第164話 ロミーナとの出会い
蔵書量が多いと言う学園の図書館。独学で勉強するにも、一人で時間を潰すにもちょうど良い。別に、僕は従者を連れ歩いてはいなかったしね。そう思って、入学式の後、道に迷いながらも図書館へ向かった。
薄暗い図書館は、さすがに入学式の直後で生徒がみんな帰宅してしまったのか誰もいない。自由に見て回るため中に入ると、静かな部屋の中に小さな声が聞こえていた。
『なんで、こうも上手くいかないのよ。私だって、出来るだけのことはしてきたつもりなのに……!』
耳を澄ませていると、聞こえたのは懐かしいライ語。ずいぶんと流暢で自然に使いこなしているのは、イントネーションから分かった。
『すべて無駄だって言うの? もっと早く身を引いておけって? でも、ステファン様との婚約まで解消されたら、私に行くあてなんて……』
何について嘆いているのかは分からない。近付いてみて、図書館の奥。部屋の端っこで丸くなっている女の子を見つけた。
犬みたいにふわふわした赤茶色の髪が、丸まっている背を覆い隠している。小さく震える肩を見て、ようやく僕は彼女が泣いていることに気付いた。
そんな彼女の姿が、いつかの母の姿に重なる。部屋の隅で小さくなって、一人膝を抱えて泣いていた。あの母の姿に。
『大丈夫? 泣いてるの?』
それが気にかかって、つい声をかけると彼女はこちらへ振り向いた。
涙で濡れて顔に張り付いた赤茶色の髪の隙間から、まん丸のアプリコット色の目が覗いている。泣き腫らして赤くなった瞳でこちらを見てくる姿は庇護欲をそそられる。なんとも言えない表情で小首を傾げる仕草は、目元の泣き黒子も相まってどことない色気があった。
母以外の女性というものと、まともに関わろうとしたのはこれが始めてかもしれない。それもあってか、どうしようもなく彼女を助けてあげたい気持ちになった。
『やっぱり、泣いてる。どうしたの? 大丈夫?』
僕が声をかけると、再び彼女の目からポロポロと涙が零れてくる。慌ててしまう彼女に、すぐに僕はハンカチを差し出して涙を拭った。
母が泣いている時は、いつもハンカチなんて渡せなかった。いつも母は自分でハンカチを用意して、泣いていたから。
『……すみません。ありがとうございます。ただ、ちょっと嫌なことがあって』
泣きすぎて枯れてしまったのか、少しかすれた声。
『そっかそっか。流暢なライ語だったから、つい気になってさ。お節介だったらごめんね?』
彼女が先輩なのか、同級生なのかはよく分からない。それでもなんとか泣き止ませてあげたくて、僕はおどけた態度を取って見せた。
気付けば彼女の涙は止まっていた。そのことに、胸の奥が熱くなる。本当はずっと、こうして母を泣き止ませてあげたかった。なんとなく、その夢が少しだけ叶った気がして。
『わ、忘れて下さい……泣いていたのを見られるなんて、本当にお恥ずかしい……』
頬を染め、ハンカチで顔を隠しながら目を逸らす彼女を、もっと喜ばせてあげたくなった。
『人に見られなきゃいいの?』
彼女の手を取り、転移魔法をかける。行き先はもちろん、生前母を連れて行ってあげられなかったあの場所。こんなにライ語が流暢な彼女なら、きっと行ったことがあるだろう。
『嘘……ここって』
眩しい日差しに目を開けると、目の前には白い砂浜が広がっていた。青く蒼い海と空が輝き、南国らしい深い緑をたたえた森には人気はない。
場所はライハラ連合国の端に位置する海岸。特にこの深い森のせいか、この小さな砂浜までやって来る住民は少ない。偶然知り合った船乗りに船に乗せてもらってここに連れてきてもらってから、この場所は僕のお気に入りになっていた。
明るい陽射しに温かな気温。こういう場所にいると気分が良い。誰もいないこともあって、人目を気にせず過ごせる開放感は格別だ。
『ほら、立って立って! ちゃんと元居た場所には返してあげるから。海に浸かってみなよ。冷たくて気持ちいいよ!』
僕と手を繋ぎながら呆然としている彼女を立たせ、そのまま海まで引っ張っていった。海水が跳ねてしまうと、彼女の涙はまぎれて分からなくなる。戸惑いながらも血色が良くなっていく彼女の顔に、少し安心した。
『あ、あの……貴方、お名前は?』
ある程度の深さまで歩いて行ったところで、彼女は口を開いた。その言葉に、ようやく僕はお互いに名乗っていなかったことに気付く。
『あ、そうだった! 名乗って無かったね』
さすがにまずかったかなと反省しながら、改めて姿勢を正した。彼女のアプリコット色の目を真っすぐ見つめながら、家庭教師から習った貴族としての礼を披露する。
『セドリック・カンナバーロ。今日から学園に入学した新入生だよ』
今更敬語を使うのもなんか違う気がする。僕がフランクに自己紹介をすると、彼女も綺麗なカーテシーを披露した。
顔を上げた彼女は、僕の目を見て柔らかく微笑む。その瞬間、ドキッと鼓動が鳴った気がしたが、僕にはよく分からなかった。
『ロミーナ・アマトリアン。今年で三学年になります。どうやら、セドリック様の先輩にあたるようですね?』
彼女は気にしていないようだが、僕は一気に背筋が寒くなるのを感じた。よりによって、入学式初日に先輩にこんな振る舞いをするなんて。ありえない。
『え、嘘⁉ どうしよう、僕……先輩に対してこんなこと』
慌てる僕に、ロミーナ嬢はくすくすと笑った。
『気にしないで下さい。慰めようと、してくれたんですよね?』
笑いながら、彼女は距離を取ろうとした僕に手を差し伸べた。そのまま軽く頭を撫でてくれる。誰かに頭を撫でられるのは、何年ぶりだろうか。
『ありがとうございます。優しいんですね』
微笑む彼女の顔に、もう涙はない。眩しい日差しの中、笑う彼女の笑顔も同じくらい明るくて眩しくて。僕はつい目を細めた。
思えば、今までの人生で誰かを笑顔にすることができたのはこれが始めてかもしれない。
これが、ロミーナ・アマトリアン嬢との出会いだった。




