第156話 脱出
「どこに行かれるのですか?」
不思議そうに小首を傾げながらメイドが尋ねる。私は逸る心臓を押さえつけ、今まで何度も練習してきたポーカーフェイスを作った。優雅にドレスを翻し、彼女と相対する。勤めて冷静に、落ち着いて聞こえるように精一杯震える声を押さえて、口を開く。
「お父様の所ヘ。外で何かあったそうなのデ、お手伝いに行きますス」
手は震えて無かっただろうか。声は不自然では無かっただろうか。緊張してどくどくと心臓が脈打つのを感じる。私の言動を不自然に感じたりしなかっただろうか。
長く思えた時間は、あっさりと幕を引いた。
「そうですか」
納得してくれたのか、メイドは小さく頷くと明後日の方向を指さす。
「西側の馬車留めの方らしいです。私も詳細は知りませんが、参考になれば」
「ありがとウ」
メイドはぺこりとお辞儀をすると、急ぎ足で階段を下りていく。私は彼女が階段を降り切ってどこかに行くのを見届けると、少しゆっくり階段を下りた。
誰もいないことを確認して玄関ホールを小走りに進む。いつの間にか用意されていた馬車は、モンリーズ公爵家の紋章が付いたものだ。その馬車の前に、執務室の下にいた騎士の内の一人が待っていた。
「お待ちしておりました」
丁寧な礼をすると、彼はドアを開けて私を馬車の中へ案内する。中には一人の女性騎士がおり、馬車の周囲も何人もの騎士と馬に囲まれていた。
「まだ騒ぎは続いています。今の内に」
「はイ」
ドアが閉まり、馬車が出発する。あの騎士は玄関に一人取り残され、徐々に小さくなっていった。
私が心配そうに見ているのが分かったのだろう。横に座っている女性騎士が安心させるように声をかけてくれる。
「ご安心下さい。彼はお嬢様やヴォルフガング様に事が済んだ報告に行くため、残っているんです。この後お嬢様方と一緒に脱出しますよ」
「そうなんですネ」
「それと、失礼します」
女性騎士が私の手に触れる。驚くが、その光り方から魔法を展開しているのだと気が付いた。
一瞬眩しさに目を閉じていたが、瞼を開ける。基本的には変わりなく思えるが、椅子の上を這う長い髪は淡い紫色になっていた。もしやと思い、窓ガラスを見る。そこには、リリアンナ嬢にそっくりな髪と目の色の私が映っていた。
「辺境伯夫妻が追うとすると、資料を持ち出したはずのお嬢様の方です。モンリーズ令嬢と見分けがつかない方が、追手も混乱するでしょう」
その言葉に納得する。改めて窓ガラスに映る自分を見るが、リリアンナほど美人にはならない。髪と目の色が同じになった所で、リリアンナにはなれないのだと少しがっかりした。あの美しさには、正直憧れていたから。
「町を出るまではこのままで。町を出た後はスピードを出しますので、安全のために姿勢を低くしてもらいますね」
女性騎士の言葉に頷く。このまま安全に王都までたどり着けるか心配だ。お父様もお母様も、町を離れてしまったら諦めてくれればいいのに。
それと同時に、リリアンナ達の身が心配になる。私は王都と言う離れた場所に逃げるが、彼女達は旧ソプレス王国という半日もあれば到着する場所に行くのだ。彼女達の無事を祈りながら、私は見るのが最後になるであろうアマトリアン辺境伯領の風景を眺め続けた。
***
「それで、あの大音ですが……モンリーズ令嬢のお連れ様が原因だったようなのですけど」
夫人の若干怒りが混じった声に、私はすぐに返事ができなかった。何と返事をしようかと考える。
どう考えてもヴォルフガングのことだ。そして、彼が馬車を倒して大騒ぎを起こしたことは事実である。そして、そのヴォルフガングを連れてきたのは私達だ。
「まあ、そうでしたの。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。何があったのですか?」
ヤバそうな雰囲気を察して慌ててバスタブから出て体を拭く……という風に見せかける。慌てているように見えなければ不自然に映ってしまう。
シヴァが用意してくれた服に着替えながら、会話を続けた。すぐに脱出できるようにしておかないといけないという意味もある。
「馬車を横転させたとか。今、従者や騎士たち総出で直しています」
「そうなんですね。どうしましょう……馬車に傷があれば、モンリーズ家に請求して下さって構いませんから」
「そう言って頂けると助かります」
……この夫人はいつまでいるんだろうか。もう精神的にきつい。早く逃げ出したい。脱出したい。
そんな雰囲気を察したのか、シヴァが動いたのがカーテン越しに分かった。
「申し訳ありません。お嬢様も着替え等ありますので、他にご用件が無ければ控えて頂けると助かります」
さすがシヴァ! ありがとう!
「……食堂に戻っています。朝食は温め直させますので、ごゆっくり」
そう言いながら夫人は部屋を去っていった。思わず全身の力が抜けてしまう。夫人は何かを勘付いているのだろうか。それとも、私の思い過ごし?
「もういないぞ。大丈夫か?」
シヴァの声がして、反射的に体が動く。
「シヴァ!」
「うわっ! バカお前、着替え……」
カーテンを開けると、すぐに彼の胸に飛び込んだ。
「……は、してあるな」
てっきりまだタオル姿だとでも思ったのだろうか。滅茶苦茶動揺していた彼は、私が服を着ているのを見ると真顔に戻る。
「期待した?」
試しに聞いてみると、一瞬で彼の顔は真っ赤に染まった。素直に表情が変わる彼が可愛らしい。愛しさが込み上げて、私はさらに彼の体をぎゅっと抱きしめた。
「お~い、ここか?」
不意にコンコンとドアがノックされる。急なことに私達はびくっと体を震わせると、慌てて離れた。
「ヴォルフガングか」
精一杯小さな声を出しているようだが、その声はどう聞いてもヴォルフガングのものだ。シヴァがそっと扉を開けると、シヴァの倍くらい大きいのではないかと思うようなヴォルフガングの顔が目の前にあった。
驚いたシヴァは少し引いてしまう。気持ちはよく分かる。
「どうしたんだ」
「騎士団を呼ぶように言われてな。このままだとバレる。アマトリアン嬢は脱出したか分かるか?」
「いや、まだ連絡は……」
シヴァがそこまで言ったところで、何者かの足音が聞こえた。素早くドアを全開にすると、シヴァはヴォルフガングを中に引き込んで扉を閉める。
「廊下に人は?」
「さっきまではいなかった」
二人は小声でやり取りをして、様子を窺う。そんな彼らの後ろに控え、私も声を出さないように自分の手で口を覆う。
コツコツと足音が廊下に響く。その足音は、ドアの前で止まった。




