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第14話

「先生、看護師さん、お世話になりました」


 翌朝、退院のために荷物をまとめた桐刃は病室を出るとすぐそこで待っていた主治医と顔馴染みの看護師にとびきりの笑顔でお礼をする。


「桐刃ちゃん体調には気を付けてね」


「八剣くん、何かあったらいつでも相談してくれ」


「はい、ありがとうございます」


 桐刃は改めて深々とお辞儀をしてエレベーターに乗り込んで行った。

 しかし、ようやく退院できることでワクワクしていた桐刃は正面玄関側の窓から外を見て絶句することになった。

 正面玄関を出てすぐのところには昨日宣言した通りに黒塗りの高級車の横で涼しい顔をして立っている麟堂天真の姿があった。


「本当に来てる……あいつ、本当にストーカーなの!?」


 慌てて身を隠した桐刃は裏口に回ると極限まで気配を殺し、病院の周辺にある建物の路地裏や塀の上、屋根伝い、さらには獣道のような細い山道を駆使して天真にバレないように病院を後にした。それから自宅に帰るまでの間、絶えず周囲を警戒し索敵を怠らない姿はまるで隠密行動のプロフェッショナルさながらだった。

 だが、そのせいで無駄に神経をすり減らす羽目にもなった。

 そしてやっとの思いで帰宅し、神経をすり減らした桐刃がリビングで一息つこうとしたその時だった。

――ピンポーン。

 家の中に鳴り響くチャイムの音が休むことを許さなかった。そして、それは同時に桐刃の堪忍袋の緒を切る音にもなった。

 一日どころか半日で我慢の限界を迎えた彼女はもはや正体を隠すことなど頭から抜け落ち、天真の顔面にグーパンをお見舞いする勢いで玄関へと突進した。


「いい加減にして! 私はあなたと結婚なんてする気は一ミリもな――!!」


 勢いよく扉を開け、怒鳴り散らそうとした桐刃の言葉が止まる。

 そこに立っていたのは天真ではなかった。


「はい。仰る通りでございます。薙川……いえ、失礼いたしました。八剣桐刃様。この度は我が主、天真様が多大なるご迷惑をおかけしましたこと深くお詫び申し上げます」


 目の前にいたのは執事服を着こなし、洗練された身のこなしで深く頭を下げる天真の付き人の男性――夜暁やぎょうだった。

 その完璧な礼節と落ち着いた声に呆気に取られた桐刃はあまりの気まずさに振り上げていた拳をゆっくりと下ろし、視線を横にずらす。

 そこには、昨日の尊大な態度は鳴りを潜め、夜暁の後ろで腕を組み面白くなさそうに視線を逸らして不貞腐れている天真がいた。


「……夜暁、余計なことをするな。俺はただ彼女の返事を確認しに来ただけだ」


「天真様。それは世間一般では付きまといあるいはストーカー行為に該当します。さあ、八剣様にお詫びを」


 夜暁の淡々としながらも言い訳を許さない物言いに五大名家の天才術者が叱られた子供のように唇を噛んでいる。


(何なの……この主従……)


 一触即発の修羅場を覚悟していた桐刃はあまりにも予想外の展開に怒るタイミングを完全に失って立ち尽くしていた。


「八剣様、もしよろしければ改めて、天真様が求婚に至った経緯をご説明させていただけないでしょうか?」


 夜暁から口を開き、全てを見透かすような目と穏やかながらも隙のない物腰に桐刃は完全に毒気を抜かれてしまった。

 このまま玄関先で押し問答を続けても近所の目が気になるだけだった。


「……はぁ、分かりました。どうぞ、上がってください」


 夜暁の真摯な態度に根負けした桐刃は二人を自宅の和室へと案内した。畳の香りが漂う静かな空間に五大名家である麟堂家の次期当主にして天才術者の青年とその付き人が座っているという光景はあまりにもシュールだった。


「さあ、天真様。まずは桐刃様に昨日の人としてあるまじき言動に対する謝罪を」


 夜暁に催促され、天真は一瞬だけ悩むような素振りを見せたが、すぐに姿勢を正した。


「……すまない。強引すぎたことは認める」


 潔く、深く頭を下げる天真。あの尊大な態度を崩さない天才術者が自分の非を認めて頭を下げている現実に桐刃は毒気を抜かれる以上に拍子抜けしてしまった。


「……頭を上げてください、麟堂、様。もう怒っていませんから。それと……」


「申し遅れました。私は夜暁と申します。先祖代々、麟堂家当主の執事としてお仕えしている者です。以後、お見知りおきを」


 夜暁は流れるような所作で自己紹介を済ませ、桐刃の怒りが完全にどこかへ行ってしまったタイミングを見計らって本題へと切り出した。


「さて、桐刃様。天真様がなぜ、一度お会いしただけのあなた様にこれほどまで執着され、あのような極端な求婚を申し出たのか……。それを主の代わりに私からお話しさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


 夜暁の言葉に天真は再びバツが悪そうに視線を逸らした。

 和室に流れる空気はどこか奇妙な緊張感に包まれていた。桐刃はお茶を出すことも失念したまま天真の求婚の真意に耳を傾けることになった。

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