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第37飯 「あれ、まだ伸びてないか?」


朝五時はまだアパートの周りも暗い。出勤する会社員や早朝ランニングを行うひとがちらほらいる程度だった。


解放型ダンジョンが出現しても日常は大きく変わらない。その事実がどうしようもなく違和感を覚えた。


俺は八皇子駅前のコンビニで、カゴを二つ使っていた。理由は決まっている。食料物資の買い出しだ。


からあげ棒。肉まん。ホットスナックのチキン。おにぎり各種。サンドイッチ。菓子パン。ペットボトルの茶。ゼリー飲料。あと、なぜかヴィヴィが握って離さないプリン。


レジ打ちの店員が、途中から手を止めなくなった。無心だ。目を合わせてこない。


「合計、二万八千四百円になりまーす」

「はい」


リュックに入れる振りをして、リュック内からインベントリに放り込む。店員はどんどん入る俺の不思議リュックを見て驚いていたのがちょっと痛快だった。


ホットスナックは揚げたてのまま止まる。肉まんも温かいまま。おにぎりも乾かない。この便利さだけは、何度使っても嬉しい。


〈インベントリ中〉。


高価な紙袋と言われたインベントリ小の時と比べると、容量が三畳から五十メートル四方と格段にアップした。


このスキルは物を入れる箱でしかないが、贅沢に使える分にはとても有用である。


「下僕。プリンは今食うぞ」

「まってやるから早く食べろ」


ヴィヴィがコンビニ前でプリンをスプーンでつっつく。


「んーーっまい。クヒヒ、外で食べるとか行儀が悪いのう」

「お前が言うな」



 ◇



南港へは行かない予定である。


協会の輸送船は朝七時発、大土島への到着は十一時。四時間もかかってしまう。


少しでも早く現場を見たかった。海沿いの人気のない堤防で意識を切り替える。


シフト。自身の周囲の空間を固定し、移動させる。


重さが消えるように足の裏が地面を離れて体が浮いた。


「うわっ、待て下僕! わしを置いていく気か!」

「置いていくわけないだろ」


ヴィヴィが跳ねて、俺の背中にしがみついた。小さい体のわりに、しがみつく力は妙に強い。


「準備はいいか」

「よいぞ!」


加速。堤防が下に落ちる。街の灯りが一気に遠のいて海が広がった。


風が耳を殴ってくる。ロックの膜を厚くして、風圧を殺した。これをやらないと音が大きすぎて会話ができない。


「下僕」

「なんだ」


「腹が減った」

「早いな」


「わしは飯を食うのが仕事じゃ。契約じゃからな」


そうだった。無限の魔力をもらう。そのかわり飯を食わせる。それがこいつとの契約だ。


正直、割に合っているかは今でも怪しい。だが破ったことは一度もない。破ったら、たぶんこいつは本気で拗ねる。


インベントリからチキンを取り出して、背中越しに渡した。


「熱っ! ……熱いのじゃ! 揚げたてじゃ!」

「そりゃそうだ」


「なぜじゃ、買ってから30分以上は経っておるぞ!」

「入れとくと止まるんだよ、時間が」


「……下僕、お主それはずるいな!」

「なにがだよ」


「ずっと美味いままではないか!」

「よかったな」


はぐはぐと、背中の上で咀嚼音がする。


海の上を時速二百キロ前後で飛んでいる。眼下は真っ暗な水面だ。



 ◇



空が白んできた頃、海の上に船を見つけた。


高度を落として確認する。かなり小さい漁船だ。


甲板に人が乗っている。詰めている、と言ったほうが近い。座る場所がなくてみんな肩をくっつけて立っていた。


子供を抱いた女の人。毛布をかぶった老人。荷物はほとんどない。着の身着のままだ。


避難船だ。


俺は速度を落として、しばらく並走した。誰も俺に気づかない。空を見上げる余裕がないんだろう。


