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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
後日談
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後日談0 真夜中の小夜啼き鳥~ナイチンゲール~

 時系列が前後しますが、結婚した少し後くらいの、さる夜のお話。


 3,000pt記念に、拍手ページに上げていたR18バージョンを、R15バージョンに書き直したものです。タイトルも内容も、とても気に入っているので、U18(アンダー18)だったり、R18はちょっとダメ…な皆様にも読んでいただきたく、かなり加筆してアップいたしました。


 お楽しみいただければ、幸いです☆彡

 珍しく真夜中に目が覚めてしまったアクセルは、ほとんど本能的に、隣にあるはずのぬくもりに手を伸ばした。

 ところがそこに触れるはずの柔らかなぬくもりが無いことに気付いて、一気に覚醒し、がばりと身体を起こした。

 遮光カーテンのせいで真っ暗闇の寝室を飛び出し、隣室へと飛び込む。

 そこでようやく、かすかに聞こえてくる、優しいアルトを聞きつけ、安堵した。月明かりが漏れる掃き出し窓の向こう、広々としたバルコニーで電話を取っている愛しい妻の後ろ姿が見える。


「うん・・・ええ・・・そう、その引き戸の・・・ああ、あった?うん、うん・・・。大丈夫?行こうか?うん・・・わかった。うん。いいのよ、気にしないで。ええ、うん。じゃあね。おやすみなさい。」


会話の内容から、勤務中の病院からの緊急連絡であることを察して、アクセルは知らず知らずに深く息を吐いた。

 耳から離されたスマートフォンが照らし出す横顔が、ほのかに光る。辺りを包む青い月明かりがまるでリンを嘆きの妖精(パンシー)のように幽玄に見せていた。

 アクセルは大股で歩み寄ると、そのまま愛する妻の華奢な身体を後ろから強く抱きしめた。


「……リン……」


「わっ!びっくりした!」


通話後、スマートフォンに入ってきていたメールに気を取られ、アクセルに気付いていなかったリンが、その身を震わせた。


「どうしたんですか?閣下?」


マニティで再会してから、リンはアクセルのことを一貫して"閣下"と呼び続けていた。水くさいとは思いつつも、もうそういったことはどうでも良いアクセルは、そのままにしている。呼び方などどうでも良いのだ。重要なのはこうしてリンが自分の側にいてくれることーー。


「閣下?」


自分を抱きしめたまま、無言でいる愛する夫の腕に優しく触れながら、リンが繰り返した。しかしアクセルは依然答えずに、ことさら腕に力を込めた。微妙に潤んだ瞳を見られまいとしてリンの首筋を覆っている黒々とした髪の毛に顔を埋め、深呼吸を繰り返す。鼻腔を満たしたラベンダーの手作り石けんシャンプーの匂いがようやくアクセルの動悸を鎮めると、リンの不在に気付いた瞬間(とき)から滞っていた血流が、ようよう全身に巡り始めたのを感じて、アクセルはことさら深く息を吸った。


(こんなふうに不安に苛まれるのは、バカげている……)


一時(いっとき)の動転状態から立ち直り、本来の自己コントロールを取り戻すと、今度は決まり悪さが先に立ってしまう。

 そんなアクセルが繰り返す深い吐息に、大体のところを察したのか、リンが


「座りましょうか?」


とバルコニーにおいてある、籐の長椅子に優しく誘った。


*-*-*-*-*


 この別荘は、アザリス国内に数多(あまた)点在するディスカストス家の別荘の中でも、決して華美でも大きくも無い、こぢんまりとしたものである。

 しかし、そのあっさりとした意匠の実用的な内装や、デリースから高速道路を利用してわずか40分という至便さ。そして、なんといっても狭い敷地に点在する美しいワイルド・ガーデンと、たくさんの野鳥が住まう林が、庶民育ちで質素好みなリンの気に入った。

 結婚後少しして医師の仕事に戻り、少々忙しくなったリンと、仕事を減らして家族の時間を増やし、少々暇になったアクセルは、週末毎にこの別荘での滞在を楽しむようになった。

 なんの変哲もないこの地味な別荘には、一つ、他の別荘にはない大きな特徴があった。それが、2階の主寝室だけでなく、その隣の客用寝室からも出入りできる、大きく広いバルコニーが設えられていることだった。

 本来行き来が不要であるはずの、主寝室と客用寝室に出入り口となる掃き出し窓を持つバルコニー……。この別荘を建てた何代か前のディスカストス侯爵閣下が、単なるロマンチストだったのか、はたまた自由恋愛を謳歌するドンファンだったのかは伝わっていない。


 閑話休題。


 さて、リンとアクセルはこの別荘に来る度に、バルコニーに出ては眼下に広がるワイルドガーデンや森を眺めたり、辺りを照らす美しい月光のなかで語り合ったりするのを楽しんだ。

 そんな二人の様子をグッドマンから聞かされたミリアムは、早速、南国から取り寄せた籐製のソファセットを贈ってくれた。丈夫な割に軽くて扱いやすいその家具は、二人の来訪の連絡が来るたびに、別荘の管理人によってバルコニーに用意され、毎回リンとアクセルの楽しい夜に欠かせない役割を果たしているのである。

