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第9話 オーバストール-6


 ラネイロノ森までの道中。


「へえ、そんなに珍しいんだ、えっと……」

「ベアコギツネ、ですよ。(うわさ)では実在しないって言ってる人もいるそうです」


 これまでとは一転して、饒舌(じょうぜつ)にあの耳と尻尾が赤いキツネのことを教えてくれるイファナ。


 きっと聞き手は誰でもいいのだろう。単純に孤独が嫌なだけ。でも自分からは話し掛けられない。そういうヤツはララカ村にもいた。


 かくいう俺も人見知りの嫌いがある。イファナに話し掛けたのだって、彼女の顔立ちが魔女と似ていたからにすぎない。

 まあ、いまさら遅いが、もう少し彼女を観察してからでもよかったとも思ってはいる。


 なんにせよ、イファナが話し相手そのものによだれを垂らしているあいだに、彼女の内面をじっくりと深掘りしておかねばならない。


 さらに少し歩くと、急勾配の坂道の入り口に差し掛かる。ここを越えれば、これでもかというほどの自然に溺れられる。無論、不本意極まりないが。


 ふと、俺は自分より5つ年下の少女のようすに違和感を覚える。

 

「いったん休憩する?」

「いえ、大丈夫です。もうそろそろ着きますし」


 とは言うものの、彼女の歩幅は出発したばかりのときよりも、わずかにだが狭くなっている。

 好奇心で体力をかさ増しするのにもさすがに限度があるみたいだ。


 それから、チラチラとイファナの挙動をうかがっているうちに、気づけば混交林の大きな口の前に着いていた。


 仕方なく、俺がやや強めに「休憩したい」と表明すると、イファナは素直にそれを承諾してくれたので、近くにあった切り株の面積を分け合うことにした。


「入ったら、俺から離れないようにね」

「はい、気をつけます。もし迷ったら帰ってこられそうにないですし」


 この子に限っては意地でも帰らせないといけない。たとえそれが事故死を遂げた死体であったとしても。


「一応、木とか岩に誰かがつけた目印があるから、深いところまで行かなければ迷わないと思うよ」

「……わかりました。覚えるのは得意です」

「よし。じゃあ、行こっか」

「はい」


 林縁を少し歩いて、人や動物の行き来によって踏み固められた道からラネイロノ森に入る。


 森の中は相も変わらず薄暗いけれど、林冠をなんとか通り抜けてきた木漏れ日をひょいと()けてしまうくらいの余裕はある。


 先導してくれているのは、昨日のフィンフィエの後ろ姿。

 とりあえず、ベアコギツネを発見した地点まで案内してもらおう。


「――見てください!」


 あ、待ってフィンフィエ。イファナに呼び止められた。


「ん?」


 振り返ると、イファナの両手の上に、木の実をせっせと口に運んでいる1匹のリスがいた。


「かわいいですよね」

()まれるかもよ?」

「い、1回くらいなら許せます」


 若干ムキになったイファナは、ゆっくりと親指をリスの後頭部に近づけて()でようと試みるが、野生の勘なのか、リスは背後から忍び寄ってきた(つつ)ましい愛に触れられる寸前で飛び降りてしまった。

 露骨にしゅんとするイファナ。


「きっと、木の実を奪われる、って思っちゃっただけだよ」


 俺はなぜ慰めの言葉を掛けているのだろうか。


 感情を殺してなにかを淡々とこなすことの難しさを、最近になって痛いほど思い知るようになった。

 誰かの笑顔を集めたとしても、それは雲に到達するまでの遠回りでしかないということも。


「……ですね。今のは私が悪いです。先へ進みましょう」

「うん。あ、そこぬかるんでるから気をつけて」


 転ばないようにイファナの手を取って、姿の見えない鳥のさえずりを聴いて、自然にそぐわない加工物の前で首を(かし)げて、一歩、また一歩と歩みを進めていく。


 軽い確認ののち、お互いの名前を呼び合う。それは、森から無事に帰るために必要だと思ったから。


 そして、この急接近はなんのためなのか、よくよく自分に言い聞かせて――。


「ここだよ。ベアコギツネはあそこの茂みから顔を出してたんだ」


 俺が指し示した情報を基に、イファナが調査を始める。


「ライノさん。そこの木の枝で、この草をどかせますか?」

「ああうん。やってみるよ」


 俺は自分の腕ほどの長さの枝を拾い上げ、指定された場所の茂みを力一杯押しのける。


 すると、イファナが押す力と戻ろうとする力がせめぎ合う()只中(ただなか)にしゃがみ込んだ。


「足跡とかないかな……」

「あってもそれがベアコギツネのものとは限らないんじゃない?」

「そうですけど……でも、動物の痕跡ってだけでわくわくしますから、それはそれでいいんです」


 俺としてはその痕跡を辿(たど)ってあちらこちらに振り回されると困るのだが。

 どうか見つからないでくれ……。

 