そして、周りを見渡したが他に船はいなかった。目に見える範囲でこの一隻きりだ。


「……八千人だぞ」


あの島には八千人いる。これが何往復すればいいんだ。片道四時間だぞ。間に合わない。


「下僕。あの船がどうかしたのか」

「……いや」


先に行くと島より先に、それが見えた。


水平線の向こう側に黒い線が一本、垂直に立っていた。雲の切れ目か、光の加減か。最初は目の錯覚かと思った。


しかし近づいても消えず、むしろ太くなっていった。島でないのはあきらかだった。


「……なんだ、あれ」


塔。そうとしか言いようがない。細長い黒い構造物が、海の向こうから空へ突き刺さっている。


十分ほど飛んで、ようやく島が姿を現した。そこでわかった。塔は島の真ん中にあった。


火山の火口からまっすぐ上に生えている。火山も決して小さくはない。標高で言えば何百メートルかはあるはずだ。


「でかすぎるだろ」


塔は目算でも二千メートルはある。



 ◇



島の外周を、時計回りに回ることにした。


上空から全体を把握しておきたかった。何がどこにあって、どこがどうまずいのか。


まず南にいくと、港が見えた。


コンクリートの岸壁に人が途方もないほど列で並んでいる。港から街のほうへ、うねりながら伸びている。何百人いるのかわからない。


桟橋には船が二隻しかいなかった。そのうち一隻は、まだ人を乗せている最中だ。さっき海で見た漁船が、この列から出ていったものだと理解した。


漁船。漁船。小型のフェリーが一隻。これで八千人。


「……間に合わないだろ、これ」


港の周りには、探索者と思しき装備の人間が何人か立っている。列の整理をしている。武器を持っているが、戦っている様子はない。


とりあえずここは無事であることがわかった。というより無事なのがここだけなのかもしれない。そんな不安が頭をよぎった。


次。東へ回ったとき、予感は的中した。


集落があった。正確には集落だったものが。


家が潰れている。木造の民家が、何軒か横倒しになっていた。屋根が落ちて、瓦が散乱している。道路に車が転がっていて、電柱が斜めに傾いていた。


そして動いているものがある。


丸い。直径にして一メートルくらいの、黒っぽい球体だ。表面から棘がびっしり生えている。イガグリだ。イガグリが、道を転がっている。


十や二十じゃきかない。集落の中をあちこちで転がり回っている。


一つが傾いた電柱にぶつかると、どごん、と鈍い音がして、電柱が根元から折れた。


「おうおう、豪快じゃのう」

「……あれ、けっこう重いな」


家が潰れている理由がわかった。あれが何十個も突っ込んだんだ。そして集落の端で人が戦っていた。


探索者が三人。大剣と、槍と、あとは魔法系だろうか。転がってくるイガグリを迎え撃っている。


一人が大剣を振り下ろし、棘ごと真っ二つになる。


それでも次が来る。次の次が来る。奥にたくさんいる。


倒せている。倒せてはいるが、減っていない。


背後の民家から住民らしき人影が走り出てきた。避難が済んでいないのか。


俺は速度を落として様子を見た。


三人はまだ余裕があるように見える。なんとか持ちこたえている。


「……よし」


助けに入るかどうか迷ったが、島を先に見ておかないと判断ができない。ここだけ助けても意味がない。


歯を食いしばって通り過ぎた。



 ◇



北側の斜面に出て俺は高度を落とした。


黒い粒が、無数に斜面を動いていた。


山肌を埋め尽くすようにして、上から下へ転がり落ちている。さっきのイガグリだ。さっき集落で見たやつと同じものが、数えきれない数、斜面を流れ落ちていく。どこかの動画でみたような土石流みたいだった。


