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第10話 オーバストール-7 惟識暦601年


 ライノになってから何日目なのか――抜け切らない疲れに押さえつけられようが、逃れられない悪夢に崖から突き落とされようが、目が覚めたらその数字を思い浮かべるようにしている。


 それは一日一日を胸に刻むためでもあり、新しい環境に適応あるいは順応していく自分に対する圧力でもあった。


 そして、今日がちょうど100日目。


 現状、頻繁にラネイロノ森に通ってはいるが、いまだめぼしい手掛かりを見つけられていない。


 自分なりに地図を作って、しらみ潰しとはいかずとも、ときおり出会った貧相な身なりの猟師に負けず劣らずの範囲の地形を把握できた自信はある。


 ただそれでも、あの大森林は俺を排除することも、導くこともしない。当然、募りに募った探索者の暗澹(あんたん)たる想いを嘲笑うことも。

 

 諦める理由なんて探そうとすらしていないけれど、ベッドの上で丸くなるだけの日もあったし、その1日も例外なく数えた。

 

 唯一の救いは、いまだ自分以外の魔法使い(マヴィルギー)が現れていないということ。やはり魔法はまだ生まれていない、そう自分に言い聞かせるのも、そろそろ100回目だ。


 この先どうするのが正解なんだろう……。


 街の人と話し終えたようすのフィンフィエが戻ってくる。


「ごめんライノ、思ったよりも時間掛かっちゃった」

「いいよ別に。なんの話をしてたの?」


 フィンフィエのすぐ後ろ。とある家屋の前にできた少数の人だかり。


 彼らの表情から察するに、取り留めのない会話を交わしているわけではなさそうだった。


 フィンフィエが手を自分の口元に添える。


「この家に泥棒が入ったんだって」


 へえ、それはまた大変だな。

 すかさず俺は被害に遭った建物に目をやる。


「泥棒ってさ、なにを基準に盗みに入る家を決めてるんだろうね。こう言ったらなんだけどさ、大きい家ってわけでもないじゃん」

「んーどうなんだろう。でも、盗まれたのは金目のものじゃなかったらしいよ」

「え? じゃあなんなの?」

「食料だってさ」


 なるほど。どうりで家の主らしき人物が比較的落ち着いているわけだ。


「なら、フィンフィエも気をつけないとだね」

「むうー、私の家は小さくて食べ物ばっかあるって言いたいの?」

「いや、そうじゃなくて……そもそも俺の家と一緒で、大きくもなければ小さくもないでしょ」

 

 誤解だと伝えるも、彼女はぎこちのない渋面のまま。

 どうせそう長くは続かないだろう――ほら。


「今日で100日かー」

「えっ?」


 内面で渦巻いていたはずの数字に表皮をくすぐられて、ギョッとする。


「ライノが倒れたあの日から、だよ」


 ……フィンフィエも数えていたのか。

 でもきっとそれは、俺とは色も形もまるきり違う想いが原動力の行いなのだと思う。

 

「記憶、なかなか戻らないね」

「あーうん。俺としてはもういいかなって思ってるんだけど、フィンフィエはどう?」

「私? んー戻るに越したことはないけど、こうして前とほとんど変わらずにお話しできてるから、焦ってライノに無理させるくらいなら、このままでもいいかな……」


 そう、フィンフィエには現状維持を望んでもらわないと困る。

 「ライノ」の日常は彼女を主軸に回っているのだから。


 俺が今、滞りなく店番の仕事をこなせているのはフィンフィエのおかげだ。

 「記憶喪失」を悟られずに日常に適応する方法をフィンフィエに相談したところ、彼女はライノ家の店で働かせてほしいと志願しに行ったのだ。


 すべては学んだ経験や知識を、俺に横流しするため。


 もちろん、「復帰」直後にライノの両親から細かい部分で不審に思われたりもしたが、さすがにそれが「記憶喪失」まで飛躍することはなかった。


 フィンフィエに対する恩は、顔を背けるだけでは無視できないほど膨れ上がっている。


 だからこそ、今日のような休みの日に「私の部屋に来て」という貴重な時間を浪費してしまうお願いをされたとしても、できる限りは応じるようにしている。

 それが次なる恩恵に(つな)がると信じて。


「着いたよ。小さな小さな私の家に」

「ごめんってば……」


 もう魔法はいつ生まれてもおかしくはない。

 情報の不足。焦り。いつまで経っても注ぎ先の見つからない熱情。


 八方塞がりであることをまだ認めたくはない――。


 ⭐︎


 フィンフィエとしばらく談笑したのち、俺は適当な理由をつけて彼女の家から辞去した。


 話し足りなそうな顔をするフィンフィエの前から立ち去るのは少々心が痛んだけれど、俺にとってのラネイロノ森は、頭から遠ざければ遠ざけるほど熱を帯びて苦しめてくる大病だから、こればかりは仕方ない。


 少し歩いて、街の活気が一段階落ち着く場所まで来ると、見慣れた後ろ姿が目に入った。


「イファナ?」


 そう名前を呼ぶと、目の前の少女は正解と言わんばかりに持ち前の金髪を踊らせた。


「あ、ライノさん!」


 向けられるは屈託のない笑顔。


「珍しいね、イファナがこの辺を歩いてるなんて。それに、最近全然見掛けなかったし」

「あー、実はそれにはちゃんとした理由があるんです。でもまだ言えなくて……」

「まだってことは、いずれ教えてくれるの?」

「はい! 元々ライノさんには教えるつもりでしたから」


 秘密か……なんだろう。この雰囲気からして悪いことではないのはなんとなくわかる。


 俺を兄みたいに慕ってくれてはいるけれど、いまだ(つか)みどころのない彼女。

 もしかしたら、推し量ろうとするだけムダかもしれない。いいことならなおさら。


 結局、俺はそっと思考を寝かしつけることにした。


「じゃあ、楽しみに? 待ってるよ」

「ふふ、楽しみに、待ってていいですよ」


 イファナは続けて「それじゃあまた」と別れの挨拶を言い、これまた珍しく、小走りで郊外へと駆けていった。

 その姿を見えなくなるまで目で追う。


 俺は自覚できている。羨ましい、なんて感情が芽を出すのは、ここ100日間の自分が無能であったがゆえだと。


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