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第169話 ファーストキス

 シヴァと連れ立ってパーティ会場の外に出る。講堂の周囲は従者やメイドが行き交い、そこそこ人通りがある。


「こっち」


 人通りの少ない方、少ない方へと私は彼の手を引っ張って走った。ヒールの高い靴で足が痛い。本当に靴擦れしてしまうだろうが、そんなことは気にしない。会場を抜け出た私達を、すれ違った人々が不思議そうに見てくるが目に入らない。


 こんな解放感は、昨年の学園祭以来だった。




 完全に人を巻いたか確認するため、立ち止まると私はきょろきょろと視線を動かす。シヴァも確認してくれたのか、一通り周囲を見渡すと小さく頷いた。


 ここは、学園の端にある庭園だ。温室もあり、高い生け垣が迷路のように張り巡らされている。中央にある小さな噴水の周囲は、少し開けた空間になっていた。そこに、私たち二人は立っている。

 走り疲れてしまい、噴水の縁に腰かけた。そのまま、痛むので靴は脱ぎ捨ててしまう。少し足首が赤くなっている気がするが、問題ない。それよりも爪先の痛みの方が深刻だ。


「おいおい」


 慌てて脱いだ靴をシヴァが拾う。


「そのままで良いよ。足痛いし。ストッキングもあるから、大丈夫!」


 呆れたようにこちらを見るシヴァに声をかけると、彼はため息をついて地面に私の靴を揃えて置いた。そうこうしていると、少し離れた講堂から音楽が漏れ聞こえてくる。ちょうど曲が切り替わったのだ。


「シヴァ、踊ろ!」


 立ち上がった私は、シヴァに飛びついた。難なく私を支えてくれる彼の体は、ふんわりとしたスカートのメイド服には似合わずがっしりしている。

 腰に手が回され、反対の手で私の手を取る。それに合わせて私も姿勢を正した。ダンスの基本形になった私達は、そっと音楽に合わせて体を揺らしていく。

 相変わらず、シヴァの刻むリズムは正確で、とても踊りやすい。今まで一緒に踊った誰よりも、一番彼がダンスが上手い。


「ふふっ」


「どうした?」


 つい昔を思い出して笑ってしまった。はじめてシヴァと踊ったダンス。あの時の私は本当に下手で、彼に足を出すタイミングとか、ターンの時の動きとかを教えてもらったっけ。


「懐かしいなって。昔、シヴァにダンスを教えてもらったでしょ?」


「そうだったな」


 懐かしむようにシヴァは遠くを見る。薄暗がりの中、綺麗な空色の瞳が虚空を見つめる姿は美しい。


「あの頃よりも、上手になった」


 そう言いながら、シヴァはダンスにアレンジを加えて大きくターンする。突然の動きに驚きつつも、さすがにずっと練習してきた私の体は、素早く彼の動きに合わせて姿勢を整える。

 くるくると回転していると、不意にシヴァの手が私の腰に伸びた。腰を持ち上げられ、足が宙に浮いた状態で大きくターンする。

 驚いて目を見開くと、真正面に彼の顔があった。彼から目を離せないまま、地面に足が付く。見つめ合ったまま、私達はそのまま動けなくなってしまった。


「……あの、ね。シヴァ」


 なんとか私は声を絞り出す。


「今更かもしれないけど、改めて聞かせて」


 その言葉に、耳を傾けているのかシヴァは真剣な表情になった。


「私、貴方が好きなの。これからモンリーズ公爵家の後継者として、色々な人と関わると思う。婚約者がいなくなった私に、たくさん縁談も来るし、男性も近付いてくると思う」


 お父様が私とシヴァの関係を知っていても、やって来る縁談を完全に全て拒み続けることはできない。きっと付き合いでお見合いに出ることもあるだろうし、社交界に出れば近づいてくる男性はうんと増えると思う。


「でもね」


 一呼吸おいて、私は口を開いた。




「私の心は貴方だけに向いてるのよ」




 これは、告白だった。私にとっては、結婚式での誓いと同じような物だ。


「誰が来たって、私は首を縦になんか振らないわ。だから……これからも私の隣にいてくれる?」


 彼に操を立てるのは私が勝手にやることだ。彼も私を好きでいてくれているけれど、その気持ちを使って彼を縛り続けることはできない。

 シヴァにだって、これから良い女性が現れるかもしれないし、縁談だって来るかもしれない。その時に、一生結ばれることが無くても私を選び続けて欲しい。

 はっきりは言わないが、これはそんな私の我儘だ。


 意図が伝わったのかは分からない。シヴァは表情を、真剣なものから柔らかい笑みに変えた。

 大好きな彼の頬笑みを真正面から受け止めて、耐えられる心臓ではない。一気に鼓動が高鳴り、顔に熱が集まってくる。今更、イザベラがアレクサンドに微笑まれるたびに顔を赤くしていた理由が分かった気がした。

 耐え切れずに彼から視線を外して下を向く。それに合わせて、シヴァも私と目を合わせるように屈んだ。


 ちゅっ


 唇に柔らかい感触。小さなリップ音。

 一瞬訳が分からず、私は後ろに後ずさった。


 い、今、何が起きたの⁉

 目を逸らしたと思ったら、私と目を合わせるようにシヴァが屈んできて。気付いたらすぐ近くにシヴァの顔があって、唇に……


 思わず口に手を当てる。


 キスを、したの?

 シヴァと!?


 視線を彼に向けると、私が混乱している様子が面白かったのだろう。口元を隠しながら笑っている。

 こうして声を上げて笑う姿を見るのは、始めてかもしれない。ヴォルフガングと一緒にいた時に見たような、少し子供っぽい姿。そんな姿も可愛くて、文句の言葉が出て来ない。


「もちろん」


「え?」


 ひとしきり笑った後、シヴァは言葉を発した。意図がよく分からなくなり、私は変な声を出してしまう。


「もちろん、ずっと傍にいるよ」


 再度かけてくれた言葉で、ようやく彼の返事を理解した。

 再び顔に熱が集まると同時に、じわじわと足元からどうしようもない喜びが這いあがってくる。耐え切れなくなった私は、シヴァに飛びついた。そんな私を、彼は抱き留めるとぎゅっと抱き締め返してくれる。


 本当に良かった。

 これで、当初の望みが叶う。

 シヴァ以外の誰とも結ばれたくない。

 彼としか絶対に嫌だ。


 そう決めて、ここまでやって来たのだ。彼の体温に包まれ、喜びを感じながら私は気にかかる不安に目を瞑る。

 ロミーナのこと、セドリックのこと、これからのイザベラとアレクサンドのこと。不安なこと、どうなるか分からないことはたくさんある。


 それでも、今だけは。

 温かなシヴァの体温に包まれていたかった。

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