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錬金系の落ちこぼれ四男、辺境領主として無双する  作者: 穏やかな旅人


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第116話 血と謎を前面に

レオンはしばらく、干屍を見下ろしていた。


数千年。この大神官は——数千年、この場所で問い続けていた。答えのない問いを。


オグリの言葉が、頭の中に残っていた。


『あるいは、神など最初からいなかったのかもしれんがな』


(そうかもしれない。だがこの人物にとっては——神がいてもいなくても、問い続けることをやめられなかった)


レオンは立ち上がった。


ミラはまだ干屍を見ていた。眼鏡の奥の目が、潤んでいる。


「行くぞ」


「……はい」


二人は奥へと続く通路に踏み込んだ。


◆◇◆


しばらく進むと、また骸骨があった。


通路の脇に、仰向けに倒れている。下顎が僅かに開いている。死ぬ前に何かを言おうとしたのか、あるいはただそのまま力が抜けたのか——わからない。だが死に顔に、どこか落莫とした色があった。


骸骨の傍の石壁に、血で文字が刻まれていた。


五百年以上経っているはずだが、かすかに赤黒い色が残っている。


レオンは屈んで文字を読んだ。


「……『極めた。全てを極めた。それでも——届かなかった。扉の前で終わる』」


ミラが息を飲んだ。


「この人は——」ミラは骸骨の胸元の徽章を確認した。「三重環の紋様。大魔法師の証です。しかも——」徽章の裏を見た。「カーネフェル・アメン。この名前は——」ミラの顔が変わった。「六百年前の大魔法師です。大陸史上最速で大魔法師位に到達したと記録されている。二十三歳で大魔法師——前代未聞の記録です。記録では『魔力修練の果てに消息を絶った』とされていました」


二十三歳で大魔法師。この大陸で最も速く最高位に至った魔法師が——ここで、扉の前で、力尽きた。


「全てを極めた。それでも届かなかった」レオンはその言葉を繰り返した。


『……六百年前にこれほどの者がいたとは知らなかった』オグリの声が珍しく感慨を帯びていた。『だが扉を開けられなかった。魔力では開かない扉だということを、この者も知っていたのだろう——死ぬ前に』


◆◇◆


さらに進んだ。


また骸骨があった。今度は二体が並んでいた。肩を寄せ合うようにして壁に背をつけて座っている。


ミラが二体の徽章を確認した。


「五つ星の紋様。この様式は——七百年以上前のものです」ミラは丁寧に刻印を読んだ。「セネムートとメリトアテン。この二人の名前は——」ミラが少し間を置いた。「大図書館の記録に残っています。七百年前、同時代に活躍した強大な魔法師二名が、ある日突然学院から姿を消した。二人同時の失踪は謎とされていました」


二人で来た。二人でここまで辿り着いた。そして二人でここで死んだ。


骸骨の間の床面に、血で書かれた文字があった。


「『共に来た。共に求めた。共に眠る。——悔いはない』」


ミラの目に、何かが浮かんだ。


「……この二人は後悔していなかったんですね。ここまで来られただけで——」


「十分だと思ったのかもしれない」レオンは立ち上がった。「それがこの二人の答えだった」


◆◇◆


さらに進んだ。


また骸骨。また骸骨。また二体。


全員が魔法師だった。全員が五つ星以上だった。


ミラが一体ずつ確認するたびに、歴史の記録から消えた名前が出てきた。「四百年前の五つ星——ネフェルカラー」「三百年前の大魔法師——アメンホテプ・セト」「八百年前の——ラーメセス・ネブ。記録にない名前ですが、骸骨から漂う魔力の残滓から、相当の実力者だとわかります」。


そして全員が——同じ方向を向いて死んでいた。


前を向いて。諦めずに。倒れる瞬間まで、奥を目指していた。


ミラが足を止めた。


「これで——三十二体です」ミラは静かに言った。「三十二人の大魔法師と上位魔法師たちが。みんなここで——」


「みんな同じ方向を向いている」レオンは言った。「諦めた者は一人もいない」


『……この者たちを引き寄せた何かが——テラフォーマー以外にある』オグリの声が静かに響いた。


(わかっている)


レオンは歩き続けた。


◆◇◆


通路が開けた。


広間だった。


天井が高い。これまでの部屋よりさらに大きい。壁面が黒い石で造られており、石の表面に細かい紋様が刻まれている。


そして——正面に、二つの扉があった。


左の扉は黒かった。


漆黒に覆われた扉の中央に——一文字が刻まれていた。旧帝国よりさらに古い文字体系で「滅」。文字の輪郭に血のような赤黒い色が染み込んでいる。近づくだけで、空気が重くなった。


