第23話 市場
うさみんをビンタして走り出すと、進行方向の人波がぱかっと割れていった。まるでモーゼになった気分だ。
人を避けなきゃいけないかな、とも思っていたんだけど、杞憂だったか。てか、それだけ注目されてたってことだね。ははっ。
NPCショップの前から離れ、周囲の人が少なくなってきたあたりで、ひとまずその辺の建物の陰に逃げ込んだ。
冷静になると、さっきまでの自分の行動が、ありありと思い出される。
嗚呼。ノリと勢いで、やってしまった。演じきってしまった。
灯油を頭から被って、火をつけて、そのまま抱きついていくような所業である。
相手への効果がばつぐんなことは確信しているが、自分への被害だって甚大なのだ。
嗚呼。
* * *
ところで、今、どこだ、ここ。
地図を呼び出して、確認する。
どうやら俺が向かった方角は東だったようで、街の右の方で点が光っている。
で、次に向かう予定の場所は図書館だったな。どこにあるんだ?
端から端まで見たけれど、地図にそんな記載はなかった。
うーん、そんなに重要な施設じゃないから載ってないってことなのかなあ。
さすがにうさみんにチャットするのは何か違う気がするし、来た道戻って合流するのはもっと恥ずかしいし。
そんなことを考えていると、目の前を馬が通った。後ろには荷車がついていて、御者台の上には人が乗っていて、手綱を取っている。プレイヤーがこんなに早い時期に馬車みたいな移動手段を手に入れるのは考えにくいし、NPCだろう。
ああ、そうか。
この世界には、プレイヤー以外にも「人」がいるのだ。
どんなプレイヤーよりも、この「エットの街」の地理に詳しいのは、この街で暮らすNPCのはずだ。
学校で習って驚いたんだけど、コンピュータが、本当の意味で自然な会話を生成できるようになったのって、割と最近の話らしいね。あくまでも「自然な」日本語で、「正しい」日本語かは議論の余地があるって、先生が言ってた。
人がいるところかー。地図を眺めていると、右下、つまり南東の方に「市場」という記載を見つけた。
そんなに遠くないし、行ってみよう。
* * *
そこは、確かに市場だった。マーケットがあった。
道の両端に屋台のような店が、ずらーっと並んでいる。
人の密度は、噴水のあった広場と同じくらい。ごった返している、と言ってもいいくらいだ。
噴水広場と異なるのは、人々の着ている服の色だ。動物の革の色だけ、というわけではなく、さまざまな色の服を着て歩くNPCたちを、果物みたいなものだったり、野菜みたいなものだったり、はたまた生活に使う小物金属だったりを並べた店番が、「安いよー」とか言って呼び込みをしている。
その間を、小さい子ども達が、追いかけっこでもしているのだろうか、縫うように走っていく。
物流と通信販売システムの発達によって、現在の地球ではほとんど見られなくなった光景が、そこにはあった。
んーと、あそこでいいか。
俺が目をつけたのは、おっちゃんが店番をしている果物屋さん。
「これひとつください」
店先にうず高く積まれている果物をひとつ手に取り、告げる。
なんだろこれ。リンゴみたいな形してるけど。
「お、嬢ちゃん、お目が高いな。そいつは今朝取れた新鮮なリンゴだぜ」
ああ、やっぱりリンゴなのね。
いやいや、そんなことはどうでもいいんだよ。今この人、俺のこと「嬢ちゃん」って言った? ナンデ?
あ、俺女装してたわ。声は普通に男声のつもりなんだけど、女性として認識されてるのか。
「50エンだよ」
メニューから50エンを実体化させて、おっちゃんに渡す。残金は1050エン。消費税5%なら1000エンのものが買えるね。
「なんだ、嬢ちゃんはエインヘリヤル様だったのか」
「はい?」
なんで様付けなんてされてるの?
「今、何もないところから金を取り出したじゃないか」
あ、もしかしてこれってプレイヤー限定の機能なのか。
「今日はたくさん来てるみたいだなあ。嬢ちゃんも今日からかい?」
「あ、はい」
「そうかそうか。何か困ったことがあったらいつでも聞いてくれよ。この街のことならだいたい知ってるからな!」
そう言って胸を叩くと、おっちゃんは名前を教えてくれた。
「俺はエベルって言うんだ。今後ともご贔屓に」
「お……私はナンコウです。そして、早速なのですがひとつお聞きしたいことが」
女性として認識されてる以上、さすがに「俺」は不自然だろう。慌てて噛み殺した。
せっかくフラグが立ったっぽいし、ここは我慢だ。そもそも、AIによるものとはいえきちんと人格を持っているキャラクター相手に「フラグ」っていうのも失礼にあたるかもしれないけれど。
「おう、どんと来い!」
「えっとですね、図書館ってどちらにあるか、知ってますか?」
瞬間、沈黙して。
「あっはっは、そんなことか」
なぜかおっちゃんが笑い出した。
「この市場を突っ切って、中央通りの方に行けばすぐにあるぞ。俺は入ったことないけどな」
「どうしてですか?」
「どうしてって、決まってるじゃないかそんなこと。俺は字が読めないんだよ」
「あ、そうなんですか……」
字が読めない、という可能性に思い至らなかった。そういえば、昔は識字率が100%じゃない国があったって聞いた記憶がある」
「やっぱりエインヘリヤル様は頭がいいんだな。何するのかは知らんが、せいぜいがんばってこいよ」
「ありがとう、エベルさん!」
愛想よく手を振り、果物の屋台から離れる。
顔と名前は覚えてもらえた、のかな? また、何かあったら聞きに行こう。
馬車に轢かれそうになったり、走り回る子どもに後ろから思いっきり衝突されたり、はたまた前を歩く人の靴を蹴ってしまったりしながら、俺は図書館を目指して歩いていった。
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