第58飯 「まいったな。全然収まらない」
『おい、ヴィヴィ。もう一つってなんだ』
隣にいるヴィヴィに念話で聞く。配信中に魔剣の話はできない。
『わしにもよう分からん、が魔剣はあっちにある。じゃが、それとは別にもっと遠くに何かがある』
ヴィヴィが見る遠くのほう、地平線の向こう側にわずかに山のようなものがある。
『どんな感じだ』
『……よくわからん』
ヴィヴィはそれだけ言うと念話を打ち切った。若干機嫌が悪そうだ。そういった時のヴィヴィはあまり話を振ってこない。
>え? ここを進むの?
>道なくないか
>まさか氷の上?
>流氷だぞ流れてる、無理じゃないか
>地元民だけどあんなん歩けるわけない
コメントはもっともな反応だ。たしかに、この動いている氷の上を歩いて渡るなんて正気の沙汰じゃない。
「狭間様、どうやって進むっすか?」
「こうやって進みます」
足元の空間を固定する。ロック。幅二メートル、奥行き三メートルほどの見えない床が氷の上にできた。
そこに乗る。なおヴィヴィはとっくに俺の背中に飛び乗っている。こういうときだけ判断が早い。
「文珠川さんも乗ってください。床を作りました」
「えっ。えぇ!?」
文珠川さんが恐る恐る片足を出した。何もない空中に足の裏がつく。そのまま体重をかけてもう一方の足も乗せた。
「わわ、の……乗れたっす」
「さぁ行きますよ!」
シフトは自分ごと空間を動かす技だ。渋家ダンジョンではフルーツバスケットの五人をのせて山の頂上からダンジョンの入口まで飛んだっけ。今となっては懐かしい話だ。
「文珠川さん。怖かったら、俺のカバンを掴んでいてください」
「はいっす」
周囲を薄いロックで囲う。移動に伴う風圧を消し、ロックの足場から落ちないようにするためだ。ゆっくり浮かせた。
「行きます」
グォォォン。
>でた
>短剣ニキの空中移動
>えこれありなの?
>ありなんです
>お、初めてか? まあゆっくりしていけよ
>流氷どこいった
>氷の上を進むんじゃなかったんか
流氷の景色が下を流れていく。
「うわーっ、すごいっす! これどれくらいスピード出てるんすか!」
「二百キロくらいですね。囲ってるんで落ちませんよ」
「わわわ、うち、初めて空飛んだっす! 人間って空飛べるんっすね!」
「ここまで自由に飛べるのはあまり聞かないですね」
流氷ゾーンを越えるのにそこまで時間はかからなかった。一面の雪の陸地になり雪原ゾーンが始まった。シフトから雪の上に降り立つ。
「……三分っすね。ということは流氷ゾーン、十キロくらいっすか」
「え、数えてたんですか」
「うち、時間数えるの得意なんすよ」
なかなか冷静な人だな。
雪原に立って正面を見る。背後の流氷の向こうにダンジョンの入口があり、そこからまっすぐ飛んできた。
目的の山はさっきよりはっきりしてきたが、まだ遠い。
「あの山っすね、たぶん」
「遠いですね。何キロあるんだ」
「わからないですけど山の見え方的に流氷ゾーンの三、四倍以上はあるっすね。たぶん飛んだら十五分もかからないっすよ」
——この人は本当に計算速いな。
「文珠川さん。ではいきましょう。さっきと同じように飛び——」
ゴォォォーーー。風の音が変わった。
◇
白い壁が来た。地平線の側から白い面がこちらに倒れてくる。
雪原の雪が一斉に持ち上がって宙を舞い、視界が一気に塗り潰される。
「文珠川さん! こっちに寄ってください!」
「はいっす!」
ロックで半径五メートルのドームを張った。外側に雪が叩きつけられる。どっ、どっ、と、断続的に何かがドームに当たる音が返ってくる。雪の塊だ。
ドームの中に雪は入ってこない。入ってこないが。
「さっっむいっす……」
寒い。空気そのものが刺してくる。ドームは風を止めるだけで温度までは止めてくれない。
「へっぷちん!」
ヴィヴィがくしゃみをした。フードから顔だけ出して目に涙を溜めている。
インベントリから童子切安綱を出し、鞘を払って雪に突き立てる。
柄に魔力を籠めると刀身に炎が宿り、ドームの内側がぼうっとオレンジ色になる。暖かな空気が籠った。
「……ふぅ」
「あったけぇのじゃー」
ヴィヴィが両手を炎にかざす。文珠川さんも寄ってくる。三人で刀を囲んで暖を取る格好になった。傍から見たら相当変な絵である。
「下僕、そっちによれ、刀はわしのじゃ」
「おい、ヴィヴィひとりじめするな、俺が寒いだろ」
「ふふ、お二人は変わらないっすね」
「ほほ、おぬしはもっとよっていいぞ。わし以上に鼻水でぐちゃぐちゃじゃぞ?」
「ふえっ!」
「こらヴィヴィ。文珠川さん、とりあえず少し待ちましょう。吹雪が弱まるかもしれない」
