第5話
「……っう、うぅ……うぁ……ッ」
喉の奥から絞り出された嘆く声だけが静まり返った病室に響き渡っていた。
祖母が亡くなった後、その手を握り締めたまま、傍を離れようとしなかった桐刃は祖母の呪いを無理矢理取り込んだ反動で気を失ってしまい、看護師たちの手によって自室のベッドへと連れ戻されていた。
再び意識が戻った彼女を待っていたのは、救いようのない無慈悲なまでの現実だった。
桐刃は包帯に覆われたままの両手で顔を覆い、ただひたすらに、子供のように泣きじゃくった。
祖母のもとに向かう際に緩んでしまった包帯は新しいものに取り替えられていたが、それさえ取り替える必要があるほど桐刃から溢れる涙は包帯を濡らし続けていた。腕を上げているだけで、そして、嗚咽で体が揺れる度に鋭い痛みが体中に走る。だが、そんな身体の痛みなど、今の彼女にとっては心の痛みに比べれば些細なものだった。
今、桐刃の心の中を占めているのは家族という唯一無二の温もりを失った、計り知れない喪失感。
そして――。
(どうして、おばあちゃんが……。なんで、こんなことが……!どうして!どうして!どうして!)
祖母のことを考えるほど、悲しみと同時に黒い感情が生じ始めていた。
自分のすべてを奪い、今もなお身体を焼き続けるこの呪いへの憎悪。
それを防げず、ただ見ていることしかできなかった無力な自分への嫌悪。
そして、優しい祖母の命を無慈悲に奪い去った呪いへの憤怒。
十六年という短い人生の中でこれほどまでに激しい負の感情を抱いたことはなかった。
かつて家族や運命の相手に捨てられたときでさえ、彼女は憎しみや怒りよりも諦めと悲しみに暮れるだけだった。だが、祖母の命を奪われた今は違っていた。
「……うあぁ……ッ!!」
声にならない叫びを上げ、ベッドから立ち上がった桐刃はテーブルを倒したり、椅子を壁や床に叩きつけるなど半ば八つ当たりのような行動に出る。
意味がないことだと頭では理解していても心がそれを拒んでいた。八つ当たりをした分だけ虚しさとともに憎しみは彼女の内でさらに大きく存在感を増していく。
扉越しでも廊下に響く大きな物音を聞き、最初に駆けつけたのは顔馴染みの看護師だった。暴れる桐刃の姿を見て危機感を覚えた看護師はすぐに医師を呼び寄せた。これ以上の暴発は桐刃にとっても心身ともに危険だと判断した医者の指示によって、桐刃はすぐに鎮静剤を投与され、強制的に眠りに就かされるのだった。
「ううっ……くぅっ……うあぁっ!」
深夜、静まり返った病室には鎮静剤により眠っているはずの桐刃の苦しむような呻き声が響いていた。
包帯の下では二つの呪いが激し過ぎるほどに蠢き、それが影響してか、彼女の体は沸騰したお湯に全身を浸けられる、いわゆる釜茹で地獄にいるかのように異常な高熱を発していた。
中学生の頃から彼女を蝕み続けている龍型の呪いと祖母を救おうと取り込んだ鬼型の呪い。二つの禍々しく強大な呪いが自らこそがこの少女を呪うと言わんばかりに桐刃の体を奪い合うように激しく衝突し、その支配を広げようと暴れ狂っている。
(熱い……痛い……おばあちゃん、彩ちゃん、だれか……っ)
インフルエンザで高熱にうなされている時のように意識が混濁し、夢と現実の区別がなくなり、沈んでいくような感覚。肉という肉を裂かれ、骨が軋むような激痛を味わいながらも桐刃はただ脂汗を流し、身を悶えさせることしかできなかった。
二つの呪いの痣が桐刃の全身に広がろうとしていた瞬間、突如としてその動きを止めた。
それは相打ちにでもなったかのように両方とも呪いとしての禍々しい意志が消失し、それまでの衝突が嘘のように静かなものとなっている。それと同時に、桐刃は今まで自身を襲っていた全ての苦痛から解放される。
そして、呪いとしての機能をなくしたそれは圧倒的なまでの強大な力へと昇華されていく。桐刃の全身を覆っていた痣は見る見るうちに縮小し、一箇所へと収束されていく。
「……ハァ、ハァ……すぅ……すぅ」
桐刃の体から高熱が引いていくとともに荒々しかった彼女の吐息は徐々に落ち着き、安定したリズムの寝息へと変わっていった。
窓から月の光が差し込み、桐刃の右手を照らす。そこには手の甲から手首の少し下にかけて、柘榴色をした入れ墨のような紋様となった痣が刻まれていた。
それは龍のようにも見え、あるいは何かしらの意味を持った梵字のようにも見える、妖しさと不思議な美しさを持ち合わせた痣だった。
また、変わったのは痣だけではなかった。自身でさえ驚くような本当の変化が起きていることを彼女が知ることになるのは、次の目覚めを迎えた瞬間のことだった。
※いつも読んで頂きありがとうございます。
序章もそろそろ終わりとなります。
甘い日常のエピソードまで頑張って更新続けていきますので、引き続き応援よろしくお願いします。




