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第8話

主人公の視点に戻ります。

「ん〜っ、美味しい……!」


 口の中いっぱいに広がる優しい甘さに桐刃は思わずとろけそうな声を漏らした。

 彼女はお洒落な喫茶店の窓際の席に座っている。そして、目の前には、お皿の上でぷるぷると揺れる、焼き立てでふわふわのパンケーキがある。これでもかと山盛りにされたホイップクリームに琥珀色に輝くシロップがたっぷりと浸み込んでいる。


(信じられない……。私、本当に固形の甘いものを食べてるんだ!)


 フォークを進めながら、桐刃は改めて自分の幸福を噛み締めていた。

 なぜ、彼女が今こうして街の喫茶店で幸せいっぱいの時間を過ごしているのか。その理由は数時間前の出来事にまで遡る――。


「先生、私……学校に行きたいです!」

 痣が完全に消え去り、奇跡とも言える回復を遂げたその日の朝。

 自身を診察している主治医に向けて、桐刃は開口一番、自身の切実な希望を伝えていた。

 しかし、医学の常識を覆すほどの急激な回復だったため、前例のない事態を前に主治医の表情は当然のように険しくなり、難色を示していた。


「気持ちは分かるけれどね、八剣くん。念のためもう数日入院して、精密検査を受けて様子を見るべきだ」


「うぅ……」


 主治医に促され、桐刃は渋々ながらも頷くしかなかった。

 さらに追い打ちをかけるように、親友の彩からスマートフォンにメッセージが届く。それは、昨日、街を襲った災の被害により、大半の生徒の通学手段である電車がいまだ復旧作業中で本日は臨時休校になったというものだった。


(せっかく治ったのに、学校が休みなんて……)


 がっくりと肩を落とす桐刃だったが、どうしても諦めきれない想いがあった。学校には行けずとも、ずっと縛り付けられていた病院から出て、自分の足で歩いて外の空気を吸いたい。


 (看護師さん、お願い!)


 そこで桐刃は顔馴染みの看護師へとアイコンタクトで助けを求めた。

 いつも桐刃が苦しむ姿を一番近くで見ていた看護師は任せなさいと言わんばかりに胸を張って主治医の前に立ってくれた。


「先生、いいと思いますよ。数時間のお散歩くらい。私が責任を持って付き添う――わけにはいかないけど、タクシーの手配くらいはしてあげる!」


「ちょっと、君ねぇ……。はぁ、分かりました」


 強力な助っ人――顔馴染みの看護師の熱意に負けて主治医の方が先に折れてくれた。


「ただし! その代わり明日は一日中、院内で絶対安静にすること! これが条件です。いいですね?」


「はいっ! ありがとうございます、先生!」


 条件を二つ返事で呑んだ桐刃は、大喜びで看護師の用意してくれたタクシーへと乗り込んだ。

 向かう先は、久しぶりとなる祖母の家――懐かしい我が家だ。

 いつも無機質な入院着ばかりだった桐刃にとって、クローゼットに並ぶ私服たちはどれも新品のように目新しく見えた。お気に入りのカットソーを選び、その袖に腕を通す。柔らかい布地が肌を包み込む感触に、じわじわと胸が熱くなり、危うく涙がこぼれそうになった。


(このお店、スイーツがすごく美味しそう。……あ、あっちのカフェもいいな!)


 桐刃は祖母がよく使っていた三面鏡の前でスマホを片手にお店を検索していた。

 あれもしたい、これも食べたいと次から次へと欲望が溢れてきてんやわんやだった。そんな時、桐刃はふと指を止めて画面を見つめて考えた。


(……ううん。本当に素敵なお店は、彩ちゃんとの楽しみに取っておかなくちゃ。よし、今日は病院の近くのエリアで我慢しよっと)


 大好きな親友と笑顔を交わす近い未来の風景を想像して、桐刃は自分が楽しむだけでなく、彩と楽しめそうな場所を探すことへと目的を変更する。行き先が決まると鏡の前で軽く髪を整え、桐刃は意気揚々と自宅を後にした。

 久しぶりの街並みを歩く桐刃の足取りは自然と軽くなっていく。

 道中、すれ違う人々が一瞬だけピタリと足を止め、それから何度も振り返っていくことには桐刃自身まったく気づいていなかった。


「ねぇ、今すれ違った子、もの凄く綺麗じゃなかった……?」


「うん、まるでお人形さんみたい。タレントさんか何かかな……」


 包帯と呪いの痣に隠されていたのは見る者を一瞬で惹きつける圧倒的な美貌。だが、当の本人の頭の中は一日を使ってこれまでできなかった日常を満喫することで完全にいっぱいだった。

 そうして、良さそうなお店を探しながら歩いていたお昼時。

 偶然目に留まった喫茶店の看板。そこに載っていたパンケーキの写真に桐刃は心を奪われた。そして次の瞬間には、引き寄せられるように店内の席に座っていたのだ。


「ふふ、やっぱり最高……!」


 回想から現実に戻り、桐刃は二口目のパンケーキを口に運んだ。

 これまでは喉越しが良く、胃に負担をかけないお粥やスープばかりの毎日だった。彩がお見舞いに持ってきてくれるものも、果実系やシェイク系のドリンクが中心だ。

 だからこそ、食感を楽しみ味わうという当たり前の行為そのものにさえ、じんわりと感動がこみ上げていた。


(これからまた、ずっとこんな風に過ごせるんだよね。彩ちゃんとも、学校で新しく出来る友達とも……)


 窓の外から差し込む暖かい光を浴びながら、桐刃はこれから始まる新しい学校生活に、期待で心を躍らせていた。

 しかし、この後、桐刃は運命を180度変えてしまうことになる最悪で最高の出会いを果たすことになるとは今の彼女は夢にも思っていなかった。

いつも読んで頂きありがとうございます。

あと少しで旦那様との最初の出会いを迎えることになります。

引き続き応援よろしくお願いします。

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