上を見る。塔の——いや、塔の中腹あたりから、ぼとぼとと切れ目なく落ちてきている。


落ちて、地面に当たって、跳ねて、転がり始める。


——あれは直接、塔から生まれてるのか。


「下僕」


背中でヴィヴィが身を乗り出した。


「なんだ」

「あれは食えるやつじゃ」


「は?」

「あの丸いやつ。いい匂いがしておる」


俺は斜面を見下ろした。無数の棘の球体が、島を蹂躙しながら転がり落ちていく。


「……お前、そういうところあるよな」

「わしは真剣じゃぞ」


「モンスターだぞ」

「ボアもモンスターじゃったろうが」


反論できない。そういえばこいつ、初対面のときから一貫している。食える食えないの判断が早い。


「……後で考える」

「約束じゃぞ」



 ◇



西側へ回ったところで空から何かが落ちてくる……いや何かが舞っている。


木の葉みたいな形だ。カエデの種を大きくしたような、一枚羽根の何か。それがくるくると回転しながら滑空している。


一枚が、俺の脇をかするように向かってきた。


ガイン! ロックに弾かれる音がした。


「……あれはモンスターか!」


羽根の縁が刃になっていた。そんなものが空一面に舞っていて、その群れは下へ向かっていた。


港だ。


さっき見た避難の列。その上に、上空からあの一枚羽根の群れがまっすぐ降りていく。


「——っ!」


シフトの出力を全開にして移動。海面すれすれを弾丸みたいに飛ぶ。列の頭上まで到達する。


ロック。


空間を固めて上空に膜を張った。降ってきた羽根が、次々にぶつかって止まる。そしてさらにロックの蓋で閉じ込める。


ショック。


膜の内側で、衝撃を広範囲に弾けさせた。


ばん、と空気が破裂して、羽根が一斉に砕け散った。粉々になった破片が海に落ちるように誘導する。


列の人々が音に驚いて悲鳴を上げて、それから上を見た。俺と目が合った。


「……大丈夫です」


言ったものの届いたかどうかはわからない。


そして次の瞬間、俺は東の空を見た。


さっきの集落だ。同じ一枚羽根の群れが、そっちにも向かっていた。さっきの探索者たちがいた方向だ。


距離にして約三キロ。シフトで飛んで、三十秒もかからない。


三十秒あれば間に合うか——、だがこの港はどうする?


まだ列は残っている。上空にはまだ羽根があり、ここに飛んでくるかもしれない。俺が離れればまた降ってくる。


「……くそ」


体は一つだ。当たり前のことなのにそんなことを今さら思い知らされている。


東の空で光が走った。爆発が起きて、羽根の群れが吹き飛んだことがわかった。


誰かが、別の探索者がやったんだ。俺じゃない誰かが、あそこを守っていることがわかった。


なぜか少しだけ息が抜けた。



 ◇



羽根の群れを片付けた後、港の上空を離れて俺は島の中央にある火口へと向かった。


近づくにつれ塔の輪郭がはっきりしてくる。そして、違和感が形になった。塔はまっすぐではなかった。


遠くから見たときは一本の直線に見えたが、実際は違った。ところどころで太さが変わっている。表面がぼこぼこしている。


節だ。——そして皮がある。黒くて、硬そうで、ひび割れている。ひび割れの奥がうっすらと赤く光っていた。


俺は高度を落として幹に近づいた。


幹。そう、幹だ。


「……樹、なのか、これ」


塔ではなく、とんでもない大きさの樹が火口から生えていた。


そして樹の上のほうで枝が分かれていて、枝の先に実が実っていた。球体の実。棘のある実。丸い瘤。そしてその実がぼとりと落ちる。


地面に当たって、跳ねて、転がり始める。


「……実っているのかよ」


落ちたのはさっきのイガグリだ。つまりあれはこの木の実だ。木が実を生らせて、実がモンスターになって島に散っている。


「でっかい樹じゃのう……」

「そういう仕組みか……」


じゃあ、木を倒せばいい。俺は幹を見た。


「……あれ?」


火口の縁に焦げた岩がある。それを目印にして幹の高さを測っていた。さっきまで、その岩と幹の節が同じ高さだった。


けれども、今は違う。節のほうが上にある。ほんの少しだけれど、一メートルか、二メートルか。だが確かに上に移動していた。


「下僕? どうした」

「……あれ、まだ伸びてないか?」


「伸びておるな」

「今、目の前で?」


「うむ」


古館さんの言葉が、頭の中で再生される。


――時間とともに、規模が増大します。


こいつは待ってくれない。


成長し続けている——。


 

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どうあがいても絶望。

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