 しばらく耐え、込められた手の力をいきなりパッと抜いたら、イファナの顔面を草まみれにできる――そんな雑念が湧いたときだった。

 真横からガサゴソという風とはまた違う、生命を主張する音がした。


 当然、体が勝手に反応する。


 茂みをかき分けて出てきたのは、大きな大きなイノシシ。

 俺はその獣の毛が逆立っていることにいち早く気づいた。調査に没頭しているイファナの腕を強く引く。


 胸中で上げられた驚きの声。大猪(おおじし)が1秒前の少女を突き飛ばす。


「走るよっ!!」


 俺は叫び、イファナの手をぎゅっと握った。


 逃げ道は来た道。背後から聞こえる枝葉を踏む音は、四足歩行特有の響き。

 

 興奮状態なのは一目瞭然。もしかすると近くにウリ坊がいたのかもしれない。


 イファナの呼吸が荒い。けれど、走る速さを緩めることも、固く握られた(つな)がりを断つこともしない。してあげられない。


 視線を懸命に巡らせる。隠れてやり過ごすための適所を探すために。

 いや、気づけばイファナがリスを()でていた場所まで来ている。このまま走り抜けよう――。


「あっ」

 

 俺は大丈夫だから――そんな自己中心的な考えが災難を呼んだ。

 

 引っ掛かりを覚え、振り返ったときと同じくして、イファナがぬかるみに足を取られ、派手に転んだ。


 迫る大猪。


 私を置いて逃げて――そんな表情が見えた。

 

 もう、やるしかない。


 俺は彼女の声を、視界を、自由を奪う。華奢(きゃしゃ)な体を潰すように抱きしめて。


 流れだすは、見通しの甘さを取り返すためのずる。

 

 魔力によって形成された1本の「イバラ」が勢いよく走り、この危機的状況を事もなげに突き破った。


 横腹を(えぐ)られたイノシシは、悲痛な鳴き声を上げながら蛇行し、そして木に衝突。


 安心と申し訳なさ。ほぼ同時に湧いたふたつの感情に優先順位をつけることなく、俺はただ森の奥へと逃げていく獣の姿を見送った。


 切り離すイメージで脱力すると、「イバラ」はかすかなきらめきとともにふわっと消える。


「もう大丈夫……みたい」


 そう言って、イファナの肩を(つか)んで優しく押し離す。

 俺のせいで余計苦しかったのだろう。彼女の息はまだ激しく乱れている。


「立てそう?」


 イファナは俺の問い掛けに応えようとしたものの、ガクンと体が揺れ、元の体勢に戻ってしまう。


「足が痛いの?」


 少しの間が空いたのち、彼女はうつむきながら(うなず)いた。


 なぜ反応が遅れたのか、なぜ顔を上げないのか、俺にはよくわからない。けれど、自分が今なにをすべきかだけはなんとなくわかる。


 俺は身を翻し、腰を落とす。あとは、じっと彼女の体重を待つだけ。


「はあ、はあ、はあ……はあ、私、泥だらけ、だから……」

「俺も大して変わらないよ。ほら、早く」

「…………はい」


 やがて、汚れを気にしていたとは思えないほど、イファナは体を隙間なく密着させてきた。


 とても軽い。これならオーバストールまで背負い続けられる。


 背にいるのは「ただの」10歳の女の子――そう自己暗示してから俺は歩き始めた。


 森を出るまでのあいだ、会話こそなかったけれど、五感が知ってもどうしようもないことを生き生きと語ってきたため、退屈はしなかった。


 そして、太陽光に目をやられたのか、イファナが俺の耳元で「うぅ」と声を漏らす。


「大丈夫?」

「ま、まぶしい……」

「目、閉じてたら?」

「……そうします」


 この甘えてくる感じ、妹を――ミノリルを思い出す。

 ララカ村の人たちからは「しっかり者」と評されていたことが不思議に思うくらい、ミノリルは俺の前では甘えん坊だった。


 頭を撫でてあげたときのあの屈託のない笑顔が好き。頬をつつくと膨らませて反抗してくるあどけなさが好き。驚くと両手を目一杯広げて顔を覆い隠す仕草が好き。


 記憶域にべっとりとこびりついたそれらは、ひとり生き残ってしまったがゆえの寂しさを緩和してくれていた。


 ――ここ最近までは。残酷にも、もう知ってしまったのだ。ミノリルとの大切な思い出すら徐々に冷たくなっていっている、ということを。

 

 もういっそ全部忘れたほうがいいのかもしれない……。


「ライノさん」


 ふと至近距離から発せられたささやき声でハッとする。救いにしてはあまりに心(もと)ない。


「ん?」

「ベアコギツネ探し……また一緒に行ってくれますか……?」


 なんだ。そんなことか。

 

「うん。イファナの足が治ったらね」

「…………やった……」


 それからオーバストールに着くまでのあいだ、(よど)みのない静かな寝息が途切れないように、ゆっくりと歩いた。


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