 そして今ーー。

 その籐の長椅子に座ったアクセルの頭をその胸の中に抱き込んで、リンは黙って灰色の旋毛(つむじ)にキスをした。アクセルはなされるがままにリンに寄りかかると、その身体に腕を回し、ふんわりと柔らかな乳房に顔を押し当て呼吸を繰り返した。


「……また、君がいなくなったんじゃないかと思ったんだ……」


アクセルがポツリと呟く。


「……夢見も悪かった。あの日、消えてしまった君を捜して、エッジロードの病院の廊下を延々と走り回る夢を見て……」


「……ごめんなさい……」


リンが言った。


「違うんだ、謝って欲しい訳じゃない……」


アクセルは殊更リンの身体を強く引き寄せた。


(暖かい……)


アクセルは、リンのぬくもりを感じながら、さっきまで迷い込んでいた暗い記憶に思いを馳せた。

 リンが去って、行方は(よう)として知れず、歯がゆくも焦燥ばかりが募った日々。アクセルは何度も夜中に眼を覚ましては、まんじりともせず夜明けを迎えた。リンが去ったことに悲しみ、それは怒りに変わり、やがて不安に苛まれた。

 自分を捨てて去ったリンに怒り、恨んだ自分を恥じるのと同時にアクセルの中に沸き上がったのは、リンがすでにこの世にいないのではないかという、とてつもない不安だった。誰にも消息を掴ませないまま消えたリン。金も貯金もろくに持ってはいまい……。どこであっても、そこがアザリスでありさえすれば、社会保障制度を利用した途端、わかるように知己を頼って警察に手も回したというのに、一向に連絡は来ず……、それはつまり……。そこまで思い至るたびに、アクセルは頭を振って、恐ろしい考えを振り払おうと努力した。

 リンは生きている。そう信じることがアクセルの最後の希望だった。

 疲れているはずなのに目が覚めてしまったアクセルは、紫色の曙光の差し込む明け方の書斎で、何度も何度もリンを想った。自分の人生から永遠に失われたのかもしれない、と絶望に沈み込んでは、すぐにまた、それを否定してかすかな希望に縋っては朝焼けを眺めたものだーー。

 狂おしいほどにリンを求め続け、それでも得られず、かつて自らが演じた愚かしさを思い起こしては、自分を責め続けた日々ーー。

 そんな日々を経て、今、この瞬間、リンはアクセルの腕の中にいる。そればかりか、リンはとうにアクセルの妻なのだ!

 役所に書類を出したし、美しい秋空の下、ウェディングドレスを身に纏ったリンを抱きしめ、愛するステラを胸に抱いて、ガーデンパーティも開いた。それから何ヶ月もの日々を過ごしているというのに……。


(まだ私は、リンを失う不安を捨てることができないのかーー)


アクセルは自分のあまりの女々しさに、自嘲の笑みを浮かべた。


「……さ、ベッドに戻りましょう?閣下」


そんなアクセルの内心の葛藤を知って知らずか、リンがいつもと同じ調子で優しく言った。


「ああ」


言葉少なに答えると、アクセルは無言でリンを抱き上げた。


「わっ!降ろしてください、閣下!私、歩けます!!」


「……黙って?ステラが起きてしまう」


こめかみにそっと口づて微笑むと、リンが観念したようにアクセルの胸首に手を回し、抱きついた。

 と、どこからか小夜啼き鳥(ナイチンゲール)の声がした。優しく美しい。でもどこか寂しげな声ーー。

 その瞬間、アクセルの脳裏に両親の葬式が蘇った。どんよりと曇った空。冷たく湿った空気。立ち上る濃厚な土の匂い。紙のように白い顔をして立ちすくむ妹の手を握りしめ、どうしたらよいのかわからず、途方に暮れたあの日ーー。どうしても眠れなくて窓辺に立つアクセルを慰めるように鳴いていた、小夜啼き鳥(ナイチンゲール)の声を、どこか夢の中のように聞いた。

 あの時から、アクセルの中で小夜啼き鳥の鳴き声は、死と土のイメージと分かち難く結びついてしまったのかも知れなかった。

 そしていま、リンを抱えたまま振り向いて、ほのかに明るい月光の中、森の外縁にあたる木々の枝影を眺めてはみたが、どう目を凝らしてもその姿を見つけることは出来そうになかった。


(いつかーー。いつか冷たい土の下に眠る時がきたら、私はこの声を聞いて、寂しさに耐えようーー。リンのことを想い出しながら、二人で過ごした夜を想い出しながらーー。

 静寂の中、夜霧を祓うように、優しく響き渡るその啼き声を聞きながら、眠りにつこう。君のぬくもりの記憶を抱いてーー)


アクセルはリンの頬に優しくキスを落として歩き出した。


(だからそれまではーー、この心臓が鼓動を続けているうちは、暖かい君のぬくもりを感じながら、眠らせてほしいと、願う)


 ようやく人生を共に歩むことを、約束してくれた愛しい(ひと)。そのぬくもりに包まれるこの幸せな時が、どうか、どうか1日でも長く続きますように、と、祈らずにはいられない。

 バルコニーから室内へ入る時、再び背後を振り返ったアクセルの目の端に、ちらりと小夜啼き鳥の飛ぶ姿が見えたような気がした。しかし、二人の去った後に残るのは、涼やかで優しい静かな夜の気配と、透明な月光だけであった。


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