外は真っ白だ。五メートル先のドームの壁のその向こうが見えない。
三十分経った。吹雪は全然止まなかった。
>ニキー、どうした
>ぜんぜん吹雪やまんね
>かわらぬ画面
>吹雪配信になってしまった
>逆に癒される
>焚き火配信みたいな感じで見てる
>そこ焚き火じゃなくて日本刀な
ドローンもドームのおかげで無事だった。しかし炎を囲んで座っているだけの配信になっている。登録者百万人に見せる絵ではないのは確かだ。
「まいったな。全然収まらない」
そしてまずい問題がある。方角が分からない。山への方向はおそらくだが覚えている。しかしこの中を飛んだら、自分がどっちを向いているのか三十秒で分からなくなる。
荒谷さんが言っていたホワイトアウトである。今までのパーティが引き返した理由だ。
「狭間様。他のパーティって、こういうときどうしてたんすかね」
「荒谷さんはテントとかまくらって言ってましたね」
「方角は……」
文珠川さんがリュックから手帳を取り出してめくった。
「調べたんすけど、雪山に入るパーティって、だいたい盗賊系のスキル持ちを入れるらしいっす。方向感知っていうのがあるんすって」
「……盗賊か。ここにはいませんね」
「いないっすね」
『ヴィヴィ。魔剣の気配、どっちだ』
念話でヴィヴィに聞く。方角を示してくれるならそれで済む。
『——分からん』
『おい』
『さっきまでは分かっておったのじゃ。じゃが、この風が吹き始めてから、ぷつりとわからんようになったのじゃ』
『なぜだ』
『たぶんじゃが——この吹雪、ただの吹雪ではないぞ』
『なんだと……?』
>ついにダンジョンハッカー短剣ニキもお手上げか
>めずらしいな
>空飛べても方向わかんなきゃ意味ないもんな
>これ詰みでは
それでも一度だけ試す。ドームを維持したまま、前であろう方向へゆっくり進んだ。五分ほどで、白の中にうっすら岩の影が見え——ゴッ!
ロックに雪とは違う手応えが返ってきた。
「——ッ」
ドームの外側に輪郭があった。四メートル級のアイスゴーレムが腕を振り上げていた。
「バースト!」
空間が弾ける。氷の塊が砕け散り、破片が吹雪に飲まれて消えた。
「ひっ……」
文珠川さんがしゃがみ込み、両手で口を押さえている。
「大丈夫です。倒しました」
「い……いつから、いたんすか」
「たぶんそこの岩山のちかくに潜んでいたんでしょう」
やはり危険だ。視界が悪い状態で無理に進むものではない。問題は倒せるかどうかじゃないんだ。
>は?
>なんか出た?
>見えんかった
>短剣ニキも見えてなかっただろこれ
>こっっっわ
文珠川さんがまだしゃがんだままでいる。手を差し出す。
「どうもっす」
「さてどうしようか」
「下僕~、わし、味噌ラーメンが食いたいのじゃー」
「唐突だな」
昨日の店、北海めぐみ食堂で食べた味噌ラーメンのことだな。ヴィヴィは一度うまいと思ったものをしばらく引きずる。
「あれはインベントリに入ってない」
「戻って食べに行けばよかろう」
俺はドームの外の吹雪を見た。前にも行けない。方角も分からない。そしてここにいる限り何も解決しない。
「……すみません、文珠川さん」
「はいっす」
「一旦、戻りましょう。対策を立て直します」
そばの岩山に寄り手をつき三つ目のゲートを作る。よし、入口とこのゲートはうまくつながっている。入口ゲートの存在を感じた。——そうだ、ゲートの存在を利用すれば……。
「ここ通って入口のゲートに戻ります。次に来たときは、入口からここまですぐです。今日の分は無駄になりません」
「あ、……そうでしたね」
文珠川さんがぽかんとして、思い出したように両手で顔を覆った。
「うち、今日テントで寝るもんだと思ってずっと覚悟してたっす……」
>待って
>まさか
>そのまま帰るの?
>Sランクダンジョンから普通に帰るな
>この人ダンジョンをコンビニだと思ってる
童子切安綱を地面から抜いて鞘に納め、インベントリに入れる。
「すみません、視聴者さん、今日はいったんここで引きあげます。さぁ戻りましょう」
配信を終えて回収する。三人でゲートをくぐった。
◇
洞窟を出ると昼過ぎだった。あれだけ覚悟したのに昼過ぎだ。しかしさすがSランクダンジョン、一筋縄ではいかないな。でもたぶん次はうまくいく、ヒントをつかんだ。
「下僕、味噌ラーメンじゃ」
「わかったよ」
「ザンギもじゃ」
「わかったって」
悔しい。負けて帰ってきたのに腹が減っている。行くか、北海めぐみ食堂に。
=========================