右の扉は白かった。


石灰のように白い扉の中央に——一文字。「存」。穏やかな気配が漂っている。滅の扉とは全く対照的だ。


「存と滅」ミラが呟いた。「これは——どちらに進むんですか」


「どちらだと思う」


「……存の扉しかありえません」ミラはためらいなく言った。「滅の扉を選ぶ理由がない」


レオンは二つの扉を見た。


骸骨たちの向きを、思い出した。全員が前を向いて死んでいた。全員が奥を目指していた。だが全員が——辿り着けなかった。


カーネフェル・アメンが「扉の前で終わる」と書いていた。


六百年前の、大陸史上最速の大魔法師が——扉を開けられなかった。


(魔力では開かない扉——ならば、何で開くのか)


レオンは白い扉——存の扉——に歩み寄った。手をかけた。


引いた。


扉は——動かなかった。


微動だにしなかった。手に触れた瞬間、微かな反発を感じた。魔力を持つ者を弾く仕組みが施されている。


「……動きませんでした」ミラが呟いた。


レオンは手を離した。


次に、黒い扉の前に立った。


「滅の扉を——」ミラが止めようとした。


「この広間に辿り着いた者たちが全員、存を選んで死んだ」レオンは静かに言った。「全員が開けられなかった。カーネフェル・アメンでも。セネムートとメリトアテンでも。——なぜか」


ミラは息を止めた。


「存の扉は魔力を持つ者を弾く。魔力が強いほど、強く弾かれる。だから大魔法師でさえ開けられなかった」


「では——滅の扉は」


「逆だ」レオンは言った。「この遺跡を造った者は、魔法の力を持つ者に存を閉ざした。そして——別の何かを持つ者だけに、滅の扉を開けた」


「別の何かとは——」


「わからない。だが試す」


ミラは口を閉じた。


レオンは黒い扉に手をかけた。


引いた。


扉が——動いた。


低い軋む音が広間に響いた。千年の埃が舞い上がった。石と石が擦れる重い音。だが確かに——開いていく。


扉の向こうに、通路が続いていた。


「……」ミラが言葉を失った。


「なぜ——あなただけ——」


「わからない」レオンは正直に答えた。「だが——これが正しい道だ」


◆◇◆


黒い扉をくぐった。


通路は短かった。二十歩ほど。足音が空洞に吸い込まれるように響く。何万年も誰も歩いていない古道を歩いているような——奇妙な静寂があった。


そして——また広間に出た。


ドーム状の天井。天井の中央に小さな穴が開いており、穴の向こうに空が見える。朝の光が細い柱のように広間の中央に差し込んでいた。


その光が照らす石壁に——巨大な文字が一つ刻まれていた。


イェログリフでも旧帝国の文字でもなかった。レオンが知っている全ての文字体系の中に——対応するものがなかった。だがその文字が何を意味するかは、形そのものが語っていた。


光を放つ円。中央から四方八方に伸びる線。


「太陽」だった。


ラーの象徴だった。


だがその文字よりも——レオンの目を奪ったのは、別のものだった。


文字が——血で刻まれていた。


血の色が赤かった。


鮮やかな赤だった。


昨日流れたばかりのように。いや——今この瞬間も流れ続けているかのように。石壁に染み込んだ血が、朝の光を受けてじわりと輝いている。


来るまでに見てきた血の文字は、五百年前のものでさえかすかな赤黒い色しか残っていなかった。三百年前のものでさえ褪せていた。


だがこの血は——鮮やかだった。


どれほどの時間が経過していても、乾くことなく、褪せることなく、朝の光の中で輝き続けていた。


「……」ミラの声が出なかった。


周囲を見渡した。骸骨がいくつかある。だがいずれも魔力の残滓が強く、近づくだけで空気が震えている——ここに辿り着いた者たちの中でも、特に突出した実力者たちだ。


だが血を流した者の痕跡が——血そのもの以外に——何もなかった。


どこにも。


誰の骸骨にも、この血は繋がらない。


オグリが、長い沈黙の後に言った。


『……わからない』


レオンは足を止めた。


オグリが「わからない」と言った。


あらゆる問いに答えを持っていた師匠が。この世界の全てを知っているかのように振る舞う師匠が。


「わからない」と言った。


レオンは血の傍に屈んだ。


触れなかった。ただ、見た。


鮮やかな赤が、朝の光の中で静かに輝いている。まるで死んでいないかのように。まるで今も——何者かの体の中を巡っているかのように。


(これは——何の血だ)


太陽神ラーの象徴が、血で刻まれている。


千年の時を超えて、今も乾かない血で。


答えは、なかった。


ただ、朝の光が細く差し込む広間の中で、その血だけが——時間を超えて、赤く輝き続けていた。

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