第62飯 「ピザがうまく焼けるやつじゃ」
「来るっ! 文珠川さん、俺の後ろに!」
まず床が凍り付いた。そして氷の面に亀裂が走って、いくつもの尖った氷の柱が次々に突き上がってくる。
「ショック!」
広範囲の空間震動波。突き上がってきた氷柱が根元から砕けて、破片が床を滑っていった。
——氷の巨人王ヨトゥン。事前の情報通りだ。俺は禰室ギルドの受付の荒谷さんが見せてくれた資料を思い出した。
『魔剣ヨトゥン 氷属性 入手方法:氷の巨人王ヨトゥンを炎の魔力を伴う攻撃で倒すこと。そうすることで心臓の氷が溶け、中の魔剣を入手できる』
今回の戦いでは空間操作を使ったディバイドやバーストでは倒してはいけない。それは俺の戦いに大きな制限となる。
「文珠川さん、こいつはだめです。一旦退避をお願いします」
「はいっす! 配信で見てるっす!」
判断が早い。こういうときの文珠川さんは頼りになる。
ヨトゥンが本格的に動きださないうちに、入口近くの壁に手をついてゲートを作った。空間が縦に歪み青白い渦が出現する。
洞穴に着いた時点で、見通し線に使った岩場のゲートは消してあるため数は足りている。
文珠川さんが躊躇なく飛び込んで、向こうへ消える。俺は冷気が向こうにいかないように一度ゲートを閉じた。なお、配信ドローンは俺の背後の部屋の入口でロックによって強固に守ってある。
「ヴィヴィ、今のうちに実体化を解け」
『もう解いておるわ!』
こいつも相変わらず判断だけは早い。
玉座の巨人がゆっくりと立ち上がった。
>やっぱでけぇぇぇぇ!
>何メートルあるんだ
>こんなの倒せるのかよ!
>巨人の駆逐漫画だコレ!
>ハリウッド映画以上じゃんかよ
座っているだけでも見上げる高さだったものが、さらに大きくなる。約二十メートル、首を大きく上げて見上げる程の高さに眩暈を覚えた。
ヨトゥンは足元に置いてあった斧を、片手で持ち上げる。刃の幅が俺の身長の三倍。あれを片手で扱うのか。
「グオオオオオオオオ」
斧が上段に振りかぶられた。
ズドオオオン。
床を打った瞬間、亀裂が真っ直ぐ走った。そこから先ほどと同じように氷柱が次々に立ち上がって、津波のようにこちらへ迫ってくる。
——範囲が広い。だが遅い。
インベントリから雷光の金籠手ヤールングレイプルを直接装備した。魔力を込めるとバチバチ、と雷が両腕を走る。
「行くぞ!」
雷属性魔法稲光。雷の魔力で身体そのものを駆動させる。機敏性、反射速度、連動性——すべてが跳ね上がる。世界の流れがゆっくりになる。
バチチチチチチチチチチチチ。
立ち上がる氷柱の列の間をわずかな体の動作で瞬時に避け進む。前へ。
さながら一筋の黄色い閃光と化した俺は、一秒で数百メートルは離れていた距離を詰めて巨人の足元へ肉薄した。
腰に下げた童子切安綱を抜く。刀身に炎が走る。
そのまま、
「炎天!」
炎を纏った斬撃を、脛の氷に叩き込む。
ジュパン。
白い蒸気が上がり、ヨトゥンが纏う氷の鎧が溶けた。
——しかし溶けたのは、表面の五センチほどだけだった。その下に、まだ氷がある。
「——ッ」
刀を再度構えようとして、手に痛覚を感じて止まる。
冷たい。見ると、防寒着の表面に霜が張っていた。二十万円かけた特化生地の上から、白い結晶が広がっていく。
指が曲がらない。
慌てて稲光で後退した。三十メートルほど離れたところで、ようやく霜が止まる。
「近づくと凍るのかよ」
『無限かき氷製造機じゃな!』
ゲーム風にいうと、こいつは冷気による自動デバフ領域を常時持っているということだ。半径三十メートル。この距離より内側には入れない。
近接手段では戦えない。
>短剣ニキが下がった?
>初めて見たかも
>手が凍ってる
>氷結エリアか
>やっかいだな
>防寒着に霜ついてたぞ
「それなら」
距離を取ったまま、童子切安綱を四回振る。
「灼天!」
四つの巨大な火球が飛ぶ。巨人の胸に当たって、ぼうっと燃え広がった。
——燃えている。だが。
炎が消えたあと、そこには焦げ跡すらなかった。表面の氷が少し濡れただけだ。
「炎獄!」
炎の竜巻を五つ巻き起こす。渦が床を這って巨人へ向かう。——が。
ヨトゥンが斧を軽く振る。新しい氷柱の列が生まれて、竜巻を正面から潰し、竜巻はかき消えた。
——遠距離は効かない。
分厚い氷の鎧。その下にさらに氷の体皮。さらに冷気が常に周囲を凍らせる。俺の炎の攻撃は、届く前に威力を削がれている。
◇
ヨトゥンが斧を両手で持ち直した。
構えが変わった。大きい攻撃が来る。
「ヌオオオオオオオオ——」
氷の巨大斧を横薙ぎ。
ピキピキピキピキピキピキピキ。
床の全面が一瞬で凍り割れた。一直線ではなくこの部屋全体。視界の端から端まで、氷柱が一斉に突き上がってくる。
逃げ場が地上にない。シフトで飛び上がった。
——しかしそれを読まれていた。
巨人が顔を上げ、口が開く。喉の奥が青白く光った。
「ブウォオオオオオオオ!」
白い奔流、アイスブレスだ。
半径五メートルのドームでは保たない。外の吹雪より濃い冷気が、真正面から押し寄せてくる。
「——ッ!」
ロックを分厚く広げた。半径二十メートル。
ゴオッ。
ドームの外側が一瞬で白くなった。表面に氷が張っていく。膜は破られない。破られないが、温度は防げない。
内側の空気が急速に冷えていく。息が白くなるのを通り越して、喉が痛い。
童子切安綱に魔力を込める。炎の魔力を、刀身から自分の全身へ回す。
体中にぶわりと熱が広がって、冷気と拮抗した。
——助かった。準備段階でこれを試しておいてよかった。
>やべぇぇぇぇ
>えっニキやられてない!?
