか」
「ほらゲームとかにもよくあるじゃないっすか。一つじゃ全然意味がなくて、他のアイテムと合わせて初めて使えるやつっす」
「つまり、まだ全然揃ってない」
「そういうことっす」
彼女は破片を返してきた。
「持って帰りましょう。神崎先生に見てもらうっす」
◇
「ふぅ~うまかったのじゃ」
「じゃあ、上に行きましょうか」
ココアの鍋を片付けて、立ち上がった。ヴィヴィの機嫌も悪くない。
「さっきと同じようにシフトで飛んでいくっすか」
「はい。ただ、ゆっくり行きます」
ロックの床を作って、二人を乗せた。
「山肌を伝っていきます。壁に沿って上がれば、いつかは頂上に着くはずなので」
「なるほどっす。迷わないっすね」
——シフトで浮上する。洞穴を出た瞬間、吹雪が戻ってきた。
黒い岩肌がすぐ横を流れていく。速度は出していない。人が自転車を漕ぐより少し速い程度だ。
十分ほど登ったところで、岩肌の傾斜が緩やかになり尾根に出た。
そこからは、なだらかな稜線をゆっくり辿った。左右がすとんと落ちているのが、白の中でもなんとなく分かる。
——え。
吹雪の中に白い古城があった。
輪郭が見えたのは、四十メートルほどまで近づいてからだった。
尖った屋根。円い塔が連なっている。石積みの壁が縦に走って、高い場所に細い窓が並んでいた。
全部が白く塗られている。壁、屋根、塔の先端も。雪と同じ色をしているから、吹雪の中では背景に溶けていた。
「……あ、あった。ほんとに、あったっす」
文珠川さんは目に涙を浮かべていた。
門の前に降りた。
見上げると、扉の高さは五メートルはある。壊れたり崩れたりしていない。ただ古いだけだ。
「あっ、ちょっと待ってっす。調査用の撮影ドローンがあるんす」
文珠川さんがリュックから小さな機体を取り出した。俺のものより一回り小さい。
「そんなのもあるんですね」
「便利っすよ。遺跡調査だと、いちいちカメラ出さなくていいっすから」
ドローンが浮いて、門の周りを回って撮影を始めた。
俺は扉に手をかけて押すが、動かない。隙間から中を覗くと、太い横木が渡してあった。
「閂ですね」
「裏から掛かってるっす」
「仕方ない。壊しますか」
「あっ、あの、狭間様。できれば、大きくは壊さないでほしいっす」
両手を合わせて拝まれた。
「わかりました」
扉と扉の合わせ目に指を向けた。
「ディバイド」
キンという音が鳴り、内側で何かが落ちる音がした。
再度扉を押すと、ギイイイ、と擦れた音がした。白い扉が少しずつ広がっていく。
「はぁぁぁぁ——」
文珠川さんが長い息を吐いた。
「ワクワクするっす! キター! キタキター!」
「下僕」
「なんだ」
「なんであやつは、あんなに楽しそうなのじゃ」
「好きなんだろ。お前にとっての飯みたいなもんだ」
「ほうか」
ヴィヴィが納得した顔をした。俺たちは中へ入った。
◇
北海めぐみ食堂。
夕方の仕込みの時間で、客はまだ入っていない。
義名間梓は、洗い終えた皿を重ねて棚へ運んでいた。いつものようにせわしなく厨房と棚を行き来している。
棚の手前で皿が滑り落ちた。
ガシャン。
「梓ちゃん!? 大丈夫?」
厨房の奥から梓を心配した声が飛んでくる。しかし、彼女は答えなかった。
割れた破片を見下ろしたまま、震えている。
——城に、入られた。