>ブレス吐いてきたぞ!
>冗談抜きで強すぎるだろ
>Sランクダンジョンのボスがやばすぎる
>短剣ニキが防戦してる
◇
それからしばらく、俺は逃げていた。
斧を振れば氷柱の列が来る。飛べばブレスが来る。地上も空も塞がれて、ドームで受けてはシフトで逃げる。その繰り返しになった。
刀を振る隙はある。だが振っても通らない。
『下僕!』
「なんだ! 今忙しい!」
『さっきから逃げてばかりじゃぞ! はよ終わらせい!』
「無理だ!」
アイスブレスが迫る。シフトで氷柱の壁を上へ避けながら、ヴィヴィへ答える。
「威力が足りない。あいつを溶かすには全然熱が足りてない!」
ディバイドなら一秒で終わる。空間ごと切れば、氷だろうが何だろうが関係ない。
しかし斬ったら魔剣が出ない。炎で倒さなければ、ヨトゥンは手に入らない。
灰燼の太刀は火山でしか使えない。帝釈焱獄天はマグマが要る。ここにはそのどちらもない。
残っているのは帝釈焱天だが、あれは溜めが要る。溜めている間、俺は止まっていなければならない。ヨトゥンの範囲攻撃の中で止まったらすぐに氷漬けだ。
溜める時間がない。威力も足りない。
『火が足りぬなら足せばよかろう!』
「は?」
『ほれ、あれじゃ。ピザがうまく焼けるやつ』
——。
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
ピザ。うまく焼けるやつ。
石の窯だ。前も後ろも塞がった穴の中で、火を焚いて、その熱を逃がさずに溜め込む。だから短時間で焼ける。直接火が当たっていない面まで火が通る。
熱は、閉じ込めれば足せる。
「——ピザ窯か!」
>え?
>なに?
>ピザ!?
>こんなときに!?
>ヴィヴィアンちゃんついに限界か
シフトで高度を取った。巨人の頭より、少しだけ高い位置。
童子切安綱に魔力を通したまま、わざと炎を大きく纏わせた。暗い空洞の中で、赤い光は嫌でも目につく。
ヨトゥンの顔がこちらを向いた。
『下僕、どうする気じゃ。溜めが要るのじゃろう』
「ある。前のエリアを使う」
さぁ、追ってこい。
シフトでゆらりと飛んだ。ドローンを回収して、通路へ向かって、ゆっくりと進む。速すぎると見失われる。
背後で床が揺れた。追ってきた。二十メートルの巨体が、玉座の間を横切ってこちらへ歩いてくる。
>え
>ニキどうしたの
>逃げてる?
>撤退?
>ついに短剣ニキがボスから逃げるのか
>まじかよ
>相手が悪すぎたか
通路を抜けた。その先に、直径百メートルの縦穴がある。底まで二十五メートル。青白い氷の床から、煙突ほどの太さの氷柱が無数に生えている。
そこに架かった、幅十五メートルの石橋。
俺は縦穴の中央から先の入口側に近い位置で空中に止まった。
ヨトゥンが通路から出てきた。そして、橋に足をかけた。
この巨大な縦穴の空間も、ヨトゥンにとってはさほど大きくはないが、橋は渡るしかない。穴は百メートルはある。あの図体でも跨げない。
巨人が橋の中ほどまで進んだ。俺との距離が、ちょうど五十メートル。
顔が上がる。口が開いて、喉の奥が青白く光った。
「さっきはよくもやってくれたな」
ブレスが来る、その寸前。俺は橋に向かって、手を振り下ろした。
「ディバイド」
キン、どこからか甲高い音が鳴る。
ピシ。
石の表面に、細い線が走った。
ピシ、ピシピシピシピシピシ。
ドガアアアン。
橋が落ちた。
ヨトゥンごと落ちた。
ズドォォォン——。
二十五メートル下から、地鳴りのような音が返ってきた。
砕けた石が跳ね、氷の粉が舞い上がる。
「やっぱりな」
ヨトゥンは、生きていた。
底に生えていた氷柱は、あの巨体を貫けなかった。俺が刀で削っても五センチしか溶けなかった氷の鎧だ。そこらの氷柱ごときで刺さるわけがない。
だが。
折れた氷が、巨体の周りを囲んでいた。
腕の脇に。脚の間に。胴の左右に。倒れ込んだ形のまま、何十本もの氷柱が突き刺さるでもなく突き立って、ヨトゥンの輪郭をそのまま檻にしている。
ヨトゥン自身の硬さが、自分を閉じ込めていた。
「グ、オ……ォ……」
巨人が身を起こそうとして、氷柱に阻まれる。もう一度。また阻まれる。
動けない。
>は?
>落ちた
>橋落とした!?
>逃げてたんじゃないのかよ
>誘い込んだのかこれ
>最初からそのつもりで
>この人こわい
——いまだ。
俺は縦穴の中央から、氷柱の中でもがいているヨトゥンを見下ろす。
童子切安綱を構えた。
「行くぞ、ヴィヴィ! とっておきだ!」
『うむ!』
新技——紅